第15話  side料理長

 ぼん


 ぼんぼん


 今日俺は何度この爆音を聞いただろう。

 そしてその爆発が起こる度に俺の厨房仕事場は、特にオーブン周囲が少しずつ崩壊していく。


 また何故なのだろう。

 どうしてクッキーを作って焼くだけで爆発?……するのだろうか。


 最初エリーゼ様が来られた時ははっきり言って邪魔で迷惑以外何物でもないと思っていた。

 それは今でも変わらない。


 だってそうだろう。

 俺達の尊敬してやまないヤスミーンお嬢様の婚約者……とは決して呼びたくはないし認めたくはない。

 エリーゼ様は侯爵家より来られたエグモンド様が連れて来られた男爵令嬢であり彼の愛人。


 抑々婿入りによる結婚だと言うのにも拘らずだ。

 何で婚前に、はっきり言って同棲だよな。

 一応王命だとも聞いている。

 その同棲初日に愛人を連れてくるって所が同じ男として先ず理解が出来ねぇ。


 然も当家のお嬢様は何処からどう見ても美人で賢くってだけど偉ぶる事なく下々の、俺達使用人や領民にも優しく何時も屈託のない柔らかな笑顔で話しかけて下さる完璧な女性だ。

 男ならば絶対に一目で惚れてしまうし生涯大切にしたいって思える女性なのにだよ。


 なのに何で愛人連れてくるのかわからねぇぇぇぇ。


 先代の公爵ご夫妻も大層変わった完全なる形だけのご夫婦で、結婚後から嫡子であられるヤスミーン様が生まれるまでだった。

 公爵は別宅へ住んでおられたけれどもだ。

 奥方様はヤスミーン様をお産みするまで単独での外出は認められなかったな。

 屋敷の中で奥方様は何時も孤独だった。

 外には恋人が待っていると侍女に言っていたっけ。

 だからこそ胎の御子が確実に公爵家の子であると証明する為なのかもしれん。

 

 でも奥方様の孤独はヤスミーン様をお産みされるまでの事。

 その後は愛人のいる別宅へといそいそと帰っていかれたよ。

 生まれたばかりのヤスミーン様へ一瞥もせずに……な。

 

 好きな相手と結婚してはいけないのかよ。

 ったく貴族で金のある奴の考えが俺には少しもわからん。

 子供だけ生んでその子供の育児を放棄し恋人家族と愛をはぐくむって考えは理解出来ねぇ。


 だがそれでも先代様と奥方様はこの本邸へ愛人を連れてくる事はなかった。

 ヤスミーンお嬢様はお可哀想に随分と寂しい環境でお育ちになられたが、それぞれの愛人とその家族に悩まされる事はなかったな。

 なのにお嬢様ご自身がその当事者になられるだなんて!!

 

 叶う事ならば俺達使用人が一丸となってエグモンド様とエリーゼ様を追い出したい。


 一日中遊んでいるか買い物し放題の様なごく潰し。

 けれどもこればかりは使用人の俺達が口を挟める問題ではない。


 悔しいけど……な。


 そんなヤスミーンお嬢様にとって敵でしかないエリーゼ様が突如厨房へやってきたと思えばだ。


「今からクッキーを作るわ」


 そう言ってかれこれ六時間。


 ぼん


 ああまた爆発した。

 何でクッキーが爆発する。

 ドーナツならばまだ理由もわかる。

 焦げ焦げクッキー若しくは硬くて苦いとかならばおれも理解は出来るってものだよ。


 おまけに何を思ったのか厨房一杯に小麦粉を舞い散らかせばだ。


「雪が舞っているみたいでキレ~い」


 笑顔でそう言った次の瞬間にオーブンの過熱ボタンを押そうとする。


 ヤバい⁉


 このままでは厨房にいる者全員があの世逝き決定だ!?


 そうして状況を理解した者達が一斉に窓や扉を開け放てればだ。


 はっきり言ってエリーゼ様の安全?


 そんなもん知った事か。

 こちとら自分の命の方が惜しい。

 それぞれ壁や扉の向こう側へと隠れてはこれを何度もやり過ごす。


 一体俺達は何の苦行を強いられているのだろうか。

 またこのお嬢様へと言うものは知らないのかと怒鳴ってやりたい。

 下働きの者だったら確実に怒鳴っていたし頭も叩いていたと思う。


 だが謎の爆発クッキーや焦げを通り越したクッキーを何度も見せられると不思議な事に怒る気力が失われていく。

 それでも懲りずにまたエリーゼ様はクッキーを作る為に材料を計測――――ってああベーキングパウダーが小麦粉よりも多いと言うか抑々それ逆じゃね。


 これで苦いクッキーは確実だ。


 一応何度目かにクッキーの作り方は説明した。

 これ以上ここにおられても困るし命も惜しい。


 その度にと返事はいいんだ。


 しかし肝心なお菓子作りはさっぱりだ。

 おまけに訳の分からんものまで入れ込み捏ねている。


 髪の毛?


 そのクッキー無事に焼けた場合一体誰に食べさせるのだろうか。


 ふと俺はそれに気づいてしまった。

 まさかうちのお嬢様じゃないだろうな。

 お嬢様には昔から美味しいものしか食わせていないんだよ。

 それも訳の分からんものなんて一切入ってはいない確実にだけだ。


 お願いだからエリーゼ様、そのクッキーだけは絶対にお嬢様にだけは食わしてくれるなよ。

 その代わりああそうだ、エグモンド様ならいいか。

 エグモンド様なら別に問題はないだろう。


 俺は何時終わるかもしれない苦行と恐怖に苛まれ続けながらもその時が終わるのを仲間達と必死に耐えたのであった。


 因みに全てが解放されたのは深夜だった。

 仲間達は交代で働いているけれどもだ。

 俺はこの厨房の責任者だからして現場から離れられない。

 お嬢様のお食事は別室にある簡易厨房で無事に賄う事が出来たからいい。

 でも全てが終わった後の厨房は酷い有様だ。


 四台あるオーブンは全部こりゃあ総入れ替えだな。

 調理台もやや凹んでいるしって何でクッキー作りで凹むのかがわからない。

 厨房全体は小麦粉かベーキングパウダーの区別何てこの際どうでもいい。


 兎に角粉で真っ白だ。


 ついでに粉だらけ、然もバターで粘ついた手であちこちエリーゼ様が触っただろう妖しい真っ白な手形だらけ……ってホラーか。


 よくあるよな。

 窓に白い手形だらけって奴。

 今の厨房はまさしくそれだ。


 俺達は黙々と厨房を掃除する。

 文句を言いたいのを思いっきり我慢して。

 そうして全てが終えたのは明け方前。

 キレイでピカピカになった厨房を見て俺は改めて思う。


 ここが俺の大切な職場だと……な。


 後日ヤスミーン様より労いのお言葉と迷惑料だと言ってお手当を頂いた。

 勿論最初は断ったさ。

 だってヤスミーン様が悪い訳じゃないからな。

 だがそれでも受け取って欲しいと笑顔で言われちゃあこっちも断れねぇ。


 有り難くお手当を頂いた。


 勿論二日後には四台の真新しいオーブンが設置されたのは言うまでもない。


 エリーゼ様よ、結果はどうであれ料理へ真摯に向かう姿は嫌いじゃねぇ。

 だが頼むからもうここへは来てくれるな。

 命もだが真新しいオーブンの為にも頼むぜ。



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