第37話 箱を潰す男【3】

 ある休日、俺は近所のスーパーマーケットに食べ物を買い物に来ていた。食べ物と言っても、五十過ぎたやもめ男なので自炊する訳じゃなく、弁当やお惣菜、後はアルコールとつまみだけなのだが。


「痛っ」


 お惣菜コーナーで弁当を選んでいると、俺は背中に衝撃を受けた。カートが当たったのかと振り返ると、キャスター付きのワゴンの上に紺色の服を着せられた人工頭脳の箱がすぐ後ろに居る。ワゴンの下の部分に買い物かごが置いてあり、中に食材が入っていた。


 まさか人工頭脳が一人で買い物に来ているのだろうか?


「す、すみません! お怪我はないですか?」


 箱に付いているディスプレイの中で、若い女が焦った様子で必死に謝っている。


「なんだお前、人工頭脳が一人で出歩いているのか?」


 周りに人も居ないので、俺は不思議に思った。


「結愛ちゃん、何かあったの?」


 上品な五十代ぐらいの夫婦が近づいてきて、奥さんが箱に訊ねた。


「あ、お母様、私がこの方にぶつかってしまったんです」

「そうなの!」


 奥さんは箱に事情を聞き、驚いて俺の方を見る。当たり前だが、箱が一人で買い物に来ているのではなく、この夫婦が付き添っているようだ。


「すみません。うちの嫁がご迷惑をお掛けしまして。お怪我はありませんか?」

「怪我はないが、箱が一人で動くなんて危ないだろ。ちゃんと監視しておけよ」

「すみません」


 箱と夫婦が同時に謝る。俺はそれ以上何も言わずに買い物を続けた。


 あの奥さんは「うちの嫁」と言ったな。息子の嫁が死んでしまったのか。孫は出来たのだろうか? 息子が何歳か知らんが、親の立場とすれば再婚して欲しいだろうな。ああして、箱にしてまで一緒に居ると言う事は、余程出来た嫁だったのだろうか? 嫁が箱になっても家族は幸せなのだろうか?


 俺は他人事ながら、いろいろ考えながら買い物を続けた。


 一通り買い物を済ませ、レジに向かうと長蛇の列が出来ている。休日の日中は家族連れの買い物客が多い。俺は出来るだけ早そうなレジを選んで最後尾に並んだ。


 俺が列に並んですぐ、後ろに先程の家族が並んだ。家族は意識していなかったようで、並んですぐに俺に気付いた。


「あ、先程はすみませんでした」


 今度は先頭に居た旦那が俺に謝る。後ろでは箱の嫁さんと奥さんが楽しそうに話をしている。


「嫁って言っていたけど、あの箱は息子さんのお嫁さんなのかい?」


 俺は先程いろいろ考えていた事もあり、興味を覚えて話し掛けた。


「そうなんです。結婚したい人がいるって息子が連れて来たのが、人工頭脳の女性だったんですよ」

「ええっ、結婚してから箱になったんじゃなく、元々箱の状態だったのに結婚したのか? よく許したな」


 俺は旦那の気持ちが分からず呆れた。死んだ人間と息子の結婚を許して、それどころか家族として幸せそうな顔をしているなんて。


「正直最初は反対でしたが、今は嫁に来てくれて感謝していますよ。本当の娘のように思っています」

「本気か? 箱なんだぞ、人間じゃないんだぞ」


 俺は思わずそう言ってしまった。


 これが現実だ。いろいろ考えていたが、やはり俺自身が箱を人間と思っていないのだ。


 だが、そんな俺の言葉を聞いても、旦那は穏やかな笑顔を浮かべている。


「機械だとは分かっているんですが、不思議な事があるんですよ。息子と嫁が並んでいるとね、ふと、人間の若い夫婦の姿に見える時があるんです。嫁は箱なのにね」


 レジの順番が回ってきたので、俺はかごを台の上に乗せた。


「失礼な質問だが、あなた達はそれで幸せなのか?」


 初めて会った人間に不躾な事は分かっているが、俺は聞かずにいられなかった。


「ええ、もちろんです。なあ?」


 旦那はにこやかに笑って答え、後ろの奥さんと嫁に声を掛けた。


「えっ、なに?」

「どうかしましたか?」


 後ろに居て、二人仲良く話していた奥さんと嫁さんは俺達の話を聞いてはいなかったようだ。


「いやいや、良いよ。邪魔して悪かった」


 俺は会計を済ませてレジを離れた。


 二人の答えは聞かなくても分かった。きっと幸せと答える筈だ。


 箱になった人間と上手く生活している家族はある。でもそれは次善の策なのだ。生きている本人であって欲しいが、それが叶わないから箱で気持ちを収めているだけだ。だが、今の家族にそれは感じられない。もちろん生きている方が良いのだろうが、箱になった嫁でも生きている人間と変わらぬように受け入れていた。


 こんな家族もあるのか。箱は十分に人の代わりになれるのか……。


 商品を袋に詰めて店を出ようとした時、俺は振り返ってもう一度あの家族を見た。

 そこには箱も含めて幸せそうな三人の姿があった。



「すみません」


 深夜の事務所に男が訪ねてきた。


 数時間前に箱を処分したいと予約を入れてきた男だろう。急にも程があるが、ここで箱を処分したい人間なんてそんなものだろうと引き受けた、


「おお、予約の人か?」


 入口のドアを入ったところに三十代後半ぐらいの男が段ボールを抱えて立っている。


「はい、そうです。よろしくお願いします」


 そう言って、男は段ボールを受付カウンターの上に置いた。


 名前も事情も聞いてはいない。聞いても仕方ないし、相手も言いたくは無いだろうからそうしている。


 俺は段ボールの中から箱を取り出して人工頭脳である事を確認した。


「じゃあ、現金払いなんで、十万良いかな」


 男は財布からお金を取り出し、俺に代金を差し出した。


「じゃあ、すぐにやっておくから、帰っても良いよ」


 すぐに帰ってくれれば故障品をプレスする事無く、手間も省けるので男にそう言った。


「あの、処分するところを見せて貰えますか」


 男は控えめにそう言ったが、駄目だと言っても引きそうな顔には見えなかった。


「本当に処分するか疑っている顔じゃねえな。大事な人なのか?」

「五歳の息子です」


 五歳の息子か……箱にした事も、箱を処分する事もいろいろ事情があるんだろうな。


 特に珍しい事でもないのに、なぜか男の心情に気が向いた。


「……そうか……分かった。箱にはプレスすると危険な部品がある。それを外して持って行くから外で待っていてくれ」


 俺はそう男に言うと、箱を持って事務室の中に入った。


 いつもの通り作業台の上に箱を置く。次は中のユニットを入れ替えるのだが、手が止まったままで動かない。


 考えるな。考えなくても出来る作業だろ。


 だがそう思えば思う程、俺の手は重くなった。

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