第19話 カラオケ

 カラオケボックスは意外と狭く、両手を伸ばせば壁にぶつかるくらいだ。僕の両隣には天沢あまさわと犬星が座る。

 その正面には竹林と、光二。

 二人とも落ち着いた雰囲気で、曲を選び始める。

「こっちも選ぼっか」

 椅子の上であぐらを掻く天沢。髪は茶髪でメイクもバッチリ。どちらかと言えばギャルよりな子だ。

 そんな彼女がなぜ僕の隣に座るのか、甚だ疑問ではあるが、僕も曲を選んでいく。今はタッチパネル式のアイパットみたいなので選ぶらしい。

 操作していくとお気に入りのアニメの曲を見つける。

「歌っていい?」

 僕は天沢に尋ねると、目をパチパチとさせる天沢。

 驚いたらしい。

「ふ、ふははは。面白いね、カラオケにきて歌っちゃいけないなんてことある?」

 それもそうだ。

 聴いた僕がバカだった。恥ずかしい。恥ずか死にたい。

「それじゃ、『いけゴンダム!』、いっちゃえ!」

 ピッとタッチする天沢。

「あ。言わないでよ、恥ずかしい」

「これから歌うんだし、いいしょ」

 天沢の言う通りだ。

 この歌はすぐに竹林たけばやし光二こうじにも見つかる。

「お! おれも好きだぜ。この曲」

 光二が意外にも好意的だ。見てくれているらしい。

 あのアニメは人間模様が複雑かつリアルで、リアルロボット系と呼ばれるジャンルを確立した。

 僕はそのアニメの最初の曲を歌い始める。

 と、犬星が席を立ち、部屋から出ていくのが見えた。手にはスマホがあったように思えた。

 歌い終わると、僕はすっきりした気持ちで、席に着く。

「いいじゃん。けっこううまい」

 天沢が笑顔で迎え入れてくれる。

 こんな至福の時があっていいのだろうか。

 いいや、これまで過酷な状況だったんだ。これくらいおつりがくるくらいだ。

「今度はおれの番だな!」

 意気揚々と渦巻いているのは竹林。

 正義感あふれるあんパンの曲を歌い出す。

 光二の言ったように確かに音痴だ。でもみんな笑わずに聴いてくれる。

 これが友情なんだ。

 今までの歪で壊れた関係とは違う。

 これが友と呼ぶに値するものなんだ。

 それをかみしめる。

 するとドアが開き、犬星が帰ってくる。

 その顔はひどく青ざめているが、何かあったのだろうか?

「どうしたの?」

 落ち着いて聴いてみた。

「なんでもない」

 僕は言葉に窮した。

 どう見たって何かあった顔をしている。だが、それでも「なんでもない」という。

 あくまでもなかったことにしたい。そう言っているのだ。

 なら僕からは聴くことはできない。

 それに話したくなったら向こうから話すだろう。

 そう思いカラオケに明け暮れた。

「けっきょく八神はアニソンばっかだな!」

 光二がケタケタと笑いながらこちらを見る。

「まあ、僕が知っているのはそのくらいだから」

 申し訳なさが勝っていた。みんなの知らない曲ばかりを歌ったのだ。でも光二はそれでも知っていた。

 それが嬉しかった。

 マイノリティは排除される。そう思っていた頃がバカバカしい。

「二次会くるか?」

 竹林が僕に尋ねてくる。

「え。いや、家族が待っているから」

 僕はぎこちない笑みをこぼす。

 また〝ノリが悪い〟と言われるのだろうか。

 心臓が張り裂けそうになるが、竹林はニカッと笑う。

「そうか。家族を大事にな」

 天沢、竹林、光二はそのまま二次会に。残った僕と犬星は帰宅する。

 その道すがら、犬星は声を潜めて訊ねてくる。

「これでいいの?」

 これで、とはどういうことだろう。僕は復讐を遂げた。犬星にも、天沢たちにも復讐するつもりはない。

 これが僕の出した結論だ。

 でも僕はまだ腹の底が煮えたぎるような熱を感じている。

 まだ怒りは収まっていないのだ。

 それだけ魔林から受けた暴行はひどいものだった。そうだ。暴力だ。あれは〝いじめ〟なんて生ぬるい話じゃない。

「お前はトイレの水を飲んだことがあるか?」

 犬星に問う。

 それで分かると思った。

 犬星なら理解してくれると、そう期待してしまった。

「ごめんなさい。余計なことを聴いた」

 ばつの悪そうな顔をする犬星。

 その態度に苛立ちを覚え、目の前に転がっていた小石を蹴り上げる。

 僕には犬星の気持ちが分からない。それと同じように犬星も僕の気持ちが分からないんだ。

 それは当たり前のこと。双子でさえも、お互いの気持ちは分からない。それは誰もが知っていること。でも時々、そんなことも忘れてしまい、何かを他人に求めてしまう。

 理解してもらえるんじゃないか? と。

 それはエゴであり、高望みという。無い物ねだりをしても、得るものはない。

 そこには何もない。

 でも彼女を泣かせるには十分だったらしく、犬星は静かに泣いた。

 それを見て、さらにいらつく。

 泣きたいのはこっちだって。

 でも、もう泣けるだけの心がない。

 僕は本当に空っぽになってしまったような虚無感に襲われる。

 とりあえず、犬星を家まで送り届けると、僕はスーパーによる。

 そこで夕食の買い出しをして、帰宅するのだった。

「ただいま」

 帰っても、兄は返事もよこさず、一人こもっている。

 そんなにパソコンが好きならパソコンと結婚してくれ。

 そう願い、料理を作る。

 今夜はハンバーグだ。

 僕の好物でもある。でも最近味が分からなくなってしまった。それでもハンバーグの味なら分かると期待してのこと。

 食べてみたハンバーグは無味無臭。

 おいしくなかった。

 味覚がおかしくなったらしい。

 でも病院にいく余裕もうちにはない。

 父は毎晩遅くまで仕事をし、朝早くに出ていく。

 真面目な父のことだ。その言葉に嘘偽りはないのだろう。他で女を作るような軽率さはない。

 だからこそ、僕は恨み言の一つも言えなかった。

 家族のためかはさておき、稼ぎを、生きるための日銭を稼いでいるのだ。僕がどうこう言える立場じゃないのは分かっていた。それだけに文句の一つも言えなかった。

 今の会社をやめて、もっと子どもとの時間を作るなんて提案することもできない。

 でも今日は父と久々に会う。僕は一つの提案をする。

「お兄ちゃんに家庭教師をつけてあげて」

 それは兄に対する願い。

 兄は勉強が嫌いというわけじゃなかった。ただ自分のストレスのはけ口を探していた。

 そんな中、来年は受験というところまで差し迫っていた。

 このままじゃ、大学には進学できない。かといって働くだけの精神を持ちあせていない。

 さらに言えば、本人と父は大学に通うのを目標としている。

 そうなれば家庭教師という考えはすぐに見つかる。

 兄は他人が怖いわけじゃない。それも分かっている。

 だから提案した。

 きっと兄も勉強を望んでいるだろう。

「分かった。考えておく」

 短い言葉だったが、それで満足だ。

 兄の心配ごとが一つ減ったのだから。

 これで僕が学校を通い続ければ何も言うことはない。

 幸いか。僕は勉強が好きだった。

 特に理系の授業が面白く、点数の伸びも良い。

 このまま行けば大学には間違いなく進学できる。

 僕は宿題を終わらせると、ベッドに倒れ込む。

 神経を使った。それは今日の竹林や天沢、光二との絡みからくる疲れだろう。

 久々に人とあんなに会話したのだ。

 それにカラオケ。

 久々に歌ったからか、喉がガサガサになったが、気持ちよかった。

 まだ人としての心が残っていた安堵感と、疲労。それに爽快感。

 枕がぬれている。

 あれ。なんでだろう。

 僕は泣いている。

 目から止めどなく涙が溢れてくる。

 もう枯れ果てたと思っていたが、そうではないらしい。

 まだ生きていていいんだ。

 そう思えた。

 生きているから泣けるのだから。

 でも心が動いたわけじゃない。何かに感動したり、何かに喜びを覚えたわけじゃない。

 なんとなく。ただなんとなく涙が流れてきたのだ。

 それはもう、雨が降るのと同じように。自然の摂理に身を任せるように。

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