其の五
『本の中身は記憶で記録。自己催眠を行っても、偽ることはできない。過去は変えられないのだ。』
月は十二月。時はもうそろそろ終業式。大学受験のための勉強も大詰めとなっており、終業式が終わったら即勉強……となるはずだったのだが。
「ずるじゃん!! ……ずるじゃん!!」
「制度を活用したまでだよ、ほら手が止まってるよ由香」
ここは小夜がかつて住んでいた、タワーマンションの近くのショッピングモール。約一年前に開店したこのショッピングモールは、田舎にありがちな、やたらと大きなショッピングモールであり、衣食類はほぼすべてここで賄えると言っても差し支えない。つい半年間前くらいまでは、常時、人でごった返していたのだが、最近になって、やっと落ち着きを見せ始めた。そんなショッピングモールの一角、チェーン店のドーナツ屋さんで、私と由香……と言うより、由香が机の上に筆記用具と問題集を広げ、勉強していた。
「AO入試でさっさと合格しやがってからにー!!」
「推薦とかAOとかよくわからないから、てきとーに受験するわーとか言ってたのはどこの由香?」
「…………記憶にございません」
「由香の本を見れば一発でわかるんだからね」
「卑怯者!!」
先程の会話の通り、私はすでにAO入試で文系の大学に合格している。特に目指したい職業もなかったため、通いやすさを重視してしまったけれども。由香は由香で私と同じ大学に入りたいらしい。正直言って、そこまでレベルの高い大学ではないため、躍起になって勉強しなくても、入れる気はするのだが。
「お前を放っておくと、ま~たお前に惚れる女が増えるからヤなんですよー!!」
「いやいやないから。友達すらほとんどいないんだよ?」
「どの口が言うんだ……?」
そう言って、由香は私の口の中に小さくなったドーナツを詰め込む。「んふゅ!?」と言うとても情けない声が出てしまった。
あの小夜が私のクラスメイトを挑発してからの、由香のクラスメイト暴力事件が発生したあとは、特に大きな事件は発生しなかった。
と言うよりも、魚住由香という存在が事件の発生を防いだと言っても過言ではない。なんだかんだ、由香が机だの椅子だのを壁に叩きつけ、さらにはクラスメイトを物理的に吊るしあげたと言うことはすぐに学年中に広がったものの、由香の圧倒的な暴力性に皆が委縮してしまった。
『湯川恵里衣に手を出すと、魚住由香に半殺しにされる』と噂が流れたくらいだ。由香はそんな噂を耳にしながら、涼しい顔をして過ごしているし、由香自身は相変わらず友人にも恵まれている。これがコミュニケーション能力の差なのか。こっちは相変わらず友人なんぞほとんどおらんぞ。むしろ由香のせいで腫れ物のように扱われている始末だぞ。
「あ、恵里衣。そう言えばさ。私、まーた告られたんだけどさー」
「滅べリア充。これだから陽の者は」
「最後まで聞いてよ」
私の口が反射的に動いてしまう。いや、私は恋人が欲しいとは一切合切思っていないのだが、その、条件反射というか、由香のこの、人気者な感じはとてつもなく眩しくて嫌いだ。
「今回の告白文句すごかったんよ。『お前の暴力を毎日受け止めてあげるから』とかなんとか」
「マゾヒストじゃん。こわ」
私はそう言って、冷めてしまったホットカフェオレをすする。入れすぎた砂糖がコーヒーの出涸らしと一緒にカップの底に沈んでいる。そこまで飲む気にはなれず、そのままテーブルの上に戻す。
「…………本当にきもかったから、蹴り飛ばして逃げたんよ」
「蹴り飛ばしたんかい。喜んじゃうじゃん」
「いやだって、考えてみてよ!? ハァハァ言いながら、私のところに来たんだよ!?」
「……顔が良ければ、利点じゃない?」
「顔が良い男でも、顔が良い女でもどっちも無理!! そんな趣味はない!!」
「えっ、どの口が言ってるの?」
私は驚き、首を傾げる。そして、自分の食べかけを由香の口の中に突っ込む。
「変態サディストじゃん、由香って」
「んぐんぐ……ぷはっ、違うんだって、わかってないな~」
「わかってたまるか」
「私の場合は、抵抗してくるから、いじめるのであって、最初からばっちこいなのは違うんだよ。ていうか今は恵里衣以外は興味なし」
「……知るか!! 勉強しろっ」
「ほごっ!? おはっ!?」
自分の食べかけのドーナツを由香に詰め込むと、私は席を立ち、財布を由香に見せる。由香は軽く咳き込みながらも、サムズアップで返事をした。
私はそのまま歩いて行き、カウンターへと進む。あまりドーナツを食べると、カロリー的には非常によろしくはないのだが……、色んな言い訳や謎理論を頭の中で繰り広げ、ドーナツをトングで掴みトレーに並べる。最悪、由香に食べてもらえばいいや、あの子全然太る気配ないし。
いくつかドーナツを取り、トングをトレーに置いた時、レジ前に何やらポーズを取っている、子供がいる。
何事?
私が目線を上げるとそこには。
「やぁ、お姉さん。ご機嫌麗しゅう」
決めポーズを決めている小夜と……。
「……おや、貴女が」
小夜に負けず劣らずの和服美人がそこに立っていた。今時和服だなんて珍しい。特に今日は何かの祝日でもない、所謂土曜日というやつだ。
「おぉ、そうだ。おばあ様には紹介していなかったな。この方こそ、私を助けてくれた恩人、湯川恵里衣お姉さんだ」
「あ、どうも」
私はおずおずと頭を下げる。小夜の言葉通りであるならば、目の前の和服美人は小夜の祖母……、祖母!?
思わず、頭を上げてしまう。いや、え、えぇ!? 若すぎる、下手したら私の母親よりも若く見える。
私が小さい頃に美魔女たる言葉が流行したこともあるが、そんなレベルじゃない。そのまんま魔女だ。時を超越しているんじゃないかというほど、見た目が若すぎる。
っていけないいけない。ずっと見とれちゃっていた。
「あ……す、すいません。挨拶が遅れてしまって」
「いえ、お気になさらず」
そう言って、愉快そうに、口元を隠した。祖母だと告げられた今でも、本当かどうか信じることができない。それこそ、小夜と親子……いや、姉妹と言っても差し支えがないレベルで若い。というか店員さんも驚いていて、目を泳がせている。気持ちは痛いほどにわかる。
「そうだ。もしよろしければ、ご一緒の席でどうでしょう」
小夜の祖母はちらりと小夜の方を見る。小夜は相変わらず決めポーズを決めている。
「小夜も喜びますでしょうし」
小夜の祖母がそう言うと、小夜は驚いたように自身の祖母の顔を見ている。無表情ながらも、喜んでいるのが伝わる。しまいには、決めポーズを決め始めていたため、相当嬉しかったらしい。
私は特に断る理由はなかったのだが、由香のことがあり、私は少しだけ時間をもらうことにした。
「すみません。今、連れがいるので、ちょっと聞いてきますね」
そう言って、私はトレーを一旦店員に預け、由香の元に行く。そこには机に突っ伏して、頭を悩ませている由香の姿があった。何をやっているのやら。小さく溜息をついたあと、私は机をノックのようにコンコンと叩く。
「由香?」
「ナンデゴザイマショウ」
「何、力士みたいな声を出してんのさ。恥ずかしいからやめてよ」
「ヤメ ナイ」
由香は伏せたまま、力士のような声を絞り出し続ける。……こいつ。
「小夜のおばあ様が見えてるから、一緒に食べたいんだけど、良いよね」
「イイ……待って、なんつった?」
さすがに今のは聞き流せなかったらしく、由香は勢い頭を上げ、サッと周りを見渡す。すると、小さく手を振っている小夜を見つけ、手を振り返し、さらにそこの横にいる小夜のおばあ様を見つめ……。
「え、あれがおばあちゃんって言ったか?」
「うん」
「詐欺だろ……」
「失礼なことを言うなっ。良いよね、席一緒にしても」
私が由香を軽く小突きながらそう言うと、由香は頷きながらこう返す。
「別に良いよ。ってなわけで、今日の勉強、終わり!」
「……あとで後悔しても知らないからね」
私は呆れ、溜息を漏らしながら、そう言った。由香は何故だか得意げな表情を浮かべていた。
きっと彼女は数日後……下手したら明日にでも私に文句を言うのだろう。「なんであの時無理矢理にでも勉強させなかったんだよ」と。
別に言われても構わないとはいえ、少々理不尽だなと思った。
「改めまして。鳴無小夜の祖母であります、鳴無朱夜(オトナシ アケヨ)と申します。以後お見知りおきを」
「は、初めまして。いつも、小夜……さんにお世話になっております。えーあー、湯川恵里衣と申します!! こっちは友人の魚住由香……です!!」
「きんちょーしすぎだろ」
「由香お姉さんの言う通りだ。もっとリラックスしなよ恵里衣お姉さん」
「できるかっ」
二人掛け用の机を合わせ、四人用の机を作り、壁側に小夜と小夜のおばあ様……、朱夜さん。通路側に私と由香が腰を掛けた。
改めて朱夜さんを見てみると、何と表現しようか……一番近い表現はおそらく。『寒気がするほどの美人』だ。将来小夜もこんな感じになるのかな? というくらい小夜に似ている。いや、正確に言うと、小夜が朱夜さんに似ているのか。
髪の毛は小夜と同じく絹のようにさらっさらな黒髪……を後ろで結っている。小夜と言いなんでそんなに綺麗で直毛な黒髪なのか、嫉妬するレベルである。着ている和服は、小豆色の……なんだっけあれ、小紋……だったか、私はあまり着物には詳しくないから、うまく説明ができない。その上に羽織り……だっけ? 薄い布で身体を覆っている。
それと、なんだろうこれ。全然嗅いだこともない匂いなのに、どこか懐かしい……お香……なのかな? も漂ってくる。
ぶっちゃけ、なんでこんなドーナツ屋にいるの? というくらいには場違いな格好と言っておこう。
「む。恵里衣お姉さん、おばあ様ばっか見ているな? 私もそれなりにお洒落さんしているんだから、見てくれ」
そう言って、小夜は椅子の上でまた決めポーズを決める。私がちらりと小夜の方を見る。当たり前の話かもしれないが、小夜はいつもの制服ではなく、上はフリルがあしらわれた白いランタンスリーブのシャツ。下は紺色のジャンパースカート。うん、可愛い。
「小夜は美人さんだね」
「む、美人さん、か」
小夜は少々不満そうだった。……別の言葉をかけるべきだったか。すると私の隣でドーナツを放り込んでた由香が私を肘で小突いてこう言った。
「いや、恵里衣、そこは可愛いだろ? 女心がわかってねぇな」
「え」
「由香お姉さんは賢いな。大正解だ」
「だろ~?」
二人はそう言って、互いに拳を合わせあう。なんだか、この二人仲良くな……った? 私は首を傾げる。すると、小夜は再び不満そうな表情を浮かべ。
「これだから鈍感な恵里衣お姉さんは」
と口を尖らせて言う。やれやれと言いたげな、ポーズを取りながら。
なにおう。
すると、小夜の隣から小さく、「クスクス」と笑う声が聞こえる。私はハッとなって朱夜さんの方を見る。朱夜さんは着物の袖口で口元を隠しているが、どうやら笑っていたみたいだ。
「失礼。コホン。普段……とりわけ家では感情を殺していた小夜が、ほとんど人形のようだった小夜がここまでコロコロと表情を変えるのが、とても愉快でしたので」
そう言って、朱夜さんは再び、「クスクス」と笑う。とても様になっているのだが、やはり見た目がとても若いせいか、小夜の母……を通り越して、小夜の姉にも見えてくる。しかししばらくすると、朱夜さんは笑うのをやめ、スッと真顔に変化する。
やばい、何かやらかしたかな。そんな懸念が私の中で広がる。……が、朱夜さんは予想外の行動をとる。
「この度は、間接的とはいえ、うちの息子がご迷惑をかけて申し訳ございませんでした」
そう言って、朱夜さんは頭を下げる。私はその様子に慌てる。別に朱夜さんの謝罪が欲しいわけではないからだ。
「そんな、頭を下げるなんて、も、申し訳ないですって……!!」
しかし、朱夜さんは引き下がる気配を見せない。小夜の方をちらりと見てみると、小夜も何だか困ったような表情を浮かべている。
……どうしよう、このまま朱夜さんに頭を下げさせているのも忍びない。
すると、そんな私の様子を察したのか、小夜が自分の頭をちょいちょと触る。真意に気が付いた私はぎょっとする。
小夜は……、『おばあ様の本を取って』と伝えているのだ。私は朱夜さんの本をちらりと見る。厚紙の表紙に年季を感じさせる掠れ、往年の歴史書みたいな本が朱夜さんの頭の上で浮いている。確かに朱夜さんの考えを読み解くことは容易いかもしれないが、私の話術に直結するわけでは決してない。しかも今の場合は状況を悪化させかねない。
だとしたら、私が取る行動は。
「……朱夜さん。本当に大丈夫ですから、顔を上げてください。私も私のエゴで小夜さんを助けたのですから」
私がそう言うと、朱夜さんはゆっくりと顔を上げる。その表情を読み解くことは難しいが、おそらく、まだ申し訳ないと考えているのだろう。
すると、朱夜さんの隣に居た小夜がポンと自身の手を合わせる。何か妙案でも思いついたのだろうか。
「そうだ、おばあ様。今度恵里衣お姉さんと由香お姉さんをうちに招待しよう。私も喜ぶし、おばあ様も世話焼き……もとい、お詫びができるではないか」
その言葉に私は少しだけ面食らう。待って、どういうこと?
「ホームパーティとやらだ。クラスメイトの女子たちが、お誕生日会と言ってはしゃいでいるところをよく見るのだ。私もあれをやってみたい」
そう言って、小夜は朱夜さんの両手を握る。
「良い……よな?」
小夜が心配そうに朱夜さんを覗き込むが、すぐに朱夜さんは微笑む。
「えぇ、もちろん。私のおもてなしなんてたかが知れてますが」
「そんなことはないぞ。恵里衣お姉さん、由香お姉さん、おばあ様の料理は絶品なんだ」
『料理』という言葉に、由香は眉毛を吊り上げる。……いけない、由香が食いついてる。由香も何だかんだで食堂『魚住』の料理人、学べる部分ところは吸収しようとする職人気質だ。
小夜の『絶品』と言う言葉に興味があるのだろう。私としては気まずいから、なるべく避けたいけど……。
「恵里衣お姉さん?」
そう言って、小夜は私の瞳を覗き込む。儚げで、不安気な瞳だ。
うん。駄目。小夜の期待は裏切れない。
「うん。今度寄ってみよう、かな?」
私はそう言って、笑顔を作る。
「恵里衣お姉さん、顔ががっちがちに固まってるぞ。まるで般若みたいだ」
小夜に呆れ顔でそう言われてしまった。
それから、小夜と朱夜さんとドーナツに舌鼓を打ち、雑談をした。
小夜の家での様子であったり、これからのこと……少なくとも、しばらくは父親、母親とも離れて暮らすらしい。と言うより、朱夜さんが許可を出さないときっぱりと言い放っていた。
そして、太陽も落ち、夜になったところでお開きとなった。
そんな、今は帰りの道中。私と由香はゆっくりと帰路についていた。
「なぁ、恵里衣」
「ん? どうかした?」
「お前さ、最近、感情を発露させてるよな。小夜じゃねぇけど、色んな表情してるよな」
「何それ、私がロボットみたいじゃん」
「はぐらかすなっての。自覚してんだろ?」
そう言って、由香は両手を自身の頭の裏に回す。
「小夜と出会ってからお前、変わった……いや、戻ったよな」
「そんなことないよ。変わってないよ」
「いーや、戻ったね。ここ最近は、お前があんなに感情的に叫んだり、慌てたり、泣いたりなんてしたところ、見たことがなかったしな」
由香はそう言って、急に私の頭を掴み、自身の胸に抱き寄せる。不意打ちだったため、私は反応できず、体勢を崩してしまい、そのまま由香の胸に埋まる。由香は身動きとれない私の頭をゆっくりと撫でる。
「本当。小夜に嫉妬しちまうよ。私にできないことをあっさりとやりやがって」
心底悔しそうな声が私の頭上から聞こえてくる。私は、何も言うことができなかった。
「……ん? あっ、最近美容室行ってねぇだろ。プリンが進行してるぞ」
「ふごふごごご」
私は顔面が由香に埋まってしまっているため、全くと言っても良いほど、発音することができない。
「くすぐったい」
離せばいいのに、由香はあろうことか、さらに自身の胸に私の頭を抱く。私は少しずつ少しずつ息が苦しくなり、暴れる……が、由香の力が強すぎて、拘束から逃げられない。
「ふん!? ふほほほん、ほんっ!?」
「おーよしよしよし、可愛いなぁ恵里衣は」
「ふごごご!! ごご!! ふんふはは!!」
「いて、いってぇ!! 足を蹴るな!!」
あまりにも苦しかったため、由香の脚を蹴り続けた結果、何とか由香の拘束から逃れることができた。
「ぷはっ、死因が由香の胸になるところだった……」
「間抜けな死に方だな」
「こんにゃろ」
茶化してきた由香にムッときた私は、由香の胸をグーで軽く殴る。あばら骨にあたったのだろう。ゴツッという重い音がなる。
「いっでぇ!? 胸殴りやがったな!?」
「待って、なんでそんなに近づいて……もがふ!?」
私はまた、由香に捕まることになった。今度は先程もよりも遥かに長く拘束され、気絶直前まで離してくれなかった。
由香の胸に殺されそうになってから三日後。
「ゆ、湯川さん!!」
「はい、なんでございましょう」
「お、お、鳴無さんとはどういうかんけーなんですか!?」
「普通に友達だよ……?」
ここはいつもの公園……では寒かったので、ショッピングモールのフードコート。ホットココア啜っていた私は、小夜のクラスメイト……勅使河原向日葵ちゃんに絡まれていた。相変わらず私のことを敵視しているらしく、鋭い目線が私を突き刺している。
「外、寒かったでしょ? 何か暖かいものいる?」
「た、ただれたおんなの施しは受けません!!」
「いや、だからどこからそんなことを覚えてくるの小学生」
私は頭を掻きながら立ち上がる。自分だけココアを飲んでいる状況が耐えきれないため、向日葵ちゃんの分もホットココアを買おうとしているのだ。
「て、て、敵前逃亡ですか!?」
「うん、それで良いから座ってて」
「鉄面皮!! 悪魔!! 冷徹女!! もっと悔しそうな顔をしてください!!」
最近の小学生は本当に難しい言葉を知っているな……、私が変なところで感心していると。
「さすがに恵里衣お姉さん。クールビューティーだな。小学生相手にも手加減なんてしやしない」
私の向かい側に座っていた小夜がそんなことを言って、どや顔をする。
「小夜、あとでぐりぐりね」
「殺生な!?」
「鳴無さんをいじめないで!!」
「いじめっ子でいいから、向日葵ちゃんは座ってて……」
元気盛りの小学生とはここまで体力を消費するものなのか、私の時はもう少し、おとなしい子供だった……はずだ。そんなことを考えながら、フードコートのカウンターでホットココアを向日葵ちゃんと小夜の二つ分を注文する。カウンターに居るお姉さんはなんだか私のことを生温い目線を投げかけている。
何だ何だ?
私はお姉さんが後ろを振り向いた瞬間に、カウンター越しからお姉さんの本を奪い取る。小夜の本みたいな大学ノートだが、サイズがとても小さい……まるで手帳みたいだ。パラパラと最新ページを開くと……。
『ちっちゃな子に囲まれてて羨ましいなぁ』
私は本を閉じ、すぐに捨てた。
「お待たせしました。ホットココアです」
すると、お姉さんは私にホットココアを渡す。相変わらず生温い目線を私にくれている。
お姉さんも大変なんだなと半ば投げやりに考えながら、私は軽く会釈し、ホットココアを持つ。
「ほら、向日葵ちゃん、小夜。ココア」
「ほどこしは受けぬと言ったでありましょう!?」
「飲みなって、手、真っ赤だよ」
私がそう言うと、向日葵ちゃんは咄嗟に手を隠す。
「鳴無さんだけじゃなくて、私も狙ってる……!?」
「ないから」
「む、それは、私としても不本意だぞ」
「だからないっての、こら」
「ぐりぐりかい!? ぐりぐりなのかい!? ……あいだだだ」
「鳴無さんをいじめないで!! やるなら私を……!!」
向日葵ちゃんは、小夜の頭から私の手を引き剥がし、自分の頭にひっつける。私は、ぐりぐりをやめ、向日葵ちゃんの頭を撫でる。向日葵ちゃんは突然の出来事のせいで脳の処理が追い付いていないらしく、固まり続けている。
「……って、ごめん、小夜。体罰しちゃった」
「平気だぞお姉さん。本物はこれの三十倍は辛い」
「ごめんて」
「それよりもお姉さん。なんで勅使河原さんにナデナデをしているのだ? 事と次第によっては裁判が始まるぞ」
「待って、こんなところで防犯ブザーを構えないで、この前の事故みたいになったら、どうすんの」
「ナデナデしてもらうのがずるすぎる……もとい、勅使河原さんの身の安全を確保するためだ、やむを得ない」
「わかったわかった、小夜、こっちおいで」
私がそう言って、小夜に手招きをすると、小夜はとてててと私の元へ近づき、私の左足の太ももの上に座る。尾てい骨が刺さって痛い。小夜は背筋を伸ばし、撫でられる体勢に入っている。私はそっと、小夜の頭を撫で始める。
「はぁ……甘えん坊だな小夜は」
「最近、甘えん坊レベルを上げているんだ。何事にも経験値が必要だからな」
「はいはい」
小夜はいつものように適当なことを言っているが、気持ちよさそうに目を細め、私に身体を預けている。
「えへ……恵里衣お姉ちゃん……」
小さく、小さく、小夜はそう声を漏らす。……こういうところ、ずるいんだよなぁ小夜。
すると、固まっていた向日葵ちゃんが身体を震わせる。どうやら現実に戻ってきたみたいだ。そして、小夜を撫でている私を見るなり。
「泥棒猫!」
「なんで?」
「茶髪だから……トラ猫!!」
「恵里衣お姉さんは猫だったのか、勉強になる」
「今すぐぐりぐりに変えてもいいんだよ?」
「恵里衣お姉さんが猫なわけがないじゃないか、勅使河原さん」
この変わり身である。
「ほら冷めないうちに飲みな? 施しだったとしても温かい方が美味しいでしょ」
私がそう言うと、向日葵ちゃんは渋々、小夜は受け取ってすぐにクピクピと飲み始める。
そんな、冬休み直前の出来事。
つづく
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