俺と言う名の箱

滝田タイシン

第1話 俺と言う名の箱【1】

 市民病院内のさほど広くも無い病室で、俺は間もなく死を迎えようとしている。今にも途絶えそうな意識を失うともう二度と戻れないだろう。妻の沙耶(さや)もそれを感じているのか、俺の手を両手で握りしめて懸命に励まし続けていてくれる。


「あなた……」


 沙耶の言葉はそこで途切れて後が続かない。可哀相に疲れた顔をしている。少し陰のあるその表情を見て出会った頃を思い出した。


 せっかくの美人が台無しだ。


「……心、配……する……な……すぐ……にまた……会え……る」


 俺は沙耶を笑顔にしたくて、最後の力を振り絞って声を掛けた。


「でも……」


 また会える事は沙耶も理解はしている筈だが、俺の肉体の死を目の前にして冷静ではいられないようだ。


 無理も無い。俺達夫婦は親兄弟も無く、子供もいない。夫婦二人っきりで生きてきたのだ。もし逆の立場だったら俺も耐えられないだろう。


 意識が薄れてきた……もう限界だ……。


 ……こうして俺の肉体は死を迎えた。



「……あなた……聞こえてる?」


 遠くから沙耶の声が聞こえる。その瞬間、目の前が急に明るくなって、心配そうな沙耶の顔が視界に映った。


 長く綺麗な黒髪、何時間でも見ていたくなる美しく整った顔、華奢な首から肩のライン。カメラを通して見る沙耶の顔は少し違和感があるが、以前と変わらないままだ。


 沙耶の背景から、場所は住み慣れたマンションのリビングだと分かった。

 無事成功したようだ。


「聞こえないの? あなた」


 沙耶が心配そうに顔を近付けて話し掛けてくる。その声は先程のように遠くからではなく、ハッキリと聞こえた。


「大丈夫聞こえてるよ」

「あなた!」


 沙耶の顔がパッと明るくなる。俺が生涯でただ一人愛した女性の笑顔だ。


「あなた……あなたなのね? 大丈夫? 何か問題は無い?」


 そう言われて考えて見たが、動かす体が無い以外は特に違和感は無かった。


「大丈夫、俺は無事帰って来たよ」

「良かった……」


 沙耶は涙を流して抱きついてきた。一メートル四方の金属の箱、人工頭脳となった俺の新しい体に。



 西暦二千二十年代に入り、人類の悲願とも言える不老不死の研究は様々な方面で進んでいた。


 中でも脳組織の研究は大きく進歩し、個人の思考を再現出来るレベルまで解明され、ついに人工頭脳の実用化に成功していた。


 将来的には個人の思考を持つ機械人間も可能となったが、実用レベルのロボットの体は出来ておらず、人工頭脳の小型化も人間の頭のサイズに収まるレベルではない。現状では縦横に可動するカメラと生前の姿を映像化するディスプレイの付いた、一メートル四方の箱に収める事で実用化されていた。



 箱になって甦った俺は、正確に記憶の移転が成功したのか確認する為、肉体を持った人間としての日々を振り返った。



 俺は十歳の時に事故で両親を亡くした。兄弟も無く孤独な身となった俺は、唯一の親族であった父方の叔父に引き取られた。


 叔父とはそれまで面識は無く、初めて会った印象もまるで親しみは感じられなかった。「厄介者を引き受けてしまった」子供だから分からないと思ったのか、叔父夫婦の会話からは言葉の端々にその思いが滲み出ていた。


 そんな俺をなぜ引き取ったのか? 理由は後から分かった。叔父が事業に失敗し、その借金の返済に俺が受け取った両親の遺産が必要だったのだ。


 貧しく、共稼ぎで生計を立てていた叔父夫婦は、幼い従兄弟の子守や家事を俺に押し付けた。血は繋がっているが、叔父夫婦の俺に対する態度は養ってやる分は働けと、とても肉親と言えるものでは無い。俺に安心出来る場所は無く、常に孤独だった。


 両親を恨む事もあった。なぜ俺一人残して死んでしまったのかと。当時は気付かなかったが、その恨みは寂しさの裏返しだった。両親が恋しくて、会いたくて、でも叶わないその想いを恨む事で紛らわしていたのだ。


 俺は中学を卒業すると同時に、叔父の知人が経営する小さな工場に勤めさせられた。給料は子供のお小遣い程度。俺の手に渡る前に、叔父にピンハネされていたと後で知った。俺はその少ない給料を使わずに貯金した。いつか自由を手にする為に。


 二十歳になり、こつこつ貯めたお金を持って、俺は叔父の家を逃げるように飛び出した。住み込みで働ける職を転々とし、二十二歳でようやく今の会社に落ち着いた。


 この歳までまともに友達も恋人も居なかった俺は、職場でも仕事以外の人付き合いは出来ず、このまま一人寂しく生涯を終えると思っていた。



 仕事が落ち着いて二年の時が経ち、俺の生活に転機が訪れる。会社の後輩から人数合わせでコンパに誘われたのだ。


 そんな賑やかな場が苦手な俺は断ったが、どうしてもと押し切られて渋々参加した。だが、そのコンパで運命を変える出会いが起こる。生涯ただ一人愛した女性、沙耶と出会ったのだ。


 一人で大人しく酒を飲んでいるつもりだった俺は、名前だけの自己紹介をして席に座る。すると相手側の女性陣にも同じような人が居た。その女性が沙耶だった。


 初めて見る沙耶は、長い黒髪の美人ではあるがどこか人を寄せ付けない暗さがあった。ビールを注がれても殆ど飲まず、自分からは話し掛ける事もせず、なぜコンパに来ているのか分からないくらいだった。そう言う俺も同じようなものだったが。


 場違いな俺と沙耶は、やがて押し出されるように話の輪を外れ、テーブルの端で向かい合っていた。


 もうお腹も一杯だし、そんなにビールも飲めない。手持ちぶさたになって向かいの沙耶に視線を送ると同じように沙耶もこちらを伺っていた。


 ここは何か話し掛けるべきだろうか。相手もそう思っているのだろうか。もしそうなら男の俺から話し掛けるべきじゃないだろうか。


 など、いろいろ考えた末に、俺は沙耶に思い切って話し掛けた。


「ビール注ぎましょうか?」


 俺は飲まないだろうなと思いつつも話し掛ける言葉も思い付かずに、作り笑顔で沙耶に聞いた。


「いえ、あまりお酒が飲めないので……。あ、私が注ぎましょうか?」


 沙耶がぎこちない笑顔でそう応えた。その笑顔を見て俺も同じようにぎこちない顔をしているのだろうなと思って少し可笑しくなった。


「あ、ありがとうございます」


 俺は飲みたい訳じゃ無かったが、コップのビールを半分ほど飲んで、沙耶に注ぎ足して貰った。


「コンパは苦手なんですよ。慣れてなくて」


 この場で言うべき話ではないと思ったが、なぜか沙耶には素直な気持ちでそう言えた。


「私も初めてで、苦手です」


 そう言った沙耶の笑顔からはぎこちなさが緩んでいた。気が付くと俺も自然と笑顔になっていた。


 その後、ぽつりぽつりとお互いの仕事や世間話など、当たり障りの無い、十分に相手との距離を取った会話をした。親しさが増すような会話では無かったが、人付き合いが苦手な俺には丁度良く、お開きになるまで心地良い時が過ごせた。


 やがて一次会が終わり、店を出ると参加者は二次会の相談をしている。俺はもちろん行くつもりは無かったが、沙耶が気になり彼女を目で探した。だがすでに沙耶は見当たらない。帰ってしまったようだった。


 俺は自分が残念な気持ちになっているのに驚いた。自分から積極的に人と関わろうとするのは初めての事だったから。だがそれも叶わず、俺の人生はそんな物かと諦め一人駅に向かった。


 駅に着き改札を抜けホームに上がる。階段を登り切った所で薄いグレーのスーツを着た長い黒髪の女性が立っていた。もう帰ったと思っていた沙耶だった。


「藤森さん?」

「え? あっ、有田さん」


 俺に声を掛けられ、沙耶は驚いて振り返る。


「藤森さんもこの電車なんですか?」

「ええ、砂元駅なので」

「えっ! 俺も同じ駅ですよ」


 沙耶の顔に自然な笑みが浮かんだ。俺もきっと同じような顔をしていると思うと嬉しかった。


 沙耶に話を聞いて見ると同じ駅どころか、家が数百メートルしか離れていない。駅から沙耶の家まで送る途中、俺達は居酒屋でしたよりも、もっと親しげに話をした。


 沙耶の自宅である四階建ての小さなマンションに着いた。


「あ、あの……メールアドレスの交換して貰って良いですか?」


 マンションに近づくにつれ、ずっと考えていた言葉を、俺は心臓が口から飛び出すぐらい緊張しながら沙耶に言った。


「はい、喜んで」


 沙耶も笑顔でそう言ってくれた。この時の笑顔を俺は一生忘れない。


 こうして俺達は連絡を取るようになり、デートを重ね少しずつ仲を深めていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る