第四部・第2話

 ラカニエ首都の郊外にある小さな街を見付けたのは、首都の防衛省ビルでの戦闘から一週間程。

 都会と言える規模ではない。周りを山に囲まれ、孤立したような街だった。

 空爆の被害の跡は見受けられたが、首都で見たような大規模なものではない。戦中の小規模な空爆に感じられた。

 崩壊した建物もある。

 人の気配は感じられない。

 そして、しばらく誰かが入り込んだ様子もなかった。

 ここまでの間に街を一つ経由したが、さほど補充をすることも出来ないままに、三日間を装甲車の中で過ごしていた。

 全員が疲れていた。

 肉体的なものだけではない。

 精神的にもよほど疲れていたのだろう。

 ここまで、誰もが言葉少ななままに辿り着いた。

 どこに行くとも決まってはいなかった。

 明確な目的地があるわけでもなく、何かの期待を持って移動していたわけでもない。

 これからどこに行って何をすればいいのか。

 何も分からないまま、いつの間にか、山の上からその小さな街を見下ろしていた。

 誰もが、何も言わずに装甲車を降りた。

 天気のいい日だった。

 僅かに流れる風は少し肌寒いほどで、短い秋の終わりを感じさせた。

 まるで見惚れているかのように、ティマは数歩だけ前に出た。すると、背後、重機関銃のシートに腰を降ろしたままのスコラが声をあげる。

「いいんじゃない?」

 まるで全員の考えていることを知っているかのようにスコラがそう言うと、ティマがゆっくりと振り返る。その表情は柔らかかった。清々しさすら感じさせる。

 その表情に、全員が胸の中の何かが滑り落ちていくような、そんな感覚を味わう。

 もう、いいのかもしれない。

 誰かがそう言ってくれたような、そんな時間が流れていた。

 誰もいない街。

 見慣れた光景だ。

 しかし、なぜか今は違って見える。

「しばらく、ここで暮らしてみよう」

 明確にそれを言葉にしたのはヒーナが最初だった。

 街の中心にある小さな教会を拠点とし、聖堂の長椅子を避けてそれで内側から窓を埋めた。完全には無理だったが、これでだいぶ外へ灯りが漏れることはなくなるだろう。

 中心で久しぶりに火を焚く。高い位置のガラスが割れたままになっているので排気には問題がないとの判断だった。

 夜。

 装甲車から降ろした食料と毛布で久しぶりの暖をとった。

 日を重ねるごとに気温が低くなってきているのを感じられるそんな季節。

 炎の灯は、全員の体だけでなく、気持ちまでも暖めていた。

 誰も多くのことを語ろうとはしなかった。

 それでも、首都で見たあの光景は誰の頭からも離れない。

 カルとマーシを救えなかった悔しさ。

 キラを失った喪失。

 アイバだけでなく、ティマをも巻き込むことになったアーカムとは何なのか。

 様々な思いが気持ちを駆け巡る。

 そんな時、チグがラップトップを開いた。何と言うこともなく、全員がそれに目をやる。そしてチグが口を開いた。

「索敵はするよ……何かあれば反応するから…………だから、今夜はみんなで寝よう……もう、見張りなんか…………」

 なぜかは分からない。

 しかしその時のチグは、それでいいような気がした。

 すると、隣に腰を降ろしていたヒーナが繋げる。

「うん…………今夜は…………ゆっくりしよう…………」

 それで良かった。

 誰にも異論はない。

 もしかしたらそれは、先の見えないことへの諦めみたいなものだったのかもしれない。

 結局、アーカムのことは何も分からなかった。

 もしかしたら、これからも分からないのかもしれない。

 しかし、そこに、僅かな感情がある。

 知りたかった。

 ティマとアイバがいる。知らないでは済まされないような、そんな使命感のようなものがあったのだろうか。

 アーカムに翻弄され、アーカムを追いかけてここまで戦ってきた。

 絶望的な世界の中で、何か目的を持っていなければ、生きてはこれなかった。

 それは全員が同じだった。

 新しい未来が欲しかった。

 誰もの拠り所になるような、そんな未来が欲しかった。





 朝。

 明確に起きる時間を決めていたわけではない。

 しかし独特な朝の匂いに起こされる。

 朝露が植物を覆う匂いを、涼しい風が運んでいた。

 ナツメが目を覚ますと、隣で寝ていたはずのティマはもういない。二人で使っていた毛布はなぜかナツメにだけ掛けられていた。

 立ち上がって聖堂のドアを開けると、強い朝日が差し込む。

 その先に見えたティマは装甲車の横。スライドドアを開けた所に腰を降ろし、ライフルの弾倉のチェックだろうか。ナツメの姿に気が付くと、顔を上げて、いつもの軽い笑顔を見せる。

 左右の機銃座が首都の戦闘で破壊されていたために、皮肉にもそこは広い。

 そこに腰を降ろしたナツメが声を上げる。

「私は何かに抱きついてないと寝られないんですけど。抱きついてた相手がいなくなると困るのよねぇ」

「それじゃ軍人にはなれないな」

「いいよ。お嫁さんになるから」

 その言葉に、ティマは不思議な笑顔を見せた。

 朝食の後、ヒーナとティマの二人は街の中を調べるために拠点を後にした。スコラとナツメは周囲の警戒に当たり、チグ、レナ、アイバの三人は教会の中の物資を調べる。

 そんなところから、この街での暮らしが始まった。

 街の中には想像以上の軽油と食料、医療用具から生活用品までが見つかり、全員を笑顔にさせていった。

 そして一ヶ月。

 日々の気温は益々下がり始め、教会の防寒対策が最優先となっていた。

 それでも戦闘のない穏やかな日々。索敵は継続していたとしても、ここに来る前までの妙な緊張感は薄れていた。それでも拠点とする教会の防御体制は組み立てておかなくてはならない。

 教会は街のほぼ中心に位置していた。大きな広場の中心に高く建ち、周囲の建物は高くても二階。教会からの景観を損ねないように考えられているかのようだった。そこからだいぶ離れると三階建ての建物も増え始めるが、その程度。街中とは言っても民家も点在し、一見すると緩やかな街だ。

 しかし戦火の跡は街の至る所に点在した。

 他と同じように、完全なゴーストタウンと化している。

 人々はどこに行ってしまったのか…………全員の中に、穏やかなものとは別に寂しさが見え隠れした。

「やっぱり……首都に向かったのかな…………」

 いつもの巡回の最中、ヒーナが思わず呟いた。

 まだ見ていない地区へ一緒に向かっていたティマが返す。

「情報を含めたインフラが崩壊したからね……何も分からないままに噂話が蔓延して…………結局誰もいなくなった…………もう少し早ければ、まだ誰か残っていたかもね」

「実際、不思議なくらいに車が無いもんね」

「民家も荒らされた様子がない……持てるだけの荷物は持って行ったんだろうね。寒くなる前に南に移動した可能性もある」

「遅かったね…………」

「首都で空爆に巻き込まれたか…………アーカムに遭遇したか…………」

 ヒーナが久しぶりに聞いた言葉だった。いつの間にか、誰もが〝アーカム〟という単語を使わなくなっていたからだ。

 しかし終わったわけではない。

 またいつ襲ってくるか分からない。

 ここにいつまでいられるのか…………またアーカムと戦うことになるのか…………。

 今までと同じ、先の見えない日々には何も変わらない。

 ヒーナはまるで現実を叩きつけられたような気分だった。


 ──現実を見なければ…………


「ティマ」

 そのヒーナの声に、前を歩いていたティマは立ち止まって振り返る。

 それに合わせるように歩みを止めたヒーナが続けた。

「まずは…………教会の周りにバリケードを作ろう。周りに瓦礫はたくさんある。生き残った人たちの捜索もしたい。まだどこかにいるかもしれない。車両も集めよう。そうしたら行動範囲も広くなる。そうしたら近場の基地まで行って装甲車を増やしてさ…………」

 ティマは体全体をヒーナに回して応える。

「いいね」

 ヒーナの目に光が見えた。

「うん…………人が増えれば、やれることも増えてくる」

「そうだね…………」

「ここで…………みんなで暮らしたい…………」

 疲れていた。

 戦うことに疲れていた。

「じゃあ…………みんなをまとめないとね……頼むよ大統領」

 そのティマの言葉に何かを掬われたような、ヒーナはそんな不思議な感覚だった。

 それから一週間近くをかけて、教会周辺のバリケードを作った。教会の建物自体もそうだが、広場へ続く道路も一箇所を除いて瓦礫で埋められた。もちろん完璧な防御とは言えないが、アーカムが襲ってきた時の足止めくらいにはなる。

 そして次に必要になるのは銃火器だ。自動小銃よりも火力の強い物でなければアーカムを撃退することは不可能であることは分かっている。

「チグ、この周辺に基地はある?」

 ヒーナのその質問に対するチグの返答は早かった。

「あるよ。一番近いのは民間部隊の駐屯地だけど──もう少し行くと国軍の陸軍基地もある」

 街中から集めてきた大きなソファーに座りながら、木製のテーブルの上のラップトップを見ながらチグは応えていた。気が付けば教会の聖堂の中は様々な家具で溢れていた。食器類も充実し、トタンの寄せ集めで作られた煙突で暖炉までも備えられている。

 マグカップで湯気の登るコーヒーを飲みながら、ティマはチグの正面に腰を降ろしながら口を開いた。

「いいね。まずは駐屯地に行こう。ここの警備もまだ完璧じゃないし、とりあえずは私とヒーナだけでどうかな」

 するとヒーナが応える。

「それで行こう。距離は?」

 チグもすぐに返す。

「装甲車なら日帰りで行ってこれるよ」

 それに返したのはティマ。

「後ろのライフルはここの警備用に残していこう。装甲車には上の重機関銃と手持ちのライフルが二丁もあれば問題ないと思う。あとは全部残して──ヒーナ、どう?」

「ティマが一緒に行くならそれで充分。後は出来るだけ早く帰るだけだね。でもまあ、こっちにはアイバもいるし」

 そしてヒーナがアイバに目をやると、アイバは少し離れたソファーで毛布にくるまって寝息を立てていた。

 その姿に、全員が表情を和らげる。

 まだ幼い子供にしか見えなかった。自らは自分の正確な年齢は分からないと言っていたが、見た目は一〇才前後。それにしては、アイバを取り巻く環境は過酷すぎた。





「ヒーナ! あと何分⁉︎」

 屋根の上からのティマの叫び声に、山道を爆走させながらヒーナが叫ぶ。

「もう少し! 見えるよ!」

 山道を登った先。

 拠点の街が見えた。

 だいぶ空がオレンジ色に染まって薄暗くはなっているが、ティマは目を凝らす。

「煙だ‼︎ 急いで‼︎」

 街に入ると、一〇機程のアーカムのドローンが教会付近を取り囲んでいた。

 装甲車がバリケードに近づくとティマが再び叫ぶ。

「突っ込め‼︎」

「ティマ⁉︎」

 ティマは重機関銃のシートの後ろからロケットランチャーを取り出すと、右肩に担ぎ、迷わず引き金を引いていた。

 甲高い音の直後、目の前のバリケードが砕け散る。

 ティマは引き金を引き続けた。

 半自動追尾のランチャーのロケットは容赦無くドローンを砕いていく。

 屋根を崩された教会の前で横付けする形で停まった装甲車から、ティマが重機関銃を撃ち続ける。

 教会の中からはナツメの重口径ライフルの爆音と手持ちライフルの銃声。

 やがて静かになり、ヘルメットには全員の荒い息遣いだけが続く。

 ティマは引き金に指をかけたまま。

 ヒーナはゆっくりと運転席を降りた。その視線は半壊の教会へ。

 呆然と立ち尽くすヒーナに駆け寄ったのはチグだった。

「ごめん……ごめんヒーナ…………」

 すると、ヒーナは地面に視線を落として低く呟いた。

「……みんなは…………? 無事なの?」

 するとチグは後ろを確認するように振り返り、ヒーナに視線を戻すと応える。

「うん…………大丈夫」

 そこに装甲車の上からのティマの声。

「チグ!」

 驚いたチグが上を見上げると、ティマの声が続く。

「レーダーは⁉︎ アーカムはもういないの?」

 チグは慌てて建物の中に戻る。

 入れ替わるようにして出てきたのはナツメだった。

 半ば呆然としながら、ティマを見上げて口を開く。

「ごめん…………守れなかった……」

 ティマは何も応えないまま。

 ナツメの声が続く。

「ごめんね…………頑張ったんだよ…………」

「アイバは! アイバはどこだ⁉︎」

 ティマが叫んだ直後、チグが中から声を張り上げる。

「周囲はクリア!」

 その声を聞いた途端に、ティマは装甲車から飛び降りる。足早に聖堂の奥へと入っていく。

 そこに見えるのは立ち尽くすスコラの背中。

 スコラはすぐに振り返ると、手にぶら下げていたライフルを床に落とし、ティマを片手で制した。

 奥に見えるのは、呆然と座り込むアイバの横顔と、その体を背中から包んでいるレナ。

 口を開いたのはスコラ。

「ティマ……ありがとう…………帰ってきてくれて助かった…………」

「…………アイバは────」

「ダメなの」

 言葉の意味がティマには理解出来ない。

 スコラの声が続く。

「ダメだった…………〝力〟が使えなかった…………」

 アイバは、アーカム相手ならむしろ進んで〝力〟を使っていた。

 思えば、首都の防衛省ビルでの戦い以来アイバの〝緑の光〟を誰も見ていない。確かに使う必要のある時はなかった。しかしコントロールの出来ないティマとは違い、アイバは自分の意思で使いこなせていたはず。

 何も返せないでいるティマに、スコラの声が続く。

「あの時……何かがあったのかもしれない…………今はそっとしおいてあげて」

 するとティマは、ゆっくりと肩にかかるスコラの手を外した。

「……うん…………」

 小さくそれだけ口にすると、足を前に進めていく。

 スコラも止めようとはしない。

 近づくと、アイバの体は小さく震えているようにも見えた。その体を包むレナが顔を上げた。不安を隠せていないその表情に、ティマは優しく微笑みかける。

 そして口を開く。

「レナ……ありがとう」

「ティマ……だめ……」

 そのレナの声は弱々しい。レナはアイバの体を抱きしめるしかなかった。恐怖が支配していた空気の中で、レナに出来るのはそのくらいだった。

 最初にドローンが現れた時はライフルを構えた。

 しかしやがて、ティマがいない現実を知った。

 何機ものアーカムのドローンを前に、レナは自分の無力さを実感する。そして、気が付いた時には呆然と立ち尽くすアイバを抱きしめていた。

 アイバがティマを見上げた。

 初めて見る表情だった。

 こんなに怯えたアイバの表情を、ティマは見たことがない。

 ティマの中に湧き上がったのは不安だけではなかった。

 怖かった。

 アイバと同じ出生かもしれない自分はどうなのか…………その恐怖が頭を巡る。

 そして、アイバは完全に自分の存在価値を見失っていた。

 生きてきたことに意味があったのか、今はそれすらも分からない。

 この感情をどう表せばいいのか、自分でも理解出来なかった。

 ただ、今目の前にあるのは、ティマの柔らかい表情だけ。

 どこかから込み上げるもの。


 ──これはなに?


 生まれて初めて、アイバの目からは涙が零れ落ちていた。

 目の奥が熱い。

 そんなアイバを、ティマは黙って両手で抱きしめる。

「……熱いよ…………ティマ…………」

 アイバの口からは、そんな言葉しか出てこない。

 ティマも一言だけ。

「……うん……そうだね…………」





 その夜はそのまま屋根の無くなった教会で夜を明かした。

 久しぶりに装甲車でも良かったが、いつの間にか全員がそこに集まっていた。

 あいにく武器だけでなく食料も駐屯地で見付けることが出来た。人員を増やせば装甲車も持ってくることは出来たが、新しい拠点を作ってからでないと次の遠征は難しいだろう。

 全員で火を囲み、毛布に包まる。

 本格的な冬でなかったことだけが唯一の救いだ。

 一様に表情は暗い。

 アイバもレナに抱かれたまま、ただ黙って炎を見つめている。

 しかしその目は、もう今までのアイバではなかった。

 しばらくの静寂の後、最初に口を開いたのはヒーナ。

「ここからちょっと離れるけど、三階建てのビルがあるんだ……周りもビルばっかりだからこことは違うけど……前にティマと見付けたんだけど、そこ…………地下室もあった。防御体制は作りやすいと思う」

 すぐには誰も応えない。

 やがて、次に口を開いたのはナツメだった。

「行こう……まだ諦めない…………」

 その言葉は、全員の気持ちを揺さぶっていく。

 次に口を開いたのはスコラ。

「バリケード作りに何日かかりそう?」

 応えたのはヒーナ。

「あそこなら両サイドも後ろもビルだ…………三日かな」

「食料はまだある。やれるね。まずはそこから……今度こそ頑丈な拠点を作ろう」

「ここ…………気に入ってたんだけどね…………」

 そのヒーナの言葉に、全員が再び口を閉じる。

 ヒーナが続ける。

「ここを中心にして…………もしも人が増えれば…………新しい街が作れるんじゃないかって…………そんなこと考えてたよ」

 ナツメがそれを掬い上げた。

「みんなそうだよ…………色々……変えたかった…………でも、まだ終わりじゃないよ」

「うん…………やろう。まだやれる」

 そのヒーナの目が、微かに炎の光を反射して光って見えた。そしてその光は口元へ滑り落ちていく。

 それを見たティマが口を開いた。

「頼むよ。大統領」

 そして、ヒーナの微笑む顔が炎の灯りの中で輝いていた。





 それから一ヶ月。

 本格的な冬の匂いを全員が感じていた。

 いつ雪が降り出してもおかしくない気候に、気持ちだけが逸っていく。

 幸いなことに、少し前の遠征で二台目の装甲車を手に入れていた。左右の機銃も壊れてはいない。追加の銃火器や弾丸も揃え、いつ来るかもしれない襲撃に備える毎日。

 しかし雪が降る前にやっておきたいことは、それだけではない。

 街周辺の調査をしたかった。出来るだけ遠くに足を伸ばすことで、生き残った人間を見付けたかった。

 まだどこかに、誰かがいるかもしれない。

 軍人でも構わない。

 しかし今までの経験からいきなり攻撃を受ける場合もある。そのための白旗も作った。よほどでない限り戦闘はしたくなかった。そのために会話の出来る時間を作る必要があったからだ。

 今の一番の目標は、仲間を増やすこと。

 まだ世界は終わってはいない。

 例えアーカムの目的が人類の絶滅でも支配でも構わない。

 それでも、まだ世界は終わってはいない。

 そして、全員がその気持ちを共有していた。

 毎日、遠征の装甲車を出していた。しかしまだ遠くても一日で帰ってこれる距離までと決めている。そのためか、遠征を初めて二週間程になるが成果は出せないまま。

 基本的に遠征はヒーナとティマ。日中の拠点周辺の物資の探索はスコラとレナ。ナツメとチグは拠点の警備に徹したが、地下室の安心感は大きかった。

 あれ以来、アイバは何も喋ろうとはしない。そして誰も無理強いをすることもなかった。ただ、毎日を壁を眺めて過ごしていた。

 ここにいることの意味はなんだろう。

 明確な役割があった。

 周りからも存在を肯定され、必要とされていた。

 軍隊に入ってから常に特別待遇で持て囃され、自分は特別な存在だった。

 みんなに拾われてからも同じ。

 むしろ今の方が心地よかった。

 〝力〟を分かった上で一人の人間として見てくれた。

 自分に関わろうとしてくれた。

 自分を理解しようとしてくれた。

 無意識の内に、それに応えられるのは自分の〝力〟しかないと感じていた。

 応えたかった。

 でも、もう応えられない。

 自分には〝力〟が無い。

 存在する価値が無い。

 もう、生きる意味も無い。

 二人が見付かったのは、そんな頃だった。

 その日、ヒーナとティマが遠征から帰ってきたのは夕方。すでにスコラとレナも戻り、夕食の準備が進んでいた。全員が戻るとやはり気持ちが休まる。一日の中で一番安心出来る時間だった。心無しか全員の表情も和らぐ。しかし現実は残酷だ。初期の頃とは違い進展の無い日々が続く。

 全員が地下に集まり、長い夜が始まる。

 地下室は大きなスペースが一室だけ。倉庫のような所だったと思われた。完全な地下ではなく、半地下と言ったほうが正しいのだろうか。地下室の天井近くに小さなガラス窓があり、そこは地面に繋がっていた。地下で火を焚いて暖を取るのには役立つ。三カ所の小さな窓にはすでにガラスは無い。排気にはいいが、時折冷たい風が入り込むのが唯一の問題だ。

 地下室への入り口はビル一階の一番奥。大きく崩れた外壁部分から装甲車を中に入れ、常に一台は地下室入り口の前。その前に遠征用の装甲車。

 地下室は元々何も無かった。しかし今は家具も増え、環境は決して悪くない。マットやソファーのお陰で固い床で眠ることもなくなった。同時にそれは椅子にもなるため、食事から就寝するまで過ごす安心出来る場所でもあった。

 その日も各自いつもの場所で食事を取っていた。毎日のように缶詰とはいえ暖かい食事を取れるだけでも、まだみんなにとってはありがたかった。

 寒い夜。暖かいものを口にするだけで気持ちまでが温まり、つい気持ちも緩む。

 その時、バッテリーに繋いだラップトップから警告音が鳴る。

 緊張と共に全員の視線がラップトップへ。

 チグがモニターを覗き込む。

 そして口を開いた。

「アーカムじゃない────人間──二人だけ──軍人かどうかは不明」

 素早くティマがライフルを手にした。

 続いてヒーナとスコラが自動小銃を手にすると、チグが続ける。

「距離は一キロ切った──今のまま真っ直ぐ来ればこっちに来る」

「行くよヒーナ」

 ティマはそう言ってヘルメットを手に腰を上げて階段へ。ヒーナもそれに続きながら口を開いた。

「チグ──誘導をお願い」

 二人が階段を登ると、ナツメも自動小銃を手に後に続く。

 スコラもそれに続きながらチグに言葉を送る。

「レナとアイバをお願い」

 レナは毛布に包まったままアイバを抱きしめる。

 しかしアイバの目に変化はない。

 ティマとヒーナは道路を挟んで銃を構えていた。

 スコラとナツメは装甲車の影から様子を伺う。

 ヒーナがマイクに向かって囁く。

「チグ──動きは?」

『ゆっくり近付いてる──歩く速度だけど、ゆっくり……向かう?』

「そうだね……少し進むよ……動きがあったら頼む」

 ヒーナとティマは道路を挟んだまま進み始める。

 少しずつ距離が縮まるのをモニターで見ながら、チグの緊張が高まっていった。この街に来てから人間と遭遇するのは初めてだった。ただ、戦闘にならないことだけを祈った。

 今まで何度も命を賭けるような戦闘を繰り返してきたはず。

 それなのに、今は小さな緊張が怖い。

 それでもチグは自分の役目を果たそうと努力する。

『進路そのまま──もうすぐ目視で確認出来るよ』

「了解」

 応えたヒーナが暗闇に目を凝らす。

 すると、道路の向かいにいるティマの声がヘルメットに。

『見えた』

 横目で見ると、ティマがライフルを構え直している。

 やがて、道路の先、小さな影。

 ヒーナが無意識に自動小銃を構え直した時、その影が止まる。

 ヘルメットにチグの声。

『止まった──距離は約一〇〇』

 ヒーナはすぐに応える。

「こっちでも目視した。これからコンタクトする」

 月明かりが作るビルの影が、小さな影を隠す。

 そしてその影は二つ。

 ヒーナが声を上げた。

「動くな! 軍人なら所属を名乗れ! 我々はラカニエ軍の者だ!」

 しかし、二つの影は動かない。

 再びヒーナが口を開こうとした時、ティマの声。

『──子供だ』

 ──子供?

『アイバより幼く見える』

 そしてティマが動いた。

「ティマ──」

 思わずヒーナの口から溢れるその声に、ティマは応えながらも足を止めない。

「大丈夫──ヒーナはそのまま」

 ティマはコンバットシューティングスタイルはとっていない。ライフルを構えてはいるが、警戒を緩めていることは明白だった。その姿にヒーナの気持ちもしだいに落ち着いていく。

 ティマが近付く。

 長い髪の子供が二人。

 手を繋いで怯えた表情を見せていた。

 月明かりで白く見える髪は腰くらいまではあるだろうか。

 ──女の子?

 そのティマは五メートルくらいの距離で立ち止まり、口を開いた。

「二人だけ?」

 そう質問しながらも、ティマには分かっていた。

 この周辺に、他に人の気配はない。

 二人の身長は同じくらい。やはりアイバよりは幼く見える。

 一人はハーフパンツ。もう一人はワンピース。拾った物か、それぞれが軍服の上着を羽織っていた。

 何も応えずに、ティマに向けて一人が頷く。

 再びティマ。

「名前は?」

 頷いた一人が口を開く。

「僕は……アキ…………妹は……フミ…………」





 しばらく何も口にしていなかったのか、毛布に包まったまま、二人の兄妹はレナの温めたスープを飲むことに集中していた。

 いつの間にかレナが母親のような立場になっていることに、ティマは少しだけ驚いた。

 幼い二人がここまでどうやって生きてきたのかは分からなかったが、それでも貴重な存在だった。

 やはり、生き残っている人間はいる。

 しかも敵ではない。

 仲間になれる可能性を秘めている。

 もちろんまだ銃を持って戦わせられる年齢ではない。誰もそんなことはさせたくなかった。アイバやキラの一件もある。

 一緒に戦う仲間ではないが、守るべき仲間。

 その存在が嬉しかった。

 二人はよほど疲れていたのか、体が温まると同時に眠りに落ちた。

 自然と、その側にアイバが寄り添う。

 いつの間にか、その表情は柔らかい。

 その姿に、全員が救われていた。

 もしかしたら、キラの面影を重ねているのだろうか。それでもいいとティマは思っていた。二人が心の拠り所になるのなら、アイバはまだ生きていける。自分の命に意味を持たせられるだろう。

 何より〝力〟など無くても、アイバは生きている。それだけでいいように思えた。

 自分はどうなのだろうとティマは何度も考えていた。

 自分の生きる意味はなんだろう…………答えの出ない問いが頭を巡る。

 しかし、先の見えない毎日に、少しだけ光が射した。

 幼い二人の寝顔とアイバの穏やかな表情に、全員が優しくなれた夜だった。





 朝。

 軽い朝食を取りながら、幼い二人はゆっくりと語り始める。

 それは兄のアキだった。

「双子です……七才です…………もっと北にいたんだけど、寒くなってきたから南のほうが暖かいと思って…………」

 この街でもそろそろ雪が降り始める。雪の降らないもっと暖かい地域には、おそらく辿り着けなかったであろうことが想像出来た。

 レナが質問する。

「ここまでは、ずっと二人だけで?」

「軍人さんと……一緒に…………」

 その言葉に、それまで小さな窓から入り込む朝日を眺めていたティマが振り返った。

 レナの声が続く。

「軍人さん? どこの軍人さんだったか分かる?」

「わからないけど、ご飯くれたし……まもってくれた…………いっぱいいた」

「その軍人さんたちは?」

 少し間を開け、次に口を開いたのは妹のフミ。

「死んじゃった」

 その言葉で全員の視線を浴びたフミは途端に怯えたような表情になり、アキの腕にしがみついた。

 すぐにレナが続ける。

「ごめんね。いいよ……無理しないで」

 レナがフミの頭に優しく手を添えると、口を開いたのはアキだった。

「ドローンがきて……みんな殺された」

 その言葉に、全員が凍りついた。

 誰もがアーカムのドローンを想像していた。残存兵力としてコントロールを失ったドローン部隊に全滅するとは考えにくい。可能性がなくはないが、太陽電池だっていつまでも持つものではない。メンテナンスもないままでは長期間の稼働は不可能だ。事実、ティマたちもしばらく遭遇していない。

「それは…………最近?」

 レナが恐る恐る質問を続ける。

「昨日」

 そのアキの言葉に、込み上げるものは悔しさしかない。

 もしかしたら、仲間をもっと増やせたかもしれない。

 後一日早く会えていれば…………誰もがそう思った。

 そして、まだ近くにアーカムはいる────。

「お父さんと…………お母さんは?」

 そう質問したのはティマだった。

 するとナツメが無意識に口を開く。

「ティマ──それは後でも…………」

 しかしそれには何も返さず、ティマは応えを待った。決してその目は攻撃的なものではない。

 誰もが聞きたかったと同時に、想像出来ることでもあった。

 やがて、視線を落としたアキが言葉を返した。

「……戦争で…………」

「そう…………ごめんね」

 ティマはそれだけ返すと、アキから視線を外す。

 ティマはその目を、昔に何度も見ていた。


 ──……嘘をついてる目だ…………





 チグは街の中心にいた。

 〝コクーン〟のほぼ中心ではあったが、司令部のビルからは少しだけ距離がある。

 ここからスタートした。

 目の前には崩れ果てた教会。

 今はそれを教会だったと記憶しているのは初期のメンバーだけ。見た目からは教会の面影は無い。しかし雨風に晒されたソファーが一つ残り、時間の経過を感じさせた。元々壊れかけていた物だった。だから新しい拠点には移動させずにそのまま。しかし、皮肉にもその姿は昔を思い出させるには充分だった。

 近頃、チグはここに足を運ぶことが増えていた。

 近くには迫撃砲が固定され、あくまでコミュニティーの一部ではあったが、それほど人が近寄るような場所でもない。定期巡回で戦闘部隊の隊員が通過するくらいだろう。

 ──スコラもたまには来るのかな…………

 いつもチグはそう思ってしまう。

 ──仕事でもないのに来るのは私だけ?

 そして、決まってティマとナツメのことを思い出していた。

 何がいけなかったのか…………今でもチグには分からない。

 後悔を確かめるために、確認するために来ているのだろうか。それすらも分からない。

 昔を懐かしんでも、何も楽しい記憶は浮かばない。

 寂しさだけが膨れ上がる。


 ──今は、本当に正しいの?

 ──何か、間違っていることはないの?


 ──もう……間違いは犯したくない…………


「……司令部長」

 背後から自分を呼ぶ声に、チグは反射的に振り返った。

 そこにはケースが一人で立っている。

 日頃、それほどチグはケースと業務上で繋がりがあるわけではないが、もちろん知らないわけではない。

 ケースがここに来たのは〝コクーン〟が稼働してまだ間もない頃だった。チグにとってはまだ幼かった頃の印象のほうが強い。血気盛んな若者というイメージだったが、今では戦闘部隊の中でも中核にいるのは事実だ。

 民間人だけで戦後を生き延び、まだ人を信じることが苦手だった。というより、知らなかった。ここに辿り着くまでに両親の死を経験し、戦争の辛さはそれだけでも充分に思える。

 今ではスコラからの信頼もある。

「どうしたの? こんな所で」

 チグが少し間を開けて応えると、ケースはすぐに返した。

「司令部長こそどうしたんですか? こんな所で…………」

「たまにね…………懐かしくて来るの…………」

「ここがですか?」

 するとチグは崩れた瓦礫だらけの教会跡に視線を戻して応えた。

「うん……最初はここからだったんだよ」

「そうでしたか…………」

 ケースはチグの隣に立つと、同じ瓦礫の山を見ていた。

 その横顔にチグが返す。

「あなたこそどうしたの?」

「司令部長にお願いがあって追いかけてきました」

「随分とかしこまるのね。あなたも今は大人か……」

 そう言ったチグは、子供扱いだったかと、少し後悔した。

 しかしケースは構わずに応えていく。

「ええ……ここにきた頃より、色々なものが見えるようになりました」

「それは良かった…………みんなに頼りにされているものね」

「ええ……僕に着いてくる〝仲間〟も増えました」

「仲間?」

 チグはケースの横顔──というよりその目に、何か懐かしいものを見た。

 ──この目って…………

 そして、そのケースが返す。

「司令部長も、僕たちの仲間になりませんか?」

「何をする気?」

 咄嗟にチグは返していた。

「クーデターです」

 チグはすぐには返せなかった。それはあまりにも想定外の事。

 いや、本当にそうだろうか…………チグは自問していた。

 本当にこうなることは予想できなかったのか…………。

 驚きと同時に、なぜか諦めが沸き起こる。

 そこにケースが続けた。

「血を流すつもりはありません。行政府長に降りてもらえれば、それでいいんです。今のままでは、いずれコクーンは崩壊します」

 そうなのかもしれない……チグにもなんとなく分かっていた。

 しばらく人口は増えていない。戦闘の度に減っていくばかり。誰もがそれをただ受け入れたいわけではない。それでも現状を維持することだけで精一杯。いや、その維持すらも出来ていない。

 アイバの立場すらも危うくなった今となっては、それを否定することは難しいことのように思えた。

「アイバ様の話…………嘘なんでしょ? 誰も偽物の神様なんて信じてはいませんよ。どんなに神を崇めたって、仲間はどんどん殺されていくじゃないですか」

 その通りだった。チグも否定など出来ない。

 神として崇められ、そこから解放され、力を失って再び神になることを強制された。そのアイバの気持ちを自分がどう考えていたのか……今となってはチグにも分からない。

 残酷な仕打ちだと思ったこともある。

 そうするしかなかったというのは、言い訳に過ぎない。

 あの時点から……いや、もっと前から何かが間違っていた。

 それは後悔だろうか。


 ──後悔しちゃいけないのかな…………


 それから数日間、チグの気持ちは揺らいだ。

 破壊されたバリケードの修復をスコラと行いながらも、頭の中には何か大きなものが蠢いている。

 何が正しいのかも分からないまま。

 ただ一つ言えることは、今は正しくないということだけ。

 それでも、どうすればいいのかが分からない。


 ──ヒーナは失敗したの?

 ──ヒーナのやり方は正しくなかったの?

 ──どこで間違ったの?

 ──どうすればいいの?


 ──……教えて、ティマ…………

 ──誰も信じられる人がいない…………


「チグ」

 積み上げられていく瓦礫の前で声をかけてきたのはスコラだった。

 振り返ったチグにスコラが続ける。

「どうしたの? 最近元気ないね」

 チグもやっと返す。

「うん…………この間のアイバのことが気になってね」

 スコラは相変わらず溜息をついてから応える。

「そうね…………どうすればいいのかなんて分からないけど…………」


 ──どうすればいいの?

 ──教えて…………


「あの子を…………少し楽にさせてあげたいよね」

「うん…………そう……だね……」





 夜。

 クーデター決行の夜。

 司令室にはチグの一人だけ。


 〝何が起きても、警報は出さないでください〟

 

 ケースの言葉が頭に浮かぶ。

 今夜の巡回警備のリーダーはルイス。

 スコラは自室。

 レナは医療班の夜勤のはず。

 アイバもこの時間は自室ですでに寝入っている時間だ。

 ケースを信じられるのか……血は流さないと言っていた…………チグの頭の中はそればかり。

 視線はレーダーに注視しても、気持ちはそこになかった。

 そして、

 スコラが自室で異常に気が付いたのは日付が変わった頃。

 そんな遅い時間に来る人間などいるはずがない。

 廊下の音は毎日のこと。夜でも交代はある。

 しかし、何かトラブルならば司令室から先に連絡がある。

 ドアの前で足音が止まることはありえない。

 狭い部屋の中での立ち回りを考えた。

 枕元の拳銃をホルスターごと肩にかけると、スコラは、銃身の長いライフルではなく自動小銃を手にした。

 直後、ドアが弾かれる。

 そして、相手の銃声のほうが早かった。

 体をベッドから滑らせながらも、スコラの左腕に突き刺さる。

 相手が誰かを見極める間も無く、スコラは引き金を引いていた。

 自動小銃の音と共に、二人の若い兵士が廊下に倒れる。

 スコラに湧き上がるものは、悔しさだけ。

 久しぶりに〝人間を殺した〟。

 廊下の警戒をしながらも、二人を確認する。

 隣の部屋から別の女性兵士が飛び出す。

「部隊長! なんですか!」

「大丈夫」

 倒れる兵士に目をやったまま、飛び出してきた兵士に指示を出した。

「チグの所まで走って──全体に警報を出すように──クーデターだ」

「分かりました!」

 兵士が廊下を走る音が耳の中で遠ざかっていく。

 二人は、もちろん知った顔だ。

 民間人上り。

 元々は軍人ではない。

 スコラが育てた、若い兵士。


 ──こういうことがないように、してきたのにね…………ティマ…………。


 スコラはベッド脇に戻るとヘルメットを被って口を開く。

「ルイス──どこ?」





 けたたましく司令室のドアが叩かれる。

 同時に女性兵士の声。

「司令部長! クーデターです! 部隊長が負傷しました!」


 ──どうしてよ…………血は流さないって…………


「司令部長‼︎ 警報を‼︎ 司令部長‼︎」


 ──どうすれば…………

 ──どこで間違ったの…………


 そして、ドアの向こうから銃声。

 兵士の声が消える。

 そして人が倒れる音。

 直後、蹴破られたドアの向こうに立つのはケース。

 チグに拳銃を向けて口を開いた。

「ご苦労様でした」

「どうしてよ! 血は流さないって言ったじゃない!」

「綺麗事ですね。反対勢力は必ず大きくなる。我々のように」

 ケースは引き金の指に力を入れる。

 そして、自分の顔に向けられた銃口に気が付いて指を止めた。

 目だけを横に向けると、そこには銃口の向こうのルイスの姿。

 ケースは軽く鼻で笑うと、口を開く。

「裏切りますか…………」

「私は、みんなを裏切れなかっただけ」

「ここに何があるんですか? 恩義よりも生き残ることを──」

「あなたは、人を殺したことがあるの?」

 そういうルイスの言葉には、余裕すら感じられた。

 そのルイスが続ける。

「あなたも司令部長に育てられた一人……私にとっても司令部長は大事な人…………あなたは大事な人を失ったことはあっても…………大事な人を殺したことはあるの?」

 ケースが言葉を返せないまま、ルイスの言葉が続いた。

「大事な人を殺すのは……これで最後…………」

 ルイスは引き金を引いていた。

 弾かれるように、ケースの体が廊下に倒れ込んだ。

 ただその光景を呆然と見ていたチグの目に、ルイスの光る目が映る。

 ルイスにとっては弟のような存在だった。

 悔しさだけが頭を巡る。

 全てを捨ててしまいたくなる気持ちを懸命に抑え、チグに顔を向けた。

 そして口を開く。

「私は、あなたを絶対に裏切らない」


 ──……こんな…………

 ──…………こんなバカなことって…………


 そして、外から銃声が聞こえ始める。

 その音は止まらない。

 その夜は、まだ長い。





      〜 第四部・第3話へつづく 〜

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