第33話 試験サンプルと言う名の箱【3】

 藤田さんが出て行った後、俺は地獄のような拷問を受け続けた。痛み、寒さ、熱さ、呼吸器官もないのに窒息感まで、全ての苦痛を味わった。もう死んでしまいたいと思う時間だった。今はその苦痛の数々は消えているのだが、俺の心にトラウマとなって残り、外で小さな物音が鳴るだけでビクッと気持ちが反応してしまう。


 今までは試験が終われば俺はシャットダウンさせられていたのに、今日に限って起こされたままで一人夜を過ごしている。宇津木はこれも試験の内と言っていたが、詳しくは語らなかった。おそらく一人で過ごす俺がどの程度怯えるのかを調べているのだろう。


 と、その時、出入り口付近でカタっと小さな音がして、俺は無いはずの身を縮こませた。


 幻聴ではない。確かに聞こえた。


 もしかしたら、宇津木が驚かせて反応を伺っているのかも知れない。それだけなら良いのだが、また地獄の試験の続きが始まるとしたら……。


 俺は全神経を出入口付近に集中させた。


 キイっと軋むような微かな音がした。ドアが開いたのだろうか? だが、室内は真っ暗で様子が分からない。


「誰かいるんですか?」


 俺は勇気を出して聞いてみた。


「静かに」


 小さな声が聞こえた。女性の声のようだ。弱い小さな光源を持つ人影が見えるが誰かは分からない。


「誰ですか?」


 俺も小さな声で訊ねた。


「私です。藤田です」

「藤田さん!」


 逆光で姿がよく見えないが、光を絞り込んだ小さなペンライトを手に持った女性が近付いてくる。声からしても藤田さんに間違いはないだろう。


「助けに来てくれたんですか?」

「そうしたいのはやまやまですが、今の状況では私に出来る事はありません。ですから今、この試験装置にキーロガーをセットします」

「キーロガーを?」

「私達は試験中は自分のIDでログインする規則になっています。責任者の宇津木は全ての試験員のパスワードを把握していますが、逆に彼のパスワードは誰も知りません。だから宇津木がどんな試験をしているのか証拠を突き止める事が出来ないのです」


 藤田さんは声を殺して説明してくれている。


「このキーロガーでパスワードを調べれば、宇津木がしている非人間的な試験の証拠を取り、告発する事も出来ます」


 藤田さんは試験用のパソコンにポケットから取り出したUSBメモリーを差し込み、キーロガーのインストールを始めた。


「そんな事してバレないのですか?」

「偽装しているので、ちゃんと調べない限り大丈夫。あなたさえ黙っていてくれれば問題は無いと思います」

「それは守ります。でも、あなたは大丈夫なんですか?」


 俺は昼間の様子から、宇津木が藤田さんに何かしないか心配になった。


「それも大丈夫、手は打っていますから。だから辛いでしょうけど、あと数日は我慢してください。必ず救い出しますから」


 藤田さんの笑顔は俺を安心させるに十分だった。彼女には何か考えがあるのだろう。そうなら、俺は彼女の計画が上手くいくように黙って耐えるだけだ。


「分かりました。絶対に言いませんから。安心してください」

「はい、頑張りましょう」


 藤田さんはそう言って笑うと、キーロガーのインストールを終えて帰って行った。



 次の日からも地獄のような試験が続いた。宇津木は苦しむ俺に同情の欠片も無く次々と過酷な試験を続けて行く。俺は何度となく泣きながら許しを乞うたが、相手にされず全く聞き入れて貰えなかった。


「もう許してください。俺を消してください。もう満足したでしょう。俺を虐めるのにも飽きたでしょう」


 試験が始まり四日目。俺は試験が一段落終わったタイミングでそう頼み込んだ。


「君は何かを誤解しているようだな。何も私は好き好んでこんな試験を続けているのではないんだよ」

「えっ、じゃあもう止めてください、お願いします」

「いや、それは駄目だ。これはこの人工頭脳にとって必要な試験だからな」

「でも、人工頭脳はこんな使い方しないでしょう? 苦痛に繋がる神経は最初から外すんじゃないんですか?」

「正規品はな」

「えっ、どういう意味ですか?」


 宇津木は少し考えた後、小さく溜息を吐いた。


「まあ、ここまで苦しんでくれた君には話してあげよう。どうせ消えてなくなる存在だしな」


 そう言って宇津木は立ち上がり、大きく伸びをした。


「実はな、某国から依頼があるんだよ。考えてみなさい。人工頭脳はどんなに苦痛を与えても死ぬ事もないし、狂う事も無い。秘密を吐かせるには都合良いとは思わんか?」

「そ、それでは……」

「そう、これさえあればどんな人間も口を割らせる事が簡単に出来るのだ」

 確かに、どんなに重要な秘密を持っていたとしても、あの苦痛から逃れられるのであれば簡単に話してしまうだろう。

「それにな、今、簡易のデーター収集装置も開発しているのだ。それがあれば捕まえる必要も無い、数時間の隙さえあればどんな人間からでも情報が奪える事になる。まあ、さすがに国家元首クラスは簡単ではないだろうが、下の人間であればできない事は無い。もうハニートラップなんて必要なくなるんだよ」

「そんな恐ろしい事に使うなんて……」


 俺は宇津木の話を聞いて恐ろしかった。


 恐らく生身の人間は箱になった人間をヒトとは見ていない。俺が逆の立場でもそうだろう。だから生身では耐えられないくらいの拷問も平然と行うのだ。だが、箱になった人間からすれば、生身となんら変わらず感情も意識もある。箱にされた方とすれば、宇津木の語る事はとてつもなく恐ろしい計画なのだ。


「さあ、君には良い知らせだ。次で最後の試験だからな。しかも何の苦痛も無い」

「本当ですか? ありがとうございます」


 宇津木の計画には怒りと恐怖を感じたが、これが最後の試験と聞かされると、それ以上口をはさむ気にはなれなかった。


「じゃあ始めよう」


 宇津木はそう言うと、ポケットからスマホを撮り出した。何を始めるのかと疑問に見ていると、ディスプレイに動画を映して俺のカメラに向けてきた。


「こ、これは……」


 ディスプレイには一人の美しい女性が全裸で横たわっていた。見間違いではなく、その女性は藤田さんだった。


「この女が誰だか分かるよな」


 宇津木が下司な笑顔を浮かべてそう言った。


 俺は言葉が出なかった。


 ディスプレイの中の藤田さんは、宇津木からアダルトビデオの女優のような扱いで辱めを受けている。目を背けたいのに背けられない。怒りと興奮と嫉妬が津波のように押し寄せて来る。


「凄い数値だ。君は寝取られ趣味があるんじゃないか? 怒りだけでなく、性的興奮も凄いぞ」


 この試験に何の意味があると言うのだ。体があれば身悶えするだろう俺の嫉妬心を見て喜ぶ、宇津木の歪んだ性癖を満足させたいだけじゃないか。


「藤田さんをこんな酷い目に……」

「君は誤解しているようだね。これは藤田君から頼んできた事なんだよ」


 宇津木は楽しくて仕方ない感じでそう言った。


「嘘だ……」

「嘘じゃない。そう四日前、この試験が始まった日だ。彼女の方から話があるから私の事務室で会いたいと言ってきてな……」


 四日前、夜中に藤田さんがここに来た日だ。


「途中で精力剤まで飲まされて、可愛がってやったさ。終わった後も仮眠室のベッドで一緒に朝を迎えたんだ。彼女も満足そうだったぞ」


 宇津木は俺の嫉妬心を煽りたかったのか、饒舌だった。


 きっと藤田さんは怪しまれずにこの部屋に侵入する方法を考えて自分の身を捧げたのだろう。こんな最低の人間の為に彼女が凌辱されたのは我慢ならなかった。


 他に方法は無かったのか。そう思って考えても、箱である自分には何も出来ない。無力さが情けなかった。

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