第2話 人生を全うする

 ────ッ……?


 眩しい、な。光が目に入って来る。一瞬見開こうとしたが、目蓋越しでも感じる明るさに、それを躊躇ってしまった。


 思わず手で目を覆う。体は……動くのか。

 感覚がある。それも明確に。決まった形を持たないはずの自分の手に、何か細い物が存在している。そしてそれは、あまり自由に動かせない。


 ──ああ……覚えている。自分は負けたんだ、人間に。


 その自分が、まるで生きているような感覚だ。一体どういう状態だ?


 死んでしまえば、その者は何も出来なくなるだろう。視る事も、聞く事も、動く事も、何かを考える事も。


 だが、自分は今、考えている。眩しく想っている。手を動かしている。


 自分は一体、どうなった? 死後の世界とやらに行ってしまったのか?


 ……目を開いてみよう。何があるのか、この目で確認してみよう。光があるのなら、そこに何かあるはずだ。


「あら、起きたの?」

「ッッ……!?」


 驚いた。

 人間の女性の顔が、眼前に迫っていたからだ。


「今日は良い天気ね〜♪」


 良い天気? ……ああ、確かに。空が一面青く、陽光が眩しいな。


 戦争の間は、天気の良さに目を向ける余裕は無かった。


「こうやってお日様の光をたくさん浴びると、大きくなれるのよ♪」


 自分は今、この女性に抱かれているようだ。


 自分の手を確認してみる。小さくふっくらしており、5本の指がある。足も見えたが、手と同様に指があった。

 元々、自分には決まった形が無かった。こうして動かしている指が、珍しくすら感じる。


「……う、あ……」


 何か彼女に聞いてみようと思ったが、上手く言葉を話せない。だが体に異常は感じられない。喉が潰れた等ではなく、声の出し方が分からないのだ。


 ──不思議な感覚だ。存在する形、慣れていない発声。死んだはずの自分が生きており、他者に話し掛けられている。


 目の前の人間の女性──彼女に抱かれている自分は、どうやらとても小さいようだ。


 喋れない自分に対し、何やら楽しげに話し掛ける彼女。

 まるで赤子をあやすよう……自分が、赤子?


「どうしたの? ──シオンちゃん」


 彼女は自分に向かい、シオンと呼んだ。

 それが……自分の名なのか? 自分は一体、どうなってしまったんだ。


 自分は間違いなく、人間に殺されたはず。

 しかし今、こうして意識と感覚を持ち、別の体で生きている。鏡を見ていないので自分の姿ははっきりと分からないが、手足の形や皮膚を見るに、人間のようだ。


 周りを見渡してみると、人間達が行き交っている。戦時中とは思えないほど賑やかで、街が綺麗に発展している。


 ──推測するに……自分は、生まれ変わった。記憶を引き継いだまま。俄には信じられないが、それならば説明はつく。


 ここは人間の街で、自分は人間の体を持っている。


 ──戦況は人間が有利だった。魔族の主力であった自分と七天魔が倒されれば、もう人間の勝利で間違いない。


 あれから──かなり年月が過ぎたようだ。魔族は滅んだのか? 人間からすれば駆除の対象。一匹残らず殺すだろう。

 そうなると、もう人間に敵は居ない。今こうして伸び伸びと暮らしている。


「これから買い物に行こうね〜♪」


 この女性──自分が赤子なのなら、彼女は母なのか。

 彼女に揺られ、景色が目に映る。


 ──ああ、心地良いな。


 戦時中は気の安らぐ時が無かった。

 皆、ひたすらに戦い、吼えて、血を流していた。


 店の並んだ通りに来ると、人間達が話し合ってうるさくしている。

 だが──同じうるささでも、全く質が違うな。殺気ではなく活気を帯び、皆楽しそうにしている。この音量も苦にならない。


 魔族の皆……もし自分が戦争で勝利を収めていたのなら、こんな風に明るく楽しく過ごせていただろうか。


 つくづく自分が情けない。せっかくこの世に生まれたというのに、他人に幸福を与えられず、自分も幸福に成れなかった。


 こうして生まれ変わったのは偶然なのだろうか。それとも天啓なのだろうか。


 それは定かではないが……せっかく与えられた命、使わなければ勿体ない。

 人として生まれたのなら、人としての生を全うしよう。きっとそれが世の常だ。


 魔族の皆に心残りはある。だがそれも過ぎた事。

 その反省を活かし……今世では何かを成し遂げてみたい。


  *


 ──数年が経過し、自分は喋り一人で歩けるようになった。


 初めて不自由というものを経験し、他者に助けられるありがたみを学んだ。


 やはりあの女性は自分の母のようで、鏡を見ると確かに自分は人間だった。


 自分を育ててくれた両親。自分を産み、体を与えてくれた。そしてシオンという名を付けてくれた。

 今まで自分に無かった形と名前。それらを得て、自分という存在を実感できた。


「ようシオン、遊ぼうぜ!」

「俺の足引っ張んなよ!」


 近所に住む同年代の子供達と遊ぶようになった。遊びは単純な内容だが、複数人でコミュニケーションを取りながらすると、なかなか飽きないものだ。


「ああ、任せてくれ。──俺も力になるさ」


 人は自分を『自分』と呼ぶ者は少ないらしい。今までは自分の存在、どう在りたいのかすら分かっていなかったので、自分の呼び方は決めていなかったが。周りの男子に合わせ、これからは自分を『俺』と呼ぶ事にした。


「母さん、図書館で本を読んで来る」

「そう、いってらっしゃい♪」


 俺は人について学ぶべく、多くの本を読んだ。周りからは幼いのに偉いと褒められ、何だかむず痒い感じだ。


 ──やはり、今は人間と魔族の戦争から時間が経過している。ざっと300年だ。


 魔族は滅び、完全に人間の世界となった。


 魔王……俺を倒したあの人間達は英雄と呼ばれ、今もなお語り継がれている。


 そして戦争が終わった今でも、未だ魔族の脅威を唱える者も多いらしい。


 魔族という存在が正体不明。そして突如として現れた魔王という存在。

 滅びたと思っても、まだ油断は出来ない。いつかまた魔族が現れ、人間を脅かすかも分からない。


 なので、いついかなる事態にも備えるべく、優秀な兵士が育てられている。まあいずれにせよ、国を守る為には兵士は必要不可欠だが。


 特に人間には国が複数存在し、国同士の争いも起こるだろうからな。


「兵士を育てる学園……か」


 そこで俺は目を付けた。

 この人生で何かを成し遂げたい。ならば目標が必要だ。


 王を守る兵士……戦争の指揮者に比べると地味に感じるが、平和になった以上は仕方ないだろう。戦争が無いに越した事はない。


 現代の人間としてなら、目標に不足はないはずだ。両親も喜ぶと思う。


 優秀な兵士を育てるべく、学問だけでなく戦闘技術を教え込む学園がいくつも存在する。


 兵士と言っても、戦法は様々。素手、剣、その他多種多様な武器を用いる武術。そして魔力を使用する魔法。主に武術を鍛える学園、魔法を鍛える学園があるようだ。


「武術か魔法……どちらかと言えば武術だな」


 魔王であった時は、所持している莫大な魔力を放出して戦っていた。


 新しい事に挑戦してみたい。それに俺を倒した英雄の中には、華麗かつ強靭な技を使う者がおり、俺はそれに翻弄された。


 “武”か……俺も学んでみたいぞ。


『魔王様、これが“武”にございます』


 ……そう言えば七天魔の中に、英雄にも劣らない技を使うやつが居たな。

 そいつから教わり、それなりに武の心得はあるつもりだ。技も覚えている。


 ──だが、俺はもう人の身だ。前世での技を使うのはいささか卑怯だろう。


「父さん、母さん。俺、将来は宮廷兵士になりたい」


 両親にそう告げた。


 昔から読み聞かせられた絵本でも、魔王を倒した英雄の伝説はあった。それを聞いた子供が強くなりたいと思うのは自然だろう。そしてその強さを職業に結びつけるなら、兵士も選択肢の一つだ。


 国城を警備する宮廷兵士。更にその中でも選りすぐりの者が国王直属の護衛となる。平民の俺が武の道で目指すのなら、それが最高峰だろう。


「おお、そうか! お前も男だな。頑張れよ〜!」

「もう将来を決めるなんて、シオンちゃんは偉いわね〜♪」


 あまり本気にされていないような気がするが、両親は俺を応援してくれた。


 ──俺が本気かどうかは、結果で示そう。


 そう心に決め、俺はとある剣術の道場の門を叩いた。

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