第13話 父と言う名の箱【5】
笠原が挨拶に来てから、ひと月が経った。子供達とは全く会話が無く時間だけが過ぎてしまった。俺は、自分が箱として存在する意味は無い、データーを消去して家族の前から消えるべきかと考えたり、いやいや、子供たちが自分の過ちに気付き謝ってくるまではちゃんと残っているのが父としての役目だと考えたり、悩む事が多くなった。
「あなた、ちょっと良いですか」
平日の午後、芳江が改まった様子で話し掛けて来た。
「どうしたんだ」
「実は、笠原さんから子供達には内緒でお父さんと二人でお話がしたいと連絡があったの」
「笠原が?」
笠原と愛理の結婚話は、相手側の親兄弟以外の親族には俺が死んだと説明して、順調に進んでいると芳江から聞いている。俺は変わらず反対だったが、止める手立ても無く、不満を感じていた。
「今更俺に会って、何がしたいんだ? 俺を無視して順調に進んでいるんだろ。これからも無視し続ければいいじゃねえか」
俺はわざと嫌味っぽく言った。
「笠原さんは箱のあなたを父親と認めているんですよ。だから会って話がしたいと思っているんじゃないですか」
確かに芳江の言う通りだ。ただの箱だと思っているなら無視するだろう。そう言う意味では愛理や文也より俺を人間だと思ってくれているのかも知れん。
「分かった、会うよ。会ってやるよ」
こうして、俺はまた笠原と会う事となった。
会うと返事をして三日後の午後一時、笠原が家にやって来た。笠原の希望通り、芳江も席を外して二人っきりの話合いだ。
「また会って頂きありがとうございます」
笠原は俺の前に来て正座し、頭を下げた。
「平日の昼間に仕事は大丈夫なのか?」
「はい、今日は転勤の準備があると言って有給を貰いました」
そう言って笠原は笑った。幼い子供みたいな人を和ませる笑顔だ。
「改めてお願いします。愛理さんとの結婚を認めてください」
笠原は前と同じように頭を深く下げた。
「それは分かったからもう良いよ」
俺がそう言うと、笠原は顔を上げた。
「この前の時に、俺は認めないと言った筈だぞ」
「それは分かっています。でも今日は許して貰えるまでは帰りません」
「頑固な奴だな」
俺にそう言われて、なぜか笠原は嬉しそうに笑った。
「何が可笑しいんだ。俺はけなしているんだぞ」
俺は馬鹿にされているようで、不愉快だった。
「すみません。実は交際を始めてから愛理さんに言われたんです。私がお父さんに似ていると。頑固だけど、大切な人を守る為には自分の事も考えずに必死で行動するって言っていました。お父さんから頑固と言われて、やはり似ているのかなと思って」
「愛理がそんな事を言っていたのか? まさか……あいつは俺の事を嫌っている。そんな風に思っている訳はねえよ」
俺は笠原の言う事が信じられずに否定した。
「愛理さんはお父さんの事を嫌っていませんよ。きっと尊敬しています。だからこそお父さんに認めて貰いたいんです。愛理さんの為にも」
愛理が俺を尊敬しているかどうかは別にして、笠原が愛理を真剣に愛しているのは伝わって来る。
「俺が結婚を認めるとして、海外赴任はどうするんだ? 愛理の負担を考えているのか?」
俺にそう聞かれて、笠原の顔に緊張が浮かぶ。
「都合良く聞こえるかも知れませんが、私は愛理さんなら慣れない海外に行っても苦労を乗り越えられると信じています」
「信じているだと……」
都合良く聞こえるかも知れませんがと前置きされたが、その通りにしか聞こえない。結婚したいが為に信じていると言う言葉で不都合を誤魔化しているのだ。
「私と愛理さんは仕事で知り合いました。私の会社と愛理さんの会社は取引が有ったのですが、ある商談で愛理さんの会社側のミスで、多大な損害が出そうな事態が発生しました。私の会社から見れば数ある取引の一つでしたが、愛理さんの会社からみれば大きな痛手となる事案でした」
笠原は俺のカメラを真っすぐに見つめて真剣な表情で話し続ける。
「彼女の所為では無かったのですが、愛理さんは言い訳一つせず、寝る間も惜しんで事態の収拾に駆け回りました。私はその姿に心を打たれて、一緒になってフォローし、事態が収拾した時には愛理さんを人間として尊敬していました。だから彼女と二人ならどんな苦労も乗り超えて行けると思うんです」
笠原の言葉には説得力があった。こいつなら本当に、どんな苦労でも乗り越えて行けそうな、そんな気にさせる男だ。
「分かった、認めるよ」
「ありがとうございます!」
笠原の顔がパッと明るくなる。
「愛理を泣かせたら許さんぞ」
「任せてください。絶対に幸せにします」
心配が無い訳じゃないが、いつかは嫁にやらないといけない。ならこの男が最善だろう。
「それはそうと、なぜ、俺の許可に拘るんだ。もう結婚の話は進んでいるんだろ。なら無視してそのまま行けば良いじゃねえか。それにお前、生前の俺にも会って認めて貰ったんだろ」
「ご存じだったんですね」
「生きている俺に許可を貰ったのに、どうして箱になった俺の許可に拘るんだ?」
笠原は少し困ったように、口を開かなかった。
「どうした? 遠慮なく言えよ」
俺に促され、笠原は覚悟を決めたように話し出した。
「私が会った時のお父さんは、かなり体力が落ちている状態でした。会うなり私の手を取り、涙を流しながら、『娘をよろしく頼む』と……」
笠原の言葉がにわかには信じられなかった。病気と言うのはそれ程人の気持ちを変えさせるものなのだろうか。
「で、お前はどう返事をしたんだ?」
「もちろん、任せてください、必ず幸せにしますと応えました」
笠原の言葉は何か含みがあるように感じた。
「でも、気に入らなかったんだな」
「えっ? ……まあ……」
「言ってみろよ、なぜ気に入らなかったか」
笠原はためらったように、少し間を置いた後に話し出した。
「正直、私じゃなくてもお父さんは同じように交際を認めたと思います。もちろん愛理さんが選んだ男だから信用するとは仰っていましたが……」
俺は芳江の実家に挨拶に行った時の事を思い出していた。柄にもなく緊張して前の日は良く眠れなかったもんだ。実際会ってみると、にこやかな気のいい親父さんだったので安心したよ。色々聞かれはしたが、気に入ってくれたみたいで嬉しかったんだ。確かに誰でも良いなんて対応されると、なんだかなってなるよな。
「悪かったな。多分病気が進行していて、気持ちが弱っていたんだと思う」
「あっ、いや、悪いなんてとんでもない。酷い病状の時に行ったのが悪いんですから。でも……」
笠原は慌てて手を振り、俺の謝罪を否定した。
「ちゃんと私自身を愛理さんの相手として認めて貰いたかった。愛理さんを大切に育ててきたお父さんからバトンを受け取りたかったんです」
こいつと酒を飲んでみたいと思った。娘の夫、義理の息子と飲む酒はどんな味がしたのだろうか。それが叶わないと言う事実で、改めて俺は自分が箱になった事を痛感した。
「笠原君、君に頼みがあるんだ」
「はい、何でしょうか?」
「子供達には内緒にして欲しいんだが……」
俺はある事を笠原に頼んだ。
あれから約二か月が経ち、笠原と愛理の結婚式の日を迎えた。二人は結婚式を終えると、明日には転勤先のオーストラリアに向かうと聞いている。そのまま現地に滞在し、当分日本へは帰らない。
当日の朝、家を出る前に愛理が俺の前に現れた。正座して俺の前に座り、真っすぐに見つめてくる。まともに顔を見るのは三か月ぶりだ。
「お父さん、今まで育ててくれてありがとうございました。今日、私は笠原さんと結婚して、この家を出ます」
愛理は悲しそうな表情になり、言葉が止まる。
「……お父さんの許しを得ずに勝手な事をしてすみません。……でも、お父さんから受けた愛情は一生忘れません。ありがとうございました」
涙をこぼしながら、愛理は頭を下げた。
俺が笠原との結婚を認めた事は、芳江以外には内緒にしていた。あれだけ許さんと言っておきながら、心変わりした事が照れ臭かったのだ。
「俺の事は気にせず、幸せになれよ」
俺は短くそう言った。結婚を許した事は、オーストラリアに行ってから、笠原から話して貰うようにした。後から誤解が解ければそれで良いと思ったからだ。
愛理は顔を上げて「はい」と返事をした後、芳江や文也と共に結婚式場に出発した。マンションに俺一人となって十分位経過した時、玄関のドアが開き、男が二人入って来た。スーツ姿の若い男達が段ボールの箱を手に、まっすぐにリビングまで来て俺の前に立つ。
「巽(たつみ)さんですね? 私は笠原さんの後輩で吉本と言います。笠原さんの指示でお伺いしました。今から式場にお運びします」
「おう、ご苦労さん。精密機械だから丁寧に扱ってくれよ」
「はい、気を付けます」
俺は笠原に結婚式を見られるように頼んでいた。死んだと説明している俺が、父として出席すれば混乱するだろうし、今更愛理に出席させてくれと頼むのも癪に障る。陰から見ているだけで良いとお願いしていたのだ。
芳江から合鍵を受け取っていた男達は、今から俺を段ボールに梱包して会場のホテルまで運んでくれるだろう。
「それでは一旦シャットダウンしますから」
「おう、頼む」
吉本がキーボードを操作すると、瞬間的に意識がなくなった。
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