第4話 俺と言う名の箱【4】

「撮影会は楽しい?」

「えっ? うん、楽しいけど……」


 急な俺の質問に沙耶は戸惑ったように返事をした。


 沙耶は今、何度目かのサークルの撮影会に出掛けようとしている。慌ただしく用意をしている沙耶が目の前を通る時に、俺が声を掛けて先程の質問をしたのだ。


「そうか、それなら良かった」


 俺は笑顔でそう返した。


「どうしたの?」


 俺の様子に何か感じたのか、沙耶は用意の手を止めて箱の前に跪き、ディスプレイを覗き込んだ。


「どこか具合が悪いの? 今日は行くのやめようか?」


 心配そうに俺を見る沙耶。


「いや、違うんだ。最近沙耶が凄く活き活きしているなと思って。俺が箱になった頃は表情も沈みがちで心配していたんだ。だから、本当に良かったなって……」


 そう言う俺の顔を沙耶は本心を探るようにじっと見ている。


 ディスプレイに映る俺の顔にも本心は現れるのだろうか?


「あなたがここに居てくれるから。だから私は安心して以前のように、外に出られるようになったの」

「俺が居るから?」

「うん、一人で中央公園に行った日、離れ離れになったけど、あなたはどこにも行かずに家に居てくれると思うと安心出来た。何も変わっていない。あなたは生きているんだって実感できたの」

「そうか……」

「これからもずっと私の傍に居てね」


 沙耶の言葉を聞いて本当に嬉しかった。箱になっても俺は沙耶の役に立てているんだと思えて。


「あ、早くしないと遅れるぞ」

「あ、ホントだ。急がなきゃ」


 そう言って俺達は顔を見合わせて笑った。



 沙耶が出掛けた後、俺はタイマーでスイッチが入り起こされた。起動時間のセットをミスして早く起きてしまったのだ。


 もうすぐ沙耶も帰るだろうとネットでも見ながら待っていると、玄関のドアが開く音がした。


 ただいまと沙耶の声に続きお邪魔しますと男の声がした。もしかして斉藤さんだろうか?


 お借りしますと声がしてトイレに入る音がした。しばらくして沙耶の大きな声が聞こえてくる。


「約束が違います!」

「騙してすみません! でもお願いします。ご主人さんに会わせてください。どうしても話がしたいのです!」

「会ってどうするんですか? 主人に何を話すつもりなんですか?」

「ご主人にあなたとお付き合いしたいとお願いします」

「そんな……」


 どうやら、俺の予感は当たってしまったようだ。斉藤さんは沙耶を愛し始めたのだ。沙耶とちゃんと付き合う為に、俺に直談判するつもりなのか。


 ずるい男なら俺に黙って沙耶を落とそうとしただろう。でも斉藤さんは生真面目に、俺に承諾を得てけじめをつけようとしているのだ。


「私はあなたを好き……」

「言わないでください!」


 斉藤さんの告白を沙耶が大きな声で制した。


「帰ってください。主人は生きているんですよ! 私はあの人の妻なんです。付き合える訳はないじゃないですか」

「あなたがご主人を愛している事は分かっています。でもご主人は死んでいるんです。話し相手になる事は出来ても、あなたを守り抱きしめる事は出来ないんですよ!」


 パチンと音がした。


「お願いします……帰ってください……」


 沙耶の涙交じりの声がした。


「すみませんでした……」


 ドアの開閉する音がして、沙耶が泣き崩れた。俺は聞いていた事がばれないようにスイッチをオフにした。



「ごめんなさいあなた、遅くなってしまって」


 一時間程経った後に俺は起こされた。沙耶は涙の痕を隠そうとしたようだが顔を見れば明らかだった。俺は気付かない振りをして何事も無かったかのように振舞う事にした。


「お帰り。いい写真撮れた?」


 俺の声を聞くなり、沙耶は堪えていた物が崩れ落ちたように大きな声で泣いた。


 俺はこの時、沙耶も斉藤さんの事を好きになり始めたのだろうと感じた。沙耶も自分でそれに気付いたからこそ、こうして泣いているんだ。


 俺に対する気持ちが冷めた訳ではないと思う。ただ、斎藤さんにも好意を持ち始めているのだ。それはブログのメッセージからも感じていたし、今の沙耶の様子からも確信できた。


 俺は嫉妬の感情よりただ悲しかった。大きな声で泣いている沙耶を抱きしめてあげられない事がただ悲しかった。しっかりと抱き締めて、綺麗な髪を撫でてあげる。それだけで、沙耶は落ち着く事が出来るだろう。だが、そんな簡単な事すら出来ない自分が悲しかった。



 あの後、沙耶は何も言わなかったし俺も聞かなかった。ただあれ以来、またリビングに居る事が多くなった。ブログの更新も止まってしまった。沙耶は自分の感情に不安を感じているのだろう。


 メールを拒否されているのか、ブログのコメントに斉藤さんが謝罪を書き込んでいた。彼のブログを読んでも後悔している事を感じる。詳細は書いていないが最低な男だと自分を責めていた。


 このまま放って置けば、二人の関係は壊れたままだろう。


 俺はこれで満足なのか? 沙耶が他の男に奪われなくて満足なのか?


 俺は心の中で自分自身にそう問い掛けた。


 俺にとって何が一番大事なんだ? 今の状態が幸せなのか?


 俺は再度自分の心に問い掛けた。辛く苦しい問い掛けだった。


 横に居る沙耶に向けてカメラを動かすと、彼女は懸命に作り笑いを浮かべた。


 俺が愛した沙耶の笑顔はこんな顔だったか? この顔が俺の望んだ沙耶の幸せな笑顔なのか?


 いや、違う。俺の願いは沙耶を幸せにする事でこんな寂し気な笑顔を浮かべる彼女では無い。このままでは沙耶が不幸になる。


 俺は覚悟を決めた。


 斉藤さんのブログにメールを送った。あなたは間違っていない、諦めずにがんばれと。


 そして沙耶の為にしてあげられる最後の行動を起こした。


「かなぐしゃりこさ」


 俺は覚悟を決めた次の朝、沙耶が起こしてくれた時に訳の分からない事を口走った。


「どうしたの? 何を言っているの?」


 沙耶はパニックになったように驚いた。そんな沙耶の顔をみたくないので、俺は視界をカットして無表情を作る。


 その後は何を聞かれても、「まきじゃるしかとみか」とか意味不明な言葉を続けたり、急に電源を落としたりと故障を装った。



 数日後にメーカーの人間が調べに来た。


「うーん、何処も異常がありませんね」

「そんな、現に主人はちゃんと会話が出来ないじゃないですか!」

「最近多いんですよ。どこも異常がないのに動作不良となる場合が。人間の心理は私達が考える以上に複雑なのかも知れません」


 メーカーの人間も諦めて帰ってしまった。その後も何人かの修理人来たが同じように対応してやり過ごす。諦めきれない沙耶は毎日電源を入れ直して俺に話しかけた。


「お願い、話をして」

「かするしゃ」

(愛してるよ)

「何か言って」

「ぐつしまくりつくなこだすかしれた」

(がんばれ沙耶はきっと立ち直れるよ)


 泣いている沙耶の声を聞くのは辛かったが、俺は励ましと愛情を込めて意味不明な言葉を呟いた。



 やがて沙耶は電源を入れる事が習慣のようになってきたようだ。毎朝電源を入れて俺に挨拶するが、それはどこか遺影に語りかけるみたいに、こちらの返答は期待していないようだった。


 斉藤さんもがんばって諦めずに沙耶に連絡を送っていた。もうすぐ俺の存在も必要なくなるだろう。



 壊れた振りをしてから一年経った日。沙耶は最近になく熱心に語りかけてくれた。初めて出会った日の事、付き合い出した頃の事、結婚してから毎日幸せだった事など。


 俺はいつもと様子の違う沙耶に驚き、目を開けた。


「あなたと一緒に暮らせて私は幸せでした。一生一人で過ごすと思っていたのに、あなたに出会い、あなたと家族になれて本当に、本当に幸せな日々でした」


 沙耶は一緒に暮らした日々を懐かしむように、穏やかな、幸せそうな表情をしている。


 だが、急にその表情が崩れる。


「でも今日を最後にします。私は一人で歩き出します。だから……」


 沙耶の瞳から大粒の涙がこぼれてきた。


「だからお願い……もう一度……もう一度だけあなたの優しい声を聞かせてください」


 泣いている沙耶を見ていると俺の心は張り裂けそうになる。


「かすがつひゃるしくさまきたこれすくたみはら」

(俺は消えてしまってもずっと沙耶を見ているよ)

「あなた……」


 沙耶が大粒の涙を零しながら、俺の箱の体を抱きしめる。俺は「沙耶」と名前を叫びたい気持ちに駆られた。


 沙耶を抱きしめたい。


 沙耶と話したい。


 沙耶と一緒に生きていたい。


 お願いします、神様。もう一度だけ、一分だけでも構いません、俺に体を下さい。もう一度、もう一度だけ沙耶を抱きしめさせて下さい……。


 ……でも、それは叶わぬ願いだった。


 俺は自分の気持ちを押し殺して意味不明の言葉を呟いた。


「すくり、すくりかなさみそくよりさくらすか」

(ずっと、ずっと沙耶を愛してる。さようなら)


 俺は心を込めたさよならをして最後の眠りについた。



※この短編集の最終エピソードに、この「俺と言う名の箱」の40年後のストーリーが収録されています。最後までお楽しみにして下さい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る