第7話 上司と言う名の箱【3】
「まあ、まだまだ楽しみましょうよ」
佐川の目が尋常でない。笑顔なのだが、正常な思考を持った人間のそれではない。
「こんな事も出来るんですよ」
「あ、ああ、あああ……」
佐川がまた入力すると、今度は今までに感じた事の無い快楽が押し寄せて来る。俺は絶頂を迎える女のように情けない声を上げた。
佐川が涙を流しながら腹を抱えて笑い転げる。
「あああ、ああああ、ああーーーー」
強烈な快楽も長く続くと、苦痛と変わりがない。痛みとはまた違う苦痛だ。
佐川は笑い過ぎてゼイゼイと荒い息を吐きながらキーボードを操作する。
「な、なんだこれは? か、痒い、ああ、痒い、頼む、掻いてくれ、頼む!」
今度は強烈な痒みが襲ってくる。だが、その痒みがどこから来ているのか分からない。闇雲にどこかを掻いてみたいが、手が無いのでそれも叶わない。ただ、強烈な痒みに不快感が抑えきれず無い体を身悶えさせる。
「掻いてくれって言われてもどこか分かりませんよ。ここですか? それともここ?」
佐川はおちょくるように俺の四角い体を適当に掻きだす。当然痒みが治まる事は無く、俺の不快感は増すばかりだ。
「どうです? 面白いでしょ?」
佐川が痒みを解除し、楽しそうに、俺に問いかける。
「お、お前これはいじめだぞ」
「いじめはね、被害者側にも原因があるんですよ。僕は確かにいじめられても仕方ないくらい根暗で気の弱い男です。でも、あなたも同じくらい気弱な小心者だから、いじめられても仕方ないんですよ」
俺は驚いて何も言い返せなかった。自分の心を読まれたのかと思ったからだ。
「今日はこれぐらいにしておきますよ。最後にこれを楽しんでください」
佐川はそう言うと、また何か入力した。その瞬間、脳裏に直接グロ画像が飛び込んでくる。バラバラになった死体など、目を背けたくなる画像がスライドショーで流される。どう言った仕組みになっているのか分からないが、見ない事は出来ない。吐き気をもよおすが、吐くことも出来ない。
痛みの事といい、生身ならもう気が変になっているだろうが、苦痛が続くだけで意識はしっかりとしている。気を失う事や精神を壊される事はある意味ブレーカーのようなもので、命を守る為に必要なのだ。人工頭脳にはそう言った便利なものが付いていない。どんなに苦痛が大きく強くても、ただただ、それが続くのだ。
地獄だ。まさに地獄だ。死ぬ事も許されず、猛烈な苦痛だけが延々と続く。
翌朝、起きてきた佐川は「おはようございます」と俺に挨拶してきた。上司に対して挨拶に来たのではなく、一晩中グロ画像を見せつけられた俺の様子を興味津々で見に来たのだ。
俺は憔悴して、挨拶されても返事も出来ない。佐川はチッと舌を鳴らしたかと思うと、キーボードを操作した。
「ぐがががががいいいーーーーー」
脳に釘でも突き刺されたかのような痛みが走る。せめて意識が飛んで欲しい。もう耐えられない。
俺が痛みに叫ぶ様子を見て、満足した佐川が入力を止める。
「おはようございます」
「お、おはようございます……お願いです……許してください。すみません。佐川さんにした事を心から謝ります。許して下さいお願いします」
俺は心の底から謝った。佐川をいじめた事を本当に心から後悔している。許して貰えるなら何でもする気持ちだ。
「さあて、どうするかな。遊んでやりたいところだが、もう会社に行かないといけないから、これで我慢してくれ」
佐川が入力すると、耐えられないくらいの寒さが襲ってきた。俺は実際にはない歯をガチガチ軋ませた。冷凍庫に裸で放り込まれたようだ。無い筈の手が、足が、体が、口が、鼻が、耳が、目が、もげそうに痛寒い。
「じゃあ、これから会社に行ってきます」
佐川は準備を整えると、俺の寒さはそのままで、出勤する為に出て行った。
これから俺はどうなるのだろうか? あまりの苦痛に思考も満足に動かない。こんな地獄がいつまで続くのだろうか? 許して貰うためにはどうするべきなのか。その答えが見つからない。
寒い。このまま死んでしまいたい。
死にたい、死にたい、死にたい……。
そう言えば、人工頭脳はネットと繋がっていた筈。俺は意識を巡らせて外部と連絡する方法を探した。限界を超える寒さの中、ようやくコマンドの出し方を見つけ、外部と連絡を取ろうとしたが、回線は切られていた。佐川も当然その事は考えていたのだろう。もう逃れられる手立ては無い。気が狂いそうなくらいの絶望感が押し寄せてきた。
どれぐらい寒さと戦っていたのだろうか。玄関のドアが開く音がして、佐川が帰って来た。俺は憎い筈の佐川が帰って来て喜んだ。助けてくれる見込みなど無かったが、奴が帰ってこない限りは今の苦痛が永遠に続く。どんなに薄い確率でも佐川がその場に居れば仏心を出して苦痛から解放してくれるかも知れないからだ。
「お帰りなさい。佐川さん。お仕事お疲れさまでした」
俺は精一杯、下手に出て佐川のご機嫌を伺った。だが、目の前に現れた佐川は鬼の形相で俺を睨みつけた。そして、何も言わずにキーボードを叩く。
「いいいいいいいいいいーーーー」
また激痛が走る。
「偉そうに言うな馬鹿が! お前に何が出来るんだ? 上から目線ででたらめばかり言いやがって! お前が何も出来ない事はみんな分かっていて、陰口叩かれているんだぞ!」
痛みで佐川の言う事が耳に入って来ない。おそらく会社で、また俺にいじめられたのだろう。もう無理だ。俺と佐川が同じ課に居る限り、奴の怒りが収まる事は無い。生身の俺は佐川をいじめ続けるだろうし、その反発で箱の俺は佐川に拷問をし続けられるだろう。終わりの無い地獄だ。
「お願いします。俺は心から反省しています。俺を俺のところに持って行ってください。必ず反省させます。土下座させて謝らせます!」
俺は悲鳴交じりにお願いしたが、佐川は鼻で笑う。
「お前にそれが出来る訳ないだろ」
佐川は凍りそうな冷たい目で俺を見下ろしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます