46.封印した恋心を蘇らせたわ

 王家が勝手に婚約を発表した日、大木の根元で泣いた。エインズワース侯爵令嬢として、名前しか知らない王子の妻にならなくてはいけない。マーランド帝国の公爵令嬢であっても、すでに発表された以上逃げられなかった。


 お祖父様に相談したら、力を貸してくれるでしょう。それは戦になる覚悟が必要でした。民を危険に晒し、聖獣達を巻き込む戦いになる。聖樹の森に火を掛けられたら、根を張るあの方は逃げられないわ。愛する人や大切な家族や領民を守るために、己を犠牲にするのは貴族の義務です。


 人より恵まれた生活や教育を与えられ、豊かな愛情を注がれたのは、私が貴族令嬢だから。覚悟を決めなくてはいけない。聖樹様や聖獣達を守るためだもの。直接会ったら、助けを求めてしまいそうで。会えないまま、大木の根元へ恋心を埋めた。いつか掘り起こせるかしら。


『グレイス、僕の大切な巫女』


「私は王家に嫁ぎます。次の巫女が早く見つかりますように」


 祈る言葉で、ラエルの呼びかけを遮る。葉音がぴたりと止んで、また動き出した。その僅かな時間で、嘘のように気持ちが軽くなる。何かを下ろしたみたい。その事実さえ、数日で薄れてしまった。


 思い出させてくれたのは、ノエル。


 王家から戻った私が聖樹様への挨拶に向かうと聞いて、留守番を申し出た。ありがたい言葉に頷く私の額に手を押し当て、彼は何かを唱えた。庭に生える大木の根元へ導かれる。そこで……掘り起こしてしまった。貴族令嬢としての柵と役割に諦めて、この手で封印した気持ちが蘇る。


 どうして忘れていられたのかしら。なぜ他の男の妻になるなんて思えたの? ぞっとするわ。私は聖樹様が好き。実らなかった初恋のような幼稚な感情ではなく、この命を差し出せるほど恋した。あの時、私の気持ちを封じたのは――あなたでしょう? ラエル。


 泣きながらあなたへの気持ちを吐き出した夜、根を通して全て聞いたのね。だってエインズワースはあなたの領域だもの。筒抜けだったのに、そんな事実すら忘れて泣き叫んだ。呼びかけたあなたに別れを告げて。私から記憶を奪ったのは、優しさだと思いたい。


 辛い気持ちを代わりに引き受けて、私の心を軽くしてくれた。あれは恋心を抜き取ったのではなくて? 領域内では万能に近いラエルの能力や感情は、私のような人間に押し量れないけれど。そうでなければ、私が覚悟を決めることは出来なかった。ずっと苦しんで泣いたはずよ。


 取り戻した恋心を抱き締め、今度こそあなたに愛していると告げたい。たとえ一緒に暮らす未来がなかったとしても。何もしないで諦めたくないの。私は巫女として失格だった。崇めるラエルを独り占めして、私だけを見つめて欲しいなんて。


 ――愛してるわ、ラエル。この気持ちは諦められないの。


 恋したばかりの気持ちを封印したから、蘇った気持ちはあの頃のまま。わずかも色褪せていなかった。お気に入りのドレスに着替えて、髪を結う。元婚約者に会う時は面倒だったのに、今日はとても楽しかったわ。着飾った私を見たラエルは、綺麗だと思ってくれるかしら。


 焦って落ちそうになった階段でシリルに助けられた。執事のエイドリアンに聞いて庭へと向かう。お母様とテーブルについたラエルが振り向き、私は手を振って駆け出した。

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