第17話 憧れの人と言う名の箱【2】
「すみません!」
咲坂がいきなり土下座を始めた。
「どういう事? 私は死んで、人工頭脳の箱になったの?」
「いや、違います。小森さんは生きています。小森さんが酔い潰れた時に、僕が簡易のデーター収集装置を使って人格を保存したんです。生身の小森さんはマンションまで送って行きました」
「なっ……どう言う事? 私は別に生きていて、向こうが本物で私は人工頭脳のコピーなの?」
「すみません! 僕は小森さんの事が好きで、どうしても親しくなりたかったんです!」
咲坂はもう一度頭を下げた。
「なぜそれで箱になっちゃう訳? どうせなら、酔い潰れた時に襲われてた方がましだったわよ!」
「そんな大胆な事、僕には出来ません」
「勝手に人工頭脳にしちゃう方がよっぽど大胆でしょ!」
はあ、なんて事になっちゃったんだ。
「咲坂が私の事を好きだなんて気付かなかったよ……油断し過ぎたなあ……」
「小森さんは僕の憧れの人なんです。だって、マルティコワ将軍にそっくりなんですよ」
急に咲坂が顔を上げて目を輝かせる。
「マルティコワって誰?」
「ええっ! ダブロス戦記のマルティコワ将軍をしらないんですか?」
「ええっ! そんなの道行く人百人に聞いたら九十八人は知らないよ!」
「そんな……」
下を向いて泣きそうな顔をする咲坂。泣きたいのはこっちの方だよ、全く。
「大体さ、私の事が好きならどうして正面からアタックしない訳? こんな騙し討ちみたいな事すれば嫌われるのは分かるでしょ?」
「でも、こうするしか無かったんです……僕みたいなおたくは小森さんに好かれる訳は無いから……」
ああ、もう、ウジウジした態度に腹が立つ。
「やりもしないのに最初から諦めるな! 諦めなければ可能性はゼロじゃない、どんなに可能性が低くてもゼロじゃない限り挑み続けるのが男ってもんでしょ」
「やっぱり知ってるんじゃないですか! それ、マルティコワ将軍の台詞ですよ!」
「だから知らないっつーの!」
状況は理解できたけど、どうすれば良いのか。
「生身の私はまだ知らないんでしょ? 今ならデーターを消去すれば何も無かった事に出来るよ」
私は出来るだけ優しい声で諭した。
「すみません……それだけは出来ません……」
「出来ませんじゃないの! 消しなさい!」
次はいつもの調子で強い口調で言った。
「本当にすみません……小森さんの命令でもこれだけは……」
咲坂はとうとう泣き出してしまった。
「お願いします……なんでもしますから、僕とここで暮らしてください……」
困ったなあ……どうやら私を解放してはくれないらしい。咲坂が私を消去したくなるくらい罵倒して嫌われようか。でも、泣いている咲坂を見るとそんな気にもなれないしなあ……。
そうだ!
「だいたいさあ咲坂、あんた、なんでもするからここで暮らしてくれって言うけど、この部屋なんなの? こんな汚い部屋で私に暮らせって言うの? 箱だからって舐めてるよね、私の事。もし生身の体だったらそのままこの部屋に上げてる? 違うよね?」
私は咲坂に言葉を言う暇も与えず、まくし立てた。
「す、すみません! 早く小森さんと話がしたくてつい……」
「それが舐めてるって言うの。自分の事しか考えてないでしょ? 私がどう言う気持ちになるかとか、全然考えてない。それで一緒に暮らしてくれなんて良く言えたわね」
「す、すみません!」
咲坂はカーペットに頭がめり込むくらいに土下座する。
「謝ったって何も変わらないよ。どうすれば良いの?」
「は、はい、すぐに部屋を片付けます!」
咲坂は慌てて部屋を片付けだした。
私は決めたのだ。このまま言い争っても咲坂は私を消去してくれはしない。だったら、咲坂をモテ男にして現実の彼女を作らせれば良いのだ。まずは見た目や清潔感から改善して行って、次は性格。背が低いのは欠点だけど、身なりを整えて自信を持った態度が出来れば、彼女ぐらい作れるだろう。現実の彼女が出来れば私の存在は邪魔になる筈。
咲坂が部屋の片付けをしている間に、私は今の時間を確認する事にした。人工頭脳の記事を過去に読んだ事があり、ネットや時間の確認などは、思考で要求すれば良いと知っていた。
時間を知りたいと思ったら、すぐに日時が頭に浮かんできた。十月二十日土曜、十八時二十三分。二人で飲んだ日は昨日だ。早く箱になった私と話がしたかったと言うのは本当なのだろう。それだけ期待してくれたのに悪いけど、私はこれっぽっちも嬉しくないよ。
片付け初めて一時間、ようやく本や小物、ゴミの整理も終わり、布団も押し入れに収納してカーペットの床が見えてきた。掃除機を掛け終わり見違えるようになった。
「片付け終わりました!」
咲坂が得意げに報告してくる。
「うむ、ご苦労。じゃあ、私を台所まで運んで頂戴」
「えっ?」
「えっ? じゃないよ。あんたこの部屋だけ片付ければ済むと思ってるの?」
「あ、いや、すぐ片付けてきます!」
咲坂は慌てて部屋を飛び出した。
「台所、玄関、お風呂、全部するのよ!」
「は、はい!」
私は隣の台所に向かった咲坂に声を掛けた。咲坂のアパートは1DKと聞いた事がある。この部屋の状態からして全て終わるまでには、かなりの時間が掛かるだろう。
私の予想通り、全て終わったと報告があった時には深夜になっていた。こうして、私が人工頭脳の箱になった一日目は終了した。
次の日の朝。
「起きろー! 咲坂、起きろー!」
私はタイマー通り、六時ジャストに目を覚まし、目の前で寝ている咲坂を大きな声で起こした。人工頭脳も便利な物ね。寝起きの倦怠感などまるでなく、意識が目覚めた瞬間から、全開モードで頭が回る。
「あ、おはようございます……」
咲坂が眠たそうに体を起こす。
「おはよう! なに、その寝惚け眼、シャキッとしなさいよ」
「……あの、今日は日曜日で僕は休みなんですが……」
「分かってるわよ。今日からあなたは、六時に起きて三十分間ランニングするのよ」
「ええっ! ランニング」
「そう、ランニングが終われば、洗濯機を回して朝食を食べる。毎朝出勤前にするのよ」
「い、いや、僕は朝食食べない派なんですが……」
「グズグズ言わない! 文句があるなら、私は二度と喋らないわよ」
「あああ、す、すみません、すぐ行ってきます……」
私に脅されて、咲坂は泣きそうな顔をして、寝巻にしているスウェットのままで出て行った。
ランニングで体力を付けさせれば自信にもつながるだろう。もし苦しくて私と一緒に居たくなくなれば、それはそれで好都合だし。
そう言えばランニングアプリとかあったよね。あれを入れて走らせればズル出来ないな。明日からはそうさせよう。
部屋を出て行って三十分後、咲坂は汗びっしょりで帰ってきた。もう暑い時期でもないのにこれだけ汗をかくなんて本気で走ってきた証拠だ。アプリ入れろだのなんだの思っていた自分が恥ずかしくなった。そう言えば咲坂はズルするような卑怯な人間では無かった。根は素直な男なのだ。
咲坂の教育期間中に、私の日程管理ミスで翌日の朝までに資料を作らないといけない事があった。私は自分のミスなので咲坂に帰るように指示したのだけど、彼は帰らず最後まで手伝ってくれた。眠かっただろうに、一言も文句を言わずに黙々と手伝ってくれた。そう言う男なのだ。
「そのままじゃ、風邪ひくよ。シャワー浴びて来なさいよ」
「あ、はい」
結局私はランニングアプリを入れろとは言わなかった。そんな物がなくても咲坂は頑張るだろうから。
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