第47話 血塗る衝動

 朝を迎え、俺達は再び歩き出す。

 獣人の里の位置は正確には分からないが、一日で進む距離を考えると今日中には着けるかもしれない。


「シーエ、疲れてないか?」

「はい、大丈夫ですよ」


 結局、シーエは俺達を起こさずに見張りを続けてくれたらしい。


「夜でも結構、元気が有り余るんですよね。夜行性なんでしょうか?」


 自分の事なのに知らないのか……と思ったけど、獣人って人間と動物が合わさったような存在だもんな。昼行性なのか夜行性なのかどっちなんだ。


「……ん? シーエ、その傷……」


 ふと彼女を見ると、左手首に包帯を巻いているのに気が付いた。


「どうしたんだ? 昨日は無かったと思うけど……」


 シーエの手を取って聞いた。

 すると彼女はビクッと反応し、尻尾を振りながら答える。


「ふぇ、あ、その……ちょ〜っと戦いまして……」

「そうなのか!? だったら起こしてくれれば……」


「だ、大丈夫でしたから!」

「でも怪我したんだろ?」


 すぐにミルフィが駆け寄って、シーエの傷を治してあげた。


「……早く治さないと、跡が残る、から」


 そう呟き、包帯を取ると傷は消えている。

 同じ女の子として、色々と思うところがあるのかもな。


「あ、ありがとうございます!」

「……むぅ」


 するとミルフィは、シーエの手を取っていた俺の手を払った。いつまでも女の子の手を触るな……って事なのか?


「んじゃあそろそろ行こうよ。アルフ君、先陣お願い」

「おう、そうだな。早めに着いた方が良いし」


  *


 しばらく歩いて、ちょっとした変化に気が付いた。


「この辺りは、魔物の気配が少ないな」


 獣人の里まで、もうさほど遠くない。

 近付くにつれて、ちらほらとあった魔物の気配が減っていく。


「里がある訳だし、あんまり寄り付かないのか?」

「えっと、仕切りはありますし、ちょっぴり伐採してるので、近辺には少ないですね。でも、ここはまだ里から離れているので、そんな減る事ないと思うんですけどね」


 言われてみればそうだな。


「もしかすると、みんな狩りしてるのかも」

「そっか、狩りで暮らしてるんだもんな」


「みんな素手でやってんの?」

「はい。武器よりもそっちの方が手っ取り早いので」


 やっぱり獣人は、野性的な戦いするのかな。

 シーエも最初、魔物にしがみつくように戦ってたし。


「……あの、すみません」


 それからしばらく進むと、急にシーエが立ち止まった。


「その、えっと、ちょっと離れますね……!」


 何やらモジモジとした様子。……恐らくトイレだろう。


 ミルフィと一緒に行く事になった時も、同じような感じだった。ミルフィは無口で、黙って行ってしまうから、最初は心配してデリカシーも無く追い掛けてしまった。無論、彼女が致す前に、だ。


  *


「……あの、またすみません……」

「あ、うん……」


 ……やたらと回数が多いな。失礼だけど。


 シーエは何度もフラッと離れ、少しして戻って来る。

 そしてその度に、どこか疲れた様子になる。


「……大丈夫?」


 ミルフィが心配して声を掛けた。


「……はい、問題ないですよっ」


 シーエはニコリと笑って答えるが、顔色が悪いように見える。


「ちょっと休もうか」

「わ、私は大丈夫ですよ!」


 俺はここで座り込んだ。シーエは平気を装うが、無理はしない方が良い。


「あー俺のど渇いたなー」


 俺に乗じてエルノアも座り、あまりに棒読みな演技をする。


「……ありがとうございます」


 シーエも無理を止めて座ってくれた。


「やっぱり、寝ないでいたから疲れが溜まったんじゃないか?」

「……夜更しは、肌に悪い、よ」


 みんなで気遣い、しばらく休憩する事になった。


「おいアルフ。立ち止まるなら剣の修行するぞ修行!」

「はいはい分かったよっと」


 修行を欠かすと感覚が鈍るので、これを機に始めた。

 それに今、新しい技を考えているしな。


「手伝うぜアルフ君」


 エルノアも加わり、2人で模擬戦を行った。

 これでまあミルフィとシーエは女子同士、水入らずって事で。


「…………」

「……わぁ……!」


 打ち合っていると、見ている2人から感嘆の声が聞こえる。

 ちょっと照れる。いやまあ、そもそも修行とか見せ物じゃないし? 努力は見せないというのが日本人の気質だとか何とか……なんて。


「アルフ君、心が揺れてるぜ~」

「うっせ」


 冷やかしをあしらい、エルノアの短剣を捌く。


「……何と言いますか、綺麗ですね」


 シーエがそう呟いた。


「その、動きが……無駄が無いというか、流れるようで」


 人間は知能がある代わりに、力は弱い。だから器用さを活かして“技”を使う。

 そして“技”は自分より強い相手を倒す為にある。……って師匠が言っていた。


「私の里長も、何だか似たような感じなんです。上手く言えないですけど、他の獣人とは違うような」


 獣人でも、そういう技とか使うのか? 二足歩行で建築も出来るなら不思議ではないか。

 ただでさえ力が強いのに、技まで使えたら……かなりヤバいよな。


ピッ──


「いてっ」


 ──途中、気が緩んでいたのかエルノアの短剣を腕に受けてしまった。

 傷は深くないが、血が溢れ出す。


「アルフさん、大丈夫ですか!?」


 するとシーエが、顔を真っ青にして駆け寄って来た。


「大丈夫大丈夫、大袈裟だよ。それに治して貰え──」


 次の瞬間、彼女は俺の傷口に舌を這わせた。


「しっ、ししし、シーエ!?」

「わ〜お」

「……!!」


 動揺する俺、面白そうにするエルノア、何やら顔をしかめるミルフィ。












 ────だがシーエの顔を見ると、これは笑えるような状況ではないと気付いた。


「ふぅッ……ふぅッ……!」


 シーエは酷く息を荒げ、虚ろな目をしている。

 顔色は本当に悪く、今にも倒れそうだ。


「ち……血……」

「シーエ、どうした!? 貧血か!?」


 そう問いかけるが、彼女からの返答は無い。


 そして突然──俺の腕が噛み付かれた。


「いッ……シーエ!?」


 彼女の歯が喰い込み、激痛が走る。

 魔力で防御するも、彼女の力には耐え切れず……肉を千切られた。


つうっ……!」


 それを見て、すかさずエルノアが短剣のさやを彼女に噛ませ、手をひねって抑える。

 ミルフィが魔法で、俺のえぐられた腕を治してくれた。と言っても傷が深い分、完治まで時間が掛かるが。


「おいおいシーエちゃん、どうしたのさ」

「……この変わりよう、怪しいな。まるで理性が飛んじまってるぞ」


 ガルシオンさんもさやから出て、シーエの様子を探る。


「……う、うぅッ!!」


 ──その時、シーエはひねられた手を力で振り解き、俺達から離れた。


 そして爪で、自身のふくらはぎを切り裂く。

 そこから零れる血を手ですくい……飲み干した!


「シーエ……何してるんだ……?」


 恐る恐る近付いて聞くと……彼女は振り向き、目元には涙を浮かべていた。


「ご……ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 ようやく言葉を交わしてくれたシーエは、謝罪を繰り返す。


「良かった、正気に戻ったんだな。早く脚を治して──」

「こ、来ないでッ!!」


 心配して声を掛けたが、彼女は拒絶した。


「私ッ……昔からこうなんです。ある時突然、血が飲みたくなって……自分が抑えられなくなって、それで……!」

「突然、血が……ふむ……」


 自分の事を話すシーエ。それを聞いて、ガルシオンさんは何か考え込む。


「……分かった。いいから、とりあえず脚を治療しよう。痛いだろ?」


 シーエの事は、まだよく分からないが……あの豹変ひょうへんぶりは明らかに異常だ。そしてそれを彼女自身も理解できていない。なら、放っては置けない。


「だ、ダメです! 私は……!」


「シーエは俺達を傷付けないように、そうやって痛い思いをしてくれてたんだな。ありがとう、一旦色々と話そう」

「そーだよ。でなきゃ君だって、これからずっとそのままじゃんね」

「……ん」


 みんなでシーエをなだめて説得する。

 ミルフィが治してあげようと近付く。念の為、俺とエルノアはシーエを止められるよう構えておく。

 無事に治療が終わると、シーエは立ち上がった。


「……ありがとうございます。……本当に、ごめんなさい」


 ──そう言って彼女は、


「……やっぱり、皆さんに迷惑はかけられません」


 俺達を置いて、走り出してしまった。


「……追い掛けるのは構わんが、お前らの脚じゃ追い付けんぞ」


 ガルシオンさんが話し始める。


「それにあの嬢ちゃん、これから里へ帰るんだろう。それならそこの連中が上手くやってくれるかもしれん」

「……そっか」


 シーエが走って行ったのは、向かっていた方向だ。そのまま行くなら里に着くだろう。何か帰る理由もあったみたいだし。


「シーエちゃんが一人で歩いてたのってさ、あんな風になっちゃうからなのかね」

「……かもしれないな。里のみんなに迷惑かけたくない……とか」


 もしそうなら……シーエはこれからどうするんだ。


「これは推測だがな……獣人ってのは、動物が二足歩行したような奴だ。だがあの嬢ちゃんは見た目がほぼ人間で、動物的特徴はオマケみたいなもんだ。俺は旅してた時に何度か獣人と出会ったが、あんな人間に近い奴は見た事ねぇし、あんな衝動を持つ奴も居なかった」


 つまり、シーエは獣人の中でも特異な存在。

 極めて人間に近く、かと思えば急に野性的になる。


「あの嬢ちゃんの動物的特徴ってのは……身体じゃなく、中身の方かもしれん」


 ──この場から居なくなってしまったシーエ。


 彼女がこれからどうするのか、俺達には何か出来ないのか。


 今はただ、どうしようも無い不安に駆られるしかなかった。

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