第18話 憧れの人と言う名の箱【3】

「朝食と洗濯が終わりました」


 一通り終わって、咲坂が私に報告にきた。ただ今の時間は七時五十分。


「ご苦労様。いつも何時に家を出るの?」

「えっと……八時過ぎですね……」

「じゃあ、問題ないね。これを毎日続けよう!」

「が、頑張ります……」


 咲坂は頑張ると言う言葉とは裏腹に、げんなりとした顔をしている。


 咲坂はシャワーを浴びた後、スウェットから私服に着替えていた。良く分からない大きなプリントの付いたTシャツの上に茶系チェックの長袖シャツを羽織り、ロールアップしたジーンズに白い靴下、教科書にでも載っているのかと思うぐらいの典型的なおたくファッションだ。


 でもなあ、これが絶対に駄目って訳じゃないのよね。前に有名なスポーツ選手がおたくファッションを着ている記事を見て、それがカッコ良かったのよ。結局着る人次第なんだろうなって……。


「あ、あの……僕なにか変ですか?」

「えっ?」

「いや、だって、黙ったまま、カメラレンズが上下して僕の姿を見ているようで……」


 僕の姿ねえ……。


「咲坂さあ、なんで、一人称が僕なの? 俺って言った事がないよね」

「えっ……いや、僕なんかが俺だなんて偉そうで……」

「僕なんかじゃない! 僕なんか、私なんか、俺なんか、なんかは禁止。謙虚なのと卑屈なのは違うんだよ。もっと堂々と自信を持って!」

「いや、でも……」

「一度、『俺は凄い』って言ってみてよ」

「は、はい……お、俺はす、凄い……」

「全然凄くないな……」


 どうすれば良いんだろうね……。


「誰か渋い男性のアニメのキャラは居ないの? そのキャラの印象深い台詞を感情込めて言ってみてよ」


 咲坂はしばらく考えて、口を開いた。


「お、男なら……」

「ダメダメダメ! もっと成り切らなきゃ。はい、もう一度」


 咲坂は目をつぶりイメージを浮かべる。


 再び目を開いた時には、顔つきが変わっていた。


「男なら、死ぬと分かっていても、立ち向かわなければならない時がある」

「そう、イイよ、それ! カッコイイ!」


 私は咲坂を大袈裟に持ち上げた。


「ありがとうございます」

「今日からそのイメージで、一人称は『俺』でね」

「はい、俺、頑張ります」


 こうして、私の「咲坂モテ男化計画」が始まった。



 私が箱になって一か月が過ぎた。意外と箱の体はストレス無く、この生活に馴染んできた。ストレスの元となるような神経回路は元々外されているし、ネットに繋がっているので、退屈しのぎも出来る。だが、生身の体と同じ事は出来ないので、どうしようもない寂しさは感じてしまう。ネット経由で外部に助けを求める事は出来るが、咲坂を裏切るようで、それはしたくない。


 あれから咲坂は私の指示を守り変わってきている。仕事から帰ってくれば筋トレもしているので、日に日に逞しくなっていた。


「小森さん、ただいま!」

「お帰り、今日は早かったね」


 咲坂は帰ってくると、真っ先に私に挨拶しに来る。


「俺、最近残業しないで良いように、休憩時間を減らして頑張っているんですよ。小森さんと話をするのが楽しくて」


 咲坂は本当に楽しんでいるようで、いつも笑顔だ。


「そうか、偉いね。最近本当に見違えるように変わってきてるよ」

「あっ」


 咲坂は笑顔のままで、少し驚いたような声を出す。


「どうしたの?」

「今日、会社で小森さんから同じ事を言われました。やっぱり、同じ人なんですね」

「へえー、そうなんだ、良かったじゃない! 生身の私に褒められるなんて、日々の努力が報われたね」

「はい、ありがとうございます。でも、俺は今、目の前の小森さんに言われた方が嬉しかったです」


 笑顔のままで咲坂が言う。急にそんな事を言われて、私の心臓はドキリと高鳴った。咲坂がこんな台詞を言うなんて思いもしなかったからだ。


「上手い事言うじゃない。じゃあ、もっと私が褒めたくなるように、次のミッションをこなしてもらおうかな」

「次のミッションですか?」

「そう、次の休みの日にナンパしてきてもらおうかな。最低一人からメアドをゲットする事。それがクリア条件よ」

「ええっ! ナンパですか? そ、そんな……知らない女の子と話をしないといけないじゃないですか……」


 急に弱気な咲坂の表情に戻り、情けない声を出す。


「当たり前でしょ、それがナンパなんだから。ナンパ出来るぐらいの男になって欲しいな……そうしたら、もっと褒めてあげられるのに……」

「やります! 俺、頑張ってナンパします!」


 こうして、「咲坂モテ男化計画」は第二段階を迎えた。



 次の日曜日の午前十時、咲坂は緊張した面持ちでアパートを出て行った。服装は、家にあった物から、私が一番無難な組み合わせをコーディネイトし、それを着て行った。靴は以前私が買うように勧めた、白いケースイスのクラシックを履いて行ったようだ。まあ、しょせん私のセンスなので、お洒落かどうかはあれだが、おたくには見えないと思う。


 咲坂が出て行ってから三時間、箱になってから取得したメールアドレスに中間報告が入る。キョドってまともに話し掛けられないようで、すでに泣きが入っている。当然、そんな事は許されず、叱咤激励する。


 さらに二時間後、なんとか何人かに声を掛けたが無視されたようだ。


 さらに一時間後。


(成功しました! 今、喫茶店のトイレですが、彼女と何を話せば良いんでしょうか?)


 うわあ、成功しよった! 散々煽っていたけど、一日目で成功するとは思わなかった。何を話すかって、アニメ以外に何か話せるのかよ。


(とにかく、自分の事は置いといて、いろいろ質問して相手の趣味など探ったらどう。決して否定的な事は言わずに、共感するように聞いていれば良いよ)


 と返信した。


 その場にいないので、どうなっているのか分からず、幼いわが子を初めてのお使いに出した親の気分だ。待っている間にする事がないのでネットを開いているが、集中出来ない。馬鹿やっていなければ良いが。


 と思っていると、メールが入る。


(彼女もアニメおたくでした。話題には困りませんが、この先どうしたら良いんでしょうか?)


 彼女もアニメおたく? そんな偶然もあるんだ。しかし情けないなあ。なんでも聞くんじゃなくて、自分で考えられないのかな。


(時間も時間だから、飲みに行くように提案したら? あと、もうメールはしてくんな! 自分で考えて行動する事! それから、メアドは必ずゲットね、約束だよ)


 と、返信した。


 さあ、後は帰ってくるのを待つだけか。お互いにアニメおたくなら、上手く行くかも。案外、今日は帰ってこなかったりして……。それはないか。


 でも、進歩したよね、咲坂も。毎日ランニングと筋トレ頑張って、卑屈な態度も改めて、コミュ症なのにナンパまでして。これで彼女が出来たら、私もお役御免だ。


 私が消えちゃうのか……。そう考えると少し怖い。でも、このまま箱で居たいのかと言うと、それは絶対に嫌だ。簡易のテーター収集だった所為か、私の記憶は三年前くらいの分しかない。人間としてはもちろん、人工頭脳としても不完全な存在なのだ。そんな私がいつまでも存在していても意味は無い。


 ……少し疲れた。シャットダウンしよう。咲坂が帰ってくれば起こしてくれるだろう……。

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