第19話 憧れの人と言う名の箱【4】

「小森さん、ただ今帰りました」


 目の前が明るくなり、咲坂の顔が目に映る。咲坂が帰って来て私を立ち上げてくれたのだ。


「……ああ、お帰り、その後はどうだった?」


 現在の時間は午後七時過ぎ。最後のメールが五時頃だったから、時間的に飲みにも、いかがわしい場所にも行っていないのだろう。


「彼女はその後に用事があるらしくて、少し話をした後に別れました」

「そうなの……」

「あ、でもメアドはゲットしましたよ」

「でかした! じゃあ、早速メールを送ろうよ」

「えっ? メールを送るんですか?」

「当たり前でしょ、その為にメアド聞いたんだから」


 咲坂の的外れな質問に驚いた。


「えっ、でも、なんて送ればいいんでしょうか?」

「もう、本当に頼りないね。『今日はありがとうございました、とても楽しかったです。また今度会って貰えますか?』って感じね」

「また会うんですか?」

「なに? そんなに嫌なの? もしかして可愛くなかった?」

「あ、いや、そんな事はないです。アリストの城に出てくるメルクス姫に良く似た可愛い娘でした」


 誰だよ、メルクス姫って……。


「じゃあ、良いじゃない。趣味も同じだし、話も合うでしょ。こんなチャンス二度とないよ」

「そうなんですが……」

「グズグズ言わないで、さっさと送る!」

「はい……」


 はいと返事をしたが、メールを打っていた咲坂の手が止まる。


「どうしたの?」


 私は不思議に思って、そう訊ねた。


「俺、やっぱりメールは打てません……」

「どうして? 可愛い娘だったんでしょ? 上手く行けば付き合えるかもしれないじゃない、ここは積極的に行くべきだよ!」

「なんで、そんな事を言うんですか? 付き合える訳ないでしょ。俺が好きなのはあなたなんだから!」


 咲坂は今にも泣きだしそうな顔で私に訴える。


「あなたが来てから毎日が楽しいんです……家に帰るのがこんなに楽しくなるなんて、思いもしなかった。一緒にテレビを観たり、話をしたり、そんな何気ない事でも本当に楽しかったんです」


 咲坂の言葉を聞き、私は彼の気持ちを軽く考えていた事に気付いた。酷い事をしてしまった。彼女に出来るなら誰でも良い訳じゃなく、咲坂にとって一緒に居たいのは私だったんだ。


「俺はあなたが好きだ。あなただけが傍に居てくれたら良いんです……」


 咲坂の悲しそうな顔を見ると私の胸もキュンと痛んだ。


「ありがとう、気持ちは嬉しいよ。でも、私じゃ駄目。あなたが一緒にいるべき人は箱の私じゃない、付き合いたいのなら生身の私にするべきよ」

「でも……」

「私も覚悟を決めたわ、全面的に協力する。私の理想の男性像や、好きな映画や音楽、何から何まで私好みになるようにあなたに私を教えてあげる」

「小森さん……」


 こうして、私の「咲坂モテ男化計画」は方向転換し、「咲坂、私にモテ男化計画」に変更する事になった。



 早速次の日から、咲坂に私の全てを教え始めた。好きなDVDやバンドのCDをレンタルさせ、食べ物や服の好みも教えた。どう言う男性がタイプか、どんな言葉やシチュエーションで胸がキュンとなるかなども。


 私はインドア派なので、そんなに趣味が多くはない。休みの日は部屋でDVDやCDを聞いている時が多い。それに合わせてくれる男性なら居心地が良いと思える。普段は自分の意見を押し通す強引な面があるが、逆に男女関係では引っ張ってくれる人が好きだ。咲坂が恋愛対象から外れていたのもそんな好みがあるからだ。


 咲坂は私の話を熱心に聞き、自分を変えようとしている。それが咲坂にとって良い事なのかは分からない。もっと自分の素のままを愛してくれる人と付き合う方が良いのかとも思う。でも、自分を好きで、一生懸命な咲坂を見ると素直に嬉しかった。



「その映画、正月休みに誘ってみなよ」


 私はネットで見つけた、正月映画のアクション大作を勧めた。


「あまりロマンチックな映画じゃないけど、大丈夫ですか?」

「こう言う作品を一緒に行ってくれる友達がいないのよ。誘えば必ずOKする筈よ」

「分かりました、誘います」


 私の思惑通り、正月休みの一日をデートに誘う事が出来た。食事も私好みの店をチョイスし、咲坂にエスコートさせた。自分主導でデートプランを立てる咲坂を、生身の私は見直した事だろう。


 その後も、毎週の週末にデートに誘わせた。土日はしっかり休みの取れる会社なので、どちらか一日ぐらいは私の予定も空いている。そこに興味のあるデートプランで誘われたら、断る理由もないのだ。



「小森さん、やりましたよ!」


 咲坂は帰ってくるなり、コートも脱がずに私を立ち上げ嬉しそうに報告してきた。


「本当に! 良かった! どんなチョコレート?」


 今日はバレンタインデー。会社に行く前からチョコを貰えるか、二人で話題にしていたのだ。


「これです!」


 咲坂が私の前に差し出したのは、黒い包装紙に金色のリボンを添えた、手の平より少し大きい長方形の箱だった。一目見れば義理ではないと分かるチョコレートだ。


「箱を開けて中を見せて」

「はい」


 咲坂が丁寧に包装紙を外し、中身を取りだす。なんと、手作りチョコだった。


 これはもう間違いない、私も咲坂に気持ちが傾いている。手作りチョコなんて高校生の時に、本当に好きで堪らなかった先輩以外は渡した事は無いからだ。


「咲坂、すぐにお礼の電話と次の土曜にデートの約束を入れて、絶対断らないと思うから」

「はい」


 咲坂は私の指示に従い、すぐに電話を入れた。私の思惑通り、デートが決まったようだ。


「次のデートはちゃんと告白して、それから……ホテルにも誘うのよ」

「ええっ! ホテルって、そんな……」


 咲坂は、私の大胆な発言に驚いてそう言った。


「このチョコレートは私からの告白ぐらいの意味があるものなの。でも、ちゃんと付き合い出す時は男の方から言って欲しい。後、ちょっとショックかも知れないけど……」


 ちょっと言いにくい事なので、咲坂の顔色を伺いながら話を続けた。


「そんなに豊富って訳じゃないけど、その……経験はあるの……」


 仕方ないのかも知れないが、私の話を聞き咲坂の顔色が変わった。


「そ、そりゃあ、そうでしょうね……」


 無理に笑顔を作る咲坂を見ていると心が痛い。


「だから、いつまでも誘われないと、逆に不安なの。自分に魅力が無いのかと思って。このチョコレートはOKのサインだと考えて」

「分かりました、誘ってみます」


 覚悟を決めた咲坂の顔を見て、私も覚悟を決めた。


「それから、もし上手くいったら……箱の私を消去して」

「えっ、でも……」

「もう、その先は自分の気持ちに正直に行動すれば良いから……私は必要なくなるわ」

「箱の小森さんも、俺に取って大切な人なんです。消去するなんて……」


 咲坂がすがるような眼で私を見る。


「……ありがとう、でもそうする事が私達の為なのよ」


 咲坂は悲しそうな顔をして、小さな声で「分かりました」と呟いた。

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