其の七

『夢の内容が本に記されていることがあるが、大抵は支離滅裂で、要領を得ない文章になっている。極々稀にまともな文章になっている時もあるが、大体が悪夢と分類されるものが多い。』


 冬休み。

 生まれてこの方、ここまで最悪な冬休みがあっただろうか。いや、無い。

 両親との不仲はまだ続いており、今でも目も合わせたくない。両親からは、思春期特有の情緒不安定さ……だと思われているようだが、そんな情緒不安定な娘を放置し、互いに愛人との逢瀬を繰り返し続けているのだ、世話ない。

 そして、両親共に不倫をしていることを知ってしまってから、嫌なことまで気が付くようになってしまった。

 例えば……。


「汗の匂い……うえっ」


 自宅リビングの汗とナニカの匂いとか。

 学校に行く必要がなくなった私は必然的に家に居ることが多くなる。しかし、両親と顔を合わせたくない私は何かと理由をつけて外で日々を過ごしていた。幸い、由香の家でアルバイトをしているため、一人で慎ましく過ごせば、さほど出費も痛くない。

 そして、今、たまたま家に帰ってきたらこの有様だ。


「自宅をラブホテルにしないでよ……」


 そんな言葉が漏れてしまう。それくらい、リビングが臭いのだ。私は正直、匂いに敏感な方ではないと思っている。それにも関わらず匂うのだ。私は吐き気を抑えながらも、キッチンへと向かい、ごみ箱を確認する。そこには封が切られている避妊具の入れ物。

 正直、頭が痛くなった。両親の『本』を読んでいなくても、いずれ気がついたかもしれない。

 こうした方が燃えるとでも言いたいのだろうか。そんなもの、官能小説の中で留めて欲しいものだ。


「…………本当に最悪」


 私はそう言葉を吐き捨て、冷蔵庫から飲み物を取り出し、自室がある二階へと向かう。胃の中がムカムカして、今にも中身を吐き出してしまいそうだ。

 ようやっと、自室へ辿り着いたとき、私の怒りと吐き気は最高潮に達する。

 リビングと同じような匂いが私の部屋にも漂っているのだ。私は無意識にスマートフォンを取り出し、電話を掛ける。通話アプリなんて開いてる余裕なんてなかった。相手方の都合なんて考えてる余裕なんてなかった。


『どした!? 今、常連捌いてて、忙しいんだけど!?』


 少し慌てた由香の声が受話器から聞こえてくる。親友の声に、安心感を覚える。


「ごめん。今日、由香の家に行っていい?」

『……良いよ。義理母さんにも言っとく』

「ごめん」

『後で何があったか聞かせろよ? 何!? おでん!? うちにはそんなものねぇよ!! じゃあ、またな』


 由香はそう言い、通話を閉じた。私は深く深く息を吸い……その場に戻した。現状を忘れて、汗と生臭い匂いをもろに吸い込んでしまったのだ。


「本っ当に、最悪」


 私は口と床をティッシュで拭いながら、由香の家へ向かうための準備を始めた。……と言っても、スマートフォンやら財布などの貴重品くらいだが。本来持っていくべき着替えやらなんやらは大体由香の家に揃ってる。何度も何度も泊まっているのだ、自然、日用品が由香の家に揃ってしまったのだ。

 その時だった。

 階下から物音が聞こえた。どうやら誰かが帰ってきたみたいだ。先程吐いたばかりの胃酸が再び食道を遡っているのがわかる。私はすぐに移動できるように、口元を手で抑えながら、荷物が入ったポシェットを持つ。


『やだもぅ。またぁ? さっき避妊具買ったばっかよ?』


 母の甘えた声が聞こえる。


『家のほうが燃えるだろ?』

『ホテル代支払いたくないだけでしょ?』


 そして、男の人の声。私は自室から玄関へ駆け下りていく。もうこんな空間には居たくない。動きやすいスニーカーを足につっかけ、玄関の戸を乱暴に開ける。背後から、何か大声が聞こえてきたが、そんなことは関係ない。私はすぐに扉を閉め、駆け出す。

 視界が歪む、喉がひりつき、胃のあたりが鷲掴みされ、滅茶苦茶に掻き混ぜられている。泣いているんだから、吐いているんだか、もう、わからなかった。

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 痛い。全身が痛い。わけが、わからない。


「おう、らっしゃ……恵里衣……?」


 目の前に、由香。仕事着姿だ。


「おっ……? 随分顔色悪いじゃねぇか……? 恵里衣お嬢ちゃん」


 常連さん。口は悪いし、たまにデリカシーがない人。でも良い人。

 見知った人たち、安心できる空間、私は。


「ちょ……恵里衣!? 恵里衣!!」


 強い眩暈に襲われる。立つこともままならない。私は……私は……。

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 気がついたら、蛍光灯に照らされた、見知った天井を見つめていた。ここは、由香の部屋だ。起き上がるために身体を動かそうとしたが、食道がひりついて、全身に気怠さを感じる。胃袋もひっくり返ってしまっているんじゃないかと言うくらいシクシクと痛み続けている。私は瞼を閉じ、深く息を吐く。胃酸特有の酸っぱい匂いが口の中に広がる。こんな状態でどうやって由香の家まで行けたのか、不思議で仕方がない。

 痛む全身と戦っていると、ふと私の顔の上に影が差す。瞼を開くと、そこには心配そうな表情を浮かべた由香が居た。仕事着姿ではなく、部屋着だ。


「恵里衣……」

「ごめん」

「いや、ここに来ること自体は良いんだよ。頼ってくれて、とても嬉しいから」

「……それでも、ごめん」


 私が謝っていると、そっと由香は私の頭を撫で始める。くすぐったいが、抵抗する力もなかったため、そのまま受け入れる。


「親か?」

「……うん」

「そっか」


 由香はそれ以上は何も言わず、私の頭を撫で続ける。私は息を深く深く吐き、再び瞼を閉じる。

 今日はほとんど何もしていないのに、なんだか疲れてしまった。私は睡魔に導かれるままに、意識を沈めていく。


「……おやすみ。恵里衣」


 意識が消える直前、優しい由香の声が聞こえた気がした。




 次の日の朝。

 何だか息苦しい。私はゆっくりと瞼を開くと、一面の布地。最初こそ、寝具の類かと思っていたが、目の前の布は規則的に動いており、とても暖かい。そこで、私は自分がどういう状況なのか把握した。

 寝ていることを良いことに、由香が私のことを抱き締めているんだ。

 ……別にそれは問題ではない。いつも通りだし。


「由香」


 私がそう言うと、目の前の布地が揺れる。


「おう。おはよう」


 すぐに由香は目覚め、私を強く抱き締める。みしっみしっと私の頭蓋骨が悲鳴を上げる。少しだけ痛かったため、私はすぐに拳を作り、由香のお腹を殴る。もちろん、本気で。


「いってぇ!!」

「離して」

「だからって、殴るこたねぇだろ」


 由香はそう言いながら、抱き締める強さを緩める。その間に私は由香の腕の中から抜け出そうとした……が、身体の内部からくる痛みで、思うように身体を動かすことができない。私は小さく呻き、由香のベッドに身体を沈める。


「恵里衣!?」

「大丈夫。ちょっと、痛い、だけだから」


 私はぎこちない笑みを作りながら、ベッドの上で楽な体勢を整える。由香はそんな私を見ながら、とても心配そうな表情を浮かべている。


「ちょっと昨日、吐き過ぎたみたい」

「……そっか。じゃあ、食事も?」

「摂ってない」

「あとで、お粥作ってやる。もし、食べられそうだったら食べてくれ」

「ごめん」

「謝るな。私がしたいだけだから」


 そう言いながら、由香は私のお腹をさする。私は大人しく、由香に撫でられることにした。

 しばらく由香に撫でられた後、私は口を開く。由香に、何があったのか伝えなきゃ。


「家でね。母親がさ。男……伯父を家に連れ込んでたんだ」

「うっわ。えぐいな」

「しかもさ、家中が汗臭いし、生臭かったんだ」

「生臭……あぁ、そう言うこと」

「うん。思い出しただけでも吐きそう」

「……そんなことがあったんだな」


 私の言葉を聞いた由香は、ほんの一瞬だけ獰猛な表情を浮かべたが、私の顔を見て、すぐに表情を元に戻す。私はそんな由香を見ながら、深く深く溜息を漏らす。

 昨日、家を飛び出す直前聞こえてきたあの声……あれはきっと母親の声だろう。今頃母親はどうしているのだろうか。一応、スマートフォンを持ってきてはいるが、メッセージアプリで何を送り付けられているのかわからないため、スマートフォンのロックを外すのも怖い。私は由香のお腹に顔をうずめる。やっていることは『問題の先送り』……でも今は。


「もうちょっと休むか?」

「んふ」


 私は返事代わりに顔をうずめている由香のお腹に熱気を吐き出し続けた。


「お腹あっつ」


 由香は笑いながら私の脇腹を軽く突いた。




 それからしばらく由香の部屋で身体を休めたあと、由香の家のダイニングへ移動した。木製のダイニングテーブルとそれとセットの椅子が四脚、食器棚や冷蔵が壁際に鎮座している。そこでは由香の義母が編み物をしていた。私を見た由香の義母は編み棒を置き、椅子から立ち上がる。


「恵里衣ちゃん!! もう大丈夫なの!?」

「だ、大丈夫、です」

「嘘つくな。まだ食道とか胃とか痛いんだろ?」

「……そうなの?」

「はい……」


 咄嗟に痛みを誤魔化そうとしたが、由香がそれを許さなかった。私は深い溜息を吐きながら、痛みを伝える。由香の義母は「薬箱に胃薬、あった気がするけど」と食器棚のてっぺんに置いてあった薬箱を背伸びで取ろうとする。その様子を見ていた由香はすぐに助けに入り、義母の代わりに薬箱を取る。


「よっと……そう言えばここ最近、薬箱の中身足してなかったなぁ……最後にお義母さんが熱を出した時以来か?」

「そうかもしれないわね……」


 由香はダイニングテーブルの上に薬箱を置き、由香の義母は薬箱を開き、中身を探る。そこには風邪薬やら、包帯やら、消毒液やらが綺麗に整頓された状態で入っていた。由香はそんな義母の様子を肩越しから見る。


「うーん……あ、これじゃない?」

「お、それだ」

「えーっと? あー、食後に服用だって」

「なるほど。じゃあ、先に料理作っちまうか」


 由香は、食事の準備を始めようとしているのか、椅子に掛けてあったエプロンをつけはじめる。

 そう言えば今何時だろう? 壁に掛かっている時計を確認すると、針は午後三時を示している。私は慌てて由香を止めようとする。


「由香!? こ、こんな中途半端な時間に作ってもらうのは……」

「恵里衣。おすわり」

「おすわり、じゃなくてさ」

「恵里衣ちゃん? 病人は座ってて?」


 由香の義母にも釘を刺されてしまったため、私は肩を落とし椅子を引き、腰を落とす。由香の義母はにこっと笑いながら、自身も椅子に座った。そして、中途半端だった編み物を再開し始めた。どうやら、形状的にマフラーを作っているらしい。白とネイビーで彩られたマフラーはとても暖かそうだった。


「お義母さん。ご飯の残りってあったよな?」

「冷蔵庫にあるわよー」

「ん」


 そんな会話を聞きながら私は頬杖を突く。由香と由香の義母は血が繋がっていない。それなのに……。


『こんなに仲が良いなんて』


 私はハッとなり、頬杖を突くのをやめ、自分の本を慌てて取る。そして、勢いよくページをめくり、最後のページを確認する。そこには。

 とても醜い言葉が並んでいた。

 そんな自分が嫌になって。そんな自分が大嫌いで。


「ちょっと、トイレ」


 私は慌てて、トイレに駆け込んだ。なるべく声を出さないように、胃液を便器の中に吐き出す。すでに痛かった食道がうねり、焼き焦がれる。


 『由香が羨ましい。由香が羨ましい。由香が妬ましい。由香が大好きなのに、由香が憎い。あんなに良い母親が居て、あんなに良い大人が居て』

 『ずるい』


「最、悪だ」


 私はトイレでうずくまる。自分が、醜い。

 やっぱり、あの親の娘なんだって、事実が重くのしかかった。

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「恵里衣お姉さん?」


 私は小夜の言葉に顔を上げる。目の前には首を傾げている小夜の姿があった。そうだ。私は小夜と一緒に。私は慌てて取り繕う。


「ごめん。ぼーっとしてた」

「なんだと。雪だるまの作成手順の再確認を行っていたというのに。大雪に見舞われた時に困ってしまうだろう?」

「ごろごろすれば大きくならない?」

「甘いぞ、恵里衣お姉さん。かぼちゃプリンより甘い。そんな簡単に作れたら苦労しないんだぞ」

「何でそこまで雪だるまに情熱を?」


 そうだ。私はショッピングモールに居たんだった。

 クリスマスも近くなってきた今日この頃。私と小夜は、ショッピングモールの一角、リーズナブルな価格のカフェでお茶をしていた。もちろん、代金は私持ち……と言いたかったが、どうやら小夜は朱夜さんにお金を渡されたらしく、会計の時にどや顔でガマ口財布を掲げていた。そのため私は大人しく自分の分だけで支払うことにした……まぁ、いきなり一万円札を取り出した時はびっくりしたが……。窓際のお日様が当たる二人席、目の前では小夜はホットココアをくぴくぴと飲んでおり、私はと言うと、ブレンドコーヒーをすすっていた。ショッピングモールはクリスマスも近いとのことで、赤と白と緑のクリスマスカラーに染まっていた。時折カップルらしき人間がカフェを訪れては、なんだか微妙な空気になって、いそいそと帰っていくのを見かけた。別に、そう言うことに興味があるわけではないのだが……どうしても目についてしまう。


「つまりだな。大雪を祈願するところからだな」

「大雪はちょっと困るなぁ。電車が停まっちゃって、由香のところにバイトいけなくなっちゃう」

「それもそうか。だとしたら別の方法を考えないとな」


 唇にココアをつけた小夜が眉間に皺を寄せて、雪だるまを効率よく作る方法を考えている。私は苦笑いをしながら小夜の口をナプキンで拭う。小夜は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに眉間に皺を寄せる。また雪だるまについて考え始めたのだろう……忙しい子だ。私は小夜の口を拭いたナプキンを机の上に置き、窓から見える小夜がかつて住んでいたタワーマンションに目線を向ける。クリスマス……か、おそらく小夜は両親がいないクリスマスを初めて過ごすかもしれない。あんなひどい親だったとしても、あの二人は確かに小夜の親だ。


 もしかしたら、小夜は本心では両親と過ごしたいのだろうか。


「何か変なことを考えていないか?」


  小夜はムッとした表情で、私の顔を覗き込む。


「ぬおっ」


 急に顔を覗かれたため大袈裟にびっくりしてしまった。そんな私の様子を見て、小夜は頬を小さく膨らませる。可愛い。


「私には恵里衣お姉さんの本は読めないが、恵里衣お姉さんが変なことを考えているのはわかるぞ。おおよそ、私がパパとママと一緒にクリスマスを過ごしたがっているのではないか……なんて、世迷言を考えていたのだろう?」


 小夜はそう言い、私の頬を小さな両手で掴む。痛くはないが何となく恥ずかしい。恥ずかしさを誤魔化すため、私も小夜の頬をつまむ。すると小夜は頬をさらに膨らませ、私の指に対抗する。そんな小夜を見ていた時、あることに気が付く。


「そう言えば、小夜。何かクリスマスプレゼント欲しい?」

「えっ」


 意外なことに小夜は酷く驚いたような表情を浮かべている。そして、目を泳がせ目線を合わせては逸らしての繰り返している。小夜にしてはとても珍しい表情だ。私は首を傾げながら、小夜に。


「なんでも良いよ。バイトもしてるし、ある程度は融通できるよ」


 と言う。小夜は何だか困ったような表情を浮かべ、何かを誤魔化すように手を組んだり解いたりを繰り返している。小夜がこんな所作をするのは初めて見る。一体どうしたのだろうか?

 もしかして……。


「もしかして、迷惑、だった?」


 と私は恐る恐る言った。すると小夜は顔を上げ、慌てて言葉を紡ぐ。


「ああ、いや。そういうわけじゃないんだ」

「…………?」

「あ、あの、だな、その。欲しいもの……は、あるんだ」

「何が欲しいの? 天球儀?」

「それはそれで大変興味深いものだが、違うんだ。モノ、じゃないんだ」

「モノじゃない? あー……もしかして、テーマパークに行きたいの? ここからだとちょっと遠いけど」

「そういうことじゃないんだ。あ、いや、近くはなったんだが……」


 何だか煮え切らない。私は小夜の頬を両手で包み込み、顔を近づける。すると、小夜はスンと大人しくなり、私の瞳をジッと見つめていた。その隙に私は小夜の大学ノートをかすめ取る。小夜は「ぬ、それは卑怯な」と言っていたが、容赦なく私はノートをめくった。すると、そこには。


『恵里衣お姉ちゃんと、クリスマスを過ごしたい。それ以外、何もいらない』


 そんな言葉がノートに書かれていた。何て言うか、その。


「ごめん」

「良い。良いんだ恵里衣お姉さん。言えなかった私が悪い」


 そう言いながら、小夜は顔を真っ赤にしている。どうやら恥ずかしかったみたいだ。私はそっと小夜の大学ノートを机の上に置く。


「じゃ、どこでクリスマス、過ごす? どこが良い?」


 私はできるだけ平静を装いながら小夜に質問する。すると、小夜は表情を明るくし。


「私の部屋が良い。恵里衣お姉さんを招待したいんだ!!」


 と言った。

 そして、小夜はクリスマスのプランを早口で私にまくしたてた。そんな小夜の言葉を聞きながら、緩みそうになる頬を何とか抑える。

 一緒に過ごしたい。

 小夜の言葉がとても、とても、嬉しかったのだ。

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 あれ、頬がヒリヒリする。なんでこんなに痛いんだろう。まぁ、いいか。何だか今日はとても疲れてしまった。小夜とお茶をするだけで疲れてしまうなんて、私も相当体力がなくなってしまったものだ。自室のベッドの上に身体を預ける。その瞬間、顔に痛みが走る。あまりの痛みに私は小さく呻いてしまった。


「何さ」


 小さくそう文句を言いながら、化粧台近くに置いてある手鏡を取り出す。鏡に映った私は……酷く頬を腫らし、鼻からは血が伝っていた。ギョッとした私はすぐにティッシュで鼻の血を拭う。ティッシュはみるみるうちに深紅に染まる。何でこんな派手に鼻血を流しているんだろう。どこかに強く顔をぶつけてしまったか……? 心なしか、口の中にも血の味が広がっている。鼻血が逆流してしまったのだろうか。私は血を拭いながら、ベッドの上に戻る。先程、ベッドに乗った時に鼻血を垂らしてしまったらしく、いくつかの斑点が掛け布団に染み込んでいた。明日、洗濯しなければ。そんなことを考えながら、深く深く深呼吸をする。喉もヒリヒリしているし、手先も何だかチリチリしているし、何だか落ち着きがなくなっている。

 今日は、寝よう。寝てしまおう。

 ベッドの上に身体を預け、瞳を閉じる。


 悪夢を見た。

 これは明確に悪夢であり、記憶の整理をしている脳みそに一つや二つ、文句を言いたいくらいだ。目の前には私の両親ががみがみと私に向かって何事かを叫んでいる。私は面倒くさくて、話を聞き流していると、母親一人になり、私に向かって拳を振り回していた。母は力がそこまで強くないため、あまり痛くない。由香に本気で殴られた時の方が全然痛かった。だけど、何度も何度も拳を振り回すので、思わず文句を言ってしまった。

 そんな子供みたいな癇癪、起こさないでよ。

 その瞬間に、炊飯器が顔面に飛んでくる。しっかりと中身が入った炊飯器はさすがに重く、私は思いっきり吹き飛ばされた。とても、痛い。顔を上げると、そこには心配そうな顔をしている小夜が居た。その後ろには、炊飯器を振り下ろしている母の姿。スローモーションでその光景が流れる。

 小夜が、

 小夜が、

 小夜、が。




「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 喉が焼き切れるかと思った。ベッドから跳ね起き、周りを確認する……直後、目に光が入り込み、頭に星が巡る。

 ここは私の部屋か、小夜は!?

 しかし、そこに広がるいつもと変わらない私の部屋が広がっており、すぐに先程の光景が夢だと把握する。私は息を吐き、再びベッドに身を預ける。夢で良かった。そう思わざるを得なかった。

 小夜に会いたい。由香でも良い。

 言いようのない焦燥感が私を襲う。


「誰かに依存しないといけないなんて、なんて馬鹿なんだろう」


 そう一人、部屋で言葉を零しながら私は、汗を拭う。


「あー、なんか、顔、腫れてる」




つづく

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