第53話

「奴らを、俺の傍に誘導する!」

「え、えっ?」


 月城は短刀を構え、少しずつ前進を始めた。

 しかし、上野は意味が掴めず戸惑うのみだ。


 

 和樹と一戸は、教室の縦幅三つ分ほど先で夜重月やえづきたちの攻撃を回避している。

 だが彼女たちは、後方の月城と自分は無視している。

 術士には用は無い、とばかりの態度だ。

 

 それよりも――問題は、月城から託された『白峯丸しろみねまる』だ。

 薙刀など、漫画と一戸が扱うのしか見ていない。


(こんなん、兄貴が修学旅行で買って来た木刀しか持ったことねえよ……)

 両手で持ち上げると、米5キロぐらいの重さがあるような気がする。


「これで何をブッ叩けってんだよ……」

 泣き言をつぶやいても、月城は肩越しに自分を見て、首を縦に振るだけだ。


『お前は、神名月かみなづきたちの周囲に氷柱を出して、夜重月やえづきたちの移動範囲をせばめてくれ』


 彼は、そう指示した。

 彼は、自分は一度も転生していないと言った。

 それは、『近衛府』とやらで受けた訓練を覚えていると云うことだろう。

 

 

 彼に従うのが最善策らしい――。

 そう決断し、氷柱のイメージを思い浮かべる。

 水影月みかげづきの弟と出会い、氷を使えないかと思ったのが発端だった。

 あの凍て付いた海を思い浮かべ、水彩絵の具で氷を何度も描いてみた。

 それが役に立った訳だが……

(……やっぱ、キツイぜえ~~!)


 腹の底と額に力を込め、和樹たちの周囲に氷柱を出現させる。

 ゲームの魔術師にはМPが設定されているが、魔法を使って減るのはМPでは無くHPだと気付いた。

 氷柱を作るたびに、増す疲労感は半端ない。

 百段の石段を駆け上がる疲労感に腰が引っ張られる。

(……薬草は大事だわ~)

 嘆きつつも、集中力は決して緩めない。




 こうして上野が作った氷柱を、和樹と一戸は後ろに飛び下がって避ける。

 それを砕くのは、夜重月やえづきの一振りの炎だ。

 炎は氷柱を溶かすでも無く、粉々に砕く。

 氷片が舞い散り、夜重月やえづきは消え、刀を振りかぶる紗夜月さやづきが現れる。

 彼女は刀を一振りして消え、別方向から炎の波が押し寄せる。

 炎避けの氷柱の発生は間に合わず、和樹は一戸を庇って炎に耐え、夜重月やえづきに斬りかかる。


 この繰り返しで、少しずつ体力は削られていく。

 『魔窟まくつ』では、疲労も痛みも体感するのだ。

 だが、夜重月やえづきたちは疲労とは無縁らしい。

 息ひとつ切らさず、邪悪な笑顔を絶やさず、攻撃を繰り出す。


 

 氷柱は、最初の太い柱から薄い壁状に変化し始めた。

 上野の意思で変化させたのか、疲労のせいかは分からない。

 肩越しに見た上野は、膝立ちで荒い息を吐いていた。

 限界に近付いているのは、明らかだ。


 その手前では、月城が短刀を構えている。

 鍔が無く、刃の長さは庖丁ぐらいだ。

「……紗夜月さやづきを月城の正面に移動させる」

 一戸は囁いた。

 月城は『紗夜月さやづきを先に倒せ』と叫んでいた。

 和樹も頷き、太刀を構える。

 『水葉月みずはづき』を信じ、突破口を開くしかなさそうだ――。




「死ね! 小生意気なガキが!!」

 氷の壁の向こうの宙空に、憤怒の夜重月やえづきが出現した。

 体力の消耗は無くとも、持久戦に苛立ってきたらしい。

 振った刀から炎が噴き出し、氷壁を砕く。

 一戸は斜め後ろに後退した。

 和樹は息を止めて低く飛び、太刀で夜重月やえづきの一振りを受け止める。

 夜重月やえづきの刀と『白鳥しろとりの太刀』が交錯し、火花が上がる。

 

 すると――僅かな時間差で出現した紗夜月さやづきは、和樹と夜重月やえづきを飛び越して着地した。

 短刀を構えた月城は、振り返らずに叫ぶ。

「斬り落としてくれ!」


 短刀の先を紗夜月さやづきに向けつつ、左手に『浄化』の霊符を出現させる。

 短刀で霊符の中心を刺し抜き、その刃を紗夜月さやづきに向ける。

 光塵に包まれた刃に、紗夜月さやづきひるんた。

 

「ウジ虫があああっ!」

 紗夜月さやづきは、刀を垂直に振り上げる。

 向かって来る月城の右腕を切り落とすべく構える。

 だが、霊符に触れるのを恐れた彼女は……背後を見落としていた。

 

 紗夜月さやづきの刃は、月城の肘から先を斬った。

 ほぼ同時に、背後を捕った一戸の刃が、紗夜月さやづきの首根を貫いた。

 

 紗夜月さやづきの動きは止まり、月城の右腕の肘が弾ける。

 千切れるように、肘から上が分解していく。

 


水葉月みずはづき…!!!」

 上野は理解した。

 『斬り落としてくれ!』とは、『付け根から斬り落とせ』の意味だった。

 月城は、最初から右腕を犠牲にする覚悟だった。

 それは『賭け』でもあった。

 『転移』の術文字を記した刃で傷付けられたら、体がどうなるか分からない。

 最悪、体が異界に転移させられるかも知れない。

 だが――もし、右腕だけの犠牲で済む状況であれば、体を守るために『右腕を斬り落とせ』と彼は頼んだのだ――







「よし、今日は『長刀ながなた』」を扱う訓練をする」

 導師は言い、居並ぶ童子たちは、手にした棒状の木刀を見る。

 身長ほどもあり、木太刀よりも重い。


「そなたらは『術士』となるべき者たちだ。だが、術の使用には限界がある。霊符に術を封じても、時間が経つと効力は消える。それに霊符を持ち過ぎると、そなたらの身に苦痛をもたらすこともあろう……」


 居並ぶ童子たちは顔を見合わせた。

 列の中央辺りに立っていたアラーシュとリーオも、不安そうに互いを見る。

 『近衛府の四将』のうち、術士の相性は重要だと教わった。

 互いを信頼できない術士だと、術を封じた霊符は反発しあい、時には燃え上がると言う。


「何より、術士は霊符が尽きたら、剣士の足手まといになるやも知れぬ。そうならぬよう、刃を扱う訓練をして置かねばならぬ。本日から三日の間は、この『長刀ながなた』の扱いを教える」


「はい、導師さま」

 童子たちは声を揃え、指示に従って木製の『長刀ながなた』を置いて座った。

 その前で、若い師範二人は本物の『長刀ながなた』を駆使した演武を見せる。

 演舞とは云え、かなりの迫力だ。

 先端の刃がぶつかり、甲高い音を上げ、柄を掲げて刃を止める。

「すごいね。できるかな……」

 後ろの女の子が不安そうに囁き、アラーシュも首をすくめた。


「嫌いだな、こういうの」

 アラーシュは、リーオに耳打ちする。

「短い刀の方が使いやすいし。長刀ながなたなんて、護衛の衛士が持つ飾りだよ」

「うん……でも、やっとかなきゃ」

「リーオは真面目だなあ」

 アラーシュは、足元の長刀ながなたを恨めしそうに眺める。

 

 『近衛童子』として、帝都の『武徳殿ぶとくでん』で暮らし始めて四年目の秋。

 今年からは、剣士候補の童子たちと別々の訓練をする機会が増えた。

 術士の歴史を習い、前回は修練用の護符に触ることも許された。

 霊符の出し方を教わるのは、まだ数年先だろう。

 術士の能力は、ひとつ間違えると多くの犠牲を出しかねない。

 ゆえに『心を育てる』ための、動植物の世話にも時間が割かれている。

 剣士候補の童子たちが、自身と向き合う『瞑想』に時間を割くのとは対照的だ。






『リーオは真面目だなあ』

 

 不意に、自分の言葉が蘇った。

 いにしえの記憶が浮かび、そして閉じて去る。

 『白鳥しろとりの太刀』ほどで無くとも、『白峯丸しろみねまる』は主人と八百年を共にした霊刀だ。

 紗夜月さやづきの刀に記された術文字の効果を相殺する力は在るだろう。



「動くんじゃねええっ!!」

 上野は絶叫し、『白峯丸しろみねまる』を構えて駆け出す。

 あの日、師範から扱い方は習った。

 敵と向き合っている訳じゃない。

 ただ――水葉月みずはづきの右腕の付け根を断てば良い。

 

 上野は『白峯丸しろみねまる』を上段に振り上げ、月城との距離を目で測る。

 月城は倒れるのを堪えている。

 半壊した右腕を掲げている。

 自分に『断て』と命じている。

 

「くっそおおおおおおぉ!!」

 全霊を込めて打ち下ろした。

 真紅の飛沫が飛んだ。

 月城は倒れ、和樹は紗夜月さやづきの心臓を『白鳥しろとりの太刀』で貫く。



紗夜さやっ!!」

 叫びと共に夜重月やえづきが何も無いそらから飛び出した。

「貴様らあああああっ!!!」


 夜重月やえづきは刀を振り上げる。

 しかし、僅かな隙を一戸は見逃さない。

 彼の一閃は夜重月やえづきの横腹を断ち、和樹がとどめを刺した。

 二つのしかばねは重なり合って倒れ、紫色の炎と化し――消えた。


 

 失神した月城を一戸が支え、上野は力尽きて膝を付き、和樹は荒い息を吐いて虚空を見上げる。

 

 間違っていた――和樹は悟った。

 彼女たちは、決して『空っぽ』では無かった。

 夜重月やえづきは「紗夜さやっ!!」と叫んだ。

 『近衛府の四将』の誇りは失っていても、僅かに『心』は残っていた。

 最後の最後で、それが分かった……


 あの叫びを忘れるには、癒されるには――時間が掛かる。

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