第30話 息子と言う名の箱【6】

 その日の深夜になって、俺は普段着に着替えて子供部屋に入っていく。物音を立てないように気を付けて、賢人を立ち上げた。


「おとうさん……」


 賢人が目を覚まし、俺を見る。ディスプレイの中の賢人はいつも表情が暗い。


「賢人、今からお父さんが、お前を自由にしてあげるからな」

「ほんとうに? ボクはここからうごけるようになるの」

「ああ、もう大丈夫だ。寝ている間に動けるようになるから」

「やった! あそびにいけるんだね。おかあさんもよろこぶね!」


 賢人の顔が明るくなる。もちろん嘘だったが、最後に希望を与えてやりたいと思った。それが、辛い毎日を送らせてしまった、せめてもの罪滅ぼしと思ったから。


「ああ、また優しいお母さんに戻るよ。じゃあ、もう少しの間、寝ていてくれな」

「うん」


 最後にお別れの言葉を言いたかったが我慢した。せっかく笑顔になれたのに、また悲しませる訳にはいかないから。


 俺は賢人の体を、用意していた段ボールに入れて運び出した。車のトランクに段ボールを積んで走り出す。


 目的地は、郊外にあるスクラップ工場だ。そこは、表向きは車などの廃棄物をスクラップにする工場だが、深夜には処分に困った人工頭脳を処分してくれるのだ。


 俺は冴子の様子に悩み、数日前に業者の佐々木に連絡して人工頭脳の処分方法を相談していたのだ。佐々木は愛想良く教えてくれた。俺の相談がイレギュラーな対応ではなくよくある事だと話し方から分かった。佐々木は騙していたのだ。子供を人工頭脳にするのはリスクのある事だと故意に言わずに。


 処分の方法がわかっても、俺は実行できずにいた。まだ、冴子が正気を取り戻しまた楽しく暮らせる希望を捨てきれなかったのだ。だが、今日はとうとう限界を超えてしまった。俺は賢人を処分すると決断した後すぐに手配を行った。


 一時間程車を走らせて、工場に着いた。一目見て、もう動かないと分かる車や家電製品が積み上げられている敷地内を通り、二階建ての小さな事務所の前で車を停める。事務所は入口のすぐ横の部屋以外、明かりが付いていない。


「すみません」


 俺は段ボールを抱えて事務所に入った。


「おお、予約の人か?」


 入口すぐの部屋から五十代半ば程の男が一人顔を出した。


「はい、そうです。よろしくお願いします」


 俺は段ボールを受付カウンターの上に置いた。電話でも紹介者の佐々木の名前を出しただけで、自分の名前は言っていないし相手の名も聞いてもいない。


「じゃあ、現金払いなんで、十万良いかな」


 男は段ボールの中を確認してそう言った。俺は財布からお金を取り出し、男に代金を支払う。


「じゃあ、すぐにやっておくから、帰っても良いよ」


 男が手慣れたようにそう言った。


「あの、処分するところを見せて貰えますか」


 そう言うと、男は俺の顔を覗き込んだ。


「本当に処分するか疑っている顔じゃねえな。大事な人なのか?」

「五歳の息子です」


 男は俺の顔をまじまじと見つめている。


「そうか……分かった。箱にはプレスすると危険な部品がある。それを外して持って行くから外で待っていてくれ」


 男はそう言うと賢人を持って事務所の中に入って行く。俺は男に言われた通り、外に出て待っていた。


 しばらくして、男が賢人を持って出て来た。


「さあ、行くか」


 男は俺に賢人を渡し、前を歩いて処分場所まで案内してくれた。


 処分場所には、丸々車一台が楽に乗る鋼鉄製のプレス機が準備されていた。俺は大きな台座の上に小さな賢人の箱を置く。下がってプレス機を見ると、そこだけライトが当たり、ステージのようだった。


「一瞬だからな、よく見ておけよ」


 男がそう言ってボタンを押す。上から重そうな鋼鉄の塊が降りて来て、あっさり賢人の厚みが無くなった。男がもう一度ボタンを押すと、鋼鉄の塊が上に上がり、台座の上には薄っぺらくなった、人工頭脳の賢人が残った。


 何の感情も籠らない本当に一瞬の出来事だった。


「賢人!」


 俺は思わず駆け出して、賢人だった鉄くずに駆け寄った。


 賢人はもう原型が分からないくらい、薄く潰れてしまった。最後に安心して笑った顔が頭に浮かぶ。


 薄くなった鉄くずを見て、ようやく賢人の死が俺に襲い掛かってきた。ずっと目を背けてきた報いのように、それは俺の心の中に突き刺さる。


「賢人おおお!」


 次々と賢人の思い出が蘇る。照れてはにかんだ顔。美味しい物を食べて嬉しそうな笑顔。賢人の死に顔を見ても浮かばなかった思い出が次々と甦る。


 涙がとどめなく溢れて鉄くずの上に落ちていく。ごめん、ごめん、ごめんと何度も何度も叫び続けた。


「悲しむ事はないぜ。あんたの息子はとうの昔に死んでいたんだ。今死んだんじゃねえよ」


 いつの間にか近づいて来ていた男が俺の肩に手を置く。


「バベルだったっけ? あの塔と同じようなもんなんだよ。人の死と言うのは神の領域なんだ。安易に人間が操作して良い物じゃないんだよ。これはあんたの息子じゃねえ、人間の思い上がりが産んだ残骸なんだ」


 男の言う事は分かる。でも俺にとってこの残骸は、まぎれもなく賢人だった物なんだ。俺達夫婦が賢人の死を受け止められなかった所為で生まれた賢人の分身なんだ。


「賢人……」


 俺はしばらくの間、鉄くずにすがり泣き続けた。



 俺が家に帰り着いた時にはもう夜が明け始めていた。


 ドアを開けて中に入ると明かりが点いている。奥に進むと、リビングのソファに冴子がうなだれて座っていた。俺が入って来た事に気付き、冴子が顔を上げる。


「賢人は?」


 ぼさぼさの髪と泣き腫らした目、酷く疲れた顔をしている。


「賢人はもういない……」


 俺は冴子の横に座る。冴子はまたうなだれて、小さく嗚咽を漏らす。


「私の所為だ……私の所為なんだ……」

「違う、誰の所為でもない。それが運命だったんだ」


 冴子の肩を抱き締めると、俺の目からまた涙が溢れ出す。


「ごめんなさい賢人……本当にごめんね……」


 冴子もずっと苦しんでいたのだ。生身の賢人と人工頭脳の賢人との違いに対処しきれず、心の均衡が壊れてしまった。本当はずっと謝り続けていたのだろう。


 結局、人工頭脳の箱は俺達家族に救いをもたらさなかった。それどころか逆に深い傷を負ってしまった。でも逃げずに癒して行こう。それが、二人の賢人に対するせめてもの償いだから。

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