第27話 息子と言う名の箱【3】

 結局、賢人が幼稚舎に通い出しても、冴子は変わらず働き続けて俺達の生活に変わりは無い。冴子がそう決めたのなら、俺はもうこれ以上家庭に専念する事を押し付ける気は無かった。冴子の教育は理想的で、ちゃんと遊ばせたり、しつけもしっかり教えたり、賢人は何も問題なく成長している。俺は無理なく仕事に打ち込め、出来る限りで子育てに関われば良いだけだったから口を挟む必要はないのだ。


 正直言えば、冴子の会社での立場は気になった。上手くやっているとは言え、仕事と育児の両立はスキルアップに不利なのは間違いないだろう。だが、冴子が頼って来ない限り、俺に出来る事は無い。将来冴子が後悔する人生で無いように願うしか無かった。



 ある日曜日、急に仕事が入り冴子は休日出勤しなければならなくなった。俺も運悪く出張に出ていて、その日の午後帰る予定だった。連絡を貰った俺は、出来るだけ早く帰られるように手配をしたが、冴子が家を出るまでには間に合わない。冴子がベビーシッターを手配したが、急だった為に俺より早く家に来る事は無理だった。冴子が仕事に行くのなら、どうしても三時間は幼い賢人を一人で留守番させなければならなかった。


「ボクはひとりでもおるすばんできるよ」


 冴子に気を遣ってか、賢人はそう言ったらしい。冴子はその言葉に背中を押されて仕事に向かった。


 賢人は名前の通り、利口な子供だった。五歳とは思えない程聞き分けが良く、物事に対する理解も早い。それが故に冴子も一人で留守番させても大丈夫だと判断したのだろう。結果、それが俺達家族に悲劇をもたらす事になったのだが。


 降りる駅まであと少しとなった帰りの新幹線の中で、俺のスマホが鳴った。相手は冴子からだ。普段はメールで連絡し合うので電話は珍しい。俺は何か嫌な予感がして、マナーも考えずに電話を取った。


「あ、あなた、早く、早く帰って来て! 賢人が……」

「賢人がどうしたんだ? おい、冴子!」


 冴子の言葉が途切れ、俺の焦りが倍増する。


「賢人が……賢人が事故に遭ったの……」


 あの聡明な冴子とは思えない程、動揺していて状況が良く掴めない。冴子自身も良く分かっていないのかも知れない。何とか病院名を聞き出し、俺は電話を切った。


 焦っても仕方ないのだが、俺は座ってられずに出入り口まで行き、無事でいてくれと祈った。


 駅に着くと、走ってタクシー乗り場に向かい、病院に直行する。タクシーの中から冴子に電話するが、手術中で詳細が分からないようだった。


 聞いていた大きな総合病院にに着くと、急いで冴子の元に向かう。冴子は真っ青な顔で手術室前の長椅子に座り、手術中の表示を一心に見続けていた。


「冴子!」

「あなた!」


 冴子は俺に気付き、駆け寄って来る。俺はその体を受け止め抱き締めた。


「賢人が……賢人が……」


 冴子は震えて声が続かない。


「落ち着いて……」


 俺は両手で冴子の頭と背中を撫ぜた。


「あの子、あなたを迎えに行こうとバス停に向かう途中で事故に遭って……」

「そんな……」


 たぶん賢人は一人で迎えに来た事を、俺に褒めて欲しかったのだろう。あんなに利口で可愛い賢人が事故に遭うなんて……。


「今はどうなっているんだ?」

「手術中で……」

「怪我は酷いのか?」

「それが……」


 冴子の声が涙声に変わる。


「む、難しい手術だって……」


 俺は冴子を強く抱き締めた。


「わ、わたしの所為だ……私が、仕事に行ったから……」

「違う、そうじゃない。冴子の所為じゃない! そんな事考えるな!」


 その時、手術中の表示が消えた。すぐに中から手術服を身に着けた四十代程の男性医師が出て来た。医師は俺達の姿を見ると歩み寄ってきた。


「賢人君のご両親ですか?」

「は、はい、賢人は大丈夫ですか?」


 医師の表情から、状況は良くないと思えたが、聞かずに居られなかった。


「それについてお話がありますので、ちょっとこちらの部屋で宜しいですか」


 医師は俺達を手術室の横にある部屋に案内した。


 そこは個室の病室程の広さで、長机を二台並べて椅子が六脚置いてある、打ち合わせ室のようだった。椅子の一つに、三十代くらいの背広を着たサラリーマン風の男が座っていて、俺達を見ると立ち上がった。


 医師は俺と冴子を長机を挟んで男の向いに座らせ、自分は男の横に座る。男も俺達が座ったのを確認すると、自分の椅子に座り直した。


「急ぎですので、正直に言います。賢人君は大変危険な状況です。今は延命措置をしている状態で回復は見込めません」


 医師にハッキリと言われて、冴子はうああーと声を上げて机の上に泣き伏せた。


「延命措置って……じゃ、じゃあ、賢人は……」

「残念ですが、もう長くは……」

「そんな! 何とかならないんですか?」


 俺は堪らない気持ちで叫んだ。


「私にはもう、この人を紹介するしかないんです……」


 医師が横にいる男に目で合図を送る。


「誰ですか、その人は? 賢人を助けてくれるんですか?」


 俺にそう言われて、男は名刺を差し出した。名刺には「朋友社、佐々木隼人(ささきはやと)」と書かれている。


「時間が無いので、単刀直入に言います。私は人工頭脳を扱っている業者の佐々木と言う者です。私どもの装置を使えば、賢人君を人工頭脳として生かし続ける事が出来ます」

「人工頭脳……」


 最近ではかなり一般的になってきた、人間の脳を再現できる機能を持った機械の箱の事だ。だが、未成年は禁じられている筈だが……。


「賢人を生かし続けられるんですか? ぜひお願いします!」


 希望を見つけた冴子が、佐々木の方へ身を乗り出す。


「ちょ、ちょっと落ち着け冴子。確か未成年は人工頭脳に出来ない筈だぞ」


 俺は冴子を抑えるのと同時に、佐々木の方へ確認の視線を送った。


「確かに製造メーカーのサティエは、十八歳未満は人工頭脳の対象外と自主規制しています。でも今のところ法律による規制はありませんし、取締りもされていません。確かに批判する人は居ますが、実際外に出さない限り、ばれる事はありませんから。すでに私の会社でも、幼くして亡くなった多くのお子様を人工頭脳で生かし続けてご両親に感謝されています」


 確かに佐々木の言う事は事実なのだろう。だが、幼い賢人が人工頭脳の体に耐えられるのか?


「あなたの言う事も分かるのですが……」

「あの、私は医師の立場からは、どちらを選択しようとノータッチでご両親の気持ちにお任せします。ただ、やるのであればあまり時間は残されていませんよ」


 黙って聞いていた医師が口を挟む。


「お願いします! すぐに、すぐに賢人を人工頭脳にしてください! 賢人はこんな事で死んでしまって良い人間じゃないんです!」

「冴子!」

「あなたは黙っていて! 賢人に関しては私が決める筈でしょ」

「それはそうだけど……」

「あなたには私の気持ちは分からない。賢人がどれ程素晴らしい人間になるか、あなたには分かってないの。私ほど賢人を愛していないのよ」


 今、冴子は普通の精神状態でないのは分かる。普通であれば、心でそう思っていても口に出す事は無かっただろう。だが今それが出たと言う事は普段からその思いがあったのだ。俺は少なからずショックだった。自分なりに冴子も賢人も愛してきたという思いがあったから。


 結局、俺は不安も有ったが反対し切れず、賢人は人工頭脳になる事となった。

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