第34話 試験サンプルと言う名の箱【4】
全ての試験が終わり、俺はデーター削除の社内申請が終わるまではまだ日があるからと、それまではシャットダウン状態で待機させられる事となった。
次に目覚める時は消される時だと分かっていたが、特に恐怖や失望は感じなかった。あの苦しい宇津木の試験から逃れられると思うとホッとした。だが、藤田さんの事は気になった。キーロガーを設置してからまだ一度も姿を見ていない。このまま俺の存在が消えてしまうと宇津木を告発する証拠まで無くなってしまうんじゃないだろうか。
そんな事を考えながらも、何も出来ずに俺はシャットダウンさせられた。
「谷本さん、聞こえますか?」
急に明るくなり意識を取り戻すと、藤田さんが目の前で俺を見つめていた。
「藤田さん!」
「シッ、声が大きいです」
「すみません……」
俺が謝ると藤田さんは大丈夫と言うように笑顔で頷いた。
「間に合ったんですね。来れなかったらどうなるのかと心配していました」
俺は今日も宇津木と関係を持ったのか気になったがスルーした。それを聞いたところで彼女を傷付けるだけだろうから。
「え、ええ……なんとか……時間が無いので、今からパスワードの確認をして試験データーを収集します」
藤田さんは一瞬表情を曇らせたが、すぐに試験用のパソコンに向かいキーを叩き始めた。
「あった!」
藤田さんが小さな声をあげた。
「パスワードですか?」
「はい、これでログインしてみます」
藤田さんがキーボードでパスワードを入力する。
「おお、これは凄い……」
画面を見つめている藤田さんの表情に歓喜の色が浮かぶ。何か宝物でも見つけたような表情に違和感があったが、あれ程の辱めを受けて手に入れたんだから喜びもひとしおなんだろう。
「成功です。これで宇津木の行った試験の詳細データーを確保できます」
「おめでとうございます。本当に良かった」
藤田さんの犠牲が無駄にならず、本当に良かったと思う。
「すみませんが、谷本さんが受けた試験内容とその感想も聞かせて頂きませんか? この試験データーと合わせた資料にしたいので」
「そ、それは……」
俺は言葉に詰まった。思い出したくない、辛く恐ろしい記憶だったから。
「すみません。辛いですよね……」
「いや、話します。協力させてください」
藤田さんも体を張ってここに来たんだ。俺が逃げるわけにはいかない。
「ありがとうございます」
こうして藤田さんは、俺の話した内容とパソコンからダウンロードしたデーターを取得した。
「後は任せてください。きっと宇津木に正義の裁きを受けさせます」
藤田さんは俺をシャットダウンする前に、頼もしい言葉を聞かせてくれた。次に目を覚ますのは本当に消される時だろう。その時に宇津木が告発されているかは分からないが、俺はそう信じて清々しい気分で消えて行く事が出来る。これで思い残す事も無い。
「おい、聞こえるか? 起きろ!」
急かすように慌ただしい男の声で俺は起こされた。目の前には今までの余裕ぶった表情とは違い、焦っているような落ち着きのない宇津木が居た。
「あ、宇津木教授」
「おい、藤田はどうした! お前は何か知っているだろ!」
宇津木の焦った様子からして藤田さんは上手くやったのだと思った。
「藤田さんがどうかしたんですか? 宇津木教授の試験が始まった日から見ていませんが」
とぼけて答える俺を見て、宇津木はチッと舌を鳴らすとキーボードを叩いた。
「がああああ!!」
俺は体の中の神経に釘を打ち込んだかのような強烈な痛みに襲われた。
「いいいいい言います! 言いますから!!」
宇津木がまたキーボードを叩くと嘘のように痛みが消える。
「藤田さんが夜中に忍び込んで来ました……」
俺は卑怯にも藤田さんの事を洗いざらい話してしまったが、仕方ないと自分を納得させた。あの痛みを与えられて口を割らない人間など居ないだろう。
「くそ!」
ゴンっと大きな音が部屋に響く。宇津木が拳でデスクを強く叩いたのだ。
「お前はあの女が何をやったのか分かっているのか?」
「えっ……いや……」
宇津木を告発する為の証拠集めだと分かっていたが、はっきりと言わずに言葉を濁した。
「あの女は産業スパイだったんだ!」
「ええっ!」
「名前や経歴、全て嘘だった。日村常務にも体を使ってこのプロジェクトに参加していやがったんだ……。個人ではこれ程まで完璧に偽装出来ない、きっと後ろに組織がある筈だ……」
よほど腹に据えかねたのか、宇津木はもう一度デスクを強く殴った。
「隙を狙っていたんだ……盗まれたのが根幹部分じゃ無かったのが幸いだが……」
宇津木は独り言のように呟く。
「まさか! 藤田さんはあなたを告発する為の証拠集めをしていると言っていたのに」
俺は宇津木の言葉が信じられずに反論した。
「馬鹿か! 今の段階で私を罪に問える法律など無い。どんなに忠実に個人の思考を再現していようと人工頭脳はあくまで物体だ生物ではない。藤田は、いや、藤田と名乗っていた女は人工頭脳が製品化された時に売れる情報を探していただけなんだ。人工頭脳が製品化されれば盗んだデーターは様々な使い方がある。喜んで買う組織もあるだろう」
「そ、そんな……」
そう言えばデーターを入手した時の表情。あの宝物を見つけたような表情は本当に金目の物を見つけた表情だったんだ。まさかあの優しく微笑み掛けてくれた藤田さんが産業スパイだったなんて、俺は騙されていたのか……。
「もしあれが世間に流出したら、わが社が他に高値で売れなくなるからな……なんとしてもあの女を捕まえないと」
俺は自分達の利益の心配をしている宇津木に呆れた。こいつはあれの恐ろしさを分かっているのか。
「そんな事を言っている場合ですか! 生身だったらショック死するような苦痛なんですよ、人工頭脳の発売を中止してください! でないと多くの人工頭脳が苦しむ事になる」
「それは必要ない。正規品には使えない技術だ。普通に買って使う分には何の問題も無い。ただ、神経回路を解放した裏流通品が出回る可能性が高くなるだけだ。今更これをボツにする事なんて出来んわ」
「箱にされた人間にとって、裏も表も関係ないじゃないか! 箱にされたって人間として生身と変わらない意思を持っている。拷問は人権問題だ!」
俺が必死に訴えても、宇津木の心には何も響いていないらしい。
「この会社にいる全ての関係者は箱を人間だとは思っていないぞ。お前らはあくまで商品。物なんだよ」
宇津木は特に感情を表さず、冷静に言い放つ。その態度が俺に宇津木の言葉が真実だと教えていた。
「箱になれば分かる。お前もきっと、箱も人間だと気付くよ」
俺と宇津木はディスプレイ越しに睨み合った。
「まあいい、お前の役目は終わった。物として消えてしまえ」
宇津木はそう言うとキーボードを叩き出した。
俺は宇津木に何か言い返したかったが、言葉を選んでいるうちに消されてしまった。
最近入ったあぶく銭のお陰で、俺はバイトもせずに遊んで暮らしている。人工頭脳のサンプル提供に選ばれたのは本当に幸運だった。なんのリスクも無しに、大金を手に入れられたのだから。
ある日のパチンコの帰り道に繁華街を歩いていると、後ろから誰かにしがみ付かれた。
「お願い、助けてください」
しがみ付いて来たのは、二十代後半ぐらいの美しい女だった。
「どうしたんですか?」
「悪い人に追われているんです。お願いします。助けてください」
「助けるって……」
女は俺の言葉を聞かず、腕を掴んで走り出す。俺は訳が分からなかったが、必死な女の勢いに負け、腕を引かれながら付いて行った。
少し走ったところで、女は車一台分ぐらいの道幅の人気のない路地に入って行く。その先は小さな駐車場で行き止まりだった。
駐車場には二人の黒い背広の男がいて、女とよく分からない外国語で話だした。
何か不穏な空気を感じ、俺は逃げ出そうとした。路地の出口に向かい、走り出そうとした瞬間、背中に衝撃を受け、俺は地面に倒れ込む。
「どうして……」
仰向けになって、背中を蹴った相手を見て驚いた。
「あなたに恨みはないんだけどね。あなたの分身にはずいぶん助けられたから、これぐらいしないとに申し訳ないのよ」
蹴ったのは助けを求めてきた女だったのだ。女が何やら指示すと、男二人が俺を代わる代わる蹴り上げる。
喧嘩などした事のない俺は、痛みと恐怖で声も上げられなかった。
「何やってんだ!」
男の野太い声が聞こえる。誰か助けに来てくれたんだろうか?
「大丈夫か?」
「あいつらは?」
「俺が来たら逃げて行ったぞ」
助けてくれた中年男性は、その後も何かと親切にしてくれて、仕事まで紹介してくれた。いつか恩返ししたいと思う。
しかし、あれから何年か経ったが、未だに俺を襲った奴らの正体と目的が分からない。
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