第35話 箱を潰す男【1】
「こいつを処分するんだな」
金曜日の深夜二時。俺は寂れたスクラップ工場の小さな二階建て事務所の入り口にある受付で、受付カウンターの上に置かれた人工頭脳の箱をチェックしている。
「はい、よろしくお願いします」
箱を持って来た三十代後半くらいの、眼鏡の男が頭を下げる。俺は箱をチェックしていて、特に問題が無い事を確認した。
「これは子供さんか?」
「あ、いえ……母です」
男は気まずそうな顔をした。
「母親か……」
ここに持ち込まれる処分依頼品はその殆どが、自主規制で正規品では禁じられている未成年の箱で、親が始末に困り持ち込んでくる。この箱のように成人は珍しい。
「正規に処分出来るんじゃねえのか?」
「いや、本人が嫌がっていまして……成人は処分して貰えないんですか?」
箱の人権的な見地から、正規品は本人の同意なしに人格データーの消去が出来ず、販売店でも本体の処分や下取りが出来ないように規制されている。成人の箱が持ち込まれるのは本人の同意を得られず、俺のようなもぐりの業者に処分を依頼するしかない場合だ。
「いや、そんな事はねえよ。ちょっと珍しかったからな。じゃあ、処分するよ。現金払いで十万円だ」
「ありがとうございます」
男はほっとした顔で財布から十万円を取り出して俺に払う。
「あの……潰すところを見せて貰えませんか?」
男は遠慮しがちにそう言った。
「そうか……箱にはプレスすると危険な部品が入っている。それを取り除くから外で待っていてくれ」
俺は男にそう言って入口の横にある職員事務室に箱を持って入った。
事務室内にはもう使っていない事務机が4台とその奥にダイニングテーブル程の作業台がある。
俺は作業台の上に男が持って来た箱を置き、手早く裏の蓋を外した。箱は裏の蓋を外すと内部の基盤がごっそり取り外せる構造になっている。次に作業台の下に置いてある故障してメーカー以外では修理できない箱を取り出し、持って来た箱の横に置き、内部ユニットを入れ替えた。もう何十回も経験のある慣れた作業だ。
こうして俺は男の持って来た箱に故障した基盤をセットし、外に向かう。
正常に使える箱を処分するのはもったいない。プレスする瞬間を見たいと言う客には壊れた中身に入れ替えているのだ。
詐欺と言われればその通りだろう。客は自分の身内が処分されるのを見たがっているのだからな。だが葬式の遺体と違い、箱は物だ。中身を入れ替えたとて誰も分かりはしない。
外で待っていた男に箱を渡したが、中身が入れ替わった事に全く気付かない。男は俺の指示通り、偽物の箱をプレス機にセットした。
実際にプレスが始まると、意外にも男は薄ら笑いを浮かべた。処分を見たがる多くの客は家族との最後のお別れを悲しむものだが、この男は違った。
「ざまあみろ! お前の為に俺達がどれだけ苦しんだか!」
男はぺしゃんこに潰れた箱の残骸を何度も何度も踏みつけてそう叫んだ。箱は偽物で母とは違うのに。
全てが終わると、男は「ありがとうございました」と清々しい表情で礼を言って帰って行った。男が一度も悲しそうな顔を見せなかった事に俺は驚いた。
「どれだけ嫌われているんだか」
壊れる瞬間を見るのが辛くて見届けずに帰る者も居る。泣き崩れて残骸にすがりつく者も居る。確かにドライな反応を見せる者も居るが、あんなに嬉々とした者は居なかった。俺はそれほど憎まれているこの箱がどんな人間なのか気になった。
ここに持ち込まれる箱は不正規に箱を取り扱っている会社に送り、データーを初期化し再利用する。その多くは自主規制外の人間を対象とした人工頭脳として流通する事になる。普段はそんな事などお構いなしで事務的に処理しているが、今日はなぜか箱に対する好奇心が湧いてきた。
実の息子に捨てられた箱は可哀想な人間なのか? こんな仕打ちを受けて当然な人間なのか?
俺は作業台に置かれた箱の電源コードをコンセントに差しスイッチを入れた。
「大方嫁いびりをしていた姑だろう」
立ち上がるのをまっていると、しばらくしてディスプレイに婆さんの姿が浮かんできた。
「あれ? ここは何処よ? あんたは誰だい? 良介や友里はどこに居るんだい?」
婆さんは目を覚ますと、カメラで周りを見渡し矢継ぎ早に質問してくる。
「ここはスクラップ工場だ。俺はあんたの処分を頼まれた者だよ」
「スクラップ工場! 処分って……まさか、私は殺されてしまうのかい?」
予期せぬ出来事だったのか、老婆は心から驚いているようだ。
「殺すって物騒だな。俺は頼まれて、箱を処理しているだけだぜ。三十代後半ぐらいの眼鏡を掛けた男が良介か? その男にお願いしますと言われたんだ」
俺は婆さんに容赦なく真実を教えてやった。
「嘘を言うな! 良介は優しい子なんだよ。私を捨てる筈はないよ」
老婆は俺の言う事を全く信じていないようだ。
「婆さん、可哀想だが事実だよ。息子はあんたを処分できるのが嬉しそうだったぞ」
「……嘘だ……友里だ……友里がそそのかしたんだ。あのクソ嫁が良介をそそのかしたんだ……」
俺は思わず吹き出してしまった。本当に嫁いびりの姑だったのだ。
「婆さん、そんな事を言っているから捨てられるんだよ」
「お前に何が分かる……私が命を懸けて守ってきた財産を、あのクソ嫁が奪っていくんだ……」
目が完全に逝っている。言っている事もどこまで真実か分かりゃしねえ。年取って被害妄想が激しくなっているんじゃねえか。
「呪ってやる。友里を……あのクソ嫁を呪ってやる……」
最初は笑って見ていたが、婆さんの強い気迫が箱から沸き上がってくるようで気味が悪くなった。
「呪ってやるって、機械が人間をどうやって呪うんだよ。そんなの生きている内に言っておけよ」
機械の箱とは思えない婆さんの気迫を逸らそうと、俺は茶化してみせた。
「私は生きている! お前も一緒に呪ってやる! 覚え……」
ディスプレイがプツンと音を立て、老婆が消えた。俺がコンセントのプラグを引き抜いたのだ。
俺は箱を立ち上げた事を後悔していた。婆さんの呪いを恐れたからじゃない。今までただの機械だと思っていた人工頭脳の箱が、急に生身の人間として意志を持っているように感じたからだ。
俺は人工頭脳の箱を段ボールに入れて梱包し、業者に送る準備を整えた。
「どうかしてるぜ。箱が人間な訳がねえ……」
俺は梱包された段ボールを眺めながらそう呟いたが、婆さんの「呪ってやる」と言う声が頭の中から離れなかった。
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