其の六
『本は新品のように綺麗な時もあれば、埃をかぶった古書のようにボロボロの場合もある。しかしこれは可変であり、一か月前は綺麗な本だった人が、一か月後にはボロボロになっている場合もある。その逆もまたしかりである。』
場違い。その言葉が私の頭の中に浮かぶ。目の前にはルンルン顔で、洋服姿の小夜が居て、隣には由香が置いていった手荷物が置かれている。今いる場所は和室であり、素人目でも高額なものとわかるような品々に囲まれていた。
「恵里衣お姉さん。そんなにきょろきょろしてどうしたんだ? 何か不満なことでもあるのか? お茶でも持ってくるか?」
「いや、大丈夫。大丈夫。ちょっと慣れない空間に居て戸惑っているだけだから」
そう言って、私は小夜に笑いかける。表情筋が軋むような音をたてたが、気にしない。いや、気にしているような余裕などなかった。小夜はそんな私の様子を見て不信感を抱いたのか、正座のまま、私の方へと畳の上を滑り近寄る。
「恵里衣お姉ちゃん……?」
小夜は不安そうな顔をしながら私の顔を覗き込む。そんな小夜の表情を見て私は観念する。
駄目だ、言ってしまった方が早いかもしれない。
「本当に大丈夫だよ。その、単純に落ち着かないだけだから」
「嫌じゃないか?」
「嫌じゃないよ。本当だよ」
私はそう言い、小夜の頭を撫でる。小夜は気持ちよさそうに目を細め、私の手を受け入れる。なすがままに撫でられている姿はとても可愛い。
「恵里衣! 皿を並べて……あ!! 小夜!! てめっ」
その言葉に私はハッとなる。思わずいつもの癖で頭を撫でてしまっていた。慌てて振り返り、私は声がした方を見る。そこにはかなり悔しそうな顔をした由香が居た。両手には料理が盛り付けられている皿を持っており、塞がっている状態だ。
「これも小学生の特権だぞ。由香お姉さん」
「小学生特権ずるいだろ……っ」
したり顔をかましている小夜に、本気で悔しがっている由香。その両方を見て、私は思わず溜息を漏らす。何をやっているのやら。私は何も言わず由香が持っている料理を受け取ろうとする。
……が、ちょっとだけいたずらをしたくなってしまった。
目の前では小夜に「ずるい」だの「小学生反対!」だの、訳のわからないことを言っている由香。「今だからこそできる技だよ」だの「小学生は義務だからな」と鼻高々に勝ち誇っている小夜。そんな二人を見ながら、由香の頭の上をサッとなぞる。
「ん? あっ、お前。私の本!」
由香はすぐに私が何をしたのかわかったらしい、すぐに振り返り、私に向かって抗議の声を上げる。
かなり分厚い由香の本。その最後のページを開く。そこには。
『こうして小夜に抗議をしてみたものの恥ずかしいから撫でないでほしい』
なるほど。私はそっと由香の頭を撫でる。いつもならこんなこと、絶対にやらないが、何となく小夜を撫でているところを見られたのが気恥ずかしく、仕返しをしたかったのだ。撫でられた由香の顔は一気に赤くなり、心なしか髪の毛も逆立ち始める。まるでびっくりした猫みたいだ。
「……てめぇ」
凄んでいるような低い声を出しているが、そんな声もすぐにしぼんでしまっている。何とも可愛らしい。すると、私の腰に何か軽い衝撃が走る。そこには、膨れっ面をした小夜の姿が。
「それはそれでずるいぞ」
……先程まで頭を撫でてもらっていた小夜も文句があるようだ。
彼方立てれば此方が立たぬ。その言葉の通りだった。私は誤魔化すように、由香から料理皿を受け取り、低い机の上に並べていく。
「ほら、由香。ぼーっとしてる場合じゃないよ」
「あとで覚えておけよ、ホント」
そう言って、由香は部屋から出ていく……後で恐ろしいことが起きそうだ。
さて、そろそろ何故このようなことになっているのか、説明をする必要があるだろう。きっかけは言うまでもなく、ドーナツ屋でのあの一幕に起因している。私の中では、小夜の祖母……朱夜さんによる『社交辞令』と言うことになっていた。しかし、どうやら朱夜さんは本気で招く気満々だったらしく、すぐに小夜から予定を組むように催促され、それをどこからか聞きつけた由香によって、さらに逃げ場を塞がれ、あれよあれよというまに今の場がセッティングされたのだ。
『覚悟を決めろ。な?』
うきうきと楽し気な表情の由香にこう言われた時は殴ってやろうかと思った。
そして、時間は光のように過ぎ去り、今日と言う当日。最初、ここへ来た時は文字通り度肝を抜かれた。
とにかく、でかい。
小夜が住んでいたタワーマンションも相当高級な部類に入ると思うが、ここはそんなレベルではない。テレビや映画や小説でしか見たことのないような豪邸が私たちのことを待っていた。
『恵里衣お姉ちゃん!!』
私を見つけるなり、満面の笑みになった小夜を見なかったら、そのまま腰を抜かし、そのまま逃げ帰ったかもしれないくらいだ。庭を小夜と由香と一緒に歩き、大体三分ほど、行き着いた先の玄関に、朱夜さんの姿があった。この前見た時と同じような和装であり、相変わらずとてつもなく若い姿だった。
『本日はご足労いただきありがとうございます。寒かったでしょう? ささ』
そう言って、私たちを家へと招き入れた。頭の中には、こういう来訪した時のマナーだの礼儀だのが駆け巡った。しかし、それを察したのか、小夜が私の顔を見て。
『無礼講。もとい気を遣うだけ無駄だぞ恵里衣お姉さん。おばあ様はそんなこと、気にもしないよ』
そんなことを言う。私は人生初体験で慌て、由香は平常通り、そのまま小夜の家へと入っていく。
屋敷の中も豪華なものであり、私なんかじゃ理解もできないような美術品やらが並んでいる。そんな私の様子が気になったのか、小夜が私の顔をジッと見ながら言う。
『大丈夫だよ。恵里衣お姉さん。私も三回くらい破損させたことがあるが、こっぴどく怒られる程度で済んでる』
何が大丈夫なのか。頭ぐりぐりをもって詰問したかったが、朱夜さんが居る手前、そんなことができるわけもなかった。
こうして朱夜さんに案内された部屋で、私は緊張で固まっていたのだ。
「恵里衣さん。お待たせ致しました。何分久しぶりの来客だったので、張り切ってしまいました」
割烹着姿の朱夜さんが料理皿とこれまた大きな炊飯器を持って、部屋に入ってきた。机の上には、俵型のコロッケと筑前煮、黒豆にサラダ。朱夜さんの手の上には豚の角煮。……女子高生二人と、小学生女児と、見た目は若いがやや高齢の方で食べ切れるのか? これ。
すると、小夜がちょいちょいと手招きし、自身の本に指を指す。私は朱夜さんに怪しまれないように小夜の大学ノートを取る。本を開くとそこには。
『おばあ様は、ああ見えて大食漢だ。食事のあまりは気にするな』
……本当に?
おそらく私は訝しげな表情を浮かべていたのだろう。目の前の大学ノートに文字が走る。
『ぬ、疑ってるな? 本当に本当だぞ? ラーメンだって壷で食べれるんだぞ?』
んな、馬鹿な。
ちらりと、私は朱夜さんに目を向ける。割烹着姿でもわかるくらいのスレンダーな体型、相変わらず、寒気がするほどの美人である。
すると再び大学ノートに文字が走る。
『ちなみにここ最近、私もたくさん食べるようになったぞ』
小夜はドヤ顔をしながら、ふんすと鼻を鳴らす。かわいい。
いや、そんなことを考えている場合ではない。机の上に目を向ける。目の前の大皿に山のように並べられた食べ物からはうっすらと湯気が上がっている。
直後、私の胃袋がきゅぅぅっと、収縮したのを感じる。
先程まで緊張しきりで、空腹など一切感じていなかったが、直接視界に入れた途端、お腹の虫が騒ぎ始めた。我ながら単純なものである。
「さぁいただきましょうか」
朱夜さんは割烹着姿のまま、座布団の上で正座をする。小夜も朱夜さんの隣にちょこんと座り、正座をする。心なしかドヤ顔をしている。そんな小夜を見ながら、私は小さく息を吐き、座るついでに、小夜の本を床に置く。たちまち小夜の本は消え、小夜の頭の上に戻る。
低い机の対面には小夜。右側に朱夜さん。左側に由香が座っている。朱夜さんは炊飯器から茶碗へ炊き込みご飯を盛り付け、小夜はそれをわくわくした表情……と言っても、よくよく観察してみないとわからないが、由香は目の前に並べられてる料理を観察して、うなずいている。
「……参考になった?」
私はこっそりと由香にそう耳打ちすると、由香は大きくうなずき。
「うちの食堂のメニューが増えそう」
と笑顔で言った。見ただけで覚えたんだ……。
「恵里衣さん」
ふと、朱夜さんに名前を呼ばれ、急いで振り返る。炊き込みご飯をよそった茶碗を差し出している。白魚のような綺麗な指だ。
……本当に細部の細部まで綺麗な人だ。
「ありがとうございます」
私はそう言い、朱夜さんから茶碗を受け取る。すると朱夜さんはうっすらと微笑む。ドキッとさせる笑顔だ。
「おばあ様?」
するとムスっとした表情の小夜が、朱夜さんに向かって声を掛ける。朱夜さんは素知らぬ顔で、由香の分の炊き込みご飯をよそい始める。そんな朱夜さんを見ながら、小夜は片頬を膨らませて抗議の意志を示している。
「小夜?」
そんな小夜に私は声を掛ける。すると、小夜は私の瞳をちらりと見た後、頬を元に戻し、唇を尖らせ震わせた。
「由香さん」
一方、朱夜さんは小夜を気にせずに、由香に茶碗を渡す。由香は「ありがとうございます」と言いながら、茶碗を受け取る。
そして。
「いただきます」
四人全員、声を揃え、そう言った。
朱夜さんの食事に舌鼓を打ったあと、私は座布団の上で、くつろいでいた。隣には、湯吞でほうじ茶を飲んでいる朱夜さんが座っている。小夜と由香は台所でお皿を洗っている。私も手伝おうとしたのが、由香が。
『人が多すぎるとかえって邪魔だから、座ってろ』
と言われてしまった。多少気まずさは残っていたものの、私は渋々、座布団の上でおとなしくすることにした。
「恵里衣さん」
ふと、朱夜さんに名前を呼ばれる。私は肩を震わせ、顔を跳ね上げる。視線の先には、朱夜さんが私の瞳を覗き込んでいる。
朱夜さん、まつ毛、長いなぁ。
そんな場違いなことを考えていると、朱夜さんが言葉を続ける。
「小夜から、聞きました。貴女は、人の心や記憶を読めるんですね」
その言葉に、私は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。背中に冷や汗が滲み、一気に喉が渇く。
嫌われたくない。
瞬時に頭に浮かんだ言葉。最後にこの感覚に襲われたのは、いつのことだったか。私は咄嗟に誤魔化そうと言葉を探す。
「……恵里衣さん。慌てなくても大丈夫ですよ。私は気にしませんから」
そんな私の様子を見てか、付け足すように朱夜さんはそう言う。
そして。
「こんな年寄りの頭、いくら覗かれても痛くも痒くもないですし。恥に思うような人生は過ごしていませんから」
毅然とした態度で続けた。
なんて返せば良いのか。私が迷っていると、朱夜さんが正座のまま、私に近づく。瞳は私に向けたままだ。そして、頭のてっぺんを、私に向ける。
そこには、往年の歴史書のような古めかしくも、綺麗な装丁が施された本がある。私はその本を取ることを躊躇った。
朱夜さんに嫌われたくない。ひいては、小夜に嫌われたくない。咄嗟にそんな思考が走る。しかし、朱夜さんはじりじりと私に近づき、言葉を紡ぐ。
「小夜が自我を持ったのは、小夜があんなに可愛い仕草をするようになったのは、恵里衣さん。貴女のおかげなんです」
朱夜さんはそう言い、正座のまま、深々と頭を下げる。私は慌てて朱夜さんを止めようする。
そんな、頭を上げてください。
そう言葉を出そうとした瞬間、ふわりと上品な香りが私の鼻腔をくすぐった。一瞬、何が起こっているのかわからなかった。
「私は……いえ、私『も』貴女を裏切りませんから」
どうやら、私は朱夜さんに抱きかかえられているようだった。仄かな暖かさと、不思議と安心する香りに私の頭がくらくらとし始めた。
その時だった。
「おばあ様!! コラ!! コラーっっっっっ!!」
そんな大声が聞こえたと思うと、背中に衝撃が走り、次に襟首を引っ張られた。首が締まったため、たまらず私は身体を後ろに倒した。
「誑かすな!! 恵里衣お姉ちゃんを誑かすな!! コラ!! コラ!! コラーっっっ!!」
そこには、怒りに顔を真っ赤にした小夜が両頬を限界まで膨らませている。小夜がこんな怒り方をしたのは見たことがない。私が軽く戸惑っていると、朱夜さんはそっぽを向き、肩を震わせる。……どうやら笑っているみたいだ。
「おばあ様!!」
そんな朱夜さんの態度に、小夜はさらに怒りの感情を噴出させる。拳を握り、両手を真上に上げている。小夜ならの怒りのポーズだろうか。すると、朱夜さんは肩を震わせながら。
「恵里衣さんは、色んな苦労をなさっているみたいですね……ふふっ」
そんなことを言われる。私は、頬を掻き。
「あはは……」
乾いた笑いをする他なかった。小夜は相変わらず両頬を膨らませ、抗議の意志を示している。私はそんな小夜の頬を指で潰す。ぷすぅ。と言う音と共に、小夜の口から空気が漏れる。その音を聞いて、朱夜さんは激しく肩を震わせる。頬を潰された小夜は、私の瞳をじろりと見て。
「恵里衣お姉ちゃん……このっ」
後ろに倒れたままの私の顔に小夜は乗っかった。甘い香りが私の鼻の中に広がったと思ったら、激しく脳みそが揺れた。どうやら、小夜が全身を使って、私の頭を揺らしているらしい。
「デレデレしてる恵里衣お姉ちゃんも、恵里衣お姉ちゃんだぞ!? 抵抗をしろ!! このすけこまし!!」
「ふがふが!?」
言葉を発そうにも、小夜の身体で口を塞がれているため、言葉が外に出ない。
「ふふ……っ、小夜。よしなさい……ふふふっ」
ついに笑い声を隠せなくなった朱夜さんの声が聞こえてくる。
暗闇の中で揺れる視界の中、台所から戻ってきた由香に「また女増やしたのか」と言われ、軽く肩を殴られた。
謂れのないことを言われたような気がしたが、そんなことより……。
この状況を助けてほしい。
「ふがっ!! ふがーっっ!!」
十分後。
「先程は取り乱してしまって申し訳なかった」
怒りが収まったらしい小夜は私に頭を下げる。朱夜さんはまだそっぽを向いて笑っている。由香は呆れたような顔で頬杖をついている。
私は小夜の脳みそ揺らしで軽く乗り物酔いを引き起こしていたため、机に突っ伏していた。
「なるほどこれが嫉妬というものなのか」
「そうだぞ。私がいつも感じてるやつだ」
「由香お姉さんはこんな激情を抑制しているのか。凄いな」
「たまに暴走するけどな」
そんな由香と小夜の会話にツッコミを入れる余裕もなかった。私は首だけを向ける。そんな私を見て、由香は深く息と一緒に言葉を吐きだす。
「まあ大体恵里衣が悪い」
「そうなのか」
「違うって」
これにはさすがにツッコミを入れた。言い掛かりにもほどがある。
「恵里衣お姉さんは人気者だな」
「…………そんなことないでしょ」
「おばあ様を誘惑しておいて、その言い草なのか!?」
「してないよ!?」
「……ふふっ、ふふふっ」
「朱夜さんも何か言ってくださいよ!!」
「あれは駄目だ。珍しく笑いのつぼに入ってる。しばらくは戻ってこないぞ」
「…………」
私は再び首を動かし、机に顔を向ける。状況的にどうしようもない。嵐が過ぎ去るまで、この状態でいよう。
「大体恵里衣はいつの間にか人脈増やしてくるし、私のことは無視するし、なんなら扱いが雑だし」
「そうなのか?」
「こいつ、私のことを腕白男児程度にしか思ってねぇぞ? 酷くねぇか?」
「ふむ、それは酷いな」
「だろ?」
「恵里衣お姉さんは反省をするべきだ」
「たまには私にも構えってんだ。なぁ?」
「む、それは手放しに賛同はできないな」
「んだと」
「私と由香お姉さんとでは、数年のハンディキャップがあるだろう? その数年分は埋め合わせたい」
「それも小学生特権か?」
「小学生特権だ」
「ずるいな」
「小学生は使ってなんぼだ」
「何てこと言ってるのさ、小夜。由香もやめさせなさい」
思わず首を動かし、小夜と由香に注意をする。二人ともそっぽを向き、素知らぬ顔をしている。こいつらは。
私は再び机に顔を向ける。ずっと相手にしていると、疲れてしまいそうだ。
すると。
「小夜」
凜とした声が部屋に響く。私は思わず顔を上げて、声が聞こえてきた方へ顔を向ける。そこには笑いのつぼから復帰した朱夜さんが小夜を見つめていた。
「良き人と、出逢えましたね」
そう言い、柔らかく微笑んだ。息を呑むような綺麗な微笑み。そんな微笑みに小夜は……。
「ふむ。人生最大の幸運だ」
私に抱き着きながら、小夜は言い切った。
「いやー、朱夜さんの料理、うまかったなー」
帰り道。私と由香は二人、家路についていた。由香は電車に乗る必要があるため、私は最寄り駅まで送っていくことにした。
「ね。美味しかった」
「おふくろの味。って感じだったな」
「……だけど、量、すごかったね」
「あぁ、あれは息子さんがまだ家にいた時の名残みたいだな」
「そうなの?」
「息子さんが友達を呼んだ時に、大量に作ることが多かったんだと。ほら、食べ盛りってやつ」
「なるほど。そういう」
「あとは朱夜さんがめっちゃ食うから、らしい」
「……なるほど?」
そんな他愛のない会話を交わしながら私たちは歩道を歩く。空はすでに群青色に染まっており、街灯がぽつぽつと点灯し始める。
「寒くねぇか?」
「寒いけど、平気」
「そっか。手、繋ぐか?」
「繋がない」
「けち……なんてな」
「あ、ちょっと」
由香は、強引に私の手を掴み、握りしめる。体温が高いのだろうか、手袋もしていないのに、由香の手はとても暖かい。
「由香の手、あったかいじゃん」
「まぁな」
「繋ぐ意味、あった?」
「あった」
由香はいたずらっぽく笑いながら、私の手をぶんぶんと振り回す。どうやら上機嫌のようだ。私は深い溜息を漏らしながら、空を見上げる。まだ時間が早いのか、それとも街の光で隠れてしまっているのか、星はまだ見えない。溜息で吐き出した分の空気を肺に送り込む。冷たい空気が身体に広がる。家に帰らねばならないのは憂鬱だが、外で泊まるわけにはいかない。……由香の家で泊まるって手もあるが、そこまで迷惑はかけられない。いくら親友でも、迷惑の限度はある。
そんな帰宅のことで頭を悩ませていると、唐突に由香は、手を繋いでいない方の手で、私の頭を撫でた。突然の出来事だったため、私の身体が強張る。人の往来も多い場所で何をしてくれる。
「なに? 急に」
「……あのな」
由香はほんの少し、息を吸い言葉を続ける。
「…………お前が思っているほど、世界は敵だらけじゃねぇよ」
由香はそう零しながら、私の頭を撫で続ける。
私は。
「やめて」
その手を払いのけた。
つづく
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