其の十一

『小夜は朱夜さんに髪の毛を切られるのを酷く嫌がる。なんでも、絵に描いたような日本人形みたいになるからだそうだ』


 九月。大学の講義はまだ休みであり、勉強やバイトをする時間が多く確保できる時期。私はどや顔をしている小夜の正面に座っていた。今日はバイトの空白日でもあり、たまの休日を小夜と喫茶店で過ごしていた。どや顔の小夜の目の前で私は軽く頭を抱えていた。


「まさかこんな簡単にことが済むなんて思っていなかったぞ」

「……まぁ小夜のおかげでもあるけど、向日葵ちゃんも凄かったんじゃ」

「彼女の功績も確かに大きいが、きっかけを作ったのは間違いなく私だぞ」

「それはそうかもしれないけれど」


 私は頭を掻きながら。


「あんまり無茶しちゃダメだよ?」


 そう小夜を諫める。

 小夜が解決した物事は所謂『いじめ』標的になったのは、なんと向日葵ちゃん。


「だが、無茶をしないと向日葵ちゃんを守れなかったからな」

「本当にああ言えば、こう言う」


 なおも得意げな小夜の頬を軽くつまみ横に広げる。もちもちとした肌がぐにゃっと広がる。


「ほっへをひっはらはひへぇふへ」

「今度からちゃんと周りの大人も頼りつつ解決するんだよ?」

「ほーい」


 私は机の上で広げっぱなしになっている小夜の大学ノートに目を落とす。そこには小夜がいかにして向日葵ちゃんを助けたのかが事細かく書かれていた。


 放課後、なんだか騒がしい声が聞こえてきたので、掃除ロッカーの隙間部分から外……教室の様子をうかがう。

 ふむ。見たところ、どうやらよろしくない状況のようだ。私は思案する、この状況を打開する方法を。


「ホント気持ち悪い」

「………………」


 まさか掃除ロッカーで、忍者風隠れ身の修行をしていたら、こんな場面に出くわしてしまうなんて。

 勅使河原さんはずっと俯いたままだし、他のクラスメイトはひたすら勅使河原さんを責め続けている。これは世間一般的に言ういじめというやつか? そうだな? そうだろう?

 複数人数で一人を囲むのか、そうなのか。

 とりあえず掃除ロッカー揺らしてやろう。ほれ、がたがたと。



「……えっ」

「何、何!?」


 勅使河原さん以外は驚き、私の方を見ている。なるほど、これは陽動作戦としてはかなり有用だな? 私は勢いに任せて、掃除ロッカーの中で揺れ動く。勅使河原さんを囲んでいたクラスメイトの女子たちは、だんだんと顔色を青くし震え始める。

 ふむ、男子たちが変ないたずらをする理由が若干わかった気がするな。

「勅使河原!! お前が見に行ってよ!!」


 そう言って、クラスメイトの一人が勅使河原さんの腕を掴み、無理矢理動かす。勅使河原さん本人は酷く困惑しているというか、全く動揺しておらず、よくよく見てみると、口が『鳴無さん?』と動いているのが見える。なるほど、これはバレてるな。

 バレてしまっては仕方がない。隠密行動もこれにて終幕というわけだ。

 私は箒やバケツを動かしながら掃除ロッカーの内側から扉を開く。クラスメイトの何人かは悲鳴を上げ後ずさる。

 私はそんなクラスメイトの悲鳴を聞きながら、掃除ロッカーの前に立ち、埃を払う。


「続きをしないのか? 案外臆病者なんだな?」


 私がうぃっとに富んだジョークを披露したのだが、誰も反応しない。安堵しているような、さらに混乱しているような、そんな不思議な表情だ。私はそんなクラスメイトたちにもう一度声を掛ける。


「続きは?」


 すると、私と声で我に返ったのか、クラスメイトの一人が「いこ!」と大声を上げ、教室から出て行ってしまった。するとぞろぞろと他のクラスメイトたちが教室から出ていく。男子が言うつれしょんと言うやつか? 女子でもやることがあるのか……これは次の日直日誌に書いても良いかもしれないな。そんな未来への展望を考えていると。


「あ、ありがとう……鳴無さん……」


 そんなか細い声が私の耳に入る。思考を一旦中断し、勅使河原さんことを確認する。特に外傷は見当たらないが……。


「なにお安い御用だよ。まさかクラスの中でこんなに露骨ないじめが発生しているとは思っていなかったけどな。普通、こういういじめってのはクラスで目立っている人間が受けるものではないのか?  私は結構クラスの中では目立っている自覚はあったんだがな……」

「それは鳴無さんが破天荒すぎるからだと思うよ?」


 勅使河原さんは首を傾げながらそう言う。破天荒、破天荒?


「目立ってはいるが、言うほど破天荒か?」

「破天荒じゃない人は掃除ロッカーの中に隠れたりしないよ」

「なんと」


 破天荒と言うのは由香お姉さんみたいなことを言うんじゃないのか。何度か恵里衣お姉ちゃんから由香お姉さんのことを聞いたことがあるが、由香お姉さんはわりと濃い人、今時の言葉を使うならやべー人だ。


「鳴無さん?」


 私が黙ってしまったからだろう。使河原さんが不安そうな顔で私の顔を覗き込んでいるのが見える。私は顔を上げ。


「ああ、すまない。考え事をしていた」


 と返す。どうやらこの言葉で安堵したらしい。勅使河原さんは深く息を吐く。


「しっかし、あの女子たちはどうしたんだ? 勅使河原さんが何をしたって言うんだ?」

「……あー………え……っと」


 私がいじめの原因を探ろうとした時、何故か勅使河原さんはとてつもなく気まずそうな表情を浮かべる。何か言いづらいことなのか?


「創作物において定番なのは……そうだな、不可抗力で他の男を取ったとか?」

「あー、あ、当たらずとも、遠から……ず?」


 何と。うちのクラスはもう色恋沙汰が発生しているのか。私なんかよりも遥かに大人な感じなんだな。だがしかし、真相がいまいちわからない。いじめの原因がわからないと私としても行動しづらい。私はじっと勅使河原さんを観察する。彼女のどこにいじめられる要素が……?


「お、鳴無、さん?」


 私の視線に驚いているのか怯えているのか、勅使河原さんは少しだけ震え、自分で自分を抱きしめる。まるで何かを隠しているようだが……。

ん? 何かを隠している?


「あぁ、そういうことか」


 合点が言った。なるほど、なるほど。


「同世代の女子と比べてバストが大きいからか」

「……〜〜〜〜〜ッッ!!」

「あいた!?」


 勅使河原さんに鎖骨を殴られた。何故、何故なのだ。


「口に出す……!! それっ……駄目……っ!!」

「あいたた!? すまないっ、謝るから!!」


 涙目になっている勅使河原さんに何度も執拗に鎖骨を狙われた私は思わず謝罪の言葉を発する。それでも勅使河原さんの攻撃は終わらない。


「恥ずかしい……つ、から!! やだ!!」

「ごめんって!! すまないって!! 何故そこまで執拗に鎖骨を狙うんだい!?」


 勅使河原さんの怒り? 羞恥? が治まるまで私は鎖骨を攻撃され続けた。痛みは蓄積され、骨にひびでも入ったのではないかと思ったころ。


「ふぅ〜〜〜っ! ふう……ごめん」


 ようやく落ち着いた勅使河原さんが私に頭を下げてきた。私は「くるしゅうない」と言ったあと、勅使河原さんと私の分とランドセルを持ち、教室の椅子をしまい、黒板消しを所定の位置に戻す。窓の鍵を確認し、施錠を確認する。


「よしっ」


 私はそう言い、勅使河原さんに彼女のランドセルを渡し、自分のランドセルを背負う。今日は宿題は算数のプリントのみなので、そこまで重くはない。ぶん回しても、制御できるくらいだ。教室の見回りが終わり、教室から出る際に、ふとゴミ箱を確認すると、そこには今日宿題の算数のプリントが入っている。

 何か、とても嫌な予感がする。


「勅使河原さん。今日もらった算数のプリントってあるかい?」

「っ……それは……」

「ふむ。じゃあ私のをあげよう。なぁに、先生には私の話術で誤魔化しておくよ」


 そう言って私はランドセルの中から算数のプリントを取り出し、勅使河原さんに押し付ける。勅使河原さんは最初こそ渋い顔をしていたが。


「ありがとう……鳴無さん……」


 そう言うなり、勅使河原さんは丁寧にランドセルの中にプリントを入れた。

 ……ふむ。


「前々から思っていたが……何か鳴無って言われるのすっごいむずむずするな」


 恵里衣お姉ちゃんしかり由香お姉さんしかり、親しい人からは基本的に名前で呼ばれているせいか、なんか苗字で呼ばれると胸のあたりがくすぐったいというかなんというか。

 そうだ。


「私のことは小夜と呼んでくれ」

「……えぇ!?」

「苗字で呼ばれるの、なんか他人行儀な気がして嫌なんだ」


 私がそう言うと、勅使河原さんは目をきょろきょろと泳がせたあと、意を決したように声に出す。


「小夜……ちゃん」

「私こそ小夜だ」



「向日葵ちゃんにセクハラをかますな」

「バストのことか? 同世代で同性だから良いではないか」

「良くないっての」

「あいたっ」


 何ともデリカシーのない小夜の頭を軽く小突く。向日葵ちゃん、きっと物凄く恥ずかしかったんだろうな……。



 次の日。算数の時間。


「先生!! プリントがごみ箱に捨てられてたんで宿題やってないぞ!!」


 大声で叫んでやった。クラスメイトはざわつき、いじめっ子の顔が強張ったのが視界の端に映った。


「…………本当に?」

「教室、後ろのゴミ箱に捨てられてたぞ。もしかしたら処分されてるかもしれないが」

「将雅くん、後ろのゴミ箱開けてみてくれる?」

「は、はい……」


 担任の先生は厳しい表情を浮かべながら、クラスメイトの男子にそう指示をする。授業が始まる直前までプリントが入っていることを私は確認しているし、なんなら他のゴミで多少カモフラージュしてやった。入っていなかったら入っていなかったで私が大目玉を食うだけだ。少なくとも勅使河原さんには被害は及ばない。


「先生……これ……」


 クラスメイトの男子はこわごわとプリントをゴミ箱から取り出す。いじめっ子たちは目を逸らし、先生の顔を見ないようにしている。


「……帰りの会で、このことについて話しましょうか」


 そんな担任の言葉にクラスメイトの一人が。


「自分で捨てたんじゃないのー?」


 そう声を上げた。

 その声に対し、私はにこっと笑い。


「なんでそんな発想が出てきたんだ?」


 と返す。すると、その声を上げた女子……いじめっ子の一人が顔を青くし、目を逸らす。その様子を先生は黙ってみている。まさかこんな簡単に犯人を特定させてしまうとは……もう少し賢い人間だと思っていたのだが、


「先生、この問題……喧嘩は当人同士で解決するから、そこまで大きくする必要はないと思うぞ」

「……はぁ、解決できなかったら先生を呼ぶこと、良いわね」

「ふむ。ついでに宿題の問題は全部覚えているから、差してもらっても問題ないぞ」


 頭の中に昨日のプリントの内容を広げる。宿題ということもあって、そこまで難しい問題はなかったはずだ。


「……じゃあ三番を鳴無さんに解いてもらおうかしら」

「心得た」



「これ一歩間違えれば小夜が大目玉だと思うんだけど」

「そうだな。だが、これくらいの自己犠牲は仕方あるまい……と言っても、ちょっと成績が悪くなるくらいだから、そこまで大きな問題ではないと思うけどな」

「そうかなぁ? 朱夜さん怒ると怖そうだけど」

「おばあ様は話がわかるお方だから、理由も聞かずに怒ったりはしないぞ」

「なるほどね……」

「ちなみに恵里衣お姉さんなら、どうやって助ける?」

「なんで助ける前提なのさ」

「恵里衣お姉さんだからだよ」

「…………もし、助けるんだとしたら? うーん……全員の本を読み込んで、全員の動機を線でつないで弱点をあぶりだして、内部崩壊させる?」

「由香お姉さんが聞いたら泣くぞ」

「なんで由香が出てくるのさ」



 放課後。その日は帰りの会での学級裁判は行われず、担任から当事者同士で話をつけろと言われた。担任としても面倒ごとを避けたいだろうし、妥当なところだろう。

 どうしても解決できないようであれば大人……先生を介入させると約束し、私と勅使河原さん。それといじめっ子グループだけが教室に残った。


「ひいふうみい……五人で勅使河原さんをいじめていたのか。なかなか小心者だな。それともリーダーがいるのかい?」


 私が最初にそう発言するといじめっ子四人の目線が一人に向く。……リーダーと書いて、『生贄』と読むやつか。


「あー、勘違いしないでほしいが、別に罰を受ける代表者の話はしてないぞ?」

「……うるさいな」


 一人が反発的な言葉を私に向かって吐き捨てる。先生が同席していなければ怖いものなどないと言った様子だ。

 そんなうるさいと言ったクラスメイトに私は。


「耳が痛いだけじゃないのか? おこちゃま」


 思いっきり言葉で煽る。うるさいと言ったクラスメイトの眉が歪む。


「大体、好きな男子の日線が勅使河原さんに行ったくらいでそこまで怒るかね。自分でアピールすれば良いじゃないか」

「……は?」

「男子も自覚しているけど、本当にちょろいぞ? 優しくされたりすると一気に持っていかれるって言ってたしな。あ、彼の名誉のために誰が言っていたかは伏せさせてもらうけどな」


 私が事実を並べると、いじめっ子の一人……というかリーダー格の女子が立ち上がり、私に近づく。私は眉毛を上げながら言葉を放つ。


「ま、あれだ。くだらない嫉妬心でいじめるのはやめたほうが良いぞ。馬鹿に見える」


 すると、リーダー格の女子にたどたどしい手つきで胸倉を掴まれる……ふむ。


「あんた、これ以上勅使河原の味方をすんならああ!?」

「悪いな」


 私は胸倉を掴まれた手を左手で軽く捻り、右肘で胸倉を掴んでいる相手の肘を真下に落とす。すると、抵抗なくクラスメイトの女の子はつんのめり、転びそうになる。それを私は足払いをして、無理矢理椅子に座らせる。もしかしたら、尾てい骨が椅子に当たって痛かったかもしれないが、それくらいは我慢してくれ。


「でっ、え!?」

「少々うるさいからお座りしててくれ」


 私は笑顔を忘れずに私の胸倉を掴んだ子に言う。私なんかより高身長だった彼女は何が起こったのかいまだに理解ができていないみたいだ。


「この……っ!! ちょっと頭良いからって!! 人気者だからって、調子に乗るなって!!」


 そんなことを言いながらクラスメイトたちが一気に私に掴みかかってきた。複数人相手は確かに面倒くさい。何より手加減が難しい。

 私はいきり立って一番槍を務めた女子の膝を爪先で小突き、体勢を崩させる。そして、そのまま喉笛の少し下、くぼんでいるところを本当にかるーく押す。


「んぐ!?」


 喉が閉まって……というより、身体の防御反応で苦しくなったのだろう。彼女はあっけなく後ろに倒れる。先頭の子が倒れたことによって、将棋倒しになり、全員が体勢を崩す。私はそんなクラスメイトたちを冷ややかに見つめ。


「私もお年頃なんだ。新しい技を会得したらそりゃあ使いたくもなる」


 そう言ってせせら笑った。無論挑発目的だ。ここまで大騒ぎすれば、担任……とは言わないが、大人がこの現場を目撃するかもしれない。交渉は決裂も良いところ、本当は穏便に事を済ませようとしたのだが……。


「許さない……」


 一人のクラスメイトがぶつぶつとつぶやきながら自分の道具袋から何かを取り出す。

それは。


「おお。ハサミか」


 わかりやすい凶器を取り出し、私に向ける。


「ちょ…よっちゃん!! それはまずいって!!」

「うるさい!! こいつは!! 絶対に!!」


 さすがにハサミは予想外かつやばいことらしい、必死になって止めようとするが、みんな口だけ。

 仕方がないことだ、凶器を持った人間ほど怖いものはなかなかない。今のこの状況下において、クラスメイトは役に立たなそうだ。

 こうなったらどうやって自分で止めるかを考えなければならない。取り出してきた文房具がコンパスやらカッターとか彫刻刀じゃなくてよかった。ハサミなら、挟まれたり、強く刺されない限り、大怪我を負うことはないだろう。過去に母親に髪の毛をばっさりと切られた記憶があるような気がするが、まぁ今は些末な問題だ。

 そんな考え事を繰り返していたその時、教室に大きな音が鳴り響く。思わずハサミを持ったクラスメイトから目を逸らし、音が鳴った方へ目線を向ける。すると、そこには勅使河原さんの姿が。


「小夜ちゃんに!!手を出さないで!!」


 勅使原さんは叫ぶ。今まで聞いたことのない大音量。私の鼓膜は左右とも無事か? 無事だ! 無事です!! なるほど良かった。いや良くない。よくよく見てみたら、勅使河原さん椅子持ってるではないか。誰かに当たったら、それはそれで大怪我確定だ。


「ふむ、逃げた方がよくないかい?」


 私は諭すようにクラスメイトに言うと、何を思ったかクラスメイトは私を向かって。ハサミを振りかざしてきたではないか。ハサミをもぎ取って、制圧する……頭の中で完璧なプランを思い浮かべたその時、勅使河原さんが椅子をぶん投げた。私は咄嗟にハサミを振りかざしてきたクラスメイトの襟首をつかみ、地面へと引き寄せる。比較的身軽だと言われている私の体重であるが、全体重を乗せればさすがの彼女も耐えられまい。

 私の予想通り、クラスメイトは私に向かって倒れこむ。その直後、そのクラスメイトの上空を椅子が通過し、後ろのランドセル用ロッカーに直撃する。危ない危ない。


「勅使河原さん、それはあまり賢くない選択だよ」


 次の椅子が飛んでこないうちに、勅使河原さんを諫めると、彼女は。


「小夜ちゃんを傷つけるやつは、許さない!! ゆるっ、許すもんかあああ!!」


 そう言い、もう脚の椅子を持つ。ふむ、状況は良くないな。


「もう一回失礼するよ」


 私は驚き固まっているクラスメイトの肩を持ち、私に馬乗り状態にさせる。そして足を拝借し、少し浮かせることによって私は床から脱出する。


「あああああっ!!」


 勅使河原さんは顔を真っ赤にしながら椅子をぶんぶんしてる。男子たちに借りた漫画にあった『狂戦士」、まさにあれだ。私はクラスメイトを再び持ち上げ、別の椅子に座らせると、勅使河原さんに近づき。


「めっ!」


 と叫ぶ。恵里衣お姉ちゃんのようにうまくはいかないかもしれないけれど、私だって誰かを叱ることはできる……はずだ。


「そんなに椅子を振り回したら、危ないだろう?」

「小夜ちゃんが傷つくくらいなら、あのクラスメイトを、今ここで……!!」


 勅使河原さんは肩で息をしながら、言葉を紡ぎ続ける。


「小夜ちゃんは!! 初めてできた友達っ、だから……!!」


 その言葉に私は揺れる。


 恵里衣お姉ちゃんに解消してもらうまで、一ページに詰まっていた記憶群。その中に入っている記録。 私にとっては大昔のこと。


「あのっ、人っ、恵里衣さんのせいで!! 変わってしまったっ、いや、元に戻ってしまった、けど!! それでも!! 友達なのっ!!」


 勅使河原さんは興奮し、目を見開く。私はゆっくりと黒に染まった記憶のページを思い描く。そして、一つ一つの筆跡を紐解き、書き直し、思い出す。


『切り傷……怪我、痛くないの?』

『………………?』


『鳴無さん……こっちだよ!! そっちじゃないよ!?』

『…………?』


『また怪我増えてる……酷い痣……』

『…………』


 ふむ。なるほどな。

 私はそっと意識を現在に戻す。そっと、勅使河原さんの頭を抱き寄せる。


「落ち着いてくれ、勅使河原さん。いつも私のためにありがとうな」


 なるべく落ち着かせるために私はできるだけやさしい声色を作る。イメージは恵里衣お姉ちゃんのあの感じ。


「今まで記憶の奔流に押し流されていたが……確かに、勅使河原さんはずっと一緒に居てくれたんだな」


 私の言葉に勅使河原さんは震え、椅子をそっと下ろす。何とか落ち着いてくれたみたいだ。


「ふむ。これで流血騒ぎには発展しなさそうだな」


 そっと胸を撫でおろしながら私は言う。そして、ゆっくりと家に帰る準備をする。勅使河原さんは黙ったまま、私に従う。


「今日のことはさすがに明日先生に報告させてもらう。さすがにハサミはやりすぎだ。一歩間違えれば、私たちはもちろん、君たちも危なかった。この年で警察のお世話は嫌だろう?」


 ランドセルを勅使河原さんに背負わせ、自分のランドセルを背負い、息を吐く。


「………勅使河原だって、椅子、投げたじゃん」


 誰かがぼそっと呟いた。振り向いていると、クラスメイトたちが全員目を逸らしている。誰が言ったのか皆目見当もつかない。

 立てつく勇気もなければ、誰かを守ろともしない。それに、勅使河原さんのみをターゲットにしようとしている。

そんな彼女たちに私は、感情を揺らした。


「あまり調子に乗るな」


 あれ。自分でも驚くくらい低い声が。

 私は一体どうしてしまったのだ? 普段は決して感じることないちりちりとした感情が声に乗る。


「今回は勅使河原さんが許したから君たちを許すが……」


 勢いと感情を乗せた拳を掃除ロッカーに叩きこむ。元々少し凹んでいたロッカーがさらに私の拳の形に凹む。クラスメイトはそれを見てさらに顔を青くする。


「次はないよ」


 そう言って私は勅使河原さんの手を引く。

 もしかしたら私は思ったよりも短気なのかもしれない。こんなところばかり両親と似ていてもなぁ。

 これにて勅使河原さんいじめ騒動は一件落着だ。これで勅使河原さんにちょっかいを出すようなら、それはもう証拠品を山ほど集めて大人に対処してもらうしかない。

 自分の拳を見てみると、心なしか赤くなっている。感情に身を任せた結果だ。甘んじて受け入れるしかない。


「小夜ちゃん……手っ、すごい紅い……」

「ん? あぁ、ゴルフクラブよりかは痛くないよ」

「それと比べちゃ駄目だよ……」


 勅使河原さんは心配そうな眼差しで私を見る。どうしたものか、こういう時、恵里衣お姉ちゃんなら……。


「勅使河原さんを守るためだ。これくらいなんてことないよ」


 私がそう言うと、ぷくっと、勅使河原さんがフグのように頬を膨らませる。


「………今、恵里衣さんの真似したでしょ」

「何!? 何故わかった!?」

「小夜ちゃんからそんなセリフは出てこない」


 なんてこった見抜かれてしまった。すまない恵里衣お姉ちゃん。どうやら私は恵里衣お姉ちゃんみたいに有効活用できないみたいだ。

 教室から、下駄箱から、学校から離れるほど、勅使河原さんは元気になっていったような気がする。緊張が解れたのだろう。

 明日からまた色々と大変かもしれないが、一旦は落ち着いた、か?

 そんなことを勅使河原さんの手を引きながら考えていると。


「小夜ちゃん!!」


 手を繋いでいる彼女にそう呼ばれ、ゆっくりと振り返る。ランドセルを揺らしながら、勅使河原さんは目線をあっちこっちに動かしている。何か言いたいことがあるのだろうか?


「小夜ちゃん!! 私、もっ!! 私も!!」


 勅使河原さんはつっかえながら、言葉を続ける。まるでテレビで見る愛の告白みたいだ。

 数秒のためらいのあと、勅使河原さんは言う。


「向日葵って、呼んで、ください!!」


 ふむ。確かに私だけ呼び方を指定しているのはいささか押しつけがましかったか。私は勅使河原さん……いや、向日葵ちゃんの顔を見ながら。


「わかった。向日葵ちゃん」


 私が名前を呼ぶと、彼女の顔が ---気に紅潮する。そんなに恥ずかしかったのか?


 私は小夜の大学ノートを閉じ、深いため息をつく。


「こんな子に育てた覚えはありません」

「残念ながら私は恵里衣お姉さんの娘ではないぞ」


 そう言い、いつもの謎のポーズをとる。相変わらず能天気と言うか破天荒と言うか……。


「と言うか。恵里衣お姉さんは私のことを好き勝手言っているが、同じ現場に居合わせたら、恵里衣お姉さんもいじめられっ子を助けているだろう?」

「それは……」

 どうだろうか。今の私なら間違えなく助けないと思う。

本人のためにならないとかそんな大層な理由ではなく、そんないじめ問題に関わり合うのは酷く面倒だ。少なくとも、今の私、は。

 それに、中途半端に助けたところで……。


「……助けないと思うよ」

「いーや、助けるね。恵里衣お姉さんはそう言うのを見逃せないし、許せない体質だしな」

「なにおう」


 私は再び小夜の頬を摘み、ぐにぐにと動かす。


「まひゃは」

「このこの」


 小夜は嫌がることはなく、為すがままに、頬を揺らされている。

そんな休日の午後。


「……ってか向日英ちゃんでは私のこと普通に名前で呼んでいるんだね」

「おっと、内緒にしておいてくれ、向日葵ちゃん本人が聞いたら暴れかねない」

「……わかった」




 夕方。小夜を家に送り、私は一人帰路についていた。スマートフォンの通話アプリで、由香へメッセージを送っていると、目の前に高身長の何かが立ちふさがった。それは……。


「奇遇じゃないか。こんなところで出会うなんて」


 大学の図書館で私にちょっかいを出してきたあの女だった。太宰……と名乗っていたか。 私は軽く会釈して彼女の横を通ろうとした。

 しかし。


「おっと、どこへ行くんだい? もうそろそろ夜だよ? 女の子一人は危ないんじゃないかい?」


 そう言われ、腕を掴まれる。私は顔を上げ、抗議の意味も込めて、太宰の目を見る。


「…………」


 その瞬間、私はとてつもない悪寒に襲われる。

 なんだ、この目は。綺麗な瞳のはずなのに、整っていてモデルのような、マネキンのような綺麗な月のはずなのに。なんでこんなに淀んで見えるんだ? 底なし沼のように渦巻いていて、とてもグロテスクな瞳……。

 私は本能で彼女の腕を振り払おうとした。しかし、まったくほどけない。


「どうしたんだい?」


 彼女はいかにも心配していそうな表情を浮かべ、心配していそうな声色を出す。だけど、腕を掴む力だけはまったく何も変わっていない。

 彼女はなおも淀んだ瞳で笑みを浮かべる。


「酷いじゃないか、恵里衣。なんでそんなに逃げようとするんだい?」


 彼女の思考や行動が一切読めない。

 本を奪いたいが、前回のように回避される恐れもあるし、何より背が高くて頭の上の本を奪うチャンスがない。

大声でも叫んでやろうか、そんなことを考えていた時だった。


「…………シャァオラァァァ!!」


 そんなとんでもない掛け声とともに、何かが私の目の前を通過する。それと同時に私の腕が解放される。何事かと目をぱちくりとさせていると、目の前に見覚えのあるボブカットの人間が。


「何してんだてめぇ……」


 青筋を立てた由香がそこに居た。着地の体勢を見るに、どうやら太宰目掛けて飛び蹴りを放ったらしい。大学生にもなって何をしてくれているんだが。


「危ない危ない。なんてことをしてくれるんだ」


 一方の太宰は由香の飛び蹴りを避けたらしく、パーマがかかった黒髪をがしがしとかいている。口元は笑っているが、遊んだ瞳は一切笑っていない。


「恵里衣に何してたんだって言ってんだよ」


 もう一方の由香は荒く息を漏らしながら、太宰を睨みつけている。今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。


「道端に可愛い人が歩いていたんでね。もうそろそろ夜だし、エスコートでもしようかと……」


 そう彼女が答えた瞬間、由香がとんでもない速度で太宰を殴りぬいた。速すぎて、止める間もなかった。ミシッと言う音と共に、太宰が大きく後ろへ揺れる。


「ちょっ……由香!!」

「……チッ、防がれたか」


 どこを殴るつもりだったのか、由香に問いただそうとしたが……。


「はははっ、君のナイト様はやけに乱暴だねっ。いやぁ、ここまで手厳しいとは」


 太宰はそう言い、笑う。彼女の左腕はだらんとぶら下がっており、動く気配がない。


「暴力は良くないよ、良くない。気持ちよくないし、楽しくないからね」


 彼女は丸眼鏡を上げながら、そんなことを宣う。九月だというのに、汗を一つかいていない彼女に私は寒気に襲われる。

 何者なんだこの人……?


「恵里衣に近寄るんじゃねぇ」

「どうしてだい?」

「気持ち悪いんだよ」

「気持ち悪い? 私が?」

「何考えているのか全くわかんねぇそのへらへらとした表情が気持ち悪いって言ってんだよ」


 まずい。このままだと由香がさらに暴走するかもしれない。私はそっと由香の腕を掴み。


「ダメだよ由香。それ以上は」


 と諫める。最初こそ太宰を睨みつけていた由香だったが、どうやら溜飲が下がったようで舌打ちしながら太宰から目を逸らす。


「まるで犬だな」


 太宰がそう煽るが、私はすぐに由香に向かって。


「由香、お座り」


 と茶化す。すると、『挑発に乗るな』と言う意図に気が付いたのか、由香は私の頭を軽く小突き。


「するか馬鹿」


 と言って、太宰に背中を向ける。これ以上むかつく顔を見ないように……そう言った意図があるのだろう。私は安堵の溜息を吐き出しながらも、太宰を見る。相変わらず左腕はぶらんと下がっているが、本人は楽しそうに笑っている。


「まったく……とんでもない目にあったよ」

「……私の友人がすみません。ですが、腕を掴まれて怖かったのは事実ですので」


 私がそう言うと、太宰は眉毛をあげ。


「デートのお誘いを断られてしまったようだ」


 と言い、どこかへ歩き出す。

 太宰が道を曲がり、見えなくなってから私は由香の方を向く。由香は心配そうに私を見ていた。


「腕を掴まれた以外は特に何もされてないよ。本当だよ?」

「恵里衣の言葉なら信じるけどよ……お前、もうちょっと警戒しろよな?」

「私だって会釈して通り過ぎようとしたんだけど」

「……素直に引き返せよ」

「あ」

「馬鹿がよ」


 そう言って、私の手を取る。向かう先は私の家。元々今日は由香の課題を終わらせるために、私の家でお泊りをする予定だった。

 今回は本当にたまたま通りかかったのだろう。


「あ、そうだ。あとでお前のスマホ貸してくんね?」

「なんでさ」

「講義の板書撮影するの忘れた」

「……夏休み前の?」

「そう、夏休み前の」

「もっと早く言いなよ、そりゃ課題できないって」

「おうよ」

「おうよじゃないんだよ」


つづく


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