第5話 上司と言う名の箱【1】
いじめは被害者側にも原因がある。
大っぴらにこう言うと誰しも眉をひそめ、発言者を非難するだろう。現に俺もそれは加害者側の言い訳で、いじめを肯定する理由にはならないと考えていた。だが、部下に奴が配属されてからは、俺も声を大にして言いたい。
いじめは被害者側にも原因があると。
奴の名は佐川良平(さがわりょうへい)。二十八歳独身、恐らく彼女居ない歴イコール年齢。髪はいつもボサボサ、押せばそのまま倒れそうなぐらい体はひょろひょろ。物覚えが悪く、当然のように要領も悪い。積極性の欠片も無く、忍者かと思うくらい自分の存在感を消す事に長けている。常におどおどしており、話をする時に相手の目を見ない。言葉は語尾に近付く程ぼそぼそと聞こえ難くなり、必ず最後には「と思います」と曖昧な言い方で保険を掛ける。一度酒の席で、休日に何をしているのか尋ねたら、一日中家に居てパソコンかゲームをしていると恥ずかしげもなく言う始末。
奴の欠点はまだまだ数え上げればきりが無い。顔を見るだけで小言の一つも言いたくなる程、俺の気持ちをイラつかせる。
「佐川!」
朝礼が終わって席に着くなり、俺は佐川を呼んだ。俺の声を聞いた佐川の体がビクッと小さく揺れる。
並んでいる課員達のデスクから、課長である俺の席まではそう距離は無い。特に一番前に座る佐川までは二、三メートル程だ。体の反応からして、俺の声が聞こえている筈なのに佐川はすぐに返事をしない。
「あ、はい……」
一呼吸間が有り、弱弱しい声で俺の方を見た佐川は、もうすでに泣き出しそうな顔をしている。その顔を見ただけで俺はイラつき、嗜虐的な気持ちが沸き上がってくる。
「呼ばれたらすぐに来いよ」
口調はきついが、声自体はそう大きくはない。ワンフロアで全社員が働く小さな会社で、公然とパワハラをする訳にはいかない。だから、小さな声でも届くように佐川を近くに配置しているのだ。
「は、はい……」
佐川は暗い顔で立ち上がり、俺の席までノロノロと歩いてくる。そのいかにも嫌そうな態度に腹が立ち、俺は更にイラつく。
「先週、サンコーの受注を逃した原因を報告しろって言ったよな」
俺は座ったままなので、横に来た佐川を見上げて話している。だが、伏し目がちにビクビクしている奴など、下からでも見下ろしている気分だ。
「あ、はい……」
「俺はまだ原因を聞かせて貰ってねえぞ」
「あ、はい……」
「はいじゃねえよ! いつ報告するつもりなんだって言ってるんだよ」
俺はデスクを拳で叩いた。
「……」
佐川はいつも、返事に困ると泣きそうな顔で黙りこくる。
「黙ってないで何とか言えよ!」
俺の声が少しずつ感情的になり、刺々しくなる。
「あ、あの……実は課長から指示された価格の面でその……担当者からこのままでは注文できないと言われていたんですが……」
「ああっ?」
佐川に言われて思い出した。この件の価格設定は俺が指示したんだった。長い付き合いのある取引先なので、強気に出たのが失敗だったのだ。
「お前何か? 俺の所為で受注を逃したって言いたいのか?」
俺は逆ギレの自覚を持ちながらも、低い声で恫喝した。
「あ、いや、そんなつもりは……」
「そう言う事情ならなぜ俺に相談しなかったんだ? 報連相(ホウレンソウ)を知らないのか? 相談さえしてもらえれば、俺だって手の打ちようはあったんだ」
「……」
佐川は黙って俯いた。
佐川が相談出来ないのは俺の所為だ。もし相談してきても、説教するか怒鳴りつけるかのどちらかだからだ。俺も自分の非を分かっているが、どうしてもこいつを前にすると冷静ではいられない。立場の違いで責任を佐川に押し付けてしまう。
「相談も出来ない、自分で仕事も取れない、ろくに仕事も出来ないお前を雇って、会社も大損だな」
「……」
「お前入社して何年だ?」
「ご、五年です……」
「五年って、お前、二年目の香田の方がよっぽど仕事出来るぞ。恥ずかしくないのか?」
佐川は涙を堪えているのか、歯を食いしばって小さく震えている。
「恥ずかしくないのかって聞いているんだよ!」
「は、恥ずかしいです……」
「で、どうするんだ? これから」
「どうすると言いますと?」
「お前このままで良いと思っているのかよ。仕事を出来るようになる為にどうするのかって聞いてるんだよ」
佐川は下を向いて黙り込んだ。
「ど・う・す・る・かって聞いてるんだよ。分からんか、どうするんだ?」
俺はイライラして、手に持ったボールペンでカンカンと机の上を叩きながら、佐川に問い質した。
「が、頑張ります……」
「あっ? 何か? お前今まで頑張って無かったって言うのか?」
俺は下からジロりと睨みつける。
「あっ、いや……そんな事はなくて……頑張っていました……」
「じゃあ、頑張るってどう言う事だ? 今までも頑張っていたなら、これから頑張っても同じ事だろ?」
「……は、はい……そうです……」
「じゃあ、どうするんだ? どうすれば仕事が出来るようになるんだ?」
佐川はまた黙り込んだ。そう言う態度が俺をイラつかせている事が分からんのか、こいつは。
俺は怒りの余り、ボールペンを机の上に投げつけた。
「いい加減にしろよ……」
「あ、あの、次からは必ず確認を取るようにします」
佐川は怯え切った表情で慌ててそう言った。
「お前なあ、もう五年もこの会社にいて、自分の判断で仕事も出来ないのか。恥ずかしいとは思わんのか」
俺はわざと大きなため息を吐いた後に、心底情けない表情を作ってそう言った。今まで一生懸命我慢していた佐川の目から涙が落ちる。なんと言うか、これ程惨めで情けない涙を俺は見た事が無い。こいつは生きている価値があるのだろうか。
「俺はなあ、お前の為を思ってこうして教育してやっているんだぞ。お前もこのままじゃ困るだろ? 評価最悪だぞお前。これからも教育してやるから感謝しろよ」
俺が優しくそう言ってやったのに、佐川は返事も返しやがらない。
「分かってんのか?」
「……ば、ばいっ……あでぃがとうございばす……」
泣きながら話すので何言っているのか分からん。
「もういい、行け。次は気をつけろよ」
「ば、ばい……」
自分の席に戻る佐川の背中を見て、俺はもう一度ため息を吐いた。
こんなやり取りが日常茶飯事なのだ。確かに俺は言い過ぎなのかも知れない。だが、原因は佐川にある。あいつが普通に仕事が出来れば、俺もこれ程ストレスを抱える事にはならない。
もう一度言う。いじめは被害者側にも原因があるのだ。
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