番外編4

『小学生の時は季節ごとのイベントが好きだった。子供ながらにちゃんと楽しむことができていたんだと思う。今は……まぁ。』


「お疲れ由香」

「本当に疲れた……」


 ここはショッピングモールのフードコート。休日ということもあり、フードコートでは家族連れが食事を摂ったり、雑談に興じている。時折悲鳴にも似た子供の叫び声が響くが、ここでは日常茶飯事である。そんな喧騒の中、由香は非常に疲れた顔で机の上に突っ伏している。先日まで受験に課題提出に家の手伝いと、由香の中で色んな用事が重なっていたためだ。


「恵里衣一、ご褒美のぎゅーは?」

「そんなもんないよ」

「けちくせ」

「こんなところで抱きしめるわけないでしょ? 人前も良いところでしょ」


 私は本……リアルに存在する小説のページをめくりながら適当に由香をあしらう。由香は「むえー」と声を漏らし。


「じゃあ私は一体なんのために、あんなに頑張って……?」

「大学合格のためでしょ」

「……冷たいぞ恵里衣」


 由香はそう言って、静かになる。……もしかしてここで寝るつもりか? 別に良いけれども。私は少しだけ溜息を漏らし、本に目を戻す。

 今日読んでいるのは所謂サイエンスフィクション。何となく久しぶりに読みたくなってしまったのだ。小夜からもらった栞を都度挟みながらページを読み進めていると、唐突に聞き覚えのある声が私の耳に入る。


「恵里衣お姉さん、由香お姉さん、ご機嫌よう」


 本を閉じ、顔を上げると、そこには小夜の姿が。背中には大きめの荷物を背負い、本人も少々お疲れ気味のようだ。


「稽古お疲れ様、小夜」

「おつかれぇい、小夜」


 私と由香はそれぞれ小夜にそう言う。小夜はこくんと一度うなずくと、近くの席から椅子を拝借し、私たちの机に向かって座る。


「自分から言い始めたことだが……稽古とはここまで疲労が蓄積されるものなのか。クラブ活動をしているクラスメイトを尊敬してしまいそうだ」


 小夜はそう言いながら由香の上に重なるように机に突っ伏す。


「やめれー。軽いけどやめれー」


 何とも腑抜けた声を出す由香を無視し、私は小夜に尋ねる。


「護身術?だっけ。大変なの?」

「基礎訓練やら、精神鍛錬やら、休日なことをいいことに山ほど詰め込まれたぞ……」


 由香の背中に乗りながら小夜は言う。すると由香は呻きながら。


「小夜が優秀すぎるんじゃねぇか? 飲み込み早いし」

「それはありそう」


「そうか? 人並みだぞ、人並み」


 そう言いながら小夜は由香のポニーテールで遊び始める。「きさまっ」と言っているが由香も大した抵抗はしない。

 こう見てみると、仲陸まじい姉妹っぽく見える。


「稽古を始めてしばらくは筋肉痛が止まらなくてな……使わらない筋肉ってあるもんだなと」

「だってよ恵里衣」

「運動不足代表にそれ言う?」


 私も由香のポニーテールを掴み、適当に揺らす。


「揺らすなっ」

「とりあえず小夜の分の飲み物買ってくるね。何が良い?」

「そうだな……恵里衣お姉さんは何にしたんだい?」

「アイスコーヒー」

「大人すぎる……!!真似っこしようとしたのに……っ!!」

「ごめんって」

「ココアにする……ホットココアに……」

「そんな落胆しないでも」


 私はそう言いながら、席を立ち、飲み物を頼むため、店を探す。お昼時はとっくに過ぎているのに、フードコートの中には人が溢れかえっている。

 各店舗が掲げているポップには新メニューや、期間限定メニューが描かれている。今の時期は……。


「バレンタイン、か」


 バレンタイン関連、チョコレートを主軸とした商品がたくさん展開されている。バレンタイン……ねぇ。




 小夜のホットココアを購入し、席に戻ると。


「由香お姉さん、力が強すぎるな……!?」

「小娘には負けんよ」


 何故か二人が腕相撲をしていた。いや、本当になにしてんの。


「いくら貴様が技を磨いたところで圧倒的な力には勝てまい」

「なんだとっ」

「ほぼ毎日、フライパン振るってるからな」

「本当に鍛えられてるではないか!!」

「二人ともなにしてんのさ」


 私は呆れながらホットココアを指さす。すると、二人はおとなしく引き下がり、各席に戻る。


「これが大人のお姉さんの力ってことか」

「ふふん」

「小学生相手に得意げにならないでよ……」


 そう言いながら小夜にホットココアを渡す。小夜は「ありがとう」というとちびちびと飲み始める。


「そろそろバレンタインの季節だな。二人とも毎年山のようにもらうんだろう?」


 唐突に小夜がそんなことを言い始める。このショッピングモールで山のように広告が掲げられているし、小学校でバレンタインの話でもでたのだろう。私は肩をすくめ。


「私は誰にもあげないし、由香以外からはもらわらないよ。毎年山のようにもらってるのは由香の方だけ」

「山のよう……まぁ、そうなるのか?」


 非常に微妙そうな表情を浮かべる由香。

 もらっていることを恥じているわけでは決してない。由香はそんな性格じゃない。たぶん、私の前でバレンタインの話を出したくないのだろう。私は頬杖をつき。


「小夜にはまだ言ってないし、いい機会なんじゃない?」


 と言う。

 すると、由香は苦々し気な表情を受けべ、小夜は首を傾げている。可愛い。


「良いのか? その、あのこと」

「随分と昔の話だし、今更平気だって」


 私はそう言いながら、小夜に向かう。


「私のバレンタインの苦い思い出、聞く?」


 私は自分の本を持ち、机の上に広げる。確かあれは、ここらへんのページだったような。




 チョコレートを掴む。

 今日はバレンタインデー。昨日の夜にお母さんと一緒に作ったチョコレートをランドセルの中に入れて、私は小学校へ向かった。

 昨日の行間休みに、みんなの本を読んだけれど、みんな授業のことよりも、バレンタインデーのことについて考えていたから、少なくとも意識はしているはずだ



「……これは恵里衣お姉さんが何年生の時のだい?」

「四年生だったけな」

「なんと」



 登校中に何人かの本を読んだ。みんなみんなどこか期待している。甘い甘い恋模様が文字となって踊っている。

 きっと私の本もそうなっているに違いない。去年までははっきりとはわかっていなったけれど、今年はわかる。

 今日はクラスの男子にチョコレートを渡すのだ..



「なんと!?」

「小夜……?」

「恵里衣お姉さんからのチョコレートだと!? なんとまぁ幸せ者の男子だ……」

「…………そうかな?」

「なんで訝し気なんだい恵里衣お姉さん」

「続き、読むね……」



 お母さんに頼んで可愛いラッピングを施してもらい、味もお父さんに確認済み。

 娘に気を使って、正直に感想を言ってくれるとは思っていなかったからしっかりと本も確認し、『俺にとっては少し甘いかな』という言葉も破認している。大人が甘いというのであれば、子供にとってはちょうどいいくらいだろう。

 我ながらかなり気合をいれたと思っている。生まれて初めて誰かに自分からチョコレートをあげるのだ。これくらい気合を入れても罰は当たらないだろう。

 いつ頃渡そうか、行間休みか、昼休みか、放課後か。昼休みはたぶん給食でお腹がいっぱいだろうし、放課後は会えるとは思えない。彼はクラブに参加しているから。だとしたら、行間休みを狙うしかない。

 私は心臓をばくばくさせながら、しきりに何度も何度も手提げかばんの中に入っているチョコレートを確認した。包み紙も、桃色の可愛いものを選んだつもりだ。もしかしたら男子はこういう可愛いのは好きじゃないかもしれないけど、今更後には引けない。

 そんなドキドキを抱えつつ、一時間目と二時間目は緊張からか、時間が矢のように過ぎ去る。

 そして来てしまった、行間休み。 私はチョコレートを引っ掴み、渡す相手を探す。

 どこに行ってしまったのだろう。教室をきょろきょろと探していると、一人で廊下へと向かっていった男子の姿が。私は心臓をばくばくさせながらも、男子の後を追いかける。

 もしかしたら、トイレに行ってしまうかもしれない。そうなったら追いかけるのが難しくなってしまうかも。私は慌てて小走りをする。廊下を走ってはいけませんと言うポスターが私の視界で流れていく。男の子が一人で歩いているのを見つけ、私は駆け寄る。


「こ、これ!!」


 男の子はなんだか驚いたような顔を浮かべている。しかし、差し出されたものを理解したのか、すぐにむっとした表情を浮かべ。


「……おう」


 男の子はチョコレートを受け取ると、すぐにそっぽを向いてしまう。

 もしかして嬉しくなかったのかな、

 私はそっと男の子の本……ラピスラズリのような濃い青い布張りの本を取り、中身を見る。そこには……。


『うげ、根暗女からもらった』


 一瞬頭が真っ白になった。言われていることが理解できなかった。そして、目の前で本に文字が走る。


『花梨から貰いたかったな』


 他の女子の名前まで出てきて、さらに私は落ち込んだ。

 そうか、そっか……。




「こんな感じ」

「………………なんと言うか、その」

「本当に大昔の話だし、もう吹っ切れているから、笑っても良いよ?」

「笑えるものかっ!!」

「いやぁ、もし当時から恵里衣の親友だったら、その男子ぶっ飛ばしてたんだけどなぁ」

「やめてあげてってば、相手は当時小学生だよ?」


 由香の不穏な言葉を流しつつ、私は自分の本から手を離す。

 先程話した事件……出来事? があってから、私はバレンタインと言うイベントに参加することはなくなった。少なくとも、小学校時代と、由香と知り合うまで中学校時代は本当に無縁だった。

 中学時代に由香と知り合って、懐かれてからは毎年手作りチョコをもらっていたりする。


「苦い思い出の話はこれでおしまい。もうその男子も他の良い人見つけてるでしょ」

「そいつばっかり幸せになるのは許せねぇな」

「いや、許すも何もそんな立場じゃないよ私は」


 苦笑いを零しながらも私は再び由香のポニーテールで遊ぶ。「ぬおお」と言いながらも、由香は抵抗するそぶりを見せない。小夜はそんな私たちを見ながらくぴくぴとホットココアを飲んでいる。

 ふと、由香がポニーテールを弄ばれながら、言葉を零す。


「恵里衣のチョコレートに文句言ったやつの話は何回か聞いたことあるけど、絶対に名前だけは教えてくんねぇのよなぁ」


 ……実はこれ、後日談があって。その渡した男子と言うのは本当にたまたま。偶然に偶然が重なって、小学校中学校高校と同じ学校に通っていた。特段親しいってわけでは決してないが、互いに名前は憶えている程度ではある。

 そして、私が高校一年のころに、そいつから告白されていたりする。ずっと前にバレンタインをあげたことをちゃんと覚えていたらしい。そんでもって付き合いたいとも言われた。

 普通に断ったけど。

 当時の好意は、小学生の『好き』だったってこともあるし、あんなことがあって、はい付き合いましょうと言えるほど私は大人でもない。


「なぁ、名前教えてくれよお。ぶん殴りに行くからさ」

「教えるわけないじゃん」


 由香に相手の名前を教えるわけにはいかない。

 だって、そいつ、今もうちのクラスにいるんだもの。

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