44.私はまた失恋するのかしら

 そろそろお父様が戻る頃だわ。まだ一緒にいたかったけれど、一度お別れね。美しい緑の髪を手で梳きながら、私は溜め息を吐いた。


『どうしたの、グレイス』


「家に戻ろうと思います」


 膝枕の状態で私を見上げるラエルは、不思議そうな顔をした。黄金色の瞳は瞬きをしない。人ではないからか。瞬きをしたタイミングで、私の方から逸らした。吸い込まれそうだったわ。


『家に帰るのに、どうして溜め息を吐いたのかな』


 ああ、そうなのね。がっかりして、続いて口許が歪む。ラエルは人間じゃない。だから恋愛感情なんて理解しないのかも。あなたと距離を置くことが寂しいと思う私と違い、ラエルは私がいなくても何ともないのよ。驕ってはいけない、巫女は人間なのだから。結ばれる未来はないの。


 私はまた失恋するのね。


「ラエルといるのが心地よいから、かしら」


 微笑んで、でも心は張り裂けそうだった。泣きたいのに我慢する。さすがに泣いたら心配させるわ。彼が悪いんじゃないもの。私が勝手に恋をして、勝手に失恋しただけ。


『そう、それはよかった』


 すっと身を起こしたラエルが頬を緩めた。整った顔立ちを縁取る緑髪がさらりと揺れる。次に会うまでに、気持ちの整理をしなくてはいけないわ。巫女としての立場を弁え、ラエルへの恋心を封印しなくちゃ。覚悟を決めるために見つめた先で、金瞳が柔らかく蕩けた。


『僕も一緒に行くよ。グレイスを離す気はないからね』


「え?」


 意味が分からなくて、後ろでソファ代わりを務めるシリルを振り返った。7本もある尻尾で私を支えた白狐は、特に驚いた様子はない。知っていたの?


『グレイスは僕の巫女だ。一緒にいたいと思うのは当然だろう? それとも迷惑かな』


 僕は人の気持ちに疎いから。そう呟くラエルへ、首を横に振って違うと伝えた。嬉しい。


「一緒にいてくれるの?」


 これはきっと恋じゃない。同じ気持ちじゃなくても、ラエルが私と一緒にいることを望んだ。それだけで胸が高鳴った。だめよ、期待したら泣くことになる。


『グレイスが嫌でなければ』


「聖樹を離れても平気なの?」


『エインズワース領は僕の根が届く。どこにいても同じだよ』


 人間が煩わしかったから距離を置いた。地形を操り、人間が近づけなくしただけ。それを解除するより、自分が外に出た方が早い。そう言い切ったラエルは、首を傾げた。


『どうして泣くの』


「あ、嬉しくて。人間は嬉しくても涙が出るのよ」


 取り出したハンカチで拭く。そのハンカチを、パールが奪って高く舞い上がった。


「パール?」


「これ、私が欲しいわ」


 許可すれば、今度はシリルが何か欲しいと騒ぎ出す。お気に入りのクッションを譲った途端、一仕事終えて寛ぐフィリスが期待の眼差しを向けた。くすくす笑いながら、髪のリボンを解いてフィリスの手首に巻く。


「皆、屋敷に帰る支度を手伝ってちょうだい」


 声をかけると聖獣達は一斉に動き出した。ラエルと一緒に帰る、そう考えただけで喜びが体を震わせる。私の部屋の隣、空いていたわよね。ラエルの部屋にしてもらいましょう。

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