第17話 ある魔女と少女の出会い

 シュラリア村。

 辺境にあるものの、建物は大体がレンガ造りで、村としてはそこそこに発展している。

 人の出入りがそれなりにあり、宿屋も存在する村。


 ──しかしその出入りというのは、決して良いものばかりではないのだが。

 何を隠そう、治安が悪いのだ。道端に大人達が屯し、白昼堂々と喧嘩が起き、盗みを働く者も多く、またそれらを止めようとする者も居ない。


 商人がよく、この村へやって来る。このような場所へわざわざ足を運ぶには、それ相応の理由がある。

 その売り物とは、食肉や農作物、雑貨など。しかしそれは、単なるオマケでしかない。

 危険を冒してまで来るのだから、大きな利益が必要だ。


 ──今日もまた、痩せ細った痛々しい少年少女が、売り物と並んで立たされている。その異様な光景を、咎める者は存在しない。

 全身に痣があり、汚らしい服を着せられたまま俯いている、彼らの瞳に光は無い。どうせ、蜘蛛の糸が垂らされる事はないのだから。


 しかしこの光景の異様さも、この村にとっては普通の事。元より世界中を見れば、凄惨な地などいくらでも存在するのだ。

 平和な地から見れば異様でも、ここでは当たり前の事。ここシュラリア村は、治安が悪く、奴隷が売られている、ごく普通の村なのである。


 ──たった一つ、強いて特色を挙げるとするならば……とある有名人が住んでいる、という事だろうか。


スタ、スタ、スタ……


 このような荒んだ村を、一人の女性が歩く。

 少々派手で色っぽい身なり。体には薄い生地がぴっちりと張り付き、ボディラインが浮かび上がる。その上に裾が長く大きく広がった、風が吹けばバサバサと揺れるコートのような物を羽織っている。

 それを身に纏う体は、恥じる必要のないほど細く整っている。


 しかし、それらの女性的魅力を帳消しにしてしまうほど、頭には目立つ物を着用していた。直径が頭6つ分はあろうかという、ツバの大きな帽子。初めて彼女を目にした者は、恐らく体よりも先にそちらを見るのではないだろうか。


「〜♪」


 明らかにこの村に似つかわしくない彼女は、その態度もまた、まるで広々とした草原に居るかのように、鼻歌混じりに堂々と歩く。

 さも自分の格好は普通、むしろ良い方だと言わんばかりに。


「──てめぇッ! 話が違うだろ!」

「うるせぇ!!」


 道の真ん中で、2人の男が喧嘩をしている。

 道の真ん中を歩いている彼女は、自分の進むコースに障害物が現れたので溜息を吐く。


「こらこら、喧嘩は良くないぞ」


 そう2人へ声を掛けた。自分より体格の良い男2人に対し、まるで子供をなだめるかのように。


「「ああ、何だと──」」


 自分達をたしなめる女に、2人の男は振り向いて威嚇する──が、その姿を確認して言葉が止まった。

 その美貌に目を惹かれたから……では残念ながらなく、その妙ちきりんな帽子に驚いたからでもなく。


「「リンゼ=モルディヴ……!!」」


 その名を呼ばれた彼女は、フフンと得意げに答えた。


「そうかそうか、私の名を知っているのか。恥ずかしいな、はっはっは!」


 あまりにわざとらしく、年甲斐もなく。


「「ちっ……!」」


 彼女──リンゼを前に、2人は立ち去った。

 リンゼは視線を地面へ落とすと、割れた酒瓶を見つけた。


「全く……昼間からだらしないな」


 再び溜息を吐き、リンゼは酒瓶へ人差し指を向けた。


 すると突然、風が吹き、酒瓶を持ち上げた。

 酒瓶はまるで透明人間が運んでいるかのように、スーッと動いてゴミ捨て場へと向かう。


 魔法である。リンゼは高度な魔法を使用する。酒瓶という微妙に重い物を動かすには、そこそこ強い風が必要。にもかかわらず周囲を騒がせずに持ち上げ、遠くまで運んだのは、彼女の技量である。


「──ちょっとお姉さん」


 そんな彼女へ、通りすがりの商人が声を掛けた。


「ほう……この私が“お姉さん”と?」


 もうとっくに成人している彼女は、嬉しそうに反応する。


「ええ。素晴らしい魔法をお使いになられますね。見て行きませんか? お安くしますよ」

「仕方無いな♪」


 そして商人の並べた品を見回す。至って普通の商品。


 ……が、路地裏から、隠れさせられていた追加の商品がやって来る。

 逃げられないよう、重い足枷を付けられた奴隷たち。


「ふむ……」


 みすぼらしい子供たちを見て、彼女は顔をしかめる。会話に応じてしまった手前、見る程度はしてやろうと一瞥いちべつした。


 ──しかし、とある少女の所で、彼女は目を止めた。

 腕や足にアザがあり、顔の火傷痕が目立つ。


「……では、この子を貰おうかな」

「まいどあり」


 あっさりと購入を決め、彼女は商人へ代金を払う。


「じゃあ、行こうか」

「……」


 少女は無言でコクリと頷き、小さな歩幅で付いて来る。


「お前、名前は?」

「……ミルフィ=ストーリア、です」


「ミルフィか、可愛らしい名前じゃないか。私はリンゼ=モルディヴ。覚えておけ」

「……はい、ご主人さま」

「おいおい、ご主人様はやめなさい。まあ働いては貰うがな」


 そんな会話をしながら歩き続け、大きめで比較的立派な家に到着した。


「ここが私の家だ。とりあえず……足を洗おうか」


 裸足のミルフィを見てそう言った。髪はボサボサ、汚れた衣服。

 リンゼは膝立ちになり、ミルフィの足を持ち上げた。そして魔法で水を出し、ミルフィの足の裏を擦る。


「んっ……」


 くすぐったさに足がピクッと震え、一瞬声を漏らした。


「歳はいくつだ?」

「……確か、11、です」


 足を洗いながら会話をする。会話というより質疑応答に近いが。


「しかし……もっと扱いがどうにかならないものか。床が汚れるじゃないか」


 リンゼの言葉に、ミルフィはビクッと震えた。自分が汚らしいばかりに、主人の気を損ねてしまっていると。


「さあ、入れ」


 両足を洗い終え、2人は家に入った。


 ミルフィは周りを見渡す。外見は立派だが、中はかなり散らかっている。

 特に本が山積みになっており、これは片付けに骨が折れそうだと感じた。


「魔法を研究していたら、こんなに溜まってしまってな。全く、魔法とは不思議だ。研究してもしてもキリが無い」


 そう呟きながら、ゴミ袋をどかすリンゼ。

 そして急にビシッとポーズを決め、


「改めて名乗ろう! 私はリンゼ=モルディヴ。数々の魔法を修得し、世界を又に掛け、人々から“大魔女”と呼ばれた者だ!」


 ……と言うが、散らかったこの場所で言われてもイマイチ威厳が感じられない。


「そしてお前はラッキーだ。何故って? この私のもとで働けるのだから!」

「……」


 ミルフィは返事に困った。礼を言えば良いのだろうか、それとも褒め称えれば良いのだろうか。


「ではまず……風呂に入ろうか」


 リンゼは困惑するミルフィを、風呂場へと連れて行った。服を脱がせ、彼女の全身のアザが露になる。


「髪がボサボサで傷んでいるな。全く、女の子だというのに」


 まずはシャンプーで髪を洗う。手入れどころかまともに洗ってすらいなかったので、髪は固く絡まっている。

 丁寧に丁寧に洗われ……しばらくしてようやく、ミルフィの髪が纏まった。


「よし、少しは綺麗になったな」


 リンゼは次に、ミルフィの全身を優しく擦る。


「んくっ……!」


 腋がくすぐったく、ミルフィは体をよじった。


「こ〜ら、暴れるな。洗えないだろう?」

「……は、はい、すみません……」


 リンゼに叱られ、ミルフィはくすぐったさを我慢する。


「んぅ……!」


 しかし、どうしても体は逃れようとしてしまう。


「ほう……? さてはくすぐったがりだな?」


 リンゼはにやりとイタズラな笑みを浮かべ、ミルフィを逃さないように洗い続けた。


 こうしてミルフィは、久方ぶりにきちんと体を洗い終えた。


「ふふふ♪ これから毎日、私が洗ってあげようか」

「……じ、自分で出来ます……」


 リンゼが指をワキワキさせるので、ミルフィはそれとなく断る。


「髪の手入れは、女のたしなみだからな。これからは覚えておきなさい」

「……はい……?」


 流されるがままのミルフィは、あまり理解できずに答えた。


「この服はボロボロだし、もう要らないな。さあ、これを着なさい」


 風呂から上がり、ミルフィに綺麗で可愛らしい服と下着を渡す。

 自分がこのような立派な衣服を着ても良いのか。そう疑問に思いつつも着ろと言われたので、ミルフィは服を着てリンゼに付いて行く。


「さて、これからの生活だが……とりあえずお前には片付けを──」


ぐううぅ〜……


 と、リンゼの言葉を遮ってミルフィのお腹が鳴った。昨日の昼にパンを与えられて以来、何も食べていないのだ。


「……ご、ごめんなさい……!」


 人の言葉を遮った事に、ミルフィは謝罪した。その声色からは、どことなく恥じらいがうかがえる。


「そうか、お腹空いたか。それだけ痩せているし当然か。ちょっと待っていなさい」


 リンゼは台所へ向かい、料理を始めた。


「あ、あの。私が……」

「大丈夫だ、座っていなさい」


 仕事をしようとするミルフィだが、リンゼが全てやってしまう。座れと言われても、どこにどう座れば良いのか分からず立ったままだ。


「ほら、食べなさい」


 リンゼは完成した料理を持って来てテーブルに置き、椅子に座って食べ始める。


「何をしてる? 早く座って食べるんだ。お腹空いてるんだろう?」

「あ、あの……どうして……」


 今まで、奴隷として痛めつけられてきたミルフィ。全く違うこの待遇に、思わずそう疑問をぶつけた。


「どうして……だと?」


 それに対しリンゼは、


「何故って、私は“大魔女”様だからだ!」


 と、答えにならない答えを返した。


「……? …………??」


 ミルフィの頭に疑問符が浮かぶ。


「お前はこれから、私の弟子だ。大魔女の弟子なのだ。そんな大それた存在が、みすぼらしい格好で痩せ細っていたら、示しがつかないだろう?」


 そう自信満々に言い放つリンゼに、ミルフィは気圧けおされる。


「一目見て分かった、お前は多量の魔力を秘めている。これからそれを引き出して、色々な魔法を覚えて貰うぞ。分かったら食べなさい」

「は、はい……」


 言われるがまま用意された食事を取るミルフィ。


「……美味しい、です……」


 その瞳から、涙がこぼれ落ちた。


「おいおい、そんなに美味しかったか? まあ私は何でも出来てしまう罪な女だからな〜。料理人の道もありかもしれんな〜」


 そう冗談混じりに答えるリンゼ。

 しかし体を震わせるミルフィの顔を見て、優しく息をついた。


「……まあ、大勢の人間に料理を振る舞うのは面倒だからな。専業主婦が一番だ」


 そう言って席を立ち、ミルフィの近くに寄る。

 そして火傷痕のある顔に優しく手で触れ、


「ふむ、よくよく見れば整った顔立ちをしているな。やはりこの私の弟子にピッタリだ」


 次の瞬間、リンゼの手から魔力が放たれ──ミルフィの顔の火傷痕が消え去った。

 手鏡を持って来て、その顔を見せてやる。


「……これが、私……?」

「そうだぞ、お前の顔だ」


 最後に自分の顔を見たのはいつだったか、もはや覚えていない。火傷痕ができて以来、見たくもなくなってしまったから。


「まあ、まだ幼いからな。5年後が楽しみってところだ。悪い男が寄って来たらぶっ飛ばせるようにも、魔法を教えてやろう。それから強くて良い男を見つけて──」


 リンゼがそう話す最中……ミルフィは顔を歪ませて、ぼろぼろと大粒の涙を流した。


「こらこら、褒めた傍からそんなに泣くな。可愛い顔が勿体ないぞ」

「……わ、わた、私っ……。で、弟子で、良いんですか……?」


 ダメ元で、そう聞いた。


「だからそう言っているだろう。私が欲しいのは奴隷でなく弟子だ」

「……い、イジメたり、しませんか……?」


 それは今までさんざん口にし、とうとう叶う事のなかった願い。


「当たり前だ。私が思うに虐待ってのは、最も思慮に欠けた愚かな行為。せっかく役に立ってくれる有用な存在がいるのに、自らの手で痛めつけるなど馬鹿もいいところだぞ。完璧超人の私は不合理な事はしないのだ」


 ミルフィの諦めていた事を、リンゼはあっさりと受け入れた。


「まあその、なんだ。私も独り身でな、そろそろ家族が欲しかったんだ」


 リンゼは気恥ずかしそうに言い、ミルフィを抱きしめた。


「ご、ご主人さま……!」

「師匠と呼びなさい、師匠と……」


  *


 剣を極めんとしたお前と、魔法を極めんとした私。

 とうとう、白黒つけられなかったな。


 だが私には最近、女の子の弟子が出来たぞ。多量の魔力を持ち、この2年で随分と魔法を覚えた。贔屓目なしに才のある子だ。

 私の培ってきた魔法の知識を全て伝授すれば、ゆくゆくはお前も超えるかもな。もっと強くなれば、その内そっちに自慢しに行くぞ。


 ……あ、そうそう。なんかドラゴンが飛んでいたから、追い払いにそっちの方へ行ったがな。子供が2人、村を出てドラゴンに殺され掛けていたぞ。

 全く、ちゃんと教育しておけ。……まあ、私の村も大概だがな。


 私はこの村を出はしない。来るならお前が来るんだな。そっちは平和だし、別に問題ないだろう。

 私も、村のすさみようには呆れているがな……自分の生まれた村を、どうして恨めよう。


 それにずっと住んでいれば、このように思い掛けず、良い出来事に巡り会えるものだ。

 私もいい歳だ。この弟子はまるで娘のようだよ。そろそろお前と──いや、何でもない。


  *


 ミルフィ=ストーリア。誕生日は不明である。


 その代わり、リンゼと出会ったその日を誕生日とした。


 誕生日まで、あとほんの数ヶ月。──悲劇が、起こる。

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