第12話 父と言う名の箱【4】

 約束の日曜日が来た。


 芳江は朝から料理など、男を迎える用意で忙しそうだった。


「うわあ、お昼からご馳走だね」


 芳江に呼ばれ、普段より小奇麗な服装の文也が台所に来て嬉しそうに声を上げた。


 相手の男は午後一時に来る約束となっている。昼食を家で食べるようだ。箱になった時点で食欲を切り捨てた俺には関係のない話だが。


「ただいま」


 駅まで男を迎えに行っていた愛理が帰ってきたようだ。


「お帰りなさい」


 芳江が玄関に出迎えに行く。


「こんにちは!」


 野太い男の声が聞こえた。声の印象から大柄の男のようだ。


「こんにちは、遠慮なさらず奥へどうぞ」

「ありがとうございます。これ、宜しかったら皆さんで召し上がってください」

「ああ、お気を遣っていただいてありがとうございます」


 三人が和やかに話をしながら、こちらに向かって来る気配がする。


「笠原さん、こんにちは」

「おお、こんにちは、文也君。バンド、頑張ってる?」

「はい、もうすぐ文化祭なんで、姉ちゃんと一緒に聴きに来てくださいよ」

「そうか、それは楽しみだな」


 ダイニングで文也が出迎えたようだ。


 ここで俺は違和感を感じる。芳江たちとの会話から、家族は笠原と初対面ではないらしい。どう言う事だ? 俺だけが蚊帳の外に置かれている気がした。


 いよいよ笠原がリビングに入ってくる。俺は自分が少し緊張しているのを感じた。


「お父さん、笠原さんが来てくれたよ」


 俺が見た事のないような大人びた装いの愛理が、先頭でリビングに入って来た。続いて一同も入ってくる。


 俺の前にスーツ姿の大柄な男が立った。


 身長は軽く百八十センチは超えているだろう。スポーツ経験者なのか、がっしりとした体がスーツの上からも一目で分かる。小柄で華奢な愛理とはかなりの体格差があった。


 大きな体格に似合わず、顔は三十一歳に見えないくらい人の良さそうな童顔だった。


「初めまして。笠原明人です」


 笠原は立ったまま俺に深くお辞儀をした。 


「まあ、そう硬くならずに座ってください。すぐお茶を用意しますから」

「ありがとうございます」


 芳江に促され、笠原と愛理は並んで俺の前に座った。その向かい、俺の横には文也が座る。


 俺は敢えて何も言わずに笠原の様子を眺めた。笠原の化けの皮を剥がす方法を考えていたのだ。


 誰も何も言わないまま沈黙が訪れる。


「あの、愛理さんのお父さんですか?」


 沈黙に耐え切れなくなったのか、笠原が分かっている筈の事を聞く。


「この姿じゃ父親とは認められないのか?」

「あ、いやそんなつもりじゃ……」


 俺の意地悪な言葉に笠原はうろたえた。


 箱の体で良かったかも知れん。俺は小柄な方だったので、人間のままだと体格で圧倒されていただろうが、今は何も感じない。


「お父さん、どうしてそんな意地の悪い言い方するの? 失礼でしょ」

「確かに私は愛理の父だ。今日は何の御用でいらしたのかな?」


 俺は愛理を無視して笠原に問いかけた。


 笠原は俺のすぐ前まで来て正座した。


「お願いします。愛理さんと結婚させてください」


 大きな体を精一杯小さくして笠原は深く頭を下げた。その横では愛理が心配そうな顔で俺を見ている。


「笠原くん、頭を上げなさい。そのままじゃ話も出来んだろ」


 俺にそう言われて笠原はゆっくりと頭を上げた。


「君は三十一歳だってな。愛理とは八歳も歳が離れている。こんなに歳の差があって上手く行くと思っているのか?」

「お父さんの心配はごもっともです。だから約束します、私は全力で愛理さんを守り幸せにします」


 笠原はもう一度頭を下げた。その横で愛理はうっとりとした表情で笠原を見つめている。


 とんだ茶番だ。口では何とでも言える。


 俺は醒めた目で笠原を見下ろしていた。


「そう簡単に言うが、信用出来んな。君みたいなエリートがその歳まで独身だなんて、かなり遊んで来たんだろ」

「お父さん、知りもしないくせに、そんな言い方失礼じゃない」

「お前は黙っていろ」


 文句を言う愛理を俺はたしなめた。


「恥ずかしながら、私は学生の頃から女性にもてた事も無く、社会人になってからも仕事、仕事の毎日でした。もうこのまま女性とは縁の無い一生を送るのかと覚悟していた時に愛理さんが私の前に現われてくれたのです。遊ぶなんてとんでもないです。今までもこれからも私にとっての女性は愛理さんだけなんです」


 熱心に力説しているが、それはそれで気持ち悪い。だが、嘘を吐くような人間には見えない。雰囲気からして本当の事なんだろう。俺は笠原に同情心が少し芽生えた。俺自身ももてた事も無く、付き合った女性は芳江だけだったからだ。


「真剣な気持ちは分かったよ。だがな、こうして箱として生きてはいるが、肉体的には俺は死んでしまって、まだ喪中なんだぞ。なのに結婚させてくれって、そんな非常識な奴に娘をやれるかよ」


 俺はすんなりとは認めず、尚もしつこく難癖をつけた。


「すみません。おっしゃる通りです。実は、私は三ヵ月後にオーストラリアへ転勤が決まったのです。期間は未定、最低でも三年は戻れないと言われました。三年も愛理さんと離れているなんて考えられません。転勤先に愛理さんと一緒に行きたいと思っています」

「海外に転勤で、一緒に行くだと? 駄目だ駄目だ。話にならん。愛理がそんな環境の変化に耐えられる訳が無い。絶対に結婚は許さんぞ」

「現地の環境に馴染めるように、必ずフォローします。語学学校にも通えるし、現地には日本人のコミュニティもあります。困難があっても二人で必ず乗り越えます」


 笠原はまた土下座して頼み込む。


「駄目だ、駄目だ、話にならん!」


 愛理はまだ子供だ。そんな言葉も通じない、知り合いもいない場所で、未経験の結婚生活を無事スタート出来る訳が無い。親として結婚は絶対に許してはいけない。


「もういいよ! 最初から私を子供扱いして許す気なんてないんだから」


 愛理が怒って立ち上がった。


「愛理ちゃん駄目だよ、ちゃんとお父さんと話をしないと」

「これはお父さんじゃない、ただの箱だよ」


 笠原が止めるのも聞かず、愛理はリビングから出て行く。


「お父さん、必ずまた来ます」


 そう言い残して笠原は愛理の後を追った。


 すぐに玄関のドアが開く音が聞こえ、二人は出て行ったようだ。


「なんなんだ、あいつらは! 俺は絶対結婚を認めんぞ」


 俺は出て行った二人に向かって大声で叫んだ。


「もっと箱になるのを反対すれば良かった。やっぱりこいつは父さんじゃない、ただの箱なんだ。本当の父さんは姉ちゃん達の事だって認めてくれてたのに」


 文也は俺への嫌悪感を隠さず、吐き捨てるように言った。


「やめなさい! 文也。姿は違ってもここにいるのはお父さんなのよ!」


 芳江がきつい調子で文也を叱る。


 俺は文也の言葉でふと気が付いた。


 もしかして会った事があるのか?


 箱になった時の元データーは死ぬ半年前の物だ。俺は死ぬまでに笠原と会ったのだろうか。


「もしかして、俺は奴に会っているのか?」

「父さんは笠原さんに会ったんだよ。死ぬ少し前にね」


 気が付くと、目の前に怒った文也が立っていた。


「しかも、父さんは泣いて笠原さんに頼んだんだぜ。『娘をよろしく頼む』って」


 俺は人工頭脳なのに、怒りでめまいがする気がした。


「死の間際で気が弱っていたんだ……今はそんな事もない。絶対に結婚は許さん」


 文也は落胆したようにため息を吐いた。


「母さん、父さんはこのままじゃ意見を変える気ないよ。あの手帳を見せてやりなよ」


 文也は部屋の隅で黙って聞いていた芳江に声を掛けた。俺の位置からは芳江が見えず、表情や行動が分からない。


 しばらくして、芳江が動く気配がした。芳江はリビングの飾り棚を開けると、一冊の手帳を取り出す。そして、その手帳を手に持ち俺の前まで来た。


「これはあなたが死ぬ数日前に書いた手帳です。本当は箱になったあなたに見せる気は無かったのですが、でもこのままじゃ……。とにかく一度、あなた自身の思いを読んでみてください」


 そう言って芳江は手帳を広げた。


 芳江がゆっくりと手帳のページをめくっていく。始めはしっかりとした文字で俺が箱になる手続きをした事が手順と共に書かれていた。それが終わると、急に文字の調子が変わる。弱弱しく、乱れた文字だが所々特徴のある俺の文字だ。俺の書いた物に間違いは無いだろう。


 俺はその弱弱しい文字で書かれた文を読み始めた。



 芳江、愛理、文也。愛する君達に、俺の最後の思いを聞いて欲しい。


 俺はもうすぐ死ぬだろう。俺はその日の為に、入院前に人工頭脳となる手続きを済ましている。


 俺が人工頭脳となる理由は一つだ。家族の為、精神的支柱となる俺の存在がまだまだ必要だと考えたからだ。


 だが、その考えは間違っていた。俺が思う以上に君達は自立した考えを持つ大人だった。逆に小さな人間だったのは俺の方だ。死の恐怖に怯え、病気の痛みに泣き、君達の献身的な支えや癒しが無かったら俺は耐えられなかっただろう。


 思えばここ数十年、俺は仕事、仕事に明け暮れてろくに家族との時間を持たなかった。今になって思えば後悔ばかりだ。どうして愛理や文也の成長を見守る事をしなかったのだろう。なぜ面倒だからと家庭の事は全て芳江に丸投げしてしまったのか。


 俺の死後、手続きすれば人工頭脳として甦る事が出来る。人工頭脳の箱になってもう一度君達と過ごしたい気持ちもある。だが、今の俺は人工頭脳になる事が正しいかどうか分からなくなった。人工頭脳の俺は、君達に理解の無い迷惑な存在になるかも知れないからだ。もし、君達が生身の俺の思い出を大切にしたいのなら、このまま人工頭脳はキャンセルしてくれても構わない。三人でよく話し合って欲しい。



 手帳の書き込みはここで終わっていた。


「病気が分かり、仕事を辞めた当初のあなたは、今と同じように私達を素直な気持ちで見てくれなかったわ。でも病気が進行してからは、私達に感謝の言葉を掛ける事が多くなった。その手帳の言葉はあなたの本当の気持ちだと思うの」


 芳江はすがるような視線を俺に向けて言った。この手帳の気持ちを俺に受け入れろと言うのか。


「冗談じゃねえよ……」


 俺は腹の底から湧き上がる怒りを抑えて、静かに呟いた。


「俺が脇目も振らず、汗水たらして働いている内に、『子供達は大人になりましたから、お父さんはもう必要ありません』ってか」

「違うのあなた。私達はそんな事を思っている訳じゃ……」

「俺はお前らより何十年も世間を見てきたんだよ。お前らはまだまだ世間知らずの子供だ。俺の存在が必要なんだよ。俺がなぜ、病気が進行する前に人工頭脳のデーターを取ったか分かるか? 病気に侵されてちゃんとした判断が出来なくなると困るからだ。その手帳が良い例だ。病気で弱気になって泣き言言ってやがる」


 手帳は確かに俺の字だが、病気の所為であんな弱気な事を言っているのだ。あれが正しいなんて、俺は絶対に認めない。


「こんなもん無効だ。俺は愛理の結婚も文也の音楽も認めねえぞ!」


 俺は頭に血が登り、冷静さを欠いて怒鳴る。


「ああ、認めて貰わなくても結構だよ! 俺も姉ちゃんも勝手にやるから」


 文也も負けじと、俺に怒鳴る。


「あなたも落ち着いてください。子供達も本心じゃなく、興奮しているだけなんですから」


 俺と文也の怒鳴り合いはしばらく続いたが、芳江になだめられ、なんとかその場は収まった。


 こうして俺と子供達に決定的な溝が出来てしまった。それからは、愛理も文也も極力俺の前に姿を現さず、言葉も交わす事は無い。唯一、芳江だけは懸命に子供達と俺との仲を修復しようと色々話し掛けてくれていた。

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