第四部・第1話

   そこには届かない。

   決して届かない。

   時は戻らない。

   決して戻らない。

   ただ流されていくだけ。




 春。

 終戦から一年。

 現実が否応なく続く日々が重なっていく。

 その時その時の思いで、感情に流されながらの決断を繰り返し、時が紡がれていた。




「ナツメ! 何機だ!」

 装甲車の運転席でティマが叫ぶ。

 速度はすでに時速一〇〇近い。装甲車の限界を越えようとしていた。しかも舗装された道路ではない。砂利の並ぶ山間部。決して平坦ではない。キャタピラという構造上、申し訳程度のサスペンションには限界がある。

「たぶん五‼︎」

 ナツメがヘルメットのマイクに向けて叫んでいた。

 屋根の上の重機関銃のシートに体を固定する暇もなかったのか、左の袖を左側のグリップに結んだだけ。銃身は二本。グリップと引き金もそれぞれにあるが、左腕の無いナツメは右側しか使うことが出来ない。相手に対して一度に与えられるダメージが少なくなる分を、ナツメは動体視力でカバーしていた。

 それでもこのスピードと振動では命中させることはほとんど不可能に近い。辛うじてアーカムのドローンの速度を緩めるだけ。

 少しずつ距離が縮まる。

 やがて装甲車は山間部から都市部へ。

 建物を盾にしながら左右へ。

「ナツメ! 当てろ!」

 カーブで速度が落ちる隙間、ティマが叫んだ直後。

 ナツメの目がアーカムのドローンを捕らえた。

 考えるよりも早く引き金を引く。

 瞬時に大きく歪んだドローンがビルの外壁を崩す。

 直後、右のビルが大きく吹き飛ぶ。

 ナツメが見上げる。

 そこにはドローンと共に空中に散らばるコンクリートの欠片の群れ。

 速度を落としていた装甲車には余力があった。

 ティマの右足がアクセルを瞬間的に踏みつける。

 一瞬で前に競り出た装甲車の背後、ドローンはナツメの目の前。

 距離が開く中、重機関銃の弾丸は確実にドローンを弾く。

 ナツメは引き金を引き続けた。

 地面で土煙を上げるドローンから周囲に目を配るナツメが叫ぶ。

「どうだっ‼︎」

 戦闘を繰り返しながら巡航速度は時速八〇キロ。

 やがて、狭い路地からビルの一階の奥へ。

 エンジンを切ると、久しぶりの静寂。

 息を潜める。

 ナツメはその時初めて、手が長時間の振動で痺れていることに気が付いた。

 やがてしばらくの後、ヘルメットにティマの声。

『ナツメ、もう大丈夫だ。しばらく休もう』

 途端にナツメの緊張が解れていく。

 まだ完全に気持ちを落ち着けてはいけない。それまでにはもう少し時間がかかる。ナツメにもそれは分かっていたが、連日のアーカム戦は心身共に強制的に疲労を蓄積させていた。

 まるで体から力が抜けていくようだった。

 重機関銃の台座の隙間からティマが登ってくる。

 シートに体を預けるナツメに声をかけた。

「お疲れ様……大丈夫?」

「もちろん……スパルタ指揮官にも慣れたよ」

 ──声に力が出ないな…………

 ナツメがそんなことを思っていると、ティマはそれには応えずに口を開いた。

「外すよ」

 そう言ってナツメの左袖をグリップから外す。かなりキツく結ばれていた。というより、ナツメの体を支えてる間にキツくなってしまったのだろう。ティマですらかなり力を入れて解いているのがナツメにも分かった。

 ──ティマの手も痺れてるよね…………

「ごめん」

 慌ててナツメは体を起こしていた。

 ティマはすぐに言葉を繋げる。

「本当にもう大丈夫だよ。だから下で休んで」

「信じようかなあ」

 声のトーンを少し上げたナツメがそう応えると、ティマは解いた袖をナツメの肩の下で軽く結んでから顔を上げる。ナツメの目を見ながら。

「信じてよ……昨日今日の付き合いじゃないでしょ」

 それだけ言うとティマはすぐに下へ降りる。

「そうだね……」

 ナツメは軽く呟いていた。

 ──なんだか変だ…………

 信じていた。信じられないはずがない。

 いつもティマの感は正しかった。間違ったことはない。少なくともナツメは知らない。いつも通りティマを信じればいい。そこに何の迷いもないはず。

 それなのに、今のナツメを僅かな〝何か〟が邪魔する。

「……嫌だな…………」

 無意識に言葉が溢れそうになる。

 ティマに着いていく…………ナツメはそう決めた。

 その気持ちに迷いはない。

 崩れかけたビルの外壁から見える外の景色が、いつの間にかうっすらと色の温度を落としていた。その隙間から空間に入り込む僅かな風を感じてから、しばらくしてナツメは装甲車の下へ降りる。

 索敵用モニターに目を配っているティマは背中を向けたまま。

 ナツメが降りてきたのは音で分かるはず。

 でもティマは黙ったまま。

 最近のナツメは、この瞬間が嫌いだった。

 まるで何かを拒絶されているかのようで、そこに大きな壁を感じていた。

 以前は違った。

 もっと近かった。

 壁など存在するはずがなかった。

 ナツメの中にはティマがいた。

 ティマの中にも自分がいたと思いたい。

 それなのに、ナツメの中にある穴のようなものはなんだろう。

 いつの間にか、そこにティマはいない。

 ティマを自分の中に感じられなくなっていた。


 ──……どうして…………?

 ──あなたは、どこにいったの…………?


「今の内に何か食べておいたほうがいい」

 ティマが背中で声をかけた。

 ──どうせレーションしかないじゃない…………

 咄嗟にそう思ってしまったナツメが返す。

「……そうだね……ティマは?」

「さっき食べたよ」

 ──さっき?

 ──少しは待っててくれたの?


 ──……違うよね…………


「…………そう……」

 それだけ返したナツメは、壁の扉を開いて小さなアルミの袋を取り出す。その袋を乱暴に破くと、中のレーションにかぶりついていた。

 途端に何かが体の中に込み上げる。

 戦闘を終えた安心感とは違う何か…………。

 頭の中から、色々な感情が目頭に集まるのを感じた。

 ──見られたくない…………

 ナツメは顔を下げ、懸命に感情を押し殺すが、そうしようとすればするほど、余計な物までもが感情を刺激する。

 色々なものが溢れてきた。


 ──どうして…………


 その肩を、ティマが抱く。

 いつの間にかナツメの隣で腰を降ろしていたティマは、ナツメの首筋に両手を回した。

 そしてナツメの頭を抱える。


 ──……どうして…………


 ティマに着いていく…………それしかナツメに残された道はない。

 もう戻れないことはナツメにも分かっている。

 自分で決めた。

「……戻る気はないんだよね……」

 自分の口から出たその言葉に、ナツメは自分を嫌悪した。

 ──聞きたいことは、こんなことじゃない…………

 そして、頭の上からのティマの言葉の振動に、ナツメは身構える。

「うん…………ごめん」

 ──ちがう…………

 ──……ちがうの…………

 ナツメは次の言葉を出せないまま。

 口にすることで、何かが終わってしまう怖さ。

 ティマの次の言葉が怖かった。

 聞きたくなかった。

 ──お願い…………何も言わないで…………

 そして、

 しばらく、二人が口を開くことはなかった。





 それから一ヶ月が経ったが、戦闘はアーカムとのドローン戦が二回。決して多くの数ではなかったために二人でも凌げていた。何度か逃げるだけで事なきを得たこともある。

 燃料も弾薬も、食料も余裕はない。終戦から一年も経過すると、ますます補充は難しくなっていた。しかし、それだけ、どこかに生き残った人間がいることの証拠でもあった。

 生き残っているとしたら、サバイバルの術を持っている兵士がほとんどだろう。兵士のほうが一般的に有事の対処の仕方も知っている。

 二人が向かっているのはコレギマの沿岸地帯。

 ラカニエとは真逆の方角だ。

 すでにコレギマの国境を抜けてだいぶ経っている。しかし沿岸部となるとまだ遠い。しかも一口に沿岸部と言っても距離は広大だ。目的地の沿岸部がどこなのか、それは二人にも分かっていなかった。

 小さな田舎町。

 小さな家が点々と並ぶだけの山間部の集落。

 ティマは装甲車のスピードを特別落とそうとはしない。

 相変わらず人の気配は無い。今更生き残った人間に出会いたいとも思っていなかった。それより、アーカムに遭遇する前に、少しでも先を急ぎたかった。

 しかしナツメは違った。

 もしかしたら、まだ生き残った民間人がいるかもしれない。戦火の跡が見られない小さな集落だからこそ、誰かがいるかもしれない。

 ──見つけてどうするのだろう…………

 そんな考えが頭に浮かんだ。

 ──あの街のことを教えるの?

 ──私たちが連れて行けるわけじゃないのに?

 ──ここからあそこまで移動なんかしたら、辿り着く前にアーカムにやられるだけ…………

 ──だから、ティマはスピードを落とさないの?

「ねえ……ティマ」

 重機関銃のシートでナツメが続けた。

「ここは見ていかないの?」

 ティマの反応は早かった。

『ここで補充物資は期待出来ない。まだ余裕はある。急いだほうがいい』

 ──そうかもしれないけど…………

 ナツメは何も応えなかった。

 ナツメの口調が素っ気ないのは昔から。出会った頃から変わらない。ナツメもそれで良かったし、それに嫌悪感を感じたことはなかった。

 しかし、同じなのに、何かが違った。

 変わってしまったのだろうか。

 変わったのはティマだろうか。

 それとも自分が変わってしまったのだろうか…………何度も同じ問いがナツメの頭を巡る。

 そして、突如、装甲車のスピードが上がった。

「ティマ? どうしたの?」

『残存兵が隠れてる──最低でも三人──ライフルでこっちを伺ってる』

 ──生き残ってた…………

「──ティマ、停まって──説明すれば〝あの街〟まで行くかもしれない。仲間がいることを教えなきゃ」

『どうせ交戦になる』

「分からないじゃない! みんな生き残りたいんだよ!」

 その言葉を、ナツメは悔やんだ。

 ──……だめだ…………こんな感情的じゃ…………

 やがて、装甲車が停まる。

 周囲に平屋ばかりが並ぶ狭い道路。

 ティマはライフルを手に運転席を降りた。

 上からナツメが声をかける。

「え……っと、どこにいたの?」

「常に移動してる。建物の中だ。耳を済ませ」

 ──攻撃されると思ってる…………

 次の瞬間、ナツメが叫んでいた。

「私たちはラカニエ国軍の生き残りだ! 戦争は終わった! ラカニエには────」

 そして、

 ティマが素早く銃口を回す。

 その方向──すぐ横の家の窓から自動小銃の音がしたかと思うと、装甲車の外壁で甲高い音を立てた

 そして、ティマのライフルも火を吹く。

 ティマが家の中に突き進む。

 中からは銃声と怒号と悲鳴。

 ──悲鳴?

 ナツメは周りに目を配る。

 ──どこかに……まだ…………

 耳を塞ぎたくなるような銃声に重なる心臓の激しい鼓動。

 銃声が止む。

 やがて家からゆっくりと出てきたティマは、右手にライフルをぶら下げたままでナツメを見上げた。

「終わったよ」

 その言葉に、感情があるとは思えなかった。

 ナツメはシートベルトを素早く外すと、屋根から飛び降りていた。

 家の中へ行こうとするナツメの肩をティマが掴むが、ナツメはそれを激しく振り解く。

 点々と、血痕が続く。

 ドアが開いたままの、奥の部屋。

 ナツメはゆっくりと足を進めた。

 部屋の中に横たわるのは軍服姿の兵士が六人────私服の男性と女性が数名。

 血だらけの部屋の中で、その数を数えることをナツメは躊躇った。

 総てが無駄に思えた。


 ──……どうしたら…………


 ティマは装甲車の横、運転席のドアに背中を預けたまま。

 その目に感情があるようには、ナツメには見えなかった。

 そのティマが先に口を開く。

「やはり攻撃してきた。結局こうなる────」

 そして、ナツメの右手が、ティマの胸ぐらを掴んでいた。

 ティマの冷たい目が、ナツメに注がれる。

 どんなに強い視線を向けても、決して届かないようなティマの目に、ナツメが感じたのは絶望だけ。


 ──……終わりにしたくない…………


 やがて、視線を落としたナツメが口を開く。

「……どうして…………やっと…………仲間になれたかもしれない…………」

「私はナツメがいれば────」

「やめてよ‼︎」

 ナツメの言葉が溢れ続ける。

「いつも、いつも…………誤魔化さないでよ‼︎」

 ──ちがう

 ──終わらせちゃダメだよ…………

 ──……お願い…………





 終戦から三年。

 夏。

 例年に比べて蒸し暑い夏だった。

 雨が特別多いとも感じなかったが、気候は決して過ごしやすいわけではない。

 瓦礫を積み上げたバリケードの見張り台の上から、警備をしていた男性兵士が声を上げた。

「部隊長! 交代はまだですか?」

 ケース・モトマ。

 まだ若い。二〇才になったばかりだ。戦闘部隊の一員として軍服を着せられてはいるが、軍隊経験はない。終戦時にはまだ高校生だった。

「もうちょっと待って。少し前に声をかけてきたから」

 見張り台の下から声を上げたのは戦闘部隊長のスコラ。

 自動小銃を肩からストラップで下げてはいるが、構えてはいない。人でもドローンでも、バリケードに近付くものがあれば司令部から無線連絡が入ることになっている。

 そのために警備中はヘルメットを外せないが、蒸し暑い夏場のヘルメットは軍隊経験の無いケースのような若者には不快な物でしかない。

 ──無理もないか…………

 スコラは溜息をついて足を進めた。

 バリケードの定時巡回には必ず五箇所の見張り台を見て回る。時間は毎日、朝の六時と午後の三時、夜は八時と深夜一時。季節によって時間を変え、日勤と夜勤でローテーションを組んでいた。もちろん索敵レーダーに動きがあればその都度動かなければならない。

 しかしスコラは、コミュニティーが作られてからでも睡眠は仮眠程度。ゆっくりと体が休まらないのが当たり前となっていた。人材不足という現実もあった。軍隊経験のある者もいるが、五〇人程度の人口の四分の一にも満たない。しかも貴重な経験者はアーカムのドローンとの戦闘の度に数を減らしていく。未経験者を教育していくしかなかった。

 ラカニエの首都から少し離れた郊外のコミュニティー〝コクーン〟。

 そこは戦後の空爆の被害を受けていない小さな街。戦時中の空爆の跡はあったが、他の街に比べたら軽微だ。

 最初にしたことは瓦礫でバリケードを作ること。荒廃した街で材料に困ることはなかった。

 アーカムに攻め込まれたらとても対抗の出来るレベルではないが、一時的に足を緩めさせることくらいは出来る。最初は狭い範囲だけだったが、生き残った人間を集めて人口が増えたことに合わせ、残った建物を利用しながら少しずつ範囲を拡大させていった物が現在のものになる。今では見張り台を五箇所も配置するほどの規模になっていた。

 破壊された軍事基地や民間部隊の駐屯地から可能な限りの銃火器を集め、装甲車は計五台。そして軍事的な作戦に関しては、そのほとんどをスコラがまとめていた。

 そして戦闘部隊と綿密に関わりを持つのは司令部の部長であるチグだった。レーダー索敵からバリケード等の防御に至るまで、戦闘部隊を実質的に管理している。

 スコラがヘルメットのマイクに向かって口を開いた。

「チグ────いる?」

 返事はすぐだった。

『いるよ──どうしたの?』

「一度、司令部に戻るよ。三番の見張り台の隣のビルが脆くなってきてるかもしれない」

『分かった──こっちもヒーナからお呼びだよ。戻ってからでいいって言ってたけど』

「了解」

 スコラは大きく溜息をつくと、足の向きを変えた。





 司令部といっても人員は多くない。

 部長のチグを筆頭に、軍隊で索敵に携わった者が一名。他はコンピュータに詳しい民間人が二名の計四名だけだ。

 もちろんコンピュータ操作に長けているからと言って司令部員が務まるわけではない。司令部も名ばかりで人材不足。チグの知識と経験が全てを支えていた。もちろんそれは戦闘部隊長のスコラとの円滑な協力があってのことだ。

「二番の所のビルもだいぶ弱くなってたよねぇ…………」

 湯気の上がったアルミのカップをスコラに手渡しながら、チグが続けた。

「ランチャーで壊しちゃう?」

「ロケットが勿体無いよ。アレは残りが心細い」

 応えたスコラは、ヒビの入った皮の大きなソファーに腰を下ろしながら応えていた。

 そこは司令室の隣の別室。小さな部屋だ。特別何かのために整備している部屋とは違い、殺風景なままドアも無い。元からあった事務用らしき大きな棚があるだけだったが、スコラとチグは二人で話す時はこの部屋を使うことが多い。

 スコラはカップの中のコーヒーを口に運ぶと、続けた。

「むしろ、アーカムが攻めてきた時のトラップに使えるかもしれないね。ビルごと頭に落としてやれば潰せる」

「そんなに上手くいけばいいけど……とりあえず様子だけ見る?」

 チグはカップを手にしながらも壁に寄りかかっただけで応えていた。

 スコラは軽い溜息の後に返した。

「人材不足の話はいくら言ってもさ…………最近愚痴が増えたんじゃない?」

 微かに皮肉めいた笑みを口元に浮かべるスコラ。

 チグは節目がちに応える。

「スコラも……溜息が増えたね……」

「否定はしないけど…………なんだか嫌だね…………」

 そこにもう一人。

 ドアの無い入り口から入ってきたのは戦闘部隊の女性兵士。

 ルイス・キャミオール──二八才。

 肩までの金色の髪を揺らしながら、ドアの脇にいるチグに少し驚いたルイスが口を開く。

「──すいません……司令部長」

「いいよ。あなただってもう古株なんだから、変な気は使わないで」

 チグは珍しく笑顔を浮かべる。

 チグはルイスを認めていた。コミュニティーの初期の頃からのメンバーだ。元々はコレギマの兵士だった。ここに辿り着くまで何があったかも聞いている。コミュニティーの発展に協力を惜しまなかった姿も見ている。

 ルイスも受け入れてくれた恩を返そうと必死だった。全てを失い、死にかけていた敵国の自分を救い、何の見返りも求めずに信じてくれた。自分にはここしかない。最終的に受け入れてくれたリーダーのヒーナへも感謝しているが、それより最後まで自分の吐き出す感情を受け止めてくれたのはチグだった。精神的な感謝は計り知れない。

 同じ軍人としてのスコラへの尊敬も相当だった。ルイスと同じく高校を卒業してすぐに入隊した叩き上げ。技術から戦術まで見習うことは多い。しかし、ティマとナツメがいた頃と今の表情が違うことも知っている。あれから、一人でいる時に寂しそうな表情を浮かべていることも知っている。

「部隊長だけかと思ったので…………」

 ルイスがそういうと、部屋の奥のスコラが応える。

「どうしたの? また何か揉め事?」

「いえ、午後の訓練のプログラムなんですが、雨も降りそうにないので一つ増やそうかと思いまして」

「んー……そうね。最近は戦闘も無かったから少し気持ちも緩みがちな気はしてた…………やろうか」

 ルイスの表情が途端に明るくなる。

 スコラが続ける。

「でも無理はダメ。怪我だけは気を付けて。訓練で怪我人出すとレナがうるさいから」

 そこに挟まったのはチグ。笑顔が飛んだ。

「そうだね。レナは真面目な姉御肌だから」

「年齢のことは言わないの」

 スコラもそう言って笑った。

「スコラの恋人でしょ。大事にしなさいよ」

「別に私は…………」

「ふーん」

「え? 部隊長って…………」

 ルイスがそう言って驚いた表情になっているのに気がつくと、スコラは溜息をついて立ち上がった。

「で? ヒーナだっけ? 今度は何の話かしら」

 スコラはそう言うとカップのコーヒーを飲み干して歩き始める。

 それを見たチグが返す。

「相変わらず飲むの早いんだから……たまにゆっくり────」

「冷めちゃったらもったいないでしょ」

 スコラは胸ポケットからハンカチを取り出してカップを拭き始める。廊下の棚に逆さに置いて廊下を歩き始めるスコラにチグが続いた。カップくらいなら毎回水洗いはしない。コミュニティーの唯一の欠点である水の確保が難しいからだ。小さいとはいえ街中に拠点を作ってしまったために、綺麗な川が近くに無い。街の周りは山間部に囲まれているために困りはしないが距離はあった。

 バリケードを超えて戦闘部隊と共に作戦を立てる必要があるほどだ。いくら一度煮沸消毒をするとは言っても、蒸し暑い季節にはその回数も増えざるを得ない。常に危険が伴った。

 とはいえ、確かに戦闘のないまま四ヶ月ほどが経っていた。コミュニティー全体の緊張も緩む。その空気が蔓延しているのをスコラは肌で感じていた。

 廊下を歩きながらスコラがチグに話しかける。

「コーヒーって残り少ないんでしょ?」

 チグはそれこそカップのコーヒーを飲みながら応える。

「まだ大丈夫だよ。若い人たちってあんまりコーヒー飲まないし」

「でも基地に行くとコーヒーばっかりよね」

「軍人ってコーヒー飲めなきゃダメなのかな」

「そんな訓練はしたことないけど…………明後日の遠征で新しい基地に行くから、見つけたら持ってくるように伝えておくよ」

 そんな会話の後、やがて行政府室に辿り着く。開けたスペースだ。元々オフィスビルのような建物だったのだろう。フロアによっては広いスペースも多い。行政府室として使われているのはそんな場所だった。行政府の府長を務めるヒーナの部屋はその奥。元々ドアが備え付けられていたであろう跡はあるが、そこにもドアは無い。

 部屋の中には大きな机と椅子。机は木製で重さもある。それなりにしっかりした作りだが、椅子は不釣り合いなパイプ椅子。その前に三人は座れる大きめのソファーが二つ。

 部屋の中に入ると、パイプ椅子を軋ませながらヒーナが天井を仰いでいた。

 呆然としたその横顔にチグが声をかける。

「ヒーナ」

 驚いたヒーナが顔を下げると同時にソファーで振り返ったのはレナだった。

 最初に口を開いたのはそのレナ。

「スコラ!」

 声のトーンを上げて笑顔になる。

「お疲れさま」

 スコラがそれだけ言ってレナの隣のソファーに腰をかけると、レナはすぐにスコラの隣へ。空いたソファーにニヤニヤとしたチグが腰を下ろした。

 疲れているのか、ヒーナがやっと口を開く。

「ごめん……二人共ご苦労様…………」

 すぐに声を返したのはスコラ。

「どうしたの? 疲れてるね」

 そこに挟まったのはチグ。

「最近トラブル多いからね」

「うん…………」

 そのヒーナの声は小さい。

 スコラがそれを掬い上げた。

「三日振りに会ったのに、どうしたの?」

 少しだけ間を開けてヒーナが応える。

「そうだね……ごめん……こうして古株が集まるのも久しぶりか…………」

「トラブル多いの?」

「それもあるけど…………」

 終戦からは三年。

 実質的にコミュニティーを稼働させてから二年。

 しだいに増えてくる人口と、増える犠牲者に、ただ全員が生き残ることに必死だった。

 常に気持ちが張り詰めていた。

 しかしアーカムの攻撃にも波があるのか、一年を経過した頃から少しずつ攻撃のサイクルやドローンの数が減っていた。武器や食料も増え、コミュニティー内に畑を作ることにも成功し、迎撃作戦の効率も上がってくると、確かに犠牲者も減り、多くの人間に笑顔も増える。

 しかし、それは同時に気の緩みも生んでいた。

 気持ちに余裕が出来るようになると、つまらないトラブルが増え始める。いずれも小さなことばかりだが、それをまとめる機関があるわけでもなく、必然的に行政府──実質的にコミュニティーのトップであるヒーナの元に話は集まっていた。

「国を作るって大変なんだね…………」

 ヒーナが呟くように口を開くと、スコラがそれを掬い上げる。

「そうやって色々な機関が出来ていくんだろうね。まあ、まだ全部で五〇人くらいだし。あまり酷いようなら部隊が警察の役目を買って出てもいいけど」

 対アーカム戦の絡みもあって、組織として一番規模が大きいのは戦闘部隊であるのは事実。いずれ人口が増えれば警察的な組織も必要になるであろうことは以前から議題にも上がっていた。

 そしてヒーナが溜息をつきながら。

「浮気相談は警察じゃないよね……」

 スコラは笑みを浮かべながら応える。

「恋愛相談を通り越していきなり?」

「いや、それはだいぶ前から」

「ま、みんな余裕が出てきたってことかな。ホントの街みたいになってきたじゃない」

 そこに挟まるのはチグ。

「浮気はダメだよスコラ」

 その表情が笑顔であろうと想像出来たスコラが呟く。

「なんで──」

「ダメだよ」

 そう言ってスコラの顔を覗き込むのは隣のレナ。

 そして聞こえたのはヒーナの声。

「萬相談はこれからレナに窓口になって欲しくてさ。それをさっき二人が来る前に話してた」

「なるほどね」

 スコラはレナの顔を片手で避けながら続けた。

「いいんじゃないかな」

 するとレナ。

「私は医療班だし、班員は他にもいるしさ。やるなら班長の私」

 コミュニティーが稼働してから医療の大半を受け持っていたのは、元々研修医の経験を持つレナだった。もちろん野戦病院の経験があるわけではない。充分な設備の無い状態での医療はレナの想像を絶するものだった。スコラから学んだことは多い。それだけに、レナがスコラに心酔していたのは事実。今では五名程の医療班員を抱える班長になっていた。

 そしてヒーナが繋げる。

「それで…………本題なんだけど…………レナ、お願い」

 するとスコラの前に半身を乗り出していたレナが座り直して口を開く。

「前からヒーナのところだけじゃなくて、私のところにも色々と話が流れてきてたんだけど、さすがに気になった噂話があってね」

「うわさ?」

 思わず声を上げたのはスコラ。

 レナが応えながら続ける。

「うん…………アイバが……偽物なんじゃないかって……」

 繋げたのはヒーナ。

「私たちが…………分かった上でアイバを神様みたいに祭り上げたのは認めるよ」

 ──わたし、たち……?

 スコラはとっさにそう思い、軽く目を細めた。

 ヒーナが続ける。

「でも、ああするしかなかった…………ああでもしないと……まとめられなかった…………結局アイバの力を知ってるのは、ここにいる四人だけ…………」

「ルイスも知ってる」

 そう挟まったスコラが続ける。

「アイバじゃないけど…………」

 ヒーナが言葉を詰まらせ、チグが言葉を掬った。

「見たことないものを信じろって言ってもね…………私たちの体験も、アーカムの情報も…………経験しないとさ…………」

「蒸し返すのはやめてよ」

 そう言って声を荒げたのはヒーナだった。

「あの時……みんなで納得したでしょ。急に増えた民間人をまとめるためだからって納得したんじゃない」

 スコラが返す。

「待ってヒーナ。誰もあなたを責めてるわけじゃないよ。あなたがリーダーとして決断する立場にいることは分かってる。でも…………そろそろアイバに関しては限界なのかもしれない」

「じゃあどうするのよ! いまさら〝嘘〟でしたって言ったら、私たちが信用を失うだけでしょ?」

 そしてチグ。

「それなら…………このまま嘘を突き通すの?」

「言えるわけないじゃない…………〝コクーン〟で暮らせるのは私たちのお陰なのに…………」

 そのヒーナの低い声が、空気を震わせた。





「ルイスさん」

 コミュニティーの広場であるビルの跡地。そこで午後の訓練の準備を終えたルイスに声をかけてきたのはケースだった。戦闘部隊に階級は存在しない。唯一あるのはリーダーを明確にするためのスコラの部隊長くらいだ。

 ケースは最後の荷物を置くとルイスに駆け寄ってくる。

 そしてルイスが返した。

「ご苦労様。助かったわケース。見張りの後なのにごめんね」

「いえ……それは構わないんですが…………」

「どうしたの?」

 ルイスは僅かに残った建物の土台部分に腰を降ろした。

 ケースが応える。

「部隊長はどちらに…………」

「部隊長? 少し前に府長の所に行くって言ってたから長いかもよ。司令部長も一緒だったし」

「そうですか…………」

「まあ座りなさいよ。何か困りごと?」

 ケースはルイスを姉のように慕っていた。ルイスにとっても、いつの間にかケースを弟のように考え始めていたことは事実だ。

 ケースがコクーンに来た時はまだ子供だった。怖いもの知らずで向う水。血気盛んで常に交戦的。しかしルイスには、それが怯えているようにしか見えなかった。常に恐怖と対峙するために、幼いながらも蘇生術としての虚勢。そうしないと生きては来れなかったのだろう。自分で自分の身を守る術も知らない内に両親とは生き別れ、むしろよく生きていてくれたとルイスは思っている。しかも民間人だけの集団でここまで辿り着いた。

 ケースはルイスの隣に座って続けた。

「アイバ様のことなんですが…………」

「アイバ?」

「ええ……あの〝力〟って、ルイスさんは見たことあるんですか?」

 ──あれか……緑の…………

 ルイスは見たことがある。

 しかし、それはアイバではない。

 いつか、こんな疑念を持たれるかもしれないとは想像していた。

 見た者にしか分からない。

 言葉で説明されただけで〝神の生き残り〟と言われても、信じられるほうが珍しい。しかし、あの時は〝神〟の存在が必要だったのだろう。不安に押し潰されそうな人間は、何か拠り所を求めるもの。ルイス自身そうだった。だからこそヒーナにもスコラにもレナにも、そしてチグにも心酔した。四人がルイスの心の拠り所だった。

 あの時はそうするしかなかったし、だからこそ今があると信じていた。

「見たよ」

 ルイスは一言だけ。

 ケースはなおも続ける。

「最初からいた方々はそう言いますが、我々は誰も見ていません」

「そうよね…………神の生き残りって言われても…………」

「ルイスさんは信じてるんですか?」

 どうだろう…………ルイスは自分がそれを信じている自信はなかった。確かに緑の光を見たことがある。でも〝アレ〟が神の生き残りなのかと問われると、それはルイス自身にも謎ばかりだ。

「まあ…………アイバが神様かって言われたら…………ただの可愛い女の子よね」

 ルイスはそう言って笑みを浮かべると、ビルの前で幼い子供たちと遊ぶアイバの姿に目をやった。

 アイバは元々年齢がはっきりと分かっていない。そのため、見た目から一三才とされていた。まだ幼さが残る。もっぱら幼い子供たちの相手をする毎日。アイバもその役目を嫌がってはいない。まるで自分の立ち位置を見極めたかのように、毎日を笑って過ごしていた。

 ルイスもアイバの過去は聞いていた。それだけに、ルイスは未だにアイバに近付けずにいた。

 あの〝緑の光〟を知っていたからだ。

 そして、一人でいる時のアイバの寂しげな表情も知っている。

 紫の長い髪を揺らしながら子供たちとはしゃぐアイバを見ているルイスに、ケースはなおも語りかける。

「ルイスさんも…………参加しませんか?」

「参加……って…………」

 振り返ると、ケースの背後には数人の若い兵士が立っていた。





 ルイスを中心とした遠征部隊が帰還したのは暗くなってからのことだった。

 ルイスが装甲車を降りると、スコラが駆け寄る。

「ご苦労様。みんな無事で良かった」

 しかしルイスは視線を落として応える。

「すいません……装甲車を二台も使ったのに、大した収穫も無くて…………」

 するとスコラはルイスの肩に手を乗せて声を張り上げる。

「何言ってるの。無事に帰ってきたじゃない。それが一番の収穫。命に替えはないよ…………あなたも知ってるでしょ」

 ルイスは懸命に顔を上げ、はにかんだ笑顔で応えた。

「はい……みんな無事に帰りました」

「ご苦労様」

 スコラが両足を揃えて敬礼をすると、ルイスも敬礼で返した。

 そして手を降ろしたスコラが続ける。

「よし。荷物は私たちが下ろすから食事をとって休んで。明日はみんな休暇扱いでしょ?」

「もちろんです。ゆっくり休ませていただきます」

 そして、スコラの目の色が変わる。

 ヘルメットにチグの声。

『司令部より────アーカムが一〇機──距離は五〇キロ──到達時間は三〇分後──』

 柔らかかったルイスの表情が、怯えた目に変わっていく。

「私…………そんな…………」

 スコラが即座に返す。

「バカなこと考えてる? 違うよ。あなたたちは悪くない。悪いのはアーカムだけ。アイツらを叩けば終わる」

 すぐにルイスの表情が引き締まる。

 そして応えた。

「はい」

 スコラがマイクに向かって声を荒げた。

「チグ──方角は⁉︎」

『ごめん──二時』

「何やってるの! しっかりしなさい!」

 北を一二時として二時──それは遠征部隊が帰ってきた方角だった。

 ルイスは唇を噛み締めていた。

 しかし考えるのは後──まずは目の前の有事に専念する。スコラから学んだことだった。せめて学んだことは返したかった。

 二時は三番の見張り台の方向────崩れかけたビルが側にある。

 スコラが指示を飛ばす。

「装甲車三台を三番バリケードへ──残り二台はバリケードの六時と一〇時──ランチャーは全て投入──ランチャー部隊はルイスに任せる──迫撃砲は指示があるまで設置だけ──バリケードを狙える位置に──狙撃用のビルも使うよ」

 侵入を許した場合に備え、数カ所の狙撃用ビルに重口径ライフルが設置されていた。

「狙撃用ビル──三番バリケードに近い所はバリケードで叩いて」

 全員が走り回る。

 いくら最近の気の緩みがあったとはいえ、一気に緊張が高まっていた。

 相手は一〇機。一年ぶりくらいの数だ。

 スコラも久しぶりの気の高ぶりを感じた。

「三番バリケードの装甲車二台は弾幕用に機銃掃射──重機関銃が要になるよ──気を抜かないで」

 そして、スコラの背後からの声。

「スコラ!」

 一瞬、何かが記憶に蘇る。


 ──……ティマ…………?

 ──……ナツメ…………?


 その声は自動小銃を構えたヒーナだった。

 現実に引き戻されたスコラが声を荒げる。

「何やってるの⁉︎ 戦闘員以外の誘導──」

「みんなが手分けしてやってる──大丈夫。数が多すぎる…………黙って見てろっていうの?」

「リーダーに何かあったら──」

「スコラだって死ぬ気なんかないでしょ……みんなそうだよ。ここまで来たからね…………私はまだ諦めない」

 その目を見たスコラは、目の前の動き始めた装甲車に飛び乗った。そして叫ぶ。

「ヒーナ! 乗って!」

 笑顔になったヒーナが飛び乗ると、先に乗り込んでいた数名の兵士たちがいるにも関わらず、スコラが声を上げる。

「あんたねぇ、自動小銃ごときで何する気だったの? ライフルにしなさいライフルに」

「スコラはいつも重機関銃だったかもしれないけど私は運転ばっかりだったでしょ⁉︎」

 ──おかしな夜だな…………

 スコラの中に不思議な暖かさと寂しさが蘇っていた。

『三キロ切った──五分で会敵!』

 チグの声の後にスコラも叫ぶ。

「重機関銃は一〇〇メートルを切ったら撃って良し──ランチャーはドローンが見えたらルイスに任せる──バリケードで叩くよ!」

 装甲車が止まり、スコラとヒーナはライフルを片手に装甲車後ろのビルまで下がった。

 スコラが小さく。

「突破されてもここで叩くよ」

「うん…………」

 ヒーナも小さく応えていた。

『会敵‼︎』

 チグの叫び声と同時に、装甲車の重機関銃の爆音。

 ドローンが装甲車の横に広がった直後、ランチャーの甲高い音。

 機銃掃射が始まる。

 スコラの叫び声。

「ライフル! 狙って!」

 ランチャーは半自動追尾──しかしライフルはそうはいかない。

 低い音が響くだけ。

 重機関銃とランチャーが確実に結果を出していた。

「チグ! 目視で三機落ちてる! 残りは⁉︎」

『ごめん! たぶん五!』

 スコラが舌打ちをして走り始める。

 ──風が弱い…………

 バリケード付近は煙に包まれていた。そこから顔を見せるアーカムに狙いを定める。

 少し離れてヒーナも動き続けていた。

 ランチャーの爆発音が聞こえ、煙が更に厚みを増していく。

 ──ダメだ──みんな見えてないのに闇雲に撃ってる

 そう思ったスコラが叫ぶ。

「ルイス! ランチャー止めて! 煙だらけだ!」

 周囲に目を配りながら…………そこには走り回る兵士たち。

 銃すら持っていない。

 逃げ惑っていた。

 その直後、一機のアーカムが突破する。

 バリケードを崩す音。

 その前の装甲車が弾かれる。

 そして瞬時に、バリケード部隊の前に────。

 突然現れ、目の前で静止したアーカムに、ルイスは思考を失った。

 そしてそれは、ルイスのすぐ隣でランチャーを構える兵士たちも同じ。

 いつの間にかランチャーすらも手を離れる。

 無意識に終わりを悟った時、アーカムは突如体勢を崩し、歪む。

 スコラとヒーナのライフルが確実にアーカムを捉えていた。

「ルイス‼︎ 動け‼︎」

 自然とルイスの足が動いていた。

 そして崩れ落ちるアーカムに安堵した直後、二機のアーカムが上空を通り過ぎる。

 そして、バリケードでこっちを伺うアーカムが一機。

 無意識の内にスコラはランチャーを拾い上げていた。

 バリケード横のビルの一階へ────。

 一発、

  二発、

   三発。

 そして、ビルが傾く。

 想像以上のスピードで崩壊するビルはアーカムを飲み込んでいく。

 いつの間にか、スコラは弾かれた装甲車に駆け寄っていた。

 すでに兵士は散り散りに離れている。

 ──訓練って…………

 スコラは装甲車によじ登り、重機関銃のグリップを握る。

 足のペダルで台座を回しながらアーカムを探す。

 ──さっきの二機はどこに…………

 突如、装甲車が動き出す。

「やっぱり近くまで行かないとね!」

 運転席からはヒーナの声。

 スコラの顔に笑みが浮かぶ。

 そして叫ぶ。

「さすがだね大統領! レーダーなんか知るか! 走れ!」

 ──ホントに…………おかしな夜だよ…………





 一時間後、怪我人の搬送と犠牲者の収容を終えたスコラは司令室のドアを足で蹴り付けた。

 そこには驚愕の表情を浮かべるレーダー員が二名と、その奥で背中を向けて床に座り込むチグ。

「何やってるのよチグ! あなた司令部長でしょ⁉︎」

 スコラの声が響く。

 そしてゆっくりと振り返ったチグの表情は怯えていた。

「まるで素人じゃない! もっとしっかり────」

 そのスコラが、次の瞬間言葉を詰まらせる。

 チグの向こうに、体を丸めて震えているアイバがいた。あんな紫の長い髪はアイバだけだ。間違いない。

 しかし、こんなアイバの姿は見たことがなかった。

 チグの声が漏れる。

「……ごめん…………ごめんスコラ…………戦闘が始まったらアイバが…………」

 その目からはいつの間にか涙が流れる。

 レーダー員の一人が言葉を繋げる。

「ここに急に来て……アイバ様はレーダーを見てたんですが……戦闘が始まったら急に暴れ出して…………泣き叫んで…………」

 スコラの記憶が蘇る。

 ──これ…………あの時の…………

 チグが繋げる。

「……キラ、みたいに…………ならないよね…………」

 スコラは何も言い返せずにいた。

 そのスコラの横から部屋に入ってきたのはヒーナだった。

 チグを背中から大きく抱きしめて口を開いた。

「大丈夫だよチグ……大丈夫だから……泣かないで…………アイバを休ませてあげなきゃ」

 そして、震え続けるアイバの小さな体を、ヒーナとチグが包んでいた。





 コミュニティーのバリケードは大雑把ではあるが円形になるように設置されている。

 しかし一箇所だけ突出した部分があった。そこは火葬場として使われていた。衛生面を考慮し、犠牲者は一様にこの場所で火葬にした後に埋められる。そのため、火葬場のバーリケードの位置はしだいに広がっていった。

 今回の戦闘での犠牲者は八名。過去の実績から見て、ドローンの数から考えたら少ないほうだとも言えた。

 それでも、大事なことは数ではない。ルイスはこの火葬場に来る度にそれを意識した。

 コクーンの中には家族もいる。

 家族で避難してきた者たちもいれば、ここで家族になった者もいる。

 安息の地を求めて生き延びてきた大事な人との別れを何度も見てきた。


 ──私だって…………


 トラックの荷台から八名分の遺体を降ろし、土の上で火を付ける。

 街の郊外。ちょっとした草原のような場所。周りの草木を使っての弔い。

 火が消えるまでは、待たなくてはならない。終わったら運んできた全員で土をかけなければならないからだ。

 今回は夜。

 周囲が炎で明るく照らされていた。

 いつも離れたトラックでその炎を見続ける。

 距離があっても、やはり嫌な匂いだった。よりによって風も出てきていた。

 何度経験しても、この匂いに慣れることはないのだろうとルイスはいつも思う。

 トラックの助手席から遠くの炎を眺めていたルイスに、運転席のケースが声をかけてきた。

「もう……犠牲者を増やしたくないんです…………」

 ルイスは何も応えない。

 ケースが続けた。

「行政府長のやり方は失敗しました…………もう誰も、あの人を信じてはいません…………犠牲者が増えるばかりだ…………」

 それでもルイスは炎を見つめたまま。

「俺たちと一緒に、クーデターを────」





     〜 第四部・第2話へつづく 〜

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