第38話 箱を潰す男【4】
しばらくして、箱を持って事務所を出ると男が待っていた。
「さあ、行くか」
俺は男に箱を渡し、前を歩いて処分場所まで案内する
結局、箱の中身を入れ替えず、そのまま男に渡した。息子を失ってその最期を見届けようとする親心を、今日の俺は騙す気になれなかったのだ。
処分場所に着き、男がプレス機の上に息子を置く。もう何回も同じ事をしているのに、今目の前で見ているその姿は、おごそかな儀式のように見える。
「一瞬だからな、よく見ておけよ」
息子を置いて後ろに下がった男にそう声を掛けプレス機の作動ボタンを押す。上から重そうな鋼鉄の塊が降りて来て、あっさり、箱の厚みが無くなった。もう一度ボタンを押すと、鋼鉄の塊が上に上がり、台座の上には薄っぺらくなった、人工頭脳が残った。
いつも通りの一瞬の出来事だったが、いつもと違い俺は心が痛んだ。
「賢人!」
男は息子の残骸に駆け寄った。
「賢人おおお!」
薄くなった息子の残骸に顔を埋めて男が叫ぶ。
男の涙が鉄くずの上に落ちていく。ごめん、ごめん、ごめんとうわ言のように男は何度も何度も叫び続けた。
「悲しむ事はないぜ。あんたの息子はとうの昔に死んでいたんだ。今死んだんじゃねえよ」
俺は男に近付き、肩に手を乗せいつも言っている台詞を吐いた。
「バベルだったっけ? あの塔と同じようなもんなんだよ。人の死と言うのは神の領域なんだ。安易に人間が操作して良い物じゃないんだよ。これはあんたの息子じゃねえ、人間の思い上がりが産んだ残骸なんだ」
俺は自分の気持ちを抑えていつものように続けた。それは男に言っているより、自分自身に言っていた。だが、俺の心に自分の言葉が全く響かない。
この男にとってこの残骸は紛れもなく息子で、けっしてただの物ではないんだ。
「賢人……」
男はずっと息子にすがり泣き続けている。
俺は泣いている男を置いたまま事務所に引き上げた。男の気持ちが伝染したように心の中は悲しみで一杯だった。
「えっ? 箱の処分を辞めるって本気ですか?」
「ああ、これからは俺を紹介するなよ」
男の息子を処分した翌日。俺は佐々木に電話して箱の処分を辞めると伝えた。
「そんな……どうして? まさか、本当に箱が人間に思えてきたんですか?」
「そんな訳きゃねえだろ。箱が潰れて泣き叫ぶ奴らが鬱陶しくなっただけだ」
「そんな奴らは、心の中で笑ってやれば良いんですよ。本当に辞めても良いんですか? 本業はもうやっていないんでしょ、困ると思いますよ」
「お前に心配して貰う事じゃねえよ。これ以上ガタガタ言うなら、お前のやっている事を世間にばらすぞ」
俺がそう言うと、佐々木はそれ以上何も言わずに電話を切った。
佐々木の言う通り、しばらくは金に困るだろうが、何とかするしかねえ。もしかしたら、これが老婆の呪いなのだろうか? 気まぐれで箱を立ち上げたばっかりにとんだ災難だ。
でも仕方ない、続けたとしても、もうユニットを入れ替えて人を騙す事は出来ないだろうから儲けも薄くなる。それに俺は葬儀屋じゃないんだ、あんな愛憎が入り混じった現場に立ち会うのは御免だ。これからはもう、泣き叫ぶ奴らを見なくていい。理由はそれだけで十分だ。
箱の処分を辞めて数か月経った。細々とだが解体業の仕事を続け、何とか自分が食う分ぐらいは稼げている。今日もスーパーマーケットで自炊用の食材を買い、帰るところだ。
出入り口で、前に見た箱の嫁と鉢合わせた。箱の嫁の横には三十歳ぐらいの無骨な男が寄り添っている。
「あっ!」
俺とディスプレイの嫁は顔を合わせた瞬間、同時に小さく声を出した。
「あの時はすみませんでした」
ディスプレイの中の嫁が頭を下げる。
「もう気にする事はねえよ」
「あ、もしかして妻が衝突して怪我をさせた方ですか?」
「怪我なんかしてねえし、もう済んだ事だよ」
横に居た男は箱の旦那だった。男は申し訳なさそうな顔で謝ろうとしたが、俺は止めた。あんな些細な事でこれ以上謝られる必要は無いのだ。
「あんたが旦那さんか……嫁さんは結婚前から箱だったらしいな。良く結婚を決断したな」
俺にしては珍しくプライベートな事を聞いた。前に親父に聞いた時から、箱の嫁の旦那に聞いてみたかったのだ。
「そんな、決断って……」
男はディスプレイの中の嫁に微笑み掛けた。
「そうするのが自然だったから、決断だなんて思いませんでしたよ」
男は何の気負いもなくそう言った。嫁を意識して言ったのではなく、言葉通り自然にそう感じていたのだろう。
「そうか、自然なのか……そんなもんか……」
「それじゃあ」
二人は同時に笑顔で頭を下げて店に入って行った。俺は妙に納得した気分で、二人と別れた。
店を出る瞬間、不意に二人が気になり、俺は振り返る。仲睦まじく並んで歩く二人の後姿が人間のカップルに見えた。
俺は慌てて目を擦ってもう一度見直したら、嫁はやっぱり箱だった。
「見えるものなんだな、本当に」
俺は二人の父親の言葉を思い出し、気分よく店を後にした。
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