第16話 憧れの人と言う名の箱【1】

「カンパーイ!」


 私は今、駅前の居酒屋で会社の後輩、咲坂羽矢(さきさかはや)と二人で祝杯を上げている。咲坂は三つ年下で、彼がうちの課に配属されてきた時に、私が教育係として指導した間柄だ。今日は咲坂の担当した商談が初めて成立したお祝いに、私が奢ると誘ったのだ。


 二十七歳と言う年齢の女が男とサシ飲みなんて色っぽい話を想像されるかも知れないが、残念ながら咲坂が相手では可能性はゼロだ。彼は典型的な草食系男子で女性とまともに話す事さえ出来ない。指導で一緒に仕事をしていた時に何度も飲みに行った事があるが、全然そんな雰囲気になった事が無い。一度私の方から彼女の話とかを振った事があるが、顔を赤くしてキョドる始末だ。それ以来、私からはそう言った男女関係の話はしなくなったし、もちろん彼からも話題に上がる事は無かった。


 咲坂は身長百六十三センチの私と同じくらいで体格も華奢だからか、普段の態度が余計にオドオドしているように見える。顔は不細工ではないけどイケメンと言う程でもないし、自分に自信がないのだろうか。なんでそんな男と一緒に飲んでいるんだって不思議に思うかも知れないけど、性格は素直で良い子なのよ。私が会社の愚痴を言っても、うんうんと相槌を打ちながら聞いてくれるし。男としては見られないけど、居心地は良いの。だから今日も、私が飲んで食って喋りまくるのを咲坂が聞くだけで、男女を感じさせる雰囲気にはなる筈がないのだ。


「しかし、今回の契約は良く取れたわね。みんな難しいって言ってたんだよ」

「ありがとうございます」


 褒められるのに慣れていないのか、咲坂は頬を赤くして俯いた。そのしぐさがまたうぶで面白く、私はからかい半分に良く褒める。


「……あ、あの……」


 咲坂が遠慮がちに話し出す。彼から話し出す時はいつもこんな感じだ。


「なに?」

「小森さんのお陰ですから。今回の仕事が上手く行ったのは」

「私のお陰?」

「そうです……小森さんに褒めて貰えると、その……頑張ろうって思えるんです」


 今日の咲坂はいつもに増して饒舌だ。


「いやいやいや、私のお陰なんかじゃない、咲坂の実力だよ。もっと自分に自信をもちなよ」

「いや、小森さんのお陰です。僕は小森さんを尊敬していますから」


 そう言って咲坂は、また頬を赤くして下を向く。


 本当に可愛い後輩なんだよね。私の趣味じゃないけど、年下好きのお姉さまなら食われちゃうよ。


 その後も私が一方的に喋りまくる向かいで、咲坂はニコニコして相槌を打ってくれた。考えを否定する事無く聞いてくれる咲坂に、私は気を良くして調子に乗ってしまう。送りオオカミされる心配はなく油断していたのもあって、私は意識を無くすぐらい酔い潰れてしまった。



「小森さん、小森さん、聞こえますか?」


 私は自分の名前を呼ぶ声で意識を取り戻した。ああ、私は飲み過ぎて寝てしまったのか。今まで二人で飲んだ時にもこんな事は無かったのだが、今日は咲坂に迷惑を掛けてしまった。ここはどこだろう。


 急に目の前が明るくなる。白っぽい蛍光灯の光を感じ、心配そうな顔の咲坂が目の前に現れた。


「小森さん、聞こえますか?」


 もう一度咲坂が私の名を呼ぶ。顔の端に見える様子からすると屋外ではなさそうだ。どこかの部屋の中……まさかホテル? いやいやいや、咲坂にそんな勇気がある訳ない。じゃあどこだろう? 私の部屋? いや、そんな感じはしない。とすると、咲坂の部屋なのか? 自分の部屋に連れ込む度胸が咲坂にあったのだろうか?


「ここはどこ?」

「あ、気が付いたんですね。良かった」


 咲坂が笑顔になる。


「ごめん、私寝てしまったみたいね。ここはどこなの?」

「あ、ここは僕のアパートです……」

「咲坂のアパート……」


 思っていた通りだったが、意外だった。


「あ、いや、変な事しようと思って連れてきた訳じゃないんです」


 咲坂が慌てて弁解する。そりゃあそう言うよね。でもまあ、こちらにも酔い潰れた落ち度があるんだし偉そうには怒れない。


 そう思い、何かされていないか体を調べようとして違和感に気付く。あれ? 私の体はどうなっちゃってるの? 手を動かそうとしても手の感触が無い。体を起こそうとしても体の感覚が無い。


「ちょっと、私の体はどうなっちゃってるの? 鏡、鏡を持って来て!」

「は、はい」


 私がヒステリックに叫んだ所為で、咲坂は慌てて鏡を取りに行く。咲坂が目の前からいなくなった事で部屋の様子が良く見えるようになった。部屋は六畳程で、床には万年床らしき布団と座卓の上にはコンビニ弁当の空き容器と食べかけのお菓子袋、アニメ雑誌やコミックがそこら中に散らばっている。壁際にぎっしり漫画の詰まったカラーボックスが二段重ねで計八個並んでいて、その上には何か良く分からないキャラのフィギュアが並べてある。カラーボックスの横には、布団で寝ながら見える位置に大き目のテレビが置いてあり、隅にはパソコンラックにデスクトップパソコンが設置されている。ようするに、アニメおたくのテンプレのような室内だった。


 部屋を見ながらふと気付く。私の視線は部屋の隅から見ているのだ。ベランダ側で、パソコンラックの反対側の隅に私は居るらしい。視線の位置からすると立っているより少し低い感じだが、下を向くことが出来ず足元を確認する事が出来ない。


「お待たせしました」


 咲坂が長細い壁掛けタイプの小さな鏡を持って部屋に入ってくる。私は鏡で自分の姿を見るのが怖くなった。何かとんでも無い事になっていそうな気がするからだ。


 そんな私の気持ちに構いもせず、咲坂が少し離れた位置で鏡をこちらに向けた。


「な、何これ……」


 鏡には、背の低い箪笥の上に乗せられた、中央にカメラレンズとその下に小型のディスプレイの付いた金属製の箱が映っていた。小さくて良く見えないが、ディスプレイには女性の上半身姿が映っている。


「ちょ、ちょっとこれ、なに映しているの? 私の姿を映してよ!」


 動揺してそう叫んだ瞬間、鏡の中の変化に気付く。ディスプレイの女性が叫んでいるように見えたのだ。


「か、鏡をもっと近付けて……」


 咲坂が無言で鏡を近付ける。


「ええっ!」


 ディスプレイに映る女性は私だった。そう言えば聞いた事がある。箱型人工頭脳は、写真を入力すれば箱の人格の気持ちに従って表情をディスプレイ上に再現できると。と言う事は今目の前に映っているのは箱になった私……。

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