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「お願い、ゼネリア……もうやめて……」


 秋葉あきはは泣きながら、息も絶え絶えの絞り出したような声で悪魔ゼネリアに懇願する。

 そんな秋葉あきはに向けられたのは、ゼネリアの酷薄とした冷たい視線だった。


「何を言っているの? ほら、もっとちゃんと見て! あんたの所為で傷付いてる様を見て、苦しみなさいよ!!」

「も……やめ……」


 秋葉あきはの目の前で、ゼネリアの両腕が乱世らんせ目掛けて振り下ろされ続ける。

 致命傷だけは回避しようと全力で避け続けていた乱世らんせだったが、その息も徐々に上がり始めている。

 悲しくて、つらくて、苦しくて。

 乱世らんせを見つめる秋葉あきはの顔はそんないろいろな感情が混ざったような表情と、流れ続ける涙でぐしゃぐしゃになっている。

 悪魔が実体を保つのに必要なのは生命エネルギーだが、生まれ出る本来の要因は人間の負の感情だ。

 秋葉あきはの生命エネルギーが無くなりつつあることに気付いていたゼネリアは、罪悪感などによる負の感情までもエネルギーに変えようとしているのだ。


「大丈夫だよ、秋葉あきはちゃん」

「ごめ……なさい……」

「大丈夫だから」


 ゼネリアの攻撃をかろうじて避けながら、乱世らんせ秋葉あきはに優しく笑いかける。

 その隙が命取りになった。

 ザシュッという鋭い刃物で肉と骨が断ち切られた音と同時に、ゼネリアの右手が乱世らんせの身体を貫通する。


(しまった……!)


 ごぽっという音をさせながら乱世らんせの口から血が吐き出されると、ゼネリアはゆっくりと右腕を引き抜いた。

 支えるものが無くなった乱世らんせの身体は、重力に従ってうつ伏せに道路に倒れ込む。

 その体を中心にじわじわと血だまりが広がっていく。


「随分と頑張ってくれたけど、ここまでのようね。行くわよ、秋葉あきは


 両腕を五指の状態に戻したゼネリアは、浅い呼吸を繰り返す秋葉あきはの腕を掴んで立ち上がらせると、倒れ伏す乱世らんせに背を向ける。

 その時微かに、パリッと何かが爆ぜる音がした。

 怪訝そうな顔をしたゼネリアが後ろを振り返ると、その目に映ったのは信じられないものだった。

 たった今、ゼネリアの右手でお腹に風穴を開けられて、死は目前という状態で道路に倒れ伏していたはずの乱世らんせが腹部の傷口を押さえて立ち上がっているのだ。


「まだ、終わらないよ」


 誰がどう見ても瀕死の重傷な乱世らんせが、瞳に力強い光を宿して不敵に笑う。

 さすがのゼネリアも動揺を隠せずうろたえる。


「……坊や? 今の攻撃でどうして生きているのかしら?」

「俺が特別だから、かな?」

「答えになってないのだけれど!?」


 疑問に疑問で返されたゼネリアは苛立ちを隠すことなく、掴んでいた秋葉あきはの腕を乱暴に離した。

 そして再び両手を刃へと変える。


「今度こそ、息の根を止めてあげるわ!」

「そういう訳にもいかないんでね」


 駆け出したゼネリアの目の前で、乱世らんせの身体が光に包まれる。

 パリパリと外へ向けて爆ぜる光の中から乱世らんせの声が届く。


「お姉さん達悪魔と違ってさ、俺達は人間として生まれてくるんだ。天帝の命を帯びて新たなる天使として、ね」




 この世には人々の暮らす現実世界の他に、知られざるもう一つの世界が存在している。

 天界と呼ばれるその場所は、天帝と呼ばれる王が君臨し天使達を従えている。


 ここまでは神話などとさほど変わりはない。

 違うのはここから。

 天使は人間を親とし、人間として生を受ける。

 成長と共に天使としての力に目覚め、天界と天帝の存在を知ることとなるのだ。

 力に目覚め、天帝より階位と名を冠された天使達は人として生活しながら魔を払う。

 そう、かの有名な悪魔を。

 自らの欲望のままに人を傷つけ、時には殺めることもある悪魔を退治するのが天使達に与えられた使命であった。

 そして、大居おおい乱世らんせもその使命を持って生まれた一人である。

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