第23話 息子の嫁と言う名の箱【3】

「ただいま、わ、なんだこれ?」


 仕事が終わり家に帰って玄関のドアを開けた瞬間、俺は驚いた。玄関の三和土に短いスロープが取り付けられ、バリアフリー仕様になっていたのだ。


「お父様、お帰りなさい!」


 キャスター付きのワゴンに、箱の体を乗せた結愛が奥から一人で出迎えに来た。


「なんだ、それは? 一人で移動出来るのか?」

「凄いだろ? 今は人工頭脳の人が自分で移動出来るようなキットが売られているんだよ。家中バリアフリーにしたし、結愛は一人でどこにでも移動出来るんだ」


 結愛の後ろから陽平が得意げな顔で出てくる。


「陽平さんが今日一日で頑張ってくれたんですよ。これで少しでも皆さんのお役に立てます」


 結愛は笑顔でそう言った。


「そ、そうか……」


 俺は二人と同じテンションでは喜べず、気の抜けた返事をして奥に行こうと結愛の横を通った。


「あ、お父様、鞄を持ちます。上に置いて下さい」

「えっ、置いてって……」

「ほら、結愛の上に鞄を置いて」


 陽平に促されて、手に持っていた鞄を結愛の上に置く。箱の体はターンテーブルの上に乗っていて、鞄を置くと回転し出す。ターンテーブルが百八十度回って、ディスプレイが進行方向を向き、ワゴンがゴトゴトと音を立てて奥へと動き出した。俺と陽平も結愛に先導されて奥へと進む。


「お母様、お父様がお帰りになりました」

「はい、結愛ちゃん鞄ありがとう。あなたお帰りなさい」


 ダイニングでは紗耶香が俺の食事の用意をしてくれていた。


「ああ、ただいま……」


 テーブルの上に一人分の晩御飯が用意されていた。もう午後九時を過ぎているので、紗耶香達は食べ終わっているのだろう。俺や陽平の帰宅時間がバラバラなので、紗耶香は早く帰った人と一緒に晩御飯を食べるのが習慣だった。


 食べ始めると、陽平は風呂に行き、紗耶香は向いに座り、結愛は横に残って俺を見つめる。


「お味はどうですか?」


 結愛が恐る恐る訊ねてくる。


「今日の料理はね、結愛ちゃんに教えて貰って作ったのよ」

「ええっ、そうなのか」


 料理は豚肉とキャベツの野菜炒めと鶏の肉じゃがだったが、確かに今まで食べた事のない味だった。


「ああ、美味しいな、これ」

「良かった。私、他の家事は苦手だったんですが、料理だけは得意だったんですよ。お父様に喜んで貰えて良かった」


 結愛がほっとしたように喜ぶ。


「二人で一緒に料理するのは楽しかったわ。明日はお返しに結愛ちゃんの服を作るのよ」

「服? 人工頭脳に服がいるのか」

「だって、こんな金属むき出しのままじゃ可哀想じゃない。もっと可愛い服を着せてあげたいわ」

「ありがとうございます! お母様は洋裁が得意と聞いて楽しみです」


 もうすっかり二人は打ち解けているようだ。陽平が言う通り、家は嫁姑の争いはないだろう。それはそれで良い事なのだろうが、なし崩しにこのまま結愛を認めて良いのだろうか。


 ここから見ても部屋間の段差は、陽平のへたくそな日曜大工でスロープ処理されている。あの面倒くさがりの陽平が一日でこれだけやったと言う事は、結愛に対する想いは相当に強いのだろう。


 愛する人となら結婚するだけましか……。


 頭の中に、藤木の言葉が甦る。本当にそう思うべきなのだろうか。


 食事が終わった後も、お風呂に入ると言えば着替えを持って来てくれたり、リビングでニュースを見ているとコーヒーを運んでくれたり、結愛は出来る限りの事を小まめにしてくれた。もちろん着替えを用意したのも、コーヒーを淹れたのも紗耶香がした事なのだが、何か少しでも役に立てるところを見せたかったのだろう。



「結愛ちゃんは本当に良い娘よ。あの娘がこれから毎日家に居てくれると思うと嬉しいわ」


 夜、布団に入ると紗耶香がそう呟いた。「だから、あなたも認めてあげて」と続けたかったのだろうが、それ以上は言ってこなかった。俺は「そうか」と一言だけ返す。結愛を認めたいのか、否定したいのか自分でも良く分からない。良い娘だと言う事に異論はないが、生身の体が無い人工頭脳なのも事実だ。


 それ以上は二人の間に会話は無く、そのまま眠りについた。



 その後も日々、俺を除く三人は打ち解けていった。俺も特に結愛を邪険に扱っているのではなく、何か見えない壁がありそこからは距離が近づかない感じだ。紗耶香と陽平は申し合わせているように、俺の態度に関して何も言わない。結愛は変わらず、自分の出来る範囲の事を一生懸命に頑張っている。後は俺が壁の向こう側に踏み出して行けば幸せな家族の出来上がりなのだろうが、その一歩を踏み出せずにいた。



 結愛が家に来て一か月程経ったある休日、俺は学生時代からの友人の高梨(たかなし)と買い物に出掛ける用事があって家を出た。最近高梨から勧められて始めた、釣りの道具を一緒に買いに行くのだ。俺は車を運転して高梨の家に向かう。


「すまん、どうしても一時間程家に居ないといけない用事が出来たんだ。悪いが家で一緒に待っていてくれないか」


 家に着いて呼び出すと、出て来た高梨からそう言われた。


「それは良いが、何だよ用事って。一時間で済むのか」

「孫の御守りをしないといけなくなったんだ。嫁さんが一時間で戻るから大丈夫だ」


 俺はリビングに通されて、ソファに座りお茶が出るのを待っていた。すると、ダイニングテーブルの椅子に体を隠すようにして、五歳くらいの男の子がこちらを伺っていた。


「そんなところで隠れてないで、こっちに来なよ。お菓子もあるぞ」


 俺は手招きして、高梨の出してくれた茶菓子で男の子を釣った。男の子は警戒しながらも、ゆっくりと近付いてくる。


「お、来たな。名前はなんて言うんだ?」

「駆(かける)」

「そうか、駆君か。お菓子食べるか?」

「うん」


 駆は俺の向いのソファに座って、渡したお菓子を食べ始めた。


「おお、お菓子に釣られちゃったか」


 高梨が持って来たお茶をテーブルに置き、駆の横に座った。こうして並んで座ると、当たり前の事なのかも知れないが、全体の雰囲気が似て血縁関係を感じさせる。


「やっぱり孫だけあって似ているな」

「そうだろ、目元なんか俺そっくりって言われるんだよ」


 高梨は嬉しそうに、駆を膝の上に乗せた。そう言われると、本当に目元が似ている。


「本当だな、目元がそっくりだ。孫でも似るんだな」

「当たり前だよ。それが血ってもんだ」


 二人が微笑ましく、俺は羨ましい気持ちになった。


「そういやあ、息子はどうなんだ? 結婚はまだなのか?」


 長い付き合いだから、普通は遠慮して聞きにくい事でも平気で聞いてくる。俺はどう答えるべきか迷った。


「まあ、中々な……」

「のんびりしてたら、あっと言う間に歳を取るぞ。お前のところは一人息子だから、親がどんどん尻を叩かないと」

「うん……」


 俺が曖昧な返事をしていると、どんどん高梨の言葉に勢いがついてくる。


「子はかすがいって言うけどな、あれは夫婦にだけ言えるものじゃないんだよ。孫は親子の間もつなげてくれるものなんだ」


 俺は心が痛んだ。


「それに自分の血を未来に残したい、子孫を残したいって言うのは生き物の本能だ。だからこそ、目の中に入れても痛くないと言われる程可愛いし、本当にこの子の為なら自分を捨てられるくらいに愛せるんだよ」


 俺は何も言えなかった。高梨の言う事は正しい。その通りだ。けど、それが正しいなら俺はどうすれば良いんだ? このままじゃ俺に孫は望めない。子孫を未来につなげる事は出来ないんだ。


「すまん調子に乗り過ぎたな……」


 黙っている俺に気付き、高梨が謝ってきた。


「いや、良いんだ、お前の言う事は正しいよ……」

「でも本当にそうだぞ。まだ間に合ううちに、親がちゃんとアドバイスしないと」


 そう言われて、俺の中で押さえつけていた物が弾けた気がした。


「悪いが、今日の買い物は中止にしてくれ。家に帰る」

「お、おい怒ったのか?」


 ソファから立ち上がった俺を、高梨は慌てて止めようとする。


「いや、本当に違うんだ。また今度絶対に行くから」


 俺は止める高梨を振り切り、家に向かい車を走らせた。


 家に帰って何をするかはっきりしていた訳じゃない。でもこのままじゃ駄目だと言う焦りを止められなかった。このまま流れに任せて認めていけば、将来絶対に後悔する。


 まだ間に合う、今やらねば。


 それだけを頭の中で繰り返していた。

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