45.親として確かめておきたかったこと

 浮かれて戻った娘グレイスの望み通り、空いていた隣部屋を整えるよう指示を出す。白猫ノエル以外の聖獣達を従えて出かけたと思ったら、今度は聖獣様に加えて聖樹様まで連れて戻った。まだ領地の民に知られていないからいいけど、バレたら大騒ぎね。


 エインズワースの女主人ジャスミンは、ゆったりとドレスの裾を捌いて深く身を屈めた。跪礼の中でもっとも格式の高い挨拶に、聖樹ラエルは頬を緩める。


『丁寧な挨拶に感謝します。しばらく厄介になるのはこちらの方です。頭を上げてください』


 顔を上げたジャスミンを見つめ、ラエルはなるほどと納得した。彼女も巫女の資格を満たしている。だが我が領域に踏み込んだ時点で人妻のため、対象外として興味を惹かれなかったのだろう。その偶然が、最愛の巫女グレイスを生み出したのなら僥倖だった。


「お茶でもいかがですか、聖樹様。もうすぐグレイスの支度も整うでしょう」


『ならば庭で待つとしよう』


「承知いたしました、こちらへ」


 微笑んだジャスミンに促され、庭に用意されたテーブルセットを囲む。グレイスは着替えに行っており、そろそろ戻る頃だった。根を張った領域内、それも巫女の行動はある程度掴んでいる。慌ただしく階段を駆け降りるグレイスが躓いた。だが落ちる前に手すりを掴み、下に入り込んだシリルがクッションになる。


 視えてしまった状況は、出会った頃のグレイスと変わらないことを示す。ほっとした。王都に根は張っていないから、届かない場所で彼女が変質してしまうかと心配したのだ。くすっと笑いを漏らしたラエルに、ジャスミンは落ち着いた声で尋ねた。


「グレイスをどうなさるおつもりか、お伺いしたいのです」


 あの子が来る前に。そう付け足した皇女は、優雅な所作でお茶を注いだ。グレイスのカップも用意しているが、まだ注がずにポットを置く。目の前に用意されたお茶に手をつけることなく、ラエルはジャスミンを見据える。


『はっきり問うがよい』


「グレイスはあなた様を愛しています。民を守るため王家に嫁がせようとした親の言葉ではありますが、あの子には幸せになって欲しいと思います。もし見込みがないなら諦めさせてください」


 婚約を押し付けられたのは、王家が豊かな領地を手放したくなかったから。ちょうどその頃、マーランド帝国の皇帝より併合の話が来ていた。オリファント王国からの婚約打診に対し、拒絶の書簡を送ったその日……国王ヘイデンは国内外へ向けて「オリファント王国第一王子とエインズワースの婚約」を発表した。


 狡猾な狐のような手法は騙し討ちで、抗議は何度も行った。しかし王家が発表した以上、話が覆るはずはない。ならばと条件をいくつか追加したのだ。可愛い一人娘のグレイスが有利になるよう、定めた条件は3つ。


 第一王子に瑕疵があると判明し公になった場合、グレイスを蔑ろにした場合、エインズワース公爵家を侮辱した場合。王族と貴族家の間の婚約で、このような条件がつくことは珍しい。だが帝国の権威を振り翳して条件を飲ませた。


 あの子が叶わぬ恋をしているのを知っていたから。万が一の時はグレイスを取り戻せるように。同時に、彼女が不幸にならないための手立てだった。母の心配は現実のものとなり、愚かな王子は娘の手を離した。自由になったグレイスが伸ばした手を、あなた様は掴むのでしょうか。問う母の表情は厳しかった。


『僕に諦める気はないよ』


 諦めさせる前に、僕自身が彼女を欲している。迷いなく告げたラエルは、顔を上げて左側を振り返った。手を振って駆け寄るグレイスに目を細めながら。

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