41.我らが愛する巫女のために

 フィリスは美しい翼を広げる。翼ある狼は、一番最初の聖獣であった。聖樹の強大すぎる霊力の放出を受けた狼は、その身を生まれ変わらせた。大き過ぎて飲み込めなかった魔力が背を突き破り、翼となって顕現する。


 フィリスに以前の記憶はない。ただの獣だった頃、何を考えて生きてきたのか……思い出せなかった。だが、己を生み出した聖樹に対する愛情は、自然と湧き出る。気持ちとしては母親を慕う幼子に近かった。聖樹の根元で眠り、聖樹の実を狙う獣を遠ざける。大切な主人であると同時に、誰より慕わしい母親のような存在だった。


 かつての毛皮は黒がかっていた気がする。魔力を得た時から白く染まり、翼も真っ白だった。過去に得た巫女の影響で色が濁ったこともあるが、代替わりすれば元通りだ。巫女は勝手に入れ替わる者で、さほど興味はない。聖樹を大切にするから守る程度の愛情だった。


 グレイスが生まれるまでは――それでよかったのに。強く美しい光を内側に秘めた彼女は、幼い頃から聖霊や聖獣を惹きつける。生まれた感情は聖樹に対する想いとは違い、我が子を愛する母になった気分だった。何でも叶えたいし、与えたい。彼女が望むなら、この身が黒く穢れて消滅しても構わないとさえ思った。


 フィリスの後に生まれた他の聖獣達も同様に、グレイスへ特別な愛情を抱く。パールは気難しく、ほとんどの巫女に近づかなかった。そんな彼女さえ、グレイスの肩に乗り手に頬擦りする。大切な姉妹のようだと口にした。会えなくなった時期に落ち込んで泣くので、大量の真珠が転がって大変だった。


 ノエルの前に白い兎がいる。彼は九代前の巫女によって穢れを溜めて散った。幼過ぎた巫女の我が侭に振り回され、それでも彼女の死を見届けて満足そうに消滅する。羨ましいと思った。そこまで心酔できる相手を見つけたことが、ただただ妬ましかった。


 ノエルはその後に生まれたが、反動のように巫女に対して距離を置いて過ごす。親しく近寄って甘えるのに、決して巫女に力を貸そうとしなかった。ただの愛玩動物のように、いるだけ。心を許さず、見極めるように巫女の近くで過ごす。あの子の考えは、フィリスにもよく分からなかった。


 一番末っ子のシリルは、犬に似た気質を持つ。主君に傾倒しやすく、危険な子だ。生まれながらに3本の狐尻尾を持ち、聖樹が持て余した魔力を浴びながら育った。聖樹の近くで過ごし、四代前の巫女を気に入ってよく願いを聞いていた。だが次の代の巫女は合わず、その後は巫女にあまり興味を示さなくなっていたのに。


 どの聖獣にも共通するのは、聖樹によって生まれ、巫女に対して大きな期待を持たなかったこと。それが覆されたのは、グレイスただ一人だった。彼女の願いをひとつでも多く叶えたい。少しでも近くで褒めてもらいたい。ただの愛玩動物が主人に愛でられたいと願う姿に似ていた。


『あの子は特別だよ。僕が巫女を受け入れたのは初めてだからね。グレイスが死ぬなら、僕も枯れてしまいたい』


 まるで森で見つけた愛らしい小鳥を愛でるように、聖樹は人間の少女に巫女の地位を与えた。少女らの望みを満たし、だが一線を越えない。そのバランスを崩したのがグレイス――もし彼女が王都で害されたなら、聖獣達は能力の全てを注いでも敵を滅ぼすだろう。


 グレイスの望みのままに、王都へ向かって飛ぶ。この地はまだ聖樹の根が伸びておらず、祝福が薄い土地だった。故にもっとも能力が高く、長寿の聖獣であるフィリスが出向いたのだ。


 見下ろす先で、グレイスの家族が行く手を塞がれていた。邪魔な壁を崩し、出口を広げる。彼らが早く安全に帰り着けるよう、聖獣の祝福を与えた。すべては、我らが愛する巫女グレイスのために。

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