42.いつでも僕は君の隣にいる
聖樹の内側に招かれると、居心地が良すぎて困るわ。贅沢なことを考えながら、ラエルの美しい緑の髪を手櫛で整える。膝枕をしてみたいと強請られ、小一時間ほどこの状態だった。
足が痺れることもないので、ひたすらに彼の髪を撫でている。小麦色の肌に落ちた、緑のまつ毛の影が僅かに揺れた。開く目蓋の下から、蜂蜜色の瞳が現れる。顔立ちも心も仕草も、本当に美しいわね。
ここまで己と差があれば、嫉妬する気にもなれない。美しさも極めれば、嫉妬を超越するんだわ。微笑んだ私の頬に、ラエルの指先が伸ばされた。少しひんやりとしている。木陰の涼しさのようだった。
『ありがとう、グレイス。足は平気?』
「ええ、全然平気ですわ。ラエルは休めたのかしら」
『ふふっ、僕は人じゃないからね。休むのとは違うかな。すごく心地よかったので、根をいつもより伸ばしたんだ』
大地の下、人が見ることの出来ない領域で聖樹の根は世界を支配する。彼にとっては支配とは違うのだろう。ただ、己の手が届く距離を伸ばすだけ。根の上に育つ人や動物を庇護対象に加える行為だった。
「貿易都市ウォレスは友人の街ですの。根を通して護ってくださるのは嬉しいのですが、森になると困ります」
『ああ、果物を届けた友人だね。種を落としたから、数本の木を生やしておくよ。それで終わり』
森にする気はないと明言され、安心した。害をなすことはしないけれど、この方の考えは人間とは大きく異なる。だからラエルは良かれと思ってした行動が、人間に思わぬ危害を加えることもあった。そんな被害も、巫女がいればこうして防げるのだ。
『フィリスがさっき出て行っただろう? もうすぐ君の親族が戻るよ』
「……嬉しいのに、残念だわ」
もう戻らないといけないのね。お気に入りのクッションを置いて、ふかふかの絨毯を広げ、居心地のいい空間を作ったのに。ラエルと一緒にいる時間が足りないわ。愛称で呼ぶことを許されてから、ラエルは人の子のように振る舞う。そんな歩み寄りが嬉しくて、いつもより距離を詰めた。
だからかしら。離れるのが辛い。今までより寂しく感じた。でも私は人間だから、ずっとラエルと一緒にはいられない。初恋相手のユリシーズ叔父様も、今の恋も……私が好きになる方は手の届かない人ばかりね。
『グレイス、そんな顔をしないで。何か願いをひとつ叶えるから』
泣きそうな顔をしたのかも。ラエルが心配そうに問う声に、無理矢理笑顔を作った。そうしないと「私を愛して」と願ってしまいそうで。
「いつも私のそばにいて下さい。声が届く距離に……」
たとえ、根だけでもいい。姿が見えなくても構わないから、近くにいると感じさせてください。そう願った私に、ラエルはふわりと笑みを浮かべた。まだ私の膝に頭を預けたまま、見上げる彼は何かを呟いた。その声は聞こえるのに、言葉は理解できない。
髪を数本引き抜いて、束ねてから私の指に巻いた。左手の薬指だ。人間じゃないから意味を知るはずがないのに、どうしてこの指なの? 期待してしまうわ。
『これで僕と繋がってるよ。いつでも僕は君の隣にいる』
結んだ髪に唇を押し当てると、美しい指輪に変わった。木製の指輪は緑のラインが入り、宝石のような輝きが所々に埋め込まれている。
「素敵な指輪、ありがとうございます」
うっとり眺めた指を、ラエルが再び引き寄せた。されるがままの指先へ、ラエルが唇を押し当てる。意味はきっと違うのに、キスを受けたように感じた。
『僕の愛し子グレイス、僕に会いたくなったらいつでも名を呼んで』
「……そんなこと言われたら、毎日呼んでしまうわ」
茶化した口調で逃げるけど、本当に毎日呼んでしまいそうな自分を戒めた。ダメよ、毎日なんて迷惑なんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます