第9話 父と言う名の箱【1】
もうすぐ俺は死ぬ。
病室のベッドの中で、俺は間も無く訪れるその時を待っていた。
妻の芳江(よしえ)、長女の愛理(あいり)、長男の文也(ふみや)、愛する家族が心配そうに俺の顔を見詰める。
「お父さん……」
芳江が俺の手を握り涙ぐむ。
「お父さん」
「父さん」
愛理と文也も涙を浮かべて俺を呼ぶ。三人の顔を見て、俺はもっと、もっと、時間が欲しいと願った。家族と通じ合えたこの半年間が永遠に続いて欲しいと願った。
家族に伝えないと……。
「て、手帳……を……」
俺は家族に今の気持ちを伝えたい。
「どうしたんですか? お父さん。何か言いたいんですか?」
芳江が懸命に聞き出そうとするが、俺にはもうこれ以上言葉を話す体力が無かった。
最後の力を振り絞って三人の顔を見る。幸せに過ごしてくれと願ったのを最後に、俺の意識は遠退いた。
死を迎える半年前、俺は五十五歳という若さで肺に癌が見つかり、余命半年と宣告された。
俺は高卒で働き出してから、脇目も振らずに頑張ってきた。小さな会社だが社長にも信頼され、ようやく落ち着いて周りが見えるようになってきた時に余命宣告。
絶望したさ。俺の人生は何だったんだって。だが、絶望してばかりも居られない。俺には守るべき家族が居るのだから。
残された家族の為に、俺に何が出来るだろうか。金銭的には生命保険と社長が特別に増やしてくれた退職金でしばらくは十分足りるだろう。問題は金じゃない。愛理が働き出し、文也が高校生になったとはいえ、まだまだ家族には精神的な支柱が必要だ。
そう考えていた時に会社の送別会で谷本という部下が人工頭脳を勧めてくれた。暴漢に襲われてたのを助けてやったのが、谷本と知り合った切っ掛けで、奴は人工頭脳の実試験に参加していたらしい。
人類の悲願、不老不死。肉体は別にして、思考の不老不死と呼べる人工頭脳の研究は日々進歩していた。縦横に可動するカメラと姿を映すディスプレイの付いた、一メートル四方の箱に収まる人工頭脳。確かに人工頭脳になれば、家族を見守る事が出来るかも知れない。しかし値段が高いと聞いているが。
「駄目だ、値段が高いんだろ? 家族に金を残してやらないと」
俺は勧めてくれた谷本にそう返したが、すぐさま横に座っていた社長が「金なら俺が出してやるよ」と言ってくれた。
「社長駄目ですよ。退職金も増やしてもらったのに、これ以上甘えられません」
「なにを言うか。会社がここまでこれたのも、お前が黙々と頑張ってくれたからじゃないか。家族にも寂しい思いをさせたんだろ。人工頭脳ってやつになって喜ばせてやれよ」
こうして、俺は社長の好意で人工頭脳になる事となった。俺は箱になり、精神的な支柱としてずっと家族を支えていく事が出来るようになったのだ。
本格的な入院治療が始まる前に、俺は脳をスキャンして人工頭脳に必要なデーターを収集し、手続きを終えた。家族には俺の悪戯心で内緒にした。父を失った悲しみの後に人工頭脳として帰って来る。その喜びは格別だろう。俺は手帳に人工頭脳の手続きの手順を書き残し、死後に芳江が読むように仕向けた。
今まで経験した事の無いような瞬間的な目覚めで俺は意識を取り戻した。目を覚ますと同時に、俺の脳裏にまばゆい光が飛び込んでくる。
「ま、眩しい、眩しすぎて何も見えないぞ」
「ご、ごめんなさい。すぐに調整します」
俺が文句を言うと、芳江が慌てたように返事をして、カタカタとキーボードを叩く音がする。
しばらくして、ゆっくりと光が和らぎ、目の前の様子が分かってきた。リビングに置いてあるテレビの真ん前、何かの台の上に、箱になった俺は置かれている。
「おお、この位置、この位置。ちゃんと手帳を読んだようだな」
俺は満足してそう呟いた。
「あなた、あなたですか? 聞こえていますか?」
「そうだ、安心しろ。俺はお前達の為に戻ってきてやったぞ」
不安そうな顔でディスプレイを見つめる芳江に、俺は愛情を込めてそう言った。
俺はカメラを上下左右に動かし周りを見る。
やっとの思いで買った3LDKの中古マンションのリビング。十五畳のスペースに三十二型のテレビとオーディオセット、ローソファにテーブル。俺が入院する前と変わらぬ、我が家のリビングだ。
俺は目の前に芳江しか居ない事に気が付いた。
「愛理と文也はどうした? せっかく俺が帰って来たのに家に居ないのか?」
「ああ、二人は仕事と学校ですよ。平日ですから」
芳江に言われて、俺は意識内にある時計を見た。
内部的にどう処理されているのか分からんが、時間が知りたい場合は意思で念じればイメージで時計が浮き上がる。ネットなどの情報に関しても同じだ。何かに画面が映し出されるのでは無く意識のイメージ上に浮かび上がるのだ。
今は月曜日の午前十時。確かに二人は家に居ない時間だ。
「どうしてこんな時間に俺を立ち上げたんだよ」
俺は不満だった。想像していた復活の瞬間とはかなり違ったからだ。
家族三人の見守る中で箱になった俺が目覚める。期待と不安が混じり合った表情で、一心に俺を見つめる三人。俺が「元気だったか?」と一声発すると、芳江と愛理は泣き出し、文也は「やった!」とガッツポーズする。「これからも俺がお前達を守って行くからな」と言えば、「お父さん!」と芳江と愛理が箱にしがみ付く。
これが俺の想像していた復活の瞬間だった。だが現実はどうだ。目の前には芳江が一人。その芳江の様子も新しい電化製品が届いて何とかセッティングが終わり、無事に電源が立ち上がってほっとしたって感じだ。
「今やっと業者さんの調整が終わって立ち上げられるようになったんです。早くあなたの声が聞きたくて、二人を待ち切れなかったんですよ」
成る程、業者の調整の関係でこの時間だったのか。二人が立ち会わなかったのは不満だが、芳江に早く声が聞きたかったと言われて、俺は少し気分が良くなった。
「そう言う事か……。どうだ、三人とも変わりないか?」
「はい、みんな元気ですが……あなたはいつまでの記憶があるのですか?」
そう言われて初めて気付いたが、今は俺が記憶をスキャンした時からある程度の期間が過ぎている筈だ。スキャン直後に俺は入院したし、闘病期間やその後家族が落ち着くまでは間があっただろう。改めて時計を確認して今日の年月日を確認した。
「八ヶ月ぐらい前だな。愛理は働き出して三年目で、文也は高校に入学して半年ほど経った頃か」
俺は自分の頭の中にある一番新しい記憶を芳江に話した。記憶をスキャンしてから八か月経過している。家族の身に何か変化があってもおかしくない期間だ。
「ああ、それならあまり変わりはないですよ。二人とも仕事と学校を頑張っています」
「ちゃんと頑張っているんだな。二人は今日俺が箱になって帰って来るのは知っているのか?」
「ええ、伝えていますよ」
「そうか、奴らも楽しみにしてるだろうな。早めに帰ってくるかな」
「そうかも知れませんね……」
俺は早く二人の反応が見たいと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます