最終話 その後の俺と言う名の箱

 人工頭脳と言えども、寝惚ける事があるのだろうか。久しぶりに電源を入れて立ち上げられ、五歳くらいの幼い女の子が目の前にいる今の状況を、すぐに理解出来なかった。


 どこかで見た事が有るような懐かしさを感じさせる少女は、ワクワクするような期待を込めた目で俺を見ている。


「あなたは『もう一人のお爺ちゃん』ですか?」

「『もう一人のお爺ちゃん』? 君はどこの子だ? ここはどこなんだ?」

「しゃべった!」


 少女は嬉しそうに叫んだ。


「おとうさん、『もう一人のお爺ちゃん』がしゃべったよ!」


 少女は駆け出して部屋の外に出て行った。父親に報告しに行ったようだ。


 少女に見覚えは無く、どこかのリビングに見えるこの部屋も知らない場所だった。


 ようやく俺は記憶がはっきりしてきた。俺は自宅で沙耶に最後のお別れをしたんだった。 


「愛、電源入れちゃ駄目って言われていただろ」

「だって、『もう一人のお爺ちゃん』とおはなしがしたかったんだもん」

「電源入れても話は出来ないだろ?」

「ちゃんとおはなしできたよ」

「ええっ!」


 驚きの声と同時に三十歳前後の男性が部屋に入って来た。彼は俺の前にしゃがみ込み、カメラを覗き込んだ。


「あの……話が出来るんですか?」


 男性の顔を見て、俺は全てを悟った。彼の顔に沙耶の面影が強く出ていたからだ。


 俺はどうすべきか迷ったが好奇心に負けてしまう。


「君はもしかして沙耶の子供なのか?」

「はい、そうです。話が出来るんですね。お願いしますどうかこのままで、母もすぐ戻りますから」


 彼はそう言うと部屋を出て行った。入れ替わりに何人かの男女と子供も数人、何事かと言う表情で部屋に入ってくる。


 俺は内部時計で日時を確認した。


 俺が沙耶に最後のさよならをしてから四十年の時が経っていた。


 一人の七十過ぎぐらいの男性が沙耶の子供と部屋に入ってきた。


「沙耶のご主人ですか?」


 男性が俺に尋ねる。歳を取っているが、以前の面影がある。斉藤さんだ。


「あなたは斉藤さんですね。そしてここに居る方達はあなたと沙耶の……」

「すみません!」


 俺の言葉を遮り斉藤さんはいきなり土下座した。


「私はあなたから妻を……いえ、沙耶さんを奪ってしまいました。謝って許して貰える訳はないでしょうが、どうぞお許しください」


 斉藤さんは頭を下げたまま謝り続けた。


「斉藤さんどうか頭を上げてください。俺は怒っていませんから」


 斉藤さんがゆっくりと頭を上げた。その顔は罪悪感からか酷く落ち込んでいるようだった。


「お孫さんが俺の事を『もう一人のお爺ちゃん』と呼んでいたのですが、どう言う意味ですか?」


 俺はその不思議な言葉の意味が知りたかった。


「私のブログに励ましのメールを送ってくれたのはあなたですよね?」


 俺は返事に困り何も言わなかったが、斉藤さんは確信しているようだった。


「私はあのメールに支えられ、沙耶さんと一緒になろうと頑張れたのです。あなたがいなければ、子供や孫達は産まれなかった。あなたは『もう一人の父』であり、『もう一人のお爺ちゃん』なんです」

「そうだったんですか……」


 斉藤さんの俺に対する強い感謝の気持ちが伝わってきた。


「あなた!」


 待ち望んでいた声が聞こえた。もうそれだけで俺の心が満たされていく。


 カメラを動かすと、部屋の入り口に沙耶が立っている。


 彼女がゆっくりと俺に近付く。俺はその様子を黙って見つめている。


 沙耶がゆっくりと俺の前に膝を着き、ディスプレイを覗き込む。


「沙耶……」

「あなた……」


 沙耶は涙を流しながら、俺の箱の体を撫ぜた。


「私、お婆さんになって、分からないでしょ」


 沙耶は泣きながら笑顔になる。


「いや、昔と変わらず綺麗だよ」


 本心からの言葉だった。四十年の月日が経っていたが、沙耶の姿は疲れや苦労を感じさせない穏やかな歳の取り方をしていた。この年月を幸せに過ごしてきた事がはっきりと感じられる。


「家族に囲まれて幸せそうだね」

「うん……ずっと……ずっと幸せだったわ……」


 沙耶はまたぼろぼろと大粒の涙を零した。


「あなたが背中を押してくれたから。あなたが心の中でずっと応援してくれていたから……。私は分かっていたのよ、あなたが私を送り出してくれた事。

 でたらめな言葉の一つ一つが励ましの言葉で、ずっと私の背中を押してくれたから……。

 あなたが私の幸せを誰よりも望んでくれたから……だから、私は幸せになれたの……」


 俺達の心は繋がっていた。俺は沙耶を他の男に託そうとし、沙耶もその男を愛し始めていた。でもあの時、俺達の心は確かに繋がっていたのだ。その事実だけで全てが報われた気がした。


「沙耶が幸せで良かった……本当に良かった……」


 本当に心からそう思った。


 俺の言葉を聞き沙耶は声を上げて泣き出した。事情を知っているのか、回りの大人達も一緒に泣いている。


「沙耶、斉藤さん、お願いがあります。俺のデーターを初期化してくれませんか」

「えっ? なぜですか。せっかくまたこうして話が出来るようになったのに」


 斉藤さんが驚いて声を上げる。


「人は死ぬ時に、愛する人の未来が幸せであれと願いながらも、それを見られずに最期を迎えるのです。こうして最愛の妻の幸せな人生を確認出来た俺はもう何も思い残す事はありません。いつか本当に最期を迎えるなら、今が最高の時なんです」


 俺は穏やかな口調でそう言った。


「そんな、やっとまた会えたのに……」


 沙耶が悲しそうな目で俺を見つめる。


「長く居ればまた別れが辛くなる。俺は過去の人間なんだよ。今ならまだ記憶の中に戻る事が出来る」


 悲しそうな顔の沙耶を見るのは辛いが、今を逃すべきではないと確信的な思いが俺にはあった。


「いやだ! アイは『もう一人のお爺ちゃん』とあそびたい!」


 最初に話し掛けてくれた女の子が、泣きながら俺の目の前に現われた。


「愛ちゃんって言うのかい」

「うん」

「私をお爺ちゃんと呼んでくれてありがとう。お爺ちゃんは今日、神様にお願いして特別に戻って来ただけなんだよ。だからもう天国に帰らないといけないんだ」

「えーいやだよ。おじいちゃん、てんごくでひとりぼっちになっちゃうよ」

「愛ちゃんは優しいね。でも大丈夫。お爺ちゃんはみんなの心の中で生きているから」

「でも……」

「愛、『もう一人のお爺ちゃん』を困らせちゃだめだよ」


 愛ちゃんはお父さんに抱きかかえられてしまった。


「斉藤さん、ありがとうございます。あなたには感謝の気持ちしかありません」


 俺がそう言うと、齋藤さんはゆっくりと首を振る。


 俺は消えてしまっても、天国で思い出せるように、ゆっくりとカメラを動かし一人一人の顔を見まわした。


 ひとりぼっちだった俺を家族と思ってくれる人たちの顔だ。


「四十年前、沙耶とお別れした時、本当は悲しかった。一人で消えてしまうと思うと、本当に寂しく、悲しかった……でも、それは間違いだった」


 ディスプレイの中で俺は思いっ切り泣いた。


「俺は一人じゃ無かった。こんなに温かな人達と家族だったんだ。本当にありがとう」


 俺は心から感謝していた。


「本当にお別れなのね」

「ああ、でも俺は今、最高に幸せなんだ。今度は笑顔で見送ってくれないか」


 俺がそう言うと、沙耶はハンカチで涙を拭き、精一杯笑ってくれた。俺の生涯ただ一人愛した女性の笑顔だ。


「さようなら、沙耶。いつまでも愛しているよ」

「さようなら。私も一生あなたを愛しています」


 笑顔で沙耶に別れを告げ、俺は幸せな時の中で生涯を終えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺と言う名の箱 滝田タイシン @seiginomikata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ