33.大好きな人の抱擁を受けて
『やっと戻ったね、僕の可愛い愛し子。グレイスの帰りを待ち侘びていたよ』
太い枝の脇から、するりと姿を現したのは美しい若者だった。女性と呼ぶには凛々しく、男性と判断するには美し過ぎた。相手に合わせて己の性別を変化させる聖樹様は、穏やかに笑う。
森を慈しみ、すべての生き物を庇護する神のような存在だった。聖獣達が守る聖樹様は、このお姿が本体だ。巨木は聖樹様を包む器に過ぎなかった。
『もう、僕の根が届かないところに行ってはいけないよ。助けが間に合わないからね。話はパールやフィリスから聞いた。王都まで根を伸ばすことにする』
「ありがとうございます。聖樹様、私は王都に住む気はありません。あなた様の森に寄り添って生きていきたいのです」
『嬉しいことを言ってくれる。グレイス、今日はゆっくり出来るのだろう?』
聖樹様の小麦色の指が私の頬に触れる。優しく撫でて小首を傾げ、輝く黄金の瞳を和らげた。紅をさしたような唇が綻び、森の緑を映した長い髪が肩を滑る。姿形はもちろん、その心まで美しく純粋な存在だった。
王都で浮かべた作り笑いを捨てて、心から幸せだと示すために微笑む。その笑みの形を確かめるように、指は頬から髪に触れて唇へと滑った。甘い香りがする。
「泊まるつもりで荷物も用意しましたの」
『おや、以前にグレイスが持ち込んだ人形や毛布もそのまま保管してあるのにね。また君の物が僕の中に溜まっていく』
「お邪魔ですか?」
『いや、君ごと飲み込んでしまいたいよ』
嬉しがらせを口にする聖樹様に抱き寄せられ、そのまま大樹の内側へ招かれた。大人しく従う聖獣も一緒だ。以前と変わらぬ森の香りが漂う空間に気持ちが緩んだ。
「ようやく帰った、そんな気がします」
生まれ育った屋敷より、顔見知りばかりの領内より、もっと懐かしい。ずっと帰りたかった。産まれた瞬間から、この場所に帰りたかった気がする。
『ここはいつでもグレイスを歓迎する。だから心を解放して、穏やかに過ごして』
優しく髪を撫でられると、子供に返ったような気持ちだった。木製の長椅子に腰掛けた聖樹様の胸に顔を埋める形で、抱き着いて呼吸を整える。漂う香りは二種類で、ほんのり甘く、緑の清々しさと混じり合った。
「グレイス、荷物は解いちゃうよ」
シリルが下ろした荷物を指し示す。慌てて手伝おうとするも、聖樹様が手を離してくれなかった。
『もう少しだけ、このままいておくれ』
「はい……」
いっそ聖樹様に嫁いでしまえばいいのに。口々にそう告げる聖獣達に顔を赤らめながら、私はちらりと聖樹様の様子を窺う。穏やかな笑みが深まって、私は嬉しくなった。
怒ってない。少しは期待してもいいのかしら。どきどきしながら、大好きな人の腕に包まれていた。この時間が永遠に続けば、どれほど素敵かしら。
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