第28話 息子と言う名の箱【4】
人工頭脳のデーター収集が終わり、賢人が俺達の前に出てきた時にはすでに冷たくなっていた。
「大丈夫、すぐに会えますよ」
呆然としている俺達を安心させるように、佐々木はゆっくりとした声で呟いた。
「すぐに会えるからね。少しだけ我慢してね」
冴子は涙を見せず、なだめるように賢人の顔を優しく撫ぜた。
俺も不思議な雰囲気にのまれて悲しみが湧いて来ず、どこか上の空で賢人が死んだ実感が湧かなかった。
そんなふわふわとした現実感の無い気持ちのまま、賢人の葬儀が慌ただしく行われた。俺は葬儀の場でも悲しみが湧かず、形だけの式になってしまっていた。恐らく冴子も同じような気持ちだったと思う。
「賢人の同級生の母親達を見た?」
葬儀関連の全てが終わりマンションに帰って来ると、俺は疲れ切って礼服も脱がずにダイニングテーブルの椅子に座り込んだ。そんな俺に冴子は疲れた様子もなく訊ねてきた。
「いや、よくは覚えていないな」
俺は冴子の質問の意味が良くわからないまま、正直にそう答えた。
「私はよく見ていたわ」
冴子の顔には笑顔が浮かんでいるが、目だけは笑っていない。
「あの人達、口では悲しいと言っていたけど目は笑ってた」
「えっ?」
「きっと、賢人が死んだのが嬉しいのよ。自分の子供は何一つ賢人に勝てるものが無かったから、邪魔者が消えたと思っているのよ」
冴子は自分の考えを確信していて、何の疑いも持っていないようだった。
「ただ若いと言うだけ、夫に頼りっきりの専業主婦で自分は子育てに専念している。それなのに私に勝てないのをあの女たちはずっと悔しい思いでいたんだわ。だからざまあみろと心の中で罵っているのよ!」
「そうなのか……」
有無を言わせぬ冴子の目を見て、それ以上俺は何も言えなかった。
もしかして、俺の気が付かないところで、冴子はずっとストレスと戦いながら生活していたのかも知れない。疲れ切った頭で、おぼろげながらにそう考えた。
賢人が死んでから一か月経過した。その間、ずっと現実感の無い気持ちが続いている。賢人の遺体を見たのにも関わらず、なぜか今旅行に出ていてもうすぐ帰ってくるんだと言う自分でも意味のわからない不思議な錯覚を感じていた。冴子も賢人が死んだのを感じさせない程のハイテンションで、人工頭脳の設置場所にする予定の子供部屋をコーディネイトしている。賢人のお気に入りキャラクターのポスターやおもちゃ、学習机や勉強道具など嬉々として用意していた。冴子の心の中でも賢人はまだ死んではいなく、人工頭脳として戻って来る日を待ちわびているようだった。
いよいよ人工頭脳の箱となった賢人が、予定していた休日に届いた。子供部屋の学習机の上に設置し、全ての設定を終え、リターンキーを押せば賢人は甦る……。
リターンキーを押すと、箱の前面に付いているディスプレイに、眠っている賢人の上半身が映った。
「賢人!」
冴子が涙声で賢人の名を呼んだ。ゆっくりと賢人の目が開く。
「あ、おかあさん……おとうさん……」
冴子と俺の顔を見て賢人が安心したような笑顔になる。
「大丈夫? どこか痛かったり、苦しかったりしていない?」
「うん、だいじょうぶ。ここはどこなの?」
「ここはね、賢人の部屋なんだよ」
冴子が体を賢人の前から動かし、部屋の様子をみえるようにする。部屋には賢人の好きなキャラクターのポスターを貼ったり、見える位置に好きだったおもちゃなどを置いていた。
「ここボクのおへやなの? すごい!」
賢人は喜んでカメラを動かし、部屋の様子を見回す。
「あれ? ボクからだがうごかない! おかあさんどうしよう、ボクからだがうごかないよ」
賢人が泣き出しそうな顔で冴子に助けを求める。
「大丈夫よ、賢人は怪我をしちゃったの、もうすぐしたら動けるようになるから我慢してね」
人工頭脳の小型化と機械の体の研究は日々進歩している。しばらく待てば、箱ではなく人間型の体を持った人工頭脳の実用化も出来ると噂されたいた。俺達は実用化され次第、機械の体を購入するように決めている。それまでは賢人の思考的な成長を促すように、教育していこうと考えていた。
「いつ? いつになったらうごけるの?」
「良い子にしていたらすぐに動けるようになるよ」
「うん……でも、はやくおそとであそびたいな……」
ディスプレイに映る、悲しそうな賢人の顔を見ているのが辛い。
「我慢して、すぐに慣れるから……」
「ううん……でも、なにかこわいよ……」
珍しく賢人がぐずる。俺の知る限りでは、賢人は何でも素直に言う事を聞く子供だった。ストレスは外されている筈だが、やはり人工頭脳の体が幼い子供には不安なのか。
「お願い、動けなくても大丈夫だから我慢して」
冴子が優しく諭す。
「でも……ボクのからだが……」
「言う事を聞いて! これからあなたは大変なのよ。長い間休んでいたんだから!」
冴子がキツイ調子で叱る。こんな冴子を見るのも初めてだ。賢人は泣き出しそうな顔で何も言わなかった。
「じゃあ、今日の勉強始めようか」
「えっ? 今からやるのか? 今日はいいじゃないか」
俺は驚いて、思わず口を出してしまった。
「何を言ってるの。勉強出来なかった期間が長いからずいぶん遅れているのよ。さあ、あなたは出て行って」
まさか人工頭脳として賢人が戻ってきた日から勉強を教えるとは思っていなかった。いや、そもそも勉強を教える必要があるのかさえ疑問だった。
俺は疑問に感じながらも、その場では何も言わずに部屋を出た。
いつもは一時間程で済む賢人の勉強だが、今日は二時間を過ぎても冴子は部屋から出てこない。俺は夕飯の支度をしながら待っていたら、三時間近く経ってようやく出て来た。
「ご苦労さん、夕飯の用意が出来ているから、一緒に食べよう」
「ああ……ありがとう……」
一緒に夕飯を食べ始めたが、冴子は疲れた表情で黙々と食べている。さすがに三時間ぶっ通しで疲れたのだろう。いろいろ話し合いたいのだが、声を掛け辛い。
「疲れたみたいだね。大丈夫?」
「うん……」
話し合いのきっかけを作ろうと話し掛けたが、冴子は心ここにあらずと言った感じだ。
「時間が長かったけど、賢人は大丈夫だった?」
俺がそう訊ねると、箸を持つ冴子の手が止まった。
「あの子外に出たいってそればかりで……」
「まだ慣れていないからだよ。これからはもっとやりやすくなるさ」
「気休め言わないで!」
冴子が俺を怖い顔で睨みつける。その顔を見て、どう声を掛ければ良いか分からず、言葉が出てこなかった。
一呼吸置いて、ガンっと大きな音が鳴った。冴子が握った拳でテーブルを叩いたのだ。
「どうして、集中しないのよ! 今日はどこか上の空で、今まで出来ていた問題さえ出来なくなっていた……」
テーブルを叩いた、強く握った拳がワナワナと震えている。
「普通の賢人じゃない! 何とかしなきゃ、何とかしなきゃ、何とかしなきゃ! 私が何とかしなきゃ」
尋常じゃない目付きをしている冴子に俺は怯んだ。
「お、おい、冴子、落ち着けよ……」
「あなたは黙ってて!」
また、ガンと大きな音を立てて冴子がテーブルを叩いた。俺はあっけにとられて何も言えなかった。
「ごめん……シャワーを浴びて寝るわ……」
まだ食事の途中だったが、冴子はうつろな目をして立ち上がる。俺は冴子を止める事も慰める事も出来ずに見送った。食後の片付けは冴子の担当だったが、何も言わずに俺が済ませた。
何かが狂い始めた気がする。いや、賢人が事故に遭った瞬間から始まっていたのかも知れないが、幸せだった頃とは確実に違う空気が流れていた。
冴子は人工頭脳の賢人をどう考えているのだろうか? 箱になった賢人に人間と同じ未来はない。勉強を続けたとしても、大学に進学出来ないし当然就職も出来ない。俺は人工頭脳の事を、生身の賢人を亡くした心の穴を塞ぐ存在にするだけだと思っていたが、冴子は違うのだろうか……。常識的な知識を教えるのは構わないが、以前と同じようなレベルの勉強を続けてどうしようと言うのだ。あの聡明で論理的に物事を考える、以前の冴子とは思えない。
今日までにもっと話し合うべきだった。賢人が死んだ事を実感できずに無駄な時間を過ごしてしまった。そもそも、悲しんでいない冴子の様子が異常だったのだ。それに気付けない俺も異常だったのだろう。人工頭脳になって帰って来ると言う事実が、賢人の死を曖昧にしてしまったのか。
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