第24話 息子の嫁と言う名の箱【4】
家に帰り、乱暴に玄関のドアを開けて中に飛び込む。
「ただいま!」
靴を脱いで中に入ると、奥から明るい赤色の服を箱に巻いた結愛が、出迎えに来る。
「お父様、お帰りなさい。早かったんですね」
俺は無視して、奥に進む。
キッチンやリビングなど、一階には誰も居ない。
「陽平!」
二階に向かって叫んだが人の気配がない。
「今、家には私しか居ませんよ」
俺の様子に、意図を察した結愛が教えてくれた。
「二人はどこに行ったんだ?」
「お母様はお買い物に、陽平さんは会社から急な呼び出しがあって出掛けられました」
「そうか……」
俺は勢いを削がれた気がして、とぼとぼとリビングに向かいソファに座り込んだ。
「何かあったんですか?」
俺の様子を心配して付いてきた結愛が尋ねる。
「コーヒーを淹れてくれ」
俺は無理難題を吹っ掛けた。
「す、すみません……それは……」
ディスプレイの中の結愛が頭を下げた。
「そんな事も出来なくて嫁だと言えるのか!」
俺は大きな声で怒鳴った。結愛は頭を上げたが、悲しそうな表情のまま何も言わない。
「もし、陽平が病気になったらお前に何か出来るのか? 夫婦は助け合うものだが、お前は陽平に何かしてあげられるのか? それに陽平はまだ持とうと思えば子供が持てるんだ。まだ間に合うんだ……」
俺は結愛を紹介されて以来溜まっていたイライラを勢いのままにぶつけた。結愛は辛そうに聞いていた後に、吹っ切れたような笑顔になった。
「大丈夫です、お父様。陽平さんの部屋にキーボードが置いてあるので持ってきてくれませんか」
俺は怒りを吐き出して思考が停止したままに、結愛に頼まれた通りキーボードを取ってきた。
「ありがとうございます。無線で接続はされているので、そのまま私の言う通りに打ち込んでいただけますか」
ディスプレイが結愛の顔からシステム操作画面に切り替わり、結愛の音声通りに操作していく。するとデーターの消去画面に行きついた。
「おい、これはデーターの消去画面じゃないか」
「そうですよ」
そう言う結愛の声は明るかった。
「良いのか?」
俺は卑怯だ。直接には言っていないが、俺が消えろと罵倒したようなものなのだ。なのに今更「良いのか?」と相手に自分の意志で消えるかのように確認させる。本当に卑怯な問い掛けだ。
「はい、陽平さんにとって、これが一番良い方法なんです。あ、あと、これも読んで下さい」
画面が切り替わり、メールの文面が映る。
(大好きな陽平さんへ
短い間ですが、私はあなたと出会えて、一緒に居られて幸せでした。
今日、私はお父様にお願いして、データーを消して貰います。黙って消えてしまってすみません。でも、あなたの顔を見ると消える勇気がなくなるから。
少しの間でしたが、私に家族を作ってくれてありがとう。本当に良いお父様とお母様で温かな家庭でした。次は生きているお嫁さんを迎えて、子供も作って幸せになってください。あなたが家族に囲まれて幸せになっている姿を想像するだけで、温かな気持ちになれます。だから私の事は忘れて絶対に良い人見つけてくださいね。約束ですよ!
大好きなあなたを、天国で見守っています。結愛)
「これを今から陽平さんに送ります。だからお父様も話を合わせて、私にどうしてもと頼まれて消去した事にしてください」
「どうして、こんな内容を……これじゃあ、自分から進んで消え去るみたいじゃないか。俺の事を恨んでいないのか?」
俺はメールの文面を見て驚いた。
画面に送信中の文字が浮かび、メールが消えて結愛の顔が浮かんだ。結愛の表情に恨みや怒りは無く、スッキリとした顔をしている。
「恨むなんてとんでもないです。お父様も私も同じように陽平さんの幸せを願っているのだから」
そう言って結愛は笑った。無理しているのではなく、自然な笑顔だ。
「物心ついた時から、私の両親は喧嘩ばかりしていました……」
急に結愛の表情が暗くなる。辛い事を想い出しているのだろうか。
「父は喧嘩のたびに母を殴り、母は抵抗も出来ずに泣いてばかりの毎日でした。私は父から暴力を受けませんでしたが、母からは『お前がいなければ、あんな奴と別れられるのに。お前の所為で私はこんな地獄の毎日を過ごすんだ』と聞かされ続けて育ちました……。私は何とか両親が喧嘩をしないよう、父を怒らせることのないようにと二人の顔色を伺う毎日を過ごしました。私にとって家庭は安らげる場所ではなく、仮面を被って嵐をやり過ごす場所でした……」
淡々と話しているが、その表情から辛かった過去が窺い知れる。
「中学の卒業と同時に、私は家を出ました。ようやく離婚して私を引き取った母が、生活の為に体を売るように言ってきたからです……」
「そ、そんな……」
自分の娘に売春を強要する親がいるなんて……。悲惨な結愛の過去に言葉が続かなかった。
「そんな親から逃げ出しましたが、私には体以外何もなく、結局、何度も男の力を頼って生きていくしか出来ませんでした……。でも、このままでは駄目だと思い、決心して職を探し、貧しいながらもまともな生活を始めた頃に陽平さんと出会いました」
結愛の表情が柔らかくなる。陽平との思い出は温かい物なのだと分かった。
「付き合い出して私の過去を知っても、陽平さんは変わらず私を愛してくれました。いつも笑顔で接してくれて、陽平さんと過ごした日々は私の人生の中で最高に幸せな時間でした……」
この娘は本当に陽平を愛してくれている。なぜ生きて目の前にいないんだ。
俺は泣き出しそうになった。
「陽平さんはよく家族の事を話してくれました。優しいお父様やお母様の事を。話を聞くだけで心が温かくなり、もし陽平さんと結婚出来たなら、私もそんな温かな家族の一員にして貰えるんじゃないか、私にも優しい父と母が出来るんじゃないかって……そんな事を考えるだけで幸せで……私にはもったいないくらい幸せで……」
穏やかな笑顔のままで、結愛の瞳から涙がこぼれてくる。俺も知らぬ間に泣いていた。
「でも駄目でした。幸せにはなれない運命なのでしょうか。私は事故に遭い死んでしまいました。人工頭脳として生き返りましたが、陽平さんとは喧嘩が絶えませんでした。絶対に結婚すると言う陽平さんと、生きている人と幸せになって欲しい私と、どちらも相手の事を想っているのに喧嘩するんですよ……。陽平さんから『俺は結愛以外とは結婚しない。だから結愛がいなくなっても幸せにはなれないんだ』と言われて、私も試して見る気になったんです」
俺は結愛が家に来るまでどんな思いだったかを知っていたたまれなくなった。
「緊張して陽平さんの家に来ると、お母様に大変喜んで頂けて本当に嬉しく思いました。お父様が反対されていましたけど、気になさらないで下さい。陽平さんの事を真剣に考えているからこそ反対するのだと分かっていましたから。ここは私が想像していた通り、本当に温かな家庭でした。本当の親と言うのはこんなにも子供の幸せを想うものなのだと知り、少しの間でしたが、私もその家族の輪の中に入れた気がして幸せでした」
結愛がまた辛そうな表情を浮かべる。
「でも私は分かっていました。陽平さんやお母様は褒めてくださいましたが、私に出来る事は三歳児程度の事で、妻としても、娘としても、家族としても何も出来ない……」
ううっと嗚咽を漏らしながらも一生懸命に話す結愛。
「子供も産めない、私では陽平さんを幸せには出来ない……。お父様、お願いします! 私を消して、陽平さんを幸せに出来る人を探してあげてください。陽平さんは素敵な男性です。きっと良い人が見つかります。だから……だから……」
俺も結愛も号泣している。
「私を消してください!」
俺の手は震えている。何をどうすべきなのか?
「君の気持ちは良く分かった……」
結愛の顔が消え、ディスプレイにデーター消去の操作画面が現れる。俺は震える手でキーを押した。
「結愛は! 結愛はどこに居る!」
陽平が予定より早く帰って来た。恐らく結愛からのメールを見て飛んで帰って来たのだろう。
「なんだよ騒がしいな」
「どうしたの、仕事に行っていたんじゃないの?」
俺と紗耶香はリビングでテレビを観ていた。何も事情を知らない紗耶香は驚いている。
「父さんが結愛を消したんだろ? 結愛を返してくれよ! 俺は結愛以外では幸せになれないんだ!」
「そんな事は知っているよ」
掴み掛ってくる陽平に、俺は平然と答えた。
「陽平さん!」
ダイニングに居た結愛がリビングに現れた。
「結愛! 大丈夫だったのか、消されていないんだね」
「はい!」
駆け寄ってきた陽平に結愛が笑顔で応える。
あの時俺はデーター消去画面の操作でNOを選択した。それでも結愛は「消して下さい」と何度も叫んでいたが、最後は「陽平の妻となって支えてくれ」と俺が土下座して頼んで納得してもらった。俺は結愛が持つ陽平への想いに心打たれたのだ。
結局、夫婦になる条件に「お互いの事を心から想い合っている」以上の事はないのだろう。体が無い、子供が産めない、それも重要な事だが、心からお互いの事を想い合っていれば乗り越えられる筈だ。それを横から邪魔しちゃいけない。二人を引き離した先に陽平の……いや、この家の幸せはないだろう。
「当たり前だろ。結愛ちゃんはうちの娘なんだから」
俺は消そうとしていた事をすっとぼけてそう言った。
「そうよ、もしあなたと結愛ちゃんが喧嘩したら、出て行くのはあなたの方だからね」
「お父様……お母様……」
「あと、お前の結婚式の為に貯めていたお金でリフォームするぞ。ネットで操作出来るエレベーターも付けて、綺麗なバリアフリーにしてもらう。お前の不細工な工作では結愛ちゃんが可哀想だからな」
「そんな、俺も一生懸命に作ったのに」
陽平がすねたように口を尖らせると、家中にみんなの笑い声が響いた。
「私、幸せです!」
結愛が満面の笑顔で叫んだ。陽平が笑顔で結愛の箱の体を抱きしめる。
「皆さんの家族になれて、幸せです!」
今度は笑顔のままで涙を流していた。俺も陽平も紗耶香も笑顔で涙を流している。
家の中は三人で暮らしている時より、温かかった。
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