第2話 俺と言う名の箱【2】

 沙耶も俺と同じく、早くに両親を亡くし頼れる親族もいなかった。詳しくは語らなかったが、苦労も多く心細い日々を送ってきたようだ。


 俺は普段のふとした瞬間に沙耶を思い浮かべる事が多くなった。俺は自分にそんな存在が出来た事自体が嬉しく、不思議な気分だった。


 沙耶も同じように想ってくれていたのだろうか。俺達は孤独な者同士が身を寄せ合うように強く惹かれ合っていった。



「四月頭の土日は予定空いてる? 中央公園に桜を見に行かないか。旅館の予約が取れたから」


 俺達が出会って一年が過ぎた頃、俺は沙耶を旅行に誘った。中央公園は隣の県に在る桜の名所だ。自然豊かな温泉街にある、五千本の桜を誇る公園は花見シーズンになると大勢の観光客が訪れる。


「え、本当? 嬉しい。もちろん空いてるよ。毎週あなたがデートに連れて行ってくれるから、週末はちゃんと空けてあるのよ」


 沙耶は俺の提案を凄く喜んでくれた。この頃には俺達は毎週デートするのが当たり前になっていた。


 旅行当日、天気も良く、中央公園は桜が満開で、多くの花見客で賑わっていた。


「綺麗ね……」


 沙耶は桜を眺めて、うっとりとした様子で呟いた。その顔を横で見ながら、俺は来て良かったと心から思った。


 その時、何かを思い付いたように、急に沙耶はスマホを取り出し、桜の写真を撮り始めた。


「珍しいな、写真を撮るなんて」

「うん、急に撮ってみたくなったの。変かな?」

「いや、良いと思うよ。後で撮った写真を見せてよ」

「分かった。じゃあ、頑張って綺麗に撮るね」


 沙耶は公園内を歩きながら、所々でスマホを構えて写真を撮っていく。今までに見た事のない真剣な表情が魅力的だった。


 その後、旅館に入り風呂と食事を済ませ、沙耶が撮った写真の鑑賞会を開いた。

「へえ、凄く綺麗に撮れてるな。沙耶は写真のセンスが有るんじゃないか」

 俺は写真に対して全くの素人だが、沙耶の撮った写真はとても綺麗だと思った。


「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

「お世辞じゃないよ。本当にそう思う」


 俺は沙耶の肩を引き寄せた。沙耶は俺の腕に抱かれて目を閉じる。俺はゆっくりと沙耶にキスをした。


「沙耶、聞いて欲しい事があるんだ」


 長いキスが終わり、頬を赤く染めた沙耶の目を見つめて俺はそう言った。そして自分の鞄を引き寄せ、中から小さな箱を取り出す。


「俺の家族になって欲しい」


 俺は開いた箱を手の平に乗せ、沙耶に差し出した。箱の中身は婚約指輪だ。


「これ……」


 沙耶の表情は戸惑っているように見えた。


「俺と結婚して欲しいんだ」


 沙耶の表情を見て、俺は少し不安になった。俺と結婚する気はないのだろうかと。


「私はずっと一人で生きていくのだと思ってた……こんな私でも家族を持って良いのかな?」


 沙耶は目に涙を浮かべて俺を見る。


「良いに決まってるさ、当たり前だよ。今まで孤独だったけど、これから俺達は家族になるんだ。子供を産んで、その子供が孫を産んで、俺達は世界一幸せな家族になるんだよ」


 俺は沙耶を強く抱きしめた。


「うん、私もあなたと家族になりたい。子供もいっぱい産んで幸せな家族になりたい……」


 沙耶も俺を抱き返した。



 プロポーズから三ヵ月後に俺達は結婚した。職場の友人を招待してパーティー形式の披露宴を開いた。これまで住んでいた町に2DKのアパートを借りての新婚生活をスタート。家に自分以外の家族が居る。毎日が幸せで夢のような日々だった。


 沙耶はプロポーズの日以来、写真に興味を持ち、趣味として撮り始めていた。インドア派で読書が趣味な俺とは違ったが、お互いを尊重し合い一緒に暮らす障害にはならない。むしろ、俺達は生い立ちが似ていたから自分に無い相手の世界が新鮮で、尊敬の気持ちさえ持っていた。


 結婚した俺達には恒例の行事があった。桜の季節の中央公園。そこには必ず二人で出掛ける。そこが二人の始まりだから。


 そんな結婚生活が三年続いた。俺の短い人生の中で一番穏やかで幸せに過ごした時間だ。


 結婚してから俺は沙耶と一緒に過ごす時間以外は仕事に明け暮れた。子供が欲しかったから、沙耶が安心して子育て出来るように俺が頑張って、家庭を支えられる基盤が欲しかったのだ。


 俺も二十八歳になり、ようやく仕事も安定してきた。そろそろ子供が欲しいと相談していた、ある繁忙期。長い間風邪のような咳が続いていたが、忙しくて我慢していた。いよいよ仕事を続けられないくらい症状が重くなり、病院で検査を受けると医者から余命半年と告知を受けた。肺にがんが見つかり、手のほどこしようが無い事が発覚したのだ。


 まだ若く、自分の死の事など真剣に考えた事のなかった俺は医者の言葉をすぐに受け入れられなかった。


「嘘でしょ? 俺はまだ二十八歳ですよ」

「お気持ちは良く分かります……」


 医者は俺の悲痛な叫びに言葉を選びながらそう返した。


「何とかならないのですか?」

「残念ですが……」


 医師は俺の問い掛けに目を伏せて搾り出すように答えた。


 間近に迫った死を宣告され、俺の頭に真っ先に浮かんだのは沙耶の顔だった。まだ俺達には子供がいない。俺が死ねば沙耶を一人にしてしまう。自分が後数ヶ月で死ぬと言う事より沙耶を一人にしてしまう事の方が辛く、深刻な問題だった。


 家に帰り、病気の事を話すと、沙耶は「嘘でしょ……」と笑顔と不安が入り混じった表情で言った。その表情は俺からの「冗談だよ」の言葉を待っている。だが俺は沙耶の期待に応える事が出来ず、代わりに力一杯抱きしめた。


「嘘よ! 嘘に決まってる。私達やっと家族に成れたんだよ。そんなの嘘に決まってる……」


 辛かった。愛する人を残して死ぬ事がこんなに辛いとは思ってもいなかった。両親も死の間際、俺の事を想って辛かったのだろうか。


 俺達二人は言葉も交わさず、しばらくの間涙を流しながら抱き合っていた。


 二、三日は二人とも落ち込んでいたが、いつまでも悲しんでばかりはいられない。俺達は今後の事を話し合った。保険の事や相続の事、葬式や墓の事など。俺が動ける時間はほとんどない、その間にやっておかなければならない事がたくさんあった。


 話し合い後の数日間は、二人とも悲しみを忘れるくらい忙しい日々を過ごした。


「これで一通りの手続きのチェックは済んだかな」


 俺は一安心して沙耶に微笑み掛けた。


 俺と沙耶は自宅のリビングで死後の手続き関係のリストをチェックしていた。具合の悪い体で大変だったが、沙耶の為に何とかやり終えたのだ。


「ありがとう、あなた。これで明日から入院出来るね」


 沙耶が寂しそうな笑顔を浮かべて呟いた。


 今夜が我が家で過ごす最期の夜になるだろう。明日から入院すればもうここに戻って来られる保障は無い。そう考えた瞬間、一気に死が現実の物として俺の心を覆った。


「ごめん……」


 沙耶に向かい、俺は低く小さな声で謝った。


「どうしてあなたが謝るの?」

「家族になろうって言ったのに、沙耶を一人にしてしまうから……」


 沙耶は横に来て座り、俺を抱き締めた。


「あなたは優しいね……。自分の死が迫っているのに私の心配をしてくれる……」


 俺は沙耶の胸に顔をうずめた。


「一つだけ、あなたにお願いがあるの」

「お願い? 何でも言ってくれよ。今の俺に出来る事ならなんだってやるよ」


 俺は心からそう思っていた。


「ありがとう。私、あなたに人工頭脳になって欲しいの」

「人工頭脳?」


 人工頭脳。最近ではかなり一般化され、普通の人々の利用も増えているらしい。テレビでも盛んに宣伝している。


「あなたが人工頭脳になってくれれば、私達はこれからも家族で居られるわ。いつまでも、ずっと一緒に……」


 沙耶は思いつめたように俺を抱く腕に力を込めた。


「それは駄目だ。人工頭脳になっても体はないんだ。お前を家族として守って行く事は出来ないんだよ」

「分かっているよ、でもそれしかないのよ。体が無くったって、あなたが横に居て話し掛けてくれれば私は一人じゃない。箱でも良いの、箱でもあなたが傍に居てくれるなら……」


 俺の頬に冷たい雫が落ちた。沙耶の体が小さく震えている。


 沙耶の気持ちは嬉しかった。俺も本音を言えば、例え箱になったとしても沙耶の傍に居たい。


 人間に魂と言うものがあるとすれば、人工頭脳になったとしてもそこに在るのは思考だけで、魂は天国に行っているのかもしれない。箱はただの機械で何の意味も無いかも知れない。それでも俺は沙耶と一緒に居たい……。


 だが……。


「沙耶はまだ若い。俺の事は忘れて誰かと再婚すれば、子供も産めて家族も出来るんだよ」


 人工頭脳となった俺が傍に居ても沙耶を幸せには出来ない。沙耶の幸せを思えば、俺を忘れるしかないんだ。


「今までも、これからも、私の家族はあなただけよ」


 沙耶の言葉に涙が溢れた。


「……分かった。俺達はずっと一緒だ」


 俺は人工頭脳になる決心をし、沙耶を強く抱きしめた。



 記憶の不備も無く、人工頭脳へのデーターの移転が成功し、俺は箱として第二の人生をスタートさせた。

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