番外編2

『小夜は好き嫌いが極端に少ない。嫌いな食事も、好きな食事も等しく暴力が伴っていたためだ。 ただ、私と食べる病院食はとても美味しいと言ってくれた。』


 痛い、痛い、痛い。痛みと言うのは、ここまで四つの感覚を奪い去るのか。ママに言われ、必死に歩いてはいるものの、今どこを歩いているのか、何を言われているのか、何をされているのか、全くと言ってもいいほどに把握できない。

 麻酔が開発されるのも無理はないな。そんな途方もなく関係のないことを考えてしまうほど。私の頭の中は痛みに支配されていた。おそらく、私の本にもたくさんの痛みが書かれていることだろう。恵里衣お姉ちゃんには見せたくないものだ。

 どうやら、私は自分の家に帰ってきたらしい、見覚えのある大きなロビーに行きついている。痛みで視界が揺らぎ、部屋の中で爛々と輝いている照明でしか、自分の居場所を把握することができない。

 そうだ、コンシェルジュのお姉さんは、ここまで無理矢理連れられていたら、多少疑問に思うことはないのだろうか。何とか、ぼやける視界を良くしなければ。私は、無理矢理顔を上げる。

 ……ダメだ、いつも通り、知らん顔している。これも仕方ないことか、無用な事件には巻き込まれたくないもんな。一瞬でも頼りにした私が愚かだった。

 …………………………。

 ……………………。

 いかん、一瞬気を失っていたみたいだ。

 駆動音……柔らかい床……ここは、あれか、エレベーターか。

 ママは何やら大声を叫んでいるな。一体何を言っているのか。痛みが脳内を支配している以上、何を言われてもわからないんだこっちは。痛い、痛い、痛いっ!! 引っ張られているな。これは。どうやら私たちが住んでいる部屋の階層に到着したみたいだな。まともに息もできずに、頭に靄がかかり始めてきたな。これは本当によろしくない。思考が停止してしまえば、きっと本の更新が止まってしまう。最悪のケースだと、気絶した途端に、本が消えてしまうリスクだってあるんだ。何とか、何とか、意識を保っていないと。

 ようやく、玄関についたか。

 ……痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! 何をされた、何をもらった? ママが持っているのは、ゴルフクラブ……? あぁ、パパが嫌々やっているというゴルフのセットを掴んだのか。後で文句を言われても知らんぞ。怒りの矛先は私へと向かうんだ、本当にやめてほしい。

 くそ、振り上げているのが見える。意識を保つのも限界だというのに

 嫌だ、痛いのは、もう嫌だ。……いっ……や……助けて、恵里衣お姉ちゃ……。

 あれ、痛みがない。確かに嫌な音がなったのに、痛みがこない。ついに痛覚もいかれたか? いや、違う。まだ呼吸をすると、あちこちが痛む。これは……それに、この安心する匂い……。

 ま、さ、か……っ?

 恵里衣お姉ちゃん……? なんで、ここに? しかも、ゴルフクラブがおなかにささっ……?

 それに、そ、れ……、血、なの、か? 血を、吐いて、い、るのか?

 

「大丈夫。守るよ。気づくのが遅れて、ごめんね?」


 そう言って、恵里衣お姉ちゃんは笑みを浮かべる。見たこともないような、全てを諦めたような、そんな笑み。


「嫌だ。お姉さん、嫌だよ」


 駄目だ。恵里衣お姉ちゃん、駄目だよ。


「嘘だろ? 嫌だよ、嫌、お姉ちゃん、死んじゃ、駄目だ……っ」


 全身が痛くて、まともに声が出ない。だけど。


「死んじゃ駄目だ!! 駄目……嫌だ……っ、嫌だよ……!!」


 視界が滲む。これは涙だろう。全く、普段は全く出やしないのに、こういう時だけはしっかりと出てくれる。

 まぁ、当たり前か、こんな、こんなのって、ない。こんな結末なんて、あり得ない。


「やだぁぁ゛ぁ゛っ!! お姉ちゃん!! 恵里衣お姉ちゃん!!」


 私の人生で一度も見たことがない、全てを悟り、諦め、虚空を見つめる瞳。全てから守ると、恵里衣お姉ちゃんは私を包む。

 嫌だよ……っ。




 私は思わず目を逸らす。その文字列はあまりにも胸が苦しくなり、読むことを躊躇う。まさか、あの時、小夜がこんなことを考えていたなんて。


「お姉さん。ちゃんと見ろ、目を逸らすな」

「あ、あの、小夜さん? 怒ってらっしゃいます?」

「あぁ、腹の底から怒っている。なんなら、ここで泣きだしたってかまわないぞ」

「そ、それは勘弁して」


 現実に引き戻された私は助けを求めるように由香へと目線を送る。しかし、目線を送った先の由香は……なんと椅子の上で座ったまま、眠っていた。何とも薄情すぎる。親友との絆は一体。


 今現在、私と小夜は病院で入院生活を送っている。私は早めに退院できそうであり、もう日付の目途も立っている。しかし、小夜の傷……主に肋骨の傷が酷いらしく。しばらく入院する必要があるそうだ。

 あのタワーマンションでの一件以降、小夜は両親とまた暮らすことを徹底的に拒否、退院後は父方の祖母の元へと預けられるという。

 小夜の両親は面会すらもできない状態となっており、今は小夜の祖母が着替えなどを持ってきている。


 そんな入院生活の今現在、私は小夜からお説教をもらっているところだ。


「本当に死んでしまうかと思ったんだぞ? わかるか? 私のこの本当に絶望した感じを」

「わかるわかる」

「わかってないだろ!? 私の絶望を作文用紙に写経させるぞ」

「いや、その、ホントスンマセン」


 小夜は私のベッドの上でぷりぷりと怒っている。もう一度言おう。私のベッドの上で、だ。小夜は私に胸に背を預けている。所謂あすなろ抱き状態となっているのだ。その状態で小夜のノートを読んでいるのだ。何て拷問なのだ。逃げることなんてできないし、何故か目を逸らすと、小夜にばっちりとバレる。

 そんなこんなできゃいきゃい騒いでいると、流石にうるさかったのか、由香が目を覚ます。


「んあ? 終わったか~?」

「ふむ。まだまだ終わってはいないが、今日のところは許してやろう。いや、許してないが」

「勘弁して……」

「ってか、小夜おめぇ、良いポジションにいるじゃんか。私と交換しろ」

「これは病人の特権だ。肋骨を代償にしてここにいるとも言う」

「……けっ、ずっこいな」

「ずるくて上等。まだ小学生だからな」

「へーへー」


 そんな由香と小夜が会話している時、私はあることに気が付く。それは、由香が持ってきたであろう紙袋。


「由香。あの紙袋」

「……あ? おぉっと。忘れてた~、これな、お義母さんからのお見舞い品なんだ、ほれっ!」

「おぉ、かぼちゃプリン。そっか、世間一般的にはハロウィンだっけ」

「もう少し先だがな。ほれ、小夜の分もあるぞ」


 そう言って、由香は私と小夜にかぼちゃプリンを渡す。こういうお菓子は本当に久しぶりに食べる。私は透明なプラスチックスプーンが入っている封を切り、かぼちゃプリンのシールやら蓋やらを取り払い、上に乗っかっている半分解けている生クリームとプリンを同時に一口。


「ちょっとぬるい」

「わり、冷蔵庫に冷やすの忘れてた」

「まぁ、うん、だろうね……」


 そう言って、小夜の方を見ると、一口食べたみたいだが、何故か固まっている。口に合わなかったのだろうか? 私はそんな不安に駆られ、小夜のノートを最新のページまでめくる。すると……とても文字では表記しきれないほどの、味の感想と感動と感激が走り続けている。

 そんなに……美味しかったんだね。


「小夜?」

「はっ」


 私が声を掛けると、やっと意識を取り戻したのか、きらきらとした目をこちらに向けてくる。その姿はまさに小学生四年生。


『かぼちゃプリン!! うまいぞ恵里衣お姉ちゃん!!』


「かぼちゃプリン!! うまいぞ恵里衣お姉ちゃん!!」


 ノートの中身と一致した言葉を叫ぶ小夜。

 そんなもの、現実ではあり得ないはずなのに、何故か小夜の尻尾が全力でブンブンと振るわれているのが見える。耳があったとしたら、ピーンッと立っていることだろう。


「もしよかったら、私の食べる?」


 私がそう言うと。


『良いのか!? 恵里衣お姉ちゃん!?』


「良いのか!? 恵里衣お姉ちゃん!?」


 またノートの中身と一致した言葉を叫ぶ小夜。

 いや、もう、ね。普通に可愛い。


「良いよ?」

「なんと……なんということだ……」


 小夜は震えながらまた一口かぼちゃプリンを口の中に入れる。するとまた超高速で小夜のノートに黒が走り続ける。


「幸せとは、こんな小さなカップの中に納まっていたのか……? しかも、その幸せは、スプーンに乗せることもできると来たもんだ。おぉ……これは、何と言う発見。齢十歳にして、世界の真理に行きついてしまったのか私は」

「いや、小夜。大げさだよ」


 由香が呆れた口調で小夜にそう言うが、小夜は全く気にしている気配がない。夢中になって、かぼちゃプリンを食べ続ける。


 その日から、小夜の好物にかぼちゃプリン……及び、かぼちゃが追加されることとなった。

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