第36話 箱を潰す男【2】

「それはね、乾(いぬい)さんが箱の事を人間だと思っているからですよ」


 佐々木はそう言うとビールを飲み干し、ジョッキをテーブルの上に置きお代わりを頼んだ。


 佐々木は違法な人工頭脳を扱っている業者で、俺にとっては仕事相手のパートナーだ。


 佐々木の客が箱の処分に困れば俺を紹介してくれる。俺は客から箱を回収し、佐々木に下取ってもらう。佐々木はその箱を初期化して、また別の客に売ってリサイクルするという流れだ。


 佐々木とはたまに情報交換がてらにこうして飲む間柄だ。小さな居酒屋のカウンターで飲みながら、俺は佐々木に婆さんの「呪ってやる」の話をしたら返ってきたのが先程の言葉だった。


「だって乾さん、人間だと思っているからこそ箱を立ち上げたんでしょ? 俺なんか箱なんて玩具みたいな物だと思っているから、平気で扱えるんですよ。もし人間だと思ったら、怖くてこんな商売続けられませんよ」

「箱を人間だなんて思っちゃいねえぜ。立ち上げたのは気まぐれだ。ただ、あの婆さんの迫力に驚いただけだ」


 口ではそう言ったが、心の中では佐々木の言葉の全てを否定出来なかった。


「まあ、どちらでも良いですけど、あまり気持ちが入っちゃうと箱を扱うのが辛くなりますよ。大丈夫ですか?」


 佐々木は心配していると言うより、警告するような口調で言った。


「それは大丈夫だ。婆さんもちゃんと送っただろ。その後も何台か処分している」


 確かに淡々と処分は続けているが、以前とは違い心の奥でモヤモヤした気持ちを持っているのも事実だ。そのモヤモヤの元が何かは自分でも分からないのだが。


「それなら安心しました。こんな作業を引き受けてくれるところはそう多くはないんで、出来ないとなると困るんですよね」


 佐々木は本当に、箱に対して何の感情も持っていない。ただの商売道具なのだろう。


「お前は本当に悪党だな。処分を前提に売ってやがる」

「何を言ってるんですか。俺は家族を失った可哀想な人達を救っているんですよ。その後で不都合が起こるのは向こうの責任ですよ。俺が悪いんじゃない」


 完全に詭弁だが、俺にそれを咎める資格などない。


「そうだ、面白い話がありますよ」


 佐々木はとっておきの話を思い出したという風に無邪気な笑顔を浮かべ、お代わりのビールジョッキを口に運んだ。


「半年前にあった、会社内で部下の男が上司をナイフでめった刺しした事件を知ってますか?」

「ああ、話題になっていたからな。あれ、人工頭脳が絡んでいたらしいな」

「そうなんですよ。実は犯人に箱を売った会社は警察の調査が入り、業務を続けられずに潰れたんですが、その箱を売った当の社員がうちの会社に採用されてね」

「そうなのか」

「そいつは良心的な奴で犯人から使用目的を聞いて、最初は止めたらしいんですよ。高額ですからね。上司を箱にして復讐したって気は収まらないぞって。で、結局はその通りになった訳です」


 確かに、パワハラ受けていた上司を箱にして復讐したのは良いが、それでは収まらずに結局本人を殺してしまった。箱は本人の代わりにはならなかったのだ。


「それだけじゃなく、好きな女を箱にして自分のものにしたいって奴が居てね」

「ええっ、そんな奴がいるのか」

「いや、それが結構いるんですよ。まあ、生きている人間からの人工頭脳は正規品では扱えないですからうちみたいな会社から買うんですがね」


 まあ、そうなるか。佐々木の会社は自主規制などお構いなしで販売しているからな。法律で規制される前に出来る限り儲けておこうという考えらしい。


「その中の一人が箱を引きと取ってくれと持ってきましてね。しかも実物の女と一緒にね」

「ええっ、どういう事だ」

「実物と付き合えるようになったから邪魔になったんでしょう。もうデーターは削除されていたから詳しくは分かりませんが。男は涙を浮かべていましたが、結局は箱より人間なんですよ」


 佐々木はジョッキに三分の一ほど残ったビールを一気に飲み干すとまた中ジョッキのお代わりを頼む。


「だいたい、箱を人間の代わりだと思い込むから不都合がでるんだ。神様じゃないんですよ、人間が人間を作れる訳は無いじゃないですか。それを忘れて文句を言われても困りますよ」


 佐々木は佐々木で、クレームを受けて理不尽な気持ちになる事もあるのだろう。奴には珍しく感情的に愚痴った。


 佐々木の言う事は正論だと俺も思う。人間と機械の区別が出来ていない奴ほど、壊した時に感情的な反応を見せる。そんな姿を見る度に、人間の作った機械にどれだけ期待しているんだと呆れてしまう。


「あの、すみません、もしかしてお二人は人工頭脳に関係しているお仕事をしているんですか?」


 カウンター席で俺の左に座っていた男がいきなり話に割り込んできた。


 男は三十代ぐらいで、ごく普通の善良そうなサラリーマンに見える。顔が赤く少し酔っているようだ。


「なんだ、あんた?」


 酔っ払いに絡まれたと思ったのか、佐々木が不機嫌そうに言い返す。


「し、失礼しました。私は斉藤と申します。実はどうしても直したい人工頭脳の方が居まして、修理に詳しい人を探しているのです」


 男は慌てて名刺を俺達に差し出した。名刺には結構名の通った会社名が書かれていた。


 男の外見から、素面であったら話に割り込んだりはしないタイプ見える。仮につい話し掛けたとしても、佐々木の一言で引き下がっただろう。だが、男は尚も話を続けた。酔った勢いもあるだろが切迫した様子も感じる。俺は男の事情が聞きたくなった。


「どうしたんだ、何かあったのかい」


 俺は男に話の続きを促した。


「はい、実は……」


 斉藤と名乗った男は最近一人の女性と知り合った。彼女は未亡人であったが、旦那は人工頭脳となって彼女の傍にいる。どうしても彼女と交際したい斉藤は旦那に直談判しようと考えるが、それが原因で振られてしまう。諦めかけていた時に彼女から連絡が入った。人工頭脳の旦那が故障したようだ。斉藤は彼女の力になりたくて修理出来る人間を探しているらしい。


「いろいろ調べて何人か修理出来る人に頼んだのですが、全てハード的に何の異常もないとの事で……」

「ハード的に異常がないか……」


 俺はなにかが胸の奥に引っ掛かった。


「いや、まてよ、旦那が故障しているなら好都合じゃないか。そのまま直さずに彼女を口説けばいいんじゃないか?」


 佐々木も斉藤の話に興味を覚えたのか、そう問いかけた。


「いや、それは出来ません。旦那さんは生きていますから。彼女には私でなく旦那さんが必要なんです」


 斉藤はそう言って自分のスマホを俺達に見せてきた。


「これは私のブログです。このコメント欄をみてください。旦那さんが故障した時期から私への励ましの書き込みが続いているのです」

「それはどういう事なんだ?」


 俺はブログのコメントを読んでも事情が呑み込めずにそう聞いた。


「恐らくこのコメントを書いたのは旦那さんです」

「ええっ」


 俺と佐々木は同時に声をあげた。


「私はブログにかなり情報をぼかして書いているのに、このコメントは理解し過ぎています。旦那さんは正常であるにも関わらず、自分が人工頭脳だからと彼女の為に身を引こうとしているんだと思います」


 斉藤は確信している様子でそう話した。


「でも、彼女は必死になって旦那さんを直そうとしています。あんな酷い事をした私に頼るくらい……。人間と箱で……いや人間同士、夫婦として二人は愛し合っているんです。そこに割り込む事など出来ません。私は彼らを尊敬しています。だから二人が幸せになれるようにお手伝いがしたんです」


 斉藤の顔には迷いが無かった。本気でそう思っているのだろう。


「おい、佐々木、修理屋ならあては有るんだろ?」

「そりゃあ……」

「じゃあ、紹介してやんなよ」


 佐々木はいまいち納得してないように「無視して口説けば良いのに」と呟きながら、自分の名刺の裏に修理屋の連絡先を書き込んで斉藤に渡した。


「ありがとうございます」


 斉藤は名刺を両手で受け取り頭を下げた。


「もし、その箱が不要になったとしたら、俺に連絡してくださいね。高価で引き取らせて貰いますから」

「はい」


 斉藤はもう一度頭を下げ、会計して出て行こうとする。


「あ、ちょっと」


 出て行こうとする斉藤に俺は声を掛けた。


「あんた、その夫婦を尊敬してるって言ったよな」

「は、はい……」

「思うんだが、自分の嫁さんをお前に任せたいって気持ちも、箱になった旦那の願いだと思うぜ。それを忘れちゃいけない」


 斉藤はキョトンとした顔で聞いている。


「もし、旦那が故障を貫き通すなら、あんたが奥さんを幸せにするように頑張る事も二人に対する気持ちの表し方だと思うよ」


 斉藤は真剣な表情で少し考えた後、「ありがとうございます」と頭を下げて居酒屋を出て行った。


「意外ですね、乾さんってそんなに親切でした?」


 冷やかしで無く佐々木は本気で腑に落ちない顔をしている。


 そりゃあそうだろう。わざわざ斉藤を引き止めてまであんな事を言うなんて、俺自身も意外だったから。だが、俺じゃなくても良いが、誰かは人工頭脳の箱になった旦那の願いを聞き入れて、斉藤の背中を押してやるべきだと直感的に思ったのだ。


「しかし、今の話でもやっぱり箱は人間の代わりにはなれない、所詮は物なんです。だから旦那もあの男に妻を任せようと思っているんですよ」


 確かに佐々木の言う通りだろう。だが、ただの物に自分を犠牲にしてまで妻の幸せを願う事が出来るのか?


「まあいい、とにかくどんどん仕事を回してくれ。稼げる時に稼いどきたいからな」


 俺は答えの出ない事にいつまでも惑わされるのが面倒になり、考えるのをやめた。


 その後、佐々木は変わらず仕事を回してくれて、俺は無心で箱の回収を続ける。日が経つにつれ婆さんの記憶も薄れ、元のように事務的に仕事をこなせるようになっていった。


 一時の気の迷いだったんだ。しょせん、箱はただの機械、見せ掛けの人格が入っただけの玩具なんだ。

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