第22話 息子の嫁と言う名の箱【2】
その夜、俺は寝室の布団で横になっても中々寝付けなかった。
「紗耶香、まだ起きているのか?」
横で寝ている紗耶香に声を掛けた。俺達は結婚以来ずっとダブルの布団で一緒に寝ている。
「う……うん……どうしたの? ……寝られないの?」
半分寝ていたような反応で紗耶香が応えた。
「お前は本当にあの娘を歓迎して喜んでいるのか?」
「ええ、本当に嬉しいわよ。表情が明るくて可愛い、あんな娘が欲しかったから本当に嬉しいわ」
暗いので表情は分からないが、紗耶香の声の調子から本当の気持ちのようだ。
「でも、体も無くて動けないんだぞ。子供も産めないし、家事だって何一つ出来ない」
俺の言葉が終わっても、紗耶香はすぐには応えなかった。
「もし、私達が陽平達の立場だったら、あなたは私を諦めて他の人と結婚しようと思った?」
「いや、それは俺も同じように、人工頭脳だとしてもお前と結婚したよ。でも、自分がする苦労と子供にさせる苦労とでは違うだろ? 親の立場なら見えている苦労をあえてさせたいとは思わないさ」
俺は躊躇なく答えた。たとえダブルスタンダードと言われても、親としてこれが正解と信じているから。
「父親と母親の違いなのかな。私は良い男になってくれたと喜んだんだけどね。陽平も大人なんだし、少し様子を見てあげれば? あんまり反対すると二人で出て行くかもしれないわよ」
そう言われると、それ以上は何も言えなかった。確かに同居は俺達夫婦の希望で、陽平はそれを素直に聞き入れてくれているだけだ。自分の許容以上の不都合があれば家を出て行くだろう。
「もう寝る」
結局俺の中で結論が出ないまま、眠りについた。
翌朝、俺が目を覚ますと紗耶香はもう布団には居なかった。朝食の準備をしているのだろう。いつもの事だから何も思わず、俺は布団を抜け出しダイニングに向かった。
「おはよう」
俺が挨拶をしながらダイニングに行くと、パジャマ姿の陽平と椅子の上に置かれた結愛がいた。
「おはよう」
「おはようございます、お父様」
俺はふと陽平の姿に違和感を覚えた。
「あれ、お前もう会社に行く時間じゃないのか?」
出勤の為に家を出る時間は陽平の方が早い。今日は月曜日なので、もう背広を着て家を出るぐらいの時間だ。
「ああ、結婚休暇の代わりに今週は有休を貰ったんだ」
「そうなのか。旅行にでも行くのか?」
「さすがにそれはしないけど、その代わりに日曜大工を頑張るんだ」
「日曜大工?」
陽平にDIYの趣味はないし、手先も器用ではない。何を作ると言うんだろう。
「陽平さん私の為にいろいろ作ってくれるそうなんですよ」
「そう言う事か。何を作るか知らんが家は壊すなよ」
「さあ、朝食の準備が出来たからみんなで食べましょう」
紗耶香がキッチンから出て来て、朝食が始まった。俺以外の三人は話をしながら楽しく食事している。結愛が時折気を遣って俺に話を振るが、新聞を読んでいる振りをして生返事を返した。意地を張らずに話に加われば良いのだが、どうしてもこのままなし崩しに結愛を認めるような事にしたくはなかったのだ。
結局俺はみんなとろくに話をせずに家を出た。
午前中、仕事をしていても時折結愛の事が頭に浮かび、俺は何度もため息を吐いた。
「どうしたんですか、部長? 今日は何度もため息を吐いていますね」
部下である課長の藤木が声を掛けて来た。
俺はワンフロアに三十人弱の社員が所属する営業部の部長だ。直属の部下である藤木は、俺が平社員の頃から後輩として可愛がってきた男で、部長課長の立場になった今でも一番気の許せる存在だ。
「もうこんな時間か。ちょっと昼飯に付き合ってくれよ」
「ええ、もちろん構いませんよ」
間もなく昼休みになるので、藤木相手に今の気持ちを吐き出そうと思った。
昼休みになり、「清流亭」と言う蕎麦屋に向かう。会社のあるオフィス街から少し離れていて、ランチとしては値段も高いがその分ゆったりとしたスペースがあり俺は気に入っている。店に入り四人掛けのテーブルに座り、いつもの鴨南蛮定食を注文する。
「実はな……」
俺は藤木に陽平と結愛の事を、自分の意見を交えず事実だけを話した。
「……と言う話なんだがどう思う?」
自分の意見を言わなかったのは、率直な第三者の意見を聞きたかったからだ。
「どう思うと言われても……」
藤木は俺の顔を伺っていた。どう返事をして良いか迷っているようだ。
「率直な意見を聞かせてくれよ」
「率直な意見ですか……」
藤木はそう言ったきり考え込んだ。
「うーん、そうですね、まず、息子さんは立派だと思いますよ……」
「立派ってお前、相手は生身の人間じゃなく、箱なんだぞ!」
「ちょ、そんな風に言われたら率直な意見なんて言えませんよ」
俺は掴み掛らんばかりの勢いで、向いに座る藤木に迫った。
「す、すまん、つい……」
「部長は結婚に反対なんですか?」
「まあな……息子はまだ二十七歳だ。その気になれば生きている人と結婚して子供も作る事が出来る。わざわざ人工頭脳の嫁を貰う意味などないんだ……」
俺は藤木に本音を打ち明けた。
「そうですよね……部長の気持ちも分かりますよ。俺も息子が箱を連れて来て嫁だと言われたら、すぐに賛成は出来ないと思います」
「そうだろ、お前もそう思うよな」
俺は藤木が同意してくれた事に安心した。
「でも、愛する人が箱になっても一緒にいようとする男と、死んだらそれっきりで他に移る男、どちらと友達になりたいかと言われれば前者ですね」
「そんなお前……」
「それに今は五人に二人は結婚しませんし、子供を産むのも少数派ですからね。箱であっても愛する人となら、結婚するだけ良かったと思わないと仕方ないんじゃないですかね」
「お前も息子と同じ事を言うんだな……」
「部長も本当は分かっているんじゃないですか? 息子さんの事を想い過ぎているから、冷静になれないんですよ」
客観的な立場になればそう思う物なのだろうか。藤木の話が間違っているとは思わなかったが、納得出来るかと言うとそうもいかなかった。俺は何をこだわっているのだろうか。箱である結愛が家に来たからと言って何か負担が増える訳じゃない。わずかな電気代くらいだろう。陽平がそれで幸せならば歓迎すべき事じゃないか。
俺は午後からの仕事中も結愛の事を考えて集中出来なかった。
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