第6話 上司と言う名の箱【2】

「あ、あの……か、課長、きょ、今日はもうお帰りですか?」


 午後七時過ぎ。珍しく仕事が早く終わり、会社の事務所が入っている小さなビルを出た瞬間、待ち伏せていたように、先に帰った筈の佐川が話し掛けてきた。


「なんだ、お前。先に帰ったんじゃないのか?」

「は、はい、そうなんですが……。あ、あの、課長、よ、よろしければ、こ、これから、あ、あの……食事に付き合って、い、頂けませんか?」

「はあ?」


 必死な顔で何を言うのかと思えば、食事の誘いとは。同級生に告白する中学生じゃあるまいし、キモ過ぎる。


「なんで、俺がお前と飯を食いに行かなきゃなんないんだ?」


 久々に早く帰れるのに、佐川と飯を食いに行くのなんて御免だ。しかも俺と佐川の立場なら俺が奢らないといけないだろう。薄給激務のブラック勤めとしては無駄過ぎる出費だ。


「あ、あの……僕はいつも課長にご迷惑をお掛けしているから、もっとお話を聞かせて頂きたいんです。勉強させてください、お願いします。もちろんお金は僕が出させて頂きます。お願いします」


 佐川は周りの目を気にせず、俺の前で大きく頭を下げた。


 中々良い心掛けだ。食事代も奴が持つと言うなら行ってやっても良いだろう。三十五歳のバツ一で、養育費を払い続けている俺にとってタダで飲みに行けるなら有り難い。


「分かった。そこまで言うなら、行ってやるよ。俺の言う事を聞いて勉強しろよ」

「ありがとうございます」


 佐川はほっとしたような笑顔で感謝した。



 佐川が選んだ店は、駅前にある小洒落た居酒屋だ。チェーンの居酒屋にでも行くと思っていたので少々意外だった。個室も用意されているこの店は、俺が予想していた店より値が張るだろう。


「あ、あの……課長はビールでよろしいですか?」

「ああ、そうだな。まずはビールか」

「はい、分かりました」


 いつもの佐川とは思えない程テキパキと動く。生中を二つ頼んだ後は、牛タンや舟盛など、高そうなメニューを遠慮なくオーダーする。


「おいおい、お前本当に勘定大丈夫なのか?」


 土壇場になって金が無いと言い出して、俺に払わせようとするつもりなのかと心配になってきた。


「大丈夫です。普段お世話になっている課長に失礼な事は出来ませんから」


 人が変わったのかと思うくらい、饒舌で愛想の良い佐川。俺の説教を真剣な表情で聞き入り、お礼を述べる。果てには「課長の下で働けて幸せです」とまで言う。美味い料理に高級酒。俺は、すっかり殿様気分で浮かれ、大満足だった。



「課長、見えてますか? 声は聞こえていますか?」


 目を覚ますと、目の前に佐川の顔が見えた。俺はどうしていたんだと、記憶を探る。そう言えば佐川に頼まれて一緒に飲んでいたのだと思い出した。目の前に佐川がいると言う事は飲み過ぎて寝てしまったのか。


「お、おう、佐川、ここはどこなんだ?」

「よし、成功だ! ここは僕のアパートです。見て下さい」


 何が成功なのかよく分からんが、佐川は喜んでいる。奴が体をどけて周りの状況が見えた。狭く汚い部屋だ。飲みかけのペットボトルやコンビニ弁当の空きパック、万年床らしき布団や座卓の上に置かれたデスクトップパソコン。いかにも佐川らしい、だらしない独身男の部屋だ。


 ここで俺はふっと気付く。俺はどこからこの部屋を見ているのだ? 俺の視野に、俺の体が入らない。部屋の位置から俺は壁際にいるようなのだが、中腰状態のような微妙な高さの視線で自分の姿勢が想像出来ない。


「お、おい、俺の体はどうなっているんだ? なんか変だぞ!」


 俺は苛立ちと焦りを感じながら佐川に叫ぶ。何か自分が尋常でない状態に置かれている予感がする。体を動かそうとしても感覚が全く無く、どう動かせば良いのかも分からない。


「ちょっと待っててくださいね」


 俺が怒鳴っているのにも関わらず、佐川はウキウキした様子で部屋を出て行く。すぐに戻って来たかと思うと、手には十センチ四方の小さな鏡を持っていた。


「ちょっと見えにくいかも知れませんが……」


 そう言って佐川は俺の目の前に鏡を向けた。


 人の上半身が映った小さなディスプレイと上下左右に可動出来るカメラレンズの付いた、箱のような物が鏡に映っている。俺はもっと良く見ようと視線を動かすとそのレンズが小刻みに、左右上下に動き、ディスプレイに映る人物の顔が目を凝らしている。


「ど、どう言う事だ……」


 どう見てもカメラレンズとディスプレイの人は俺の動きと連動しているようだ。おまけにディスプレイの人は俺によく似ている。


「ちょっと、近過ぎですかね」


 何が嬉しいのか、佐川は浮かれた様子で鏡を少し遠ざける。小さくて見にくいが、鏡の中に座卓の上に乗せられた、カメラレンズとディスプレイの付いた一メートル四方の箱が映った。


「ま、まさか……」


 これはもしかして、世間で話題になっている人工頭脳の箱じゃないか。数年前から実用化されていて、年々利用者が増加していると聞いていたが……。全く興味が無かったので、聞きかじった程度の知識しかないが、確か死を迎えた人間が思考だけでも生き続ける為に開発された物だったんじゃなかったか?


「分かって貰えましたか? 課長は今、人工頭脳の箱になっているんですよ」


 佐川が時折笑い声を交えながら、そう言った。


「もしかして、俺は死んだのか? いや、それにしてもなぜ俺が箱になる? それにどうしてお前の部屋にあるんだ?!」


 俺は気が狂いそうになって叫んだ。


「あまり大きな声を出さないでくださいよ。壁が薄いんで」


 佐川はそう言うと俺の前に座り、カタカタと音をさせた。俺の視界には入らないが、キーボードを叩いているようだ。


「何をしている! 早く説明しろ! ただでは済まさんぞ!」


 俺はいつもの調子で、佐川を威圧しようと頭ごなしに叫んだが、その声は小さく蚊の鳴くような声しか出てこなかった。


「じゃあ、説明しましょう」


 佐川はどこからか椅子を二つ持ってきて一つに座り、もう一つに、恐らく人工頭脳の設定が出来るキーボードを置いた。


「安心してください。あの日から二日経っていますが、課長は生きています。現にこの二日間も偉そうに僕に説教していましたから。無能のくせに」


 佐川は最後の部分だけ笑顔を消し、心底憎しみを込めて言った。あの気弱な佐川からは信じられないくらいの怒りが籠った表情だ。ここまで憎まれていたかと思うと寒気がする。


「今は裏で正規品とは違う人工頭脳が流通しているんです。噂では開発の関係者から情報が流出したらしいです。その裏商品の中にこう言う簡易のデーター収集装置があるんですよ。課長が酔いつぶれた隙をみて、これで頭をスキャンしてデーターを収集したんです」


 佐川はパソコンの横に置いてあった、料理に使うボールのような形をした装置を手に取り俺に見せた。装置は丁度頭サイズで内側に小さな針のような物が突き出ている。


「最近はこの装置も改良されてきて、危険も殆どないんですよ。ただ簡易装置なんで、データー収集量も少ないから基礎知識と三年ほどの記憶しか落とせませんが、僕の目的には十分でした。課長、昔の事を思い出せますか?」


 そう言われて、過去の記憶を探ってみると、見事にすっぽりと消えている。五年前に別れた妻や子供の事さえ思い出せない。


「どうやら自分の状況が理解できたようですね」

「お前、これは違法だろ! 今すぐ消しやがれ! 今すぐだ!」


 俺は精一杯怒鳴ったが、声は小さく迫力は無い。佐川は全く顔色を変えず、それどころか、クックックと笑いを堪えきれないようだ。


「まだ違法じゃないです。箱の人格を人間として扱うか議論の真っ最中ですからね。だから箱になったあなたをどう扱おうが僕の勝手なんですよ」

「舐めるなよ……お前ごときが俺に対してこんな態度を取るなんて許されると思ってるのか……今すぐ俺を消せ。今すぐ消せば許してやる」


 今度はゆっくり噛み締めるように話して聞かせた。だが、佐川はとうとう堪え切れなかったのか、大声を上げて笑い出した。


「お前の正体は無能な小心者だよ。強い人間には何も言えず、僕みたいな気の弱い人間を虐めて喜んでいるだけの卑怯者だ」


 佐川が俺を蔑んでいる。その事実が許せなかった。


「殺してやる……」


 俺の脅しにも動揺せず、佐川は笑みを浮かべながらふーっとため息を吐いた。


「どうやら自分の立場が分かっていないようですね」


 佐川は俺の側面を見ながら、横の椅子に置いてあるキーボードをカタカタと入力する。確か側面にメンテナンス用のディスプレイが付いていて、それを見ているのだろう。


「がっ! いいいいいいいーーー!!!!」


 佐川が入力を終えた瞬間、猛烈な痛みが俺を襲う。今までの生涯で味わったどんな痛みも蚊に刺された程度と思えるぐらい、比較にならない猛烈な痛みだ。生身の体なら瞬間的に気を失っているだろう。しかし、人工頭脳である俺はそれも許されない。あまりの痛みにまともな言葉が出ず、俺はただ叫び声を上げ続けるしか出来なかった。


 佐川がまた嬉しそうにキーボードを叩く。その瞬間、嘘のように痛みが消えた。


「どうです? 気に入って貰えましたか?」


 解放されたとは言え、痛みの衝撃が心に残り、言葉が出ない。


「気に入ったかって聞いているんだよ!」


 佐川はそう叫ぶと、またキーボードで入力する。その瞬間また、猛烈な痛みが俺を襲う。


「あががががががいいいいいいいーーーーー!!!!!」


 佐川がまた痛みを解除する。


「ゆ、許して下さい……すみませんでした……今まですみませんでした……」


 俺はプライドもクソもなく泣き声で許しを乞うた。

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