39.私はそんな人間が嫌いじゃないの
「脱出を急がせよ。屋敷や土地の処分はせずとも良い。どうせ数年で回収できる」
「はっ」
「すでに手配済みです」
エインズワースの分家であり、両輪となり本家を支える二人は愛馬に跨る。武力を極めたブレスコット伯爵トリスタン、知略をもって敵を排除するテルフォード侯爵サイラス。どちらも有能な手足だ。他にも分家は各分野に散らばっていた。
芸術方面で功績を残すアビントン伯爵、領地経営で一目置かれるレンフィールド侯爵家など。彼らも王都から脱出を図っている。分家以外でも有能と評価した一族には、息子メイナードが回ったはず。王家を丸裸にするのは簡単だった。
「盤上の駒が足りなければ、早々にゲームを投げるであろう」
「投了を渋るでしょうが、早くに終わらせる手は打ってあります」
悪い顔をする元オリファント国宰相テルフォード侯爵に、アイヴァンは苦笑いした。
「サイラス、トドメを刺そうとしたのか」
「いえ。退職金代わりに少し」
彼がそう言うなら、相当えげつない手段で仕込んだのだろう。他人事ながら国王ヘイデンを気の毒に思った。王都を出る門は混雑している。馬車が大量に押しかけ、その様は敗戦国の逃走に似ていた。
「ですから! 許可証がなければ通せないのです」
普段は不要な許可証を示せと言われ、商人が憤慨する。その隣で、貴族の御者が門番を罵倒した。誰もが沈む船から逃げ出すネズミの様相だ。グレイスを王都から出さないために取った施策が、まだそのまま継続されていた。どこまでも無能な王だ。
「構わん、全員出してしまえ」
騎士団長であったブレスコット伯爵の姿に、門を守る衛兵は踵を鳴らして敬礼した。それから慌てて門を開く。誰もが我先に出ようとするため、門に2台の馬車が同時に頭を突っ込み、途中でつっかえた。なんという見苦しさか。
「人は強欲で醜くて、どこまでも汚い。でもね、私はそんな人間が嫌いじゃないの」
ふわりと空中で翼を広げた大きな白い狼が、くつりと喉を鳴らして笑う。その直後、彼女は青白い息を吐いた。長く細い息が触れた部分から、王都を囲む壁が崩れていく。瓦礫一つなく消滅させられた。
「これは、聖獣フィリス殿! 手助け痛み入る」
上空にいる聖獣フィリスへ、馬上ながらも礼を尽くすアイヴァンの会釈に、周囲も一斉に従った。今まで門に突進していた人々も、口々に聖獣を讃える言葉を口に乗せる。聖獣は宗教らしい宗教のないオリファント王国で、唯一の信仰対象だった。
聖獣や聖樹の巫女であるグレイスが、この国の王家に狙われた原因でもある。美しい白い毛並みを見せつけるように、陽の光を浴びたフィリスは翼を広げた。
「アイヴァン、これは我らの巫女からの祝福よ」
グレイスに頼まれて手伝いに来たと告げた白狼は、輝く祝福の光を一部の馬車や騎乗した人々に与えた。これは以前に白狐シリルが、グレイスの叔父ユリシーズ達に与えたのと同じだ。
「助かりましたぞ! 巫女殿にもよろしくお伝えくだされ」
この場でグレイスの名を出さない聖獣に従い、娘という単語を避けたアイヴァンにフィリスは頷く。空を駆けて帰路に就く聖獣を見送り、門がなくなり広くなった道なき道へ走り出した。
「急げ! 巫女殿は我らをお待ちだ」
「「「はっ」」」
エインズワースに縁のある人々が大きな街道へ向けて走り出す。それを見送り、最後を守るように騎乗したアイヴァン達が追いかけた。
「……街道の修復費用の着服を問うのを忘れたな」
渋い顔で呟くアイヴァンに馬首を並べ、元宰相サイラスが肩を竦める。
「すでに取り返してありますので、ご心配なく。詳細は領地に戻り次第ご報告いたします」
「さすがだ」
部下を褒め称えながら、聖樹の森があるエインズワース公国領へ向けて歩を速めた。
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