第20話 憧れの人と言う名の箱【5】

「もう、おたくっぽく見えなくなってきたね。私からアドバイスする事も無いわ」


 次の土曜日、デートに出掛けようとしている咲坂に私は声を掛けた。特に何かが変わったと言う事もないのだが、髪も美容院でカットして貰っているし、濃い茶色のレザージャケットが大人っぽく見える。


「小森さんのお陰ですよ」


 確かに、上着は良い物を買えば長持ちするから逆にお得だとアドバイスはしたが、それを素直に聞き入れ、ボーナスをはたいて十万もするレザージャケットを買ってきたのは咲坂自身だ。結局アドバイスをしたとしても、本人が素直に聞き入れないと良くはならない。仕事の時もそうだったが、そう言う素直さが咲坂の良いところだ。


「そんな事は無い。あなたの努力の結果よ。ランニングや筋トレも頑張ったから、本命チョコを貰えるぐらいにカッコ良く成長したんだよ」


 私の言葉を励みに、咲坂はデートに出掛けた。箱としての私の存在は今日限りになるだろう。私はシャットダウンせずに咲坂を待つ事にした。残りわずかな時間を少しでも有効に使おうと。


 私は箱になって以来、話をした人は咲坂一人。一緒にテレビを見て笑い、会社の愚痴を言い合ったり……家にいる間、咲坂は常に私の傍で退屈しないように気を遣ってくれていた。同棲のような生活はしているけれど、恋人同士ではない。姉と弟か。それが一番しっくりくる。でも、もし私に体があったら、今日のデートは私と行っているのだろうか……。


 そんな意味のない事を考えても仕方ない。


 意味のないか……。


 私が箱として存在してきた意味。箱として私がしてきた事は、咲坂に対してあれこれと指示してきた以外にない。だが、その事で咲坂と生身の私が幸せになれるのなら、意味はあったと思う。不完全な人工頭脳の私が、生身の私の幸せに貢献出来た。それで満足と考えよう。



 午後九時、明日は日曜だし、今日は帰って来ないのかも知れない。むしろ、その方が上手く行っていると言う事だから良いのだ。


 そう思っていると、玄関のドアが開いた。


「ただいま」


 咲坂が帰って来た。上手く行ったのだろうか?


「自分一人なのに、ただいまって言うんだね」


 えっ! もう一人続いて入ってくる。しかもその声は……。


「小森さんに会わせたい人がいるんです」

「えっ? 誰? 家族の人?」


 会話しながら、二人は部屋に入ってくる。


 なぜ? どうして? 


 パニック状態で頭が上手く回らない。


「な、なに、これ?」


 慌てる私の前に、生身の私が驚いた表情で立ちすくむ。


「ど、どうして? どうして連れてきたのよ!」


 私は思わず叫んでしまった。


「これ、私よね? どうして、ここに私の箱があるの? ねえ、どうして……」


 生身の私の顔色が青ざめている。


「すみません!」


 咲坂が部屋の入口で、私達に向かい土下座した。


「俺は小森さんが好きだから、酔った隙にデーター収集して、箱にしてしまったんです」


 咲坂は泣きながら事情を説明する。生身の私は青ざめたまま小刻みに震えている。


「落ち着いて、ちゃんと説明するから、冷静になって」


 私がなんとか宥めようとするが、生身の私の耳には届いていないようだ。


「へ、変だと思ったんだよね……。急に咲坂が変わったんで……痒い所に手が届くみたいに私の好みに合っていてさ……そりゃそうだよね、私が教えていたんだから……」

「すみません! 好きだから、小森さんがどうしても好きだから……すみません!」

「気持ち悪いのよ! これならまだ二股されていた方がましだわ!」

「お願い聞いて! 咲坂は一生懸命私の事を想ってくれて……」

「あんたも、あんたよ! どうして、こんな奴の肩を持つの? 気持ち悪いでしょ、普通に!」


 生身の私の顔は怒りで真っ赤に変わっている。もう彼女の気持ちは収まりそうになかった。


「もう、二度と私に話し掛けないで。会社で会っても無視するから!」


 そう言い残して、生身の私は土下座する咲坂を軽蔑した目で見て部屋を出て行った。


 咲坂は土下座したまましばらく動かなかった。小さく嗚咽している。私もなんて声を掛ければ良いか分からず、そのまま時間が流れた。



「どうして、連れてきたの?」


 しばらくして、ようやく咲坂が顔を上げたので、私は理由を聞いた。なぜ自分で台無しにしてしまう事をやってしまったのか? その行動に対して怒りとも呆れともなんとも言い難い気持ちがあったのだ。


「このまま、箱の小森さんが消えてしまうのは悲しいと思ったんです……」

「悲しい?」

「俺は生身の小森さんも箱の小森さんも好きだから、生身の小森さんにあなたの事を知って貰えれば消えなくても済むんじゃないかって……俺はあなたを消したくないんです……」


 咲坂は肩を落として呟いた。


「馬鹿ねえ……本当に馬鹿だよ……私は本物じゃないんだから、いつまでも存在していちゃいけないんだ。消えても気にする事なかったんだよ……」

「でも、俺は箱の小森さんも好きだから……生身の小森さんと同じくらい箱の小森さんも好きなんです。だから、なんとかしたくて……」


 そう言う咲坂を見て私は決心した。なんとか、生身の私を説得しようと。



 次の日から、私は生身の私にメールを送り続けた。なにも返信は無かったが、着信拒否はされなかった。きっと生身の私も傷付き悩んでいるのだと思う。咲坂の為だけじゃなく、生身の私の為にもなんとかしなくては。


 咲坂は会社で完全に無視されているらしい。メールも着信拒否で、取り付く島もない状態だ。


「もう俺はこのままでも良いです。箱の小森さんが居てくれればそれで楽しいですから」


 箱の私の存在を知られて二週間が過ぎた頃、咲坂が諦めたように私に呟いた。


「馬鹿! なに言ってんの」


 私は本気で怒った。


「あんた、生身の私とデートしていて楽しく無かったの? 実際に顔を見てドキドキしなかった?」

「そ、それは……」

「私と居てもそんな幸せは望めないんだよ。箱の私に出来る事は生身の私にも出来る。でも生身の私に出来る事が箱の私には出来ないの。自分の幸せをそんなに簡単に諦める奴は、私は嫌いだよ」

「すみません、俺、頑張ります」


 そう、そう言う素直なところが、私は好きなんだ。頑張れ、咲坂。


(生身の私へ。

 あなたが、咲坂のした事や私の存在を許せない事は凄く理解できるよ。私もその立場だったら許せないと思う。でも、良く考えて。あなたは咲坂の良いところをよく知っているし、好きなんでしょ? その気持ちは間違いじゃないよ。

 私がいろいろ教えたから咲坂が変わったと思っているでしょうが、努力したのは彼自身なの。咲坂が頑張って変われたのは、あなたを好きだったからだよ。

 お願い、素直になって考えて、自分の幸せを捨てないで。  箱の私より。)


 私も諦めずにメールを送り続けた。



 週末、金曜日の夜。ピンポーンと呼び鈴が鳴った。


「あれ? 誰だろう」


 こんな時間に人が来るのは珍しい。咲坂は不思議そうにドアに向かった。


「こ、小森さん!」

「入らせてもらうよ」


 玄関先で声がする。生身の私が来たようだ。


 生身の私が無言で私の前に立つ。


「こ、小森さん……」

「咲坂、悪いけど、月曜の朝までどこかに行ってて」

「どこかって、どこにですか?」

「どこでも良いよ、男ならネカフェでもどこでも時間を潰せるでしょ」


 生身の私にそう言われて、咲坂は渋々、服を着替えて出て行った。


「どうして、ここに来たの?」


 私は生身の私の意図が分からず、そう訊ねた。


「私は、あなたの気持ちが知りたいの」

「私の気持ち?」


 生身の私は手に持ったボストンバッグを床に置き、私の前に座った。


「正直に言って、私は咲坂が好きよ。でも、怒っているし、納得出来ない気持ちがある。あなたは私と同じ考えの人間なのに咲坂を庇っている。その気持ちが分からない。あなたと話せば、その気持ちが分かるかと思って」


 生身の私は自分の気持ちを持て余しているように、憮然とした表情をしている。


「ありがとう、嬉しいよ。私はやっぱり私だわ」


 私は心からそう思った。


「当たり前じゃない、私なんだから」


 私達はお互いを見て笑った。


 その夜から丸二日間、私達は姉妹のようにずっと話続け、お互いを理解し合った。生身の私は箱の私が知らない過去の私の事を話してくれた。箱の私は生身の私が知らない咲坂の事を話して聞かせた。


 私は本当の私になれた気がした。人工頭脳としても不完全だった私が生身の私と同じ人間だと思えた。嬉しい話楽しい話に笑い、悲しい話に泣き、私は過去を手に入れた。


 咲坂の事は熱心に話した。彼がどれだけ私達の事を好きなのか、どんなに素直で一生懸命だったのか。生身の私は嬉しそうに聞いていた。想いが通じたようで嬉しく思う。



 日曜の夜になった。楽しかった時間はあっと言う間に過ぎてしまう。


「本当に消えてしまうの?」


 メンテナンス用のキーボードを前に生身の私は戸惑っている。データー消去の操作も終わり、後はボタン一つで私は消えてしまうのだ。


「うん、私はもうあなたと一つになれたから、これ以上望みはないわ」


 嘘だ。本当は怖い。この二日間で本当の自分になれたので、余計に怖い。なぜ私なのか。私が生身で彼女が箱、逆の立場でも良かった筈だ。でも、その気持ちを私は押し殺した。生身の私の気持ちを壊したくはない。咲坂と二人で幸せになって欲しい。目の前の私は私なんだから。


「せめて、咲坂に別れを言えばどう?」

「大丈夫、私の気持ちはあなたと同じ。あなたから話してくれれば、私はそれで良いのよ」


 私は笑顔でそう言ったが、生身の私は涙をこぼした。


「ありがとう、そして、さようなら」

「こちらこそ、ありがとう。幸せになってね」


 二人で末永くお幸せに。私の祈りは意識と共に、消えてしまった。

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