第三部・第4話

 国境を過ぎて最初の街で調達出来た軽油は僅かだった。

 しかしすぐに山間部。

 いくら装甲車がマニュアル駆動とはいえ、高低差の激しいエリアでは燃費は悪くなる。

若干の不安を抱えながらも、最初の目的地はもうすぐ。

 首都近くの基地────量子コンピュータと称したアーカムの端末があった場所。

 地下五階までの、最後の砦として作られた要塞だ。ティマたちの戦いの後に誰も入り込んでいなければ、まだ補充物資は残っているはず。そこまで辿り着ければいい。

 不思議な感覚が蘇る。

 あの基地で激戦を繰り広げ、国境を抜け、コレギマまで行ったのに、また舞い戻ってきた。

 様々な淡い記憶も舞い戻る。

 その記憶たちは、まるで待ち構えていたかのようだった。

 近付けば近付くほど、それは色を濃くしていく。

 カルにとっても、やはり不思議な感覚だった。

 かつての敵国のラカニエ。

 しかし、今はそのラカニエの兵士たちに救われた。

 国ではない。

 人間として見てくれている。

 自分がそれに対して何を返せるか…………それだけがカルにとっての気掛かりだった。

『あの装甲車、まだあそこに残ってたりしないかな』

 スコラの声に、ヒーナが反応する。

「ああ、前回の? あれは良かったねえ。セミオートで運転が楽だったし」

『上の機銃も収納式だったし』

 そこにチグ。

「レーダーも備え付けで高性能」

 更にナツメ。

「横に機銃までついててさあ」

 そしてティマ。

「私にはあまり関係なかったかな」

 終わりにアイバ。

「サスペンションが良かったって前に言ってただろ」

 全員に笑みが溢れる中で、スコラは一人だけ、誰にも見られない屋根の上で寂しい表情を浮かべていた。

 ──……シーラもいたし……………………

 嫌でも思い出す。

 でも、不思議と涙は浮かんでこなかった。

 ──あなたを思い出しても、泣かなくなったよ……シーラ………………

 そして、

 基地はそのままだった。

 あの時のまま。

 時刻はすでに夕方。

 昨日のことのように記憶が交差する。

 唯一地上に出ていた一階部分はあの時に破壊されたまま。

 それを見たカルが装甲車の中で口を開いた。

「これが……基地? 潰れてる…………」

 応えたのはナツメ。

「ここの本体は地下なんだ…………五階まであるよ…………最後の砦にしようとしてたみたいだね」

 地下への入り口の前で装甲車が停まる。

「どう? チグ」

 ヒーナの声に、まるで分かっていたかのようなチグの声。

「周囲はクリア────残念ながら地下は分からないけど」

 それを聞いたヒーナの溜息が聞こえ、再びの声。

「──私と────ティマで先行…………いい? 後は各自警戒体制で」





 ドアは歪んだまま。

「レバーの意味はないね」

 そう言ってヒーナがドアの縁に手をかける。

 開け放たれた空気は埃っぽい。

 向けた銃口の先はもちろん真っ暗なまま。ティマは素早く銃身下のライトのスイッチを点けた。照らされた先にはヒビの入った壁と階段。所々剥き出しのコンクリートが剥がれている所も見える。

「ここまで壊れてたっけ?」

 緊張感のないティマの声。

 しかしそれに救われるヒーナ。

「結構な爆発だったからねえ……ティマが一番知ってるでしょ」

「それもそうだ」

 ティマは口元に笑みを浮かべると、そのまま階段を降り始める。自動小銃は常に目の高さ。完璧なまでのコンバットシューティングスタイルに、改めてヒーナはその才能を感じていた。

 どれだけティマに助けられたのか…………ティマがいなければ、きっとこの基地までも来れてはいなかっただろう。

 前回拠点にしていたのは地下一階。

「この階の発電機がまだ動けばいいんだけど…………」

 ヒーナの記憶が頼りだった。

 二人は奥へとゆっくり進んでいく。

「人の気配はないよね」

 ヒーナの声にティマは即答する。

「大丈夫────この階にはいない。それに埃の積もってる廊下に真新しい足跡も無い……空気があまり動いた感じも無い……他の階も大丈夫だと思う」

 するとヒーナは小さく安堵の溜息をついた。そして続ける。

「でさ、結局どう思う?」

「何が?」

「アイバとキラ」

 お互いに周囲の壁に目を配りながら、お互いの距離を取る。

 ティマはゆっくりと応えた。

「…………結局、分からないんだよね…………二人が何者かなんてさ」

「まあ、でも…………ティマだって他人事じゃないんじゃない…………」

「うん…………怖い?」

 すると、ヒーナはティマの横顔を確認してから。

「まさか…………むしろ近くにいたほうが安心出来るよ」

「みんなと考えは同じだと思う…………私ももしかしたら、アイバやキラと同じなのかもしれない…………誤魔化しても仕方ないよ…………私も親の顔は知らないし、一番古い記憶は孤児院からだしね…………〝アーカム〟って言葉は知らなかったけど」

「なんなんだろうね…………いったい…………」

「ホントに…………でもさ、スコラが言ってた…………受け入れるしかないんじゃない?」

「強いね……ティマは」

「知らなかったの?」

「知ってた」

 やっとヒーナの顔に笑顔が浮かぶ。

 やがて二人は一番奥のドアへ。

 ヒーナが足を止め、ドアの温度を掌で探る。

「ここ?」

 ティマの声に応えるヒーナ。

「うん。温度は大丈夫みたい」

 そう言ってドアを開ける。

 いかにも閉め切られていた空気────少しカビ臭い匂いが鼻に届く。

「あの時の爆発でどこかにヒビでも入ったかな…………湿気がある」

「かもね」

 ティマの言葉にそれだけ返すと、ヒーナは目の前の発電機のペダルを足で思い切り踏み込む。

 数回繰り返すと、エンジンのような音が周囲を包み込んだ。それまでの静けさに切り込む音と油の匂い。

 ティマが廊下に備え付けられた非常灯の点灯を確認すると、ヒーナがマイクに向かって声を上げる。

「チグだけ来て──発電機が動いた────ナツメ、今だけラップトップに注視」

 二人がコントロール室で照明のスイッチを入れたタイミングでチグが到着する。

「すごい…………思い出すね」

 そのチグの言葉にすぐに返すのはヒーナ。

「コンピュータがまだ動くか確認して。無理だったら下の階を試そう」

 チグが動き始める中で、ゆっくりと奥に進んだのはティマだった。

 量子コンピュータの皮を被った、アーカムの端末があった部屋────あの時と同じだった。

 ティマが破壊した端末もそのままの状態。

 記憶が降り注ぐ────ティマからしても、やはりあの時は壮絶だったと記憶している。しかも、まるであの時のシーラがまだここにいるようだ。

 ──スコラをここに入れても大丈夫なの?

 ヒーナもチグも同じことを思っていた。

「ヒーナ」

 最初に口を開いたのはティマ。

「二階も稼働させておこう…………そのほうが────」

「へー」

 その声に全員が驚かないわけがない。

 それはスコラの声。

「今更なに遠慮してんのよ」

 不敵な笑みを浮かべたスコラの表情に、何も返せない。

「私は大丈夫だよ…………そりゃあ思い出すけど……生々しいくらいにね…………でも大丈夫。いつも一緒だから」

 そう言ってスコラは首の認識証を取り出してみせた。

「まさか…………シーラの?」

 そのティマの言葉にスコラは満面の笑みで返す。

「今は婚約指輪みたいな気分だよ…………終戦前に預かってた…………だから、大丈夫」

「って言うより」

 挟まったのはヒーナ。

「なんで勝手に来て────」

「レーダーならナツメが見てくれてるよ。ごめん…………確かめたかっただけ…………だから、もう大丈夫」

「うん。大丈夫だね」

 そこにはティマの柔らかい笑顔があった。そして続ける。

「ここに来たのは〝アーカム〟の痕跡を探すため。さ、ヒーナ、次はどうする?」

「まったく…………コンピュータが稼働したら索敵を始めてチグ。全階の発電機を稼働させたら、とりあえず食事と休憩をとってから残った資料を調べる────」

「分かった」

 応えたティマが続ける。

「三人で一階ずつ降りていこう。大丈夫だと思うけど、まだ誰もいないとは言い切れない」





 そして何の痕跡も見付けられないまま、時間だけが過ぎていた。

 二階から五階に関しては量子コンピュータすら無い現状。

「唯一の収穫は新しい装甲車だけか…………」

 ヒーナがそう言いながら、地下三階の車両スペースでエンジンルームを覗き込んでいた。

「まあ、食料も弾薬も補充出来たし、とりあえずさ」

 ナツメがそう言ってエンジンオイルのチェックを始めると、更にヒーナが続ける。

「でも、アーカムのためにここまで来たんだよ…………敵を知らなきゃ、勝てないよ…………」

「そうだね…………でもさ…………」

 ナツメは手を止めて続ける。

「敵なのかな……?」

 瞬時に体を起こしたヒーナが応える。

「何言ってるのナツメ。だって────」

「ごめん──忘れて……オイル交換しなきゃ。古すぎるよ」

「待ってナツメ」

 ヒーナはナツメの手首を掴みながら。

「……ティマのこと…………?」

 ナツメは一瞬で顔を曇らせた。

 繋げたのはヒーナ。

「……みんな意識はしてる。正直、不安だってある。だからこそ、あなたがしっかりしなきゃダメ」

「……怖いんだよね…………」

 顔を伏せたナツメが続ける。

「だって…………たった一人の親友が…………人間じゃなかったなんてさ…………」

「やめてよ! 人間でしょ⁉︎ 仲間でしょ⁉︎ あなたにとっては誰よりも大事な人でしょ⁉︎ ティマは私たちと戦ってくれる……絶対に…………ティマはあなたを見捨てたりしない」

 そして、ドアが開く音が車両スペースに響いた。

 続くレナの声。

「もう積み込み出来る? 食料まとめたから」

 入ってきたのはレナとマーシの二人。

 すぐにヒーナが応える。

「うん、大丈夫。後ろからお願い」

 そう言いながらもヒーナがナツメの背中に手を置いてるのを見て、マーシが声をかけてきた。

「……どうしたんですか?」

「ああ……ごめんね…………さっきも話したけど、この場所は色々あったからさ」

「……そうですか……すいません……気を使えなくて…………」

 マーシの背後でレナまでも不安そうな表情を浮かべていた。

 そのまま、今度はレナ。

「私たちは軍人じゃなかったからアレかもだけど……何か力になれたら……」

 ヒーナはすぐに応える。

「大丈夫……かえってごめんね…………ナツメは特に我慢してきたから…………」

 直後、ナツメが膝から崩れ落ちた。

 感情が溢れ出す。

 それは簡単に抑えられるものではなかった。

 しかしその鳴き声を、ヒーナも止めようとはしない。

 ただ、ヒーナの優しい手がナツメを泣かせる。

「……よくここまで耐えたね…………」

 誰もが感情の行き先を見つけられないまま、張り詰めたものを膨らませ続ける日々。

 ──私はどうなんだろう…………

 泣き崩れるナツメを見ながら、マーシは思っていた。

 ──ここまでの感情を、私は持っているのだろうか…………

 ──私は、自分のことだけを見ているの?

 ──夫と娘を失った悲しさがあるはずなのに…………私は私が生きることを求めてるだけ?

 ──私って、冷たい人間なのかもしれない…………

 ──……………………

 一階のコントロール室に戻ると、すでにティマとスコラが壁のモニターに注視した状態で、チグはホストコンピュータに繋いだラップトップを忙しく操作していた。

「いつでも出れるよ」

 ヒーナがそう言った直後、ナツメがその後ろから駆け出す。

 ティマに飛びつき、泣きながらティマの名前を呼び続けていた。

「……ティマ……ティマ…………」

 驚いたティマを優しく見守るヒーナを見ると、ティマも柔らかくナツメを包み込む。

「……まったく…………」

 更にそのティマを見る優しいスコラの表情は、少しだけ寂しげだった。





 早朝。

 外はまだ夜の暗さだ。

 車両用のエレベーターが、地下三階から地上まで装甲車を持ち上げる。

 そこは地上の建物が破壊されても問題がないように、直接地上に出れる仕組みとなっていた。

「ここから装甲車を出すのも二度目か……」

 そういうヒーナを含め、すでに全員が乗り込んでいる。

 ヒーナの小さな声が聞こえたのか、スコラが返した。

「これからはヒーナの運転も楽になるね」

「そう? 問題児が多くて大変なんですけど」

「ヒーナなら着いてくよ。みんな」

 スコラの声に、自然と全員が顔を上げて運転席を見た。

 ──私もたまには泣きたいんだけどな…………

 そんな感情がヒーナの頭を過ぎる。

 次の目的地は国軍本部。

 基地と同様に思い出のある場所だけに、装甲車内の空気も張り詰めていた。

 せっかくの新しい装甲車と大量の補充物資にも気持ちは休まらない。

「そういえばチグ──」

 ヒーナが運転席から続ける。

「何かデータの痕跡はなかったの?」

 チグはすでに装甲車に備え付けのコンピュータにラップトップを繋いでいた。

 そのチグが応える。

「あまり時間無かったから、引っ張ってこれるだけのデータはまとめて持ってきたけど…………簡単に開けないデータも多くてさ……もう少し時間が欲しいかな」

「分かった。そっちは任せるよ。索敵も楽になるだろうし」

「任せて……必ず痕跡を見つけて見せる。無駄になんかしないよ」

 ──さすが相棒

 そして、チグの言葉に、不思議と全員の気持ちが和らいだ。

 張り詰めた空気と緊張感──そしてそれを支える強さ。

 それを作り出しているのがチグだった。

 国軍本部までは半日程。

 ルートも広い幹線道路が中心となる。

 少し気が緩みそうにもなるが、気になるのは天気だった。朝から分厚い雲が空を覆い、いつ雨になってもおかしくはない雰囲気。いくらコンピュータがあっても、インフラが崩壊した世界に天気予報はない。経験から予測するしかなかった。

 国境を超えてから戦闘のない日々が続いていた。

 無いに越したことはない。

 しかし過去の記憶があるだけに不安は消えない。

 コンピュータ用のシートにチグが座り、その横には相変わらずマーシに抱かれたアイバとキラ。無邪気なキラの遊び相手をしながら、ふとアイバが顔を上げた。右銃座の横にいるのはティマとナツメ。

 自然と言葉が溢れた。

「ティマはいいな」

 振り返るティマは、穏やかな表情。

 アイバが続ける。

「仲間がいて」

「仲間?」

 言葉を返したのはティマの隣のナツメだった。

 アイバが応える。

「私には仲間の意味が分からない」

「そうかな……」

 そう言ったティマが続ける。

「分かるよ…………アイバも仲間だからね」

「そうなのか……」

 少し不思議そうな表情の後、アイバの表情が柔らかくなる。

 次の瞬間の笑顔。

 そんなアイバの表情を、ティマは初めて見た気がした。





 少しずつ近付いていた。

 その敷地は広い。

 周囲を僅かに林で囲まれた、国軍の中枢であり、その総てが集約されていると言っていいだろう。

『チグ?』

 ヒーナの声が静かな装甲車内に響く。

『後どのくらい?』

「え? もう一キロないよ。見えてない?」

 チグの応えに、ヒーナの声はない。

 周囲に大きな建物はない。せいぜい二階建てまでの軍関係の施設が点在するくらいだ。

 ────?

 不思議そうに左銃座の隙間からの外に目をやるチグだが、全員にその不審は瞬時に伝わった。

 チグの視線をスコラが遮る。装甲車横のドアをスライドさせると、入り込む外の空気を割るように外に体を乗り出すスコラ。

 その方向に見えてきてもいいはずだった。

 ティマがスコラの横に体を潜り込ませる。

 二人は共に口を開かない。

 そこに再びヒーナの声。

『レーダーには────』

「何もないよ!」

 チグが何かを察して気持ちを乱す。

 途端に不穏になる空気。

 やがて、装甲車が停まる。

 懐かしいゲート────その痕跡だけが残されている。

 全員が息を飲む。

 誰も外には出られなかった。

 目の前、元、大きな国軍本部ビルがあった場所。

 そこにある巨大な〝穴〟を見つめるだけ。

 周囲にあった林の木々も、穴を中心にして薙ぎ倒されていた。

「なんで…………」

 ナツメの呟きと共に、各々が口を開き始める。

「あの時の弾道ミサイル?」

 そのチグの言葉に返したのはスコラ。

「まさか……距離がありすぎる…………それに中距離弾道ミサイルならこの程度のはずがない」

「ピンポイントだ……この建物を狙ったのかもしれない」

 そのティマの言葉に繋げたのはチグ。

「結構深いね…………」

「うん…………見事に地下まで破壊してるよ……まるで巨大な杭でも刺したみたいだ」

 ──アイツならやれるか…………?

 ティマの頭に浮かんだのは、コレギマで見た巨大なドローンとレーザー兵器だった。

「アーカムだ」

 背後からのその声はアイバ。

「間違いない。ここに何かがあった証拠だろう。さっきの基地ではティマが唯一の端末を壊したんだろ?」

「唯一とか言うな」

「でも、だから破壊されてなかった。破壊する必要がなかった。ここには見つかってはいけない何かがあった。だから壊した」

「考えるようになったね、アイバ」

「仲間だからな」

 感情のない今までの表情とは違う真剣なアイバの表情に、ティマは軽く口元に笑みを浮かべていた。

「じゃあ、あの時も…………」

 呟くようなスコラの声が続く。

「ここに何かが……あったってこと?」

 鈍い記憶と共に湧き上がる悔しさ。

 更にスコラが続ける。

「しかも終戦直後の空爆とは違う。私たちが拠点にした後で壊されてる…………どうして……」

 すると、ナツメが口を開いていた。

「何か変化があったんじゃないかな……何かのタイミングで…………アーカムにとっての何かの変化があって…………」

 アイバが口を挟む。

「ナツメ。それじゃ分からない」

「うるさいわね」

 そこにヒーナの呟き。

『……他にどこか…………』

 それに思わず反応するチグ。

「他にどこか、あるとすれば…………」

「他に?」

 それはアイバだった。

「防衛省なら何かあるかもしれない」

 その言葉にスコラが声を上げる。

「防衛省⁉︎ どうして────」

「何度か連れていかれたぞ。確か…………そうだ。地下に部屋があった…………でも、なぜかあそこの記憶はあまり残っていない」

「記憶操作?」

 そのチグの言葉をティマが繋げる。

「アーカムと結託してたような軍隊だ。何をやってもおかしくはない。選択肢は二つだけ」

 全員の視線が自分に注がれたのを確認するように、ティマが続ける。

「行くか、諦めるか」

 そして、装甲車が動き出した。





 ラカニエ首都。

 官庁街。

 聞いてはいたが、空爆の被害は相当なものだった。

 大きな通りを挟んで高層ビルばかりが並んでいたイメージとは程遠い。

 ほとんどの建物が戦火の影響を受け、その高さを失い、空を広くしていた。

 戦時中に首都での戦闘行為は無い。

 今、全員の目の前に広がる戦火の痕跡は、総て終戦後の空爆によるものだ。

 しかし防衛省の建物はすぐに見付かった。

 唯一、そのビルだけが倒れずに残っている。

 そのビルの前──装甲車内でナツメが口を開いた。

「誰かここに来たことのある人いる?」

 即答するヒーナ。

『まさか。下っ端兵士の来る所じゃないよ』

「初めての官庁街がこの有様とはね……」

 ティマの声の直後、全員が装甲車を降りた。

 そしてヒーナが口を開いた。

「分かりやすい奴らだな…………これじゃあ、ここだって言ってるようなものだ」

 それに応えたのはティマ。

「単純なんじゃない? …………力で抑え込む方法は知ってても、人間心理を理解出来てはいない。人間の感情を知らないんだろうね…………機械みたいにさ」

「だから強いんだな…………」

「躊躇がないからね…………最強だよ」

「うん…………最強のバカだ」

「そういうこと」

「よし、まずはガラスの割れた広い入り口に装甲車をつけて、それから作戦会議だ」

 チグが建物全体のトレースを開始すると、想像以上に構造はシンプルだった。

 そして地下は一階のみ。

 機銃座を総て設置し、いつでも動ける状態の少し広くなった車内後部で全員がコンピュータのモニターに注視していた。

 運転席から顔だけ出したヒーナが口を開く。

「アイバが連れて行かれたっていうのは地下だっけ?」

「そうだ」

 そう応えるアイバに応えるティマ。

「本丸はそこだと思うけど、そこに何があるかは分からない。ヒーナ、上の階を見ておく必要ははあると思う?」

 階数は二〇階まで。それなりに堅牢に造られてはいるが、築五〇年以上の古さは確かに感じさせた。一つ一つのフロアはそれほど複雑に区切られているわけでもない。それでも広さは相当のものだった。

 ヒーナが応える。

「だいぶ時間はかかりそうだけど、何かしらの調査はしておいて無駄ではなさそうだ…………ティマは行くでしょ?」

「もちろん」

 ヒーナに向けた目は強い。

 それにヒーナも応える。

「私はここで司令塔になる。チグはそのままレーダーで全員の状況を把握して、後は全員で見て回る。いい?」

「それでいこう」

 ティマが立ち上がると、ヒーナが付け加えた。

「マーシはいいよ。キラを見ててあげて。無闇に外に出ると何があるか分からないからね」

 すると、少し間を開けてマーシが応える。

「…………はい……」

 すると、それまで黙っていたスコラが口を開いた。

「……ごめん…………」

 全員がスコラを見ると、スコラは視線を落としたまま続ける。

「行きたい所があるの…………」

「え? 何か────」

 ナツメの声に、スコラはすぐに応えた。

「……内部監査部…………ごめん…………今更なのは分かってるんだけど……シーラがいた所だから…………」

 しだいに小さくなるその声を掬ったのはナツメだった。

「何かあるかもよ。どうせ一通り見るんだから。いいよね」

 そしてティマが応える。

「シーラはあのカイズの部隊を調べてたんでしょ? つまりはアイバのことを調べてたってことだ。調べなかったらヒーナとチグに怒られるよ」

 スコラが顔を上げると、ティマの表情は柔らかい。

 そしてヒーナの声。

「そこは多分、一番時間がかかるんじゃないかな。頼むよスコラ」

「まったく…………」

 ティマが呟くと、ナツメも釣られるように呟いた。

「まったくだ…………」

「あの…………」

 次に手を上げたのはレナだった。

「私も……一緒に…………いいかな……軍人じゃないから足手纏いかもしれないけど、何かさせて欲しい…………」

 すると、迷いのない足取りで近づいたのはティマ。

 レナに自動小銃を手渡して口を開く。

「確かに危険は大きい。でも人手は必要だ。むしろ頼みたい」

 そしてレナの耳元まで近づいてささやく。

「……スコラのそばに…………」

 小さく頷くレナ。

 そして各自が銃器のチェックに入る。ティマは銃身が多少長目のライフルを選んだが、他は全員が自動小銃。弾丸には余裕がある。予備の弾倉も持ち、改めて全員がヘルメットのマイクのチェックを行った。

 装甲車を降りると、ヘルメットに当たる雨。

「降ってきたね」

 軽く空を見上げ、思わず呟くナツメ。

「あまり強くならなきゃいいんだけど…………」

 なぜかその声には、誰も応えなかった。





 まだ昼過ぎだというのに、重い雲のせいでビルの中は薄暗い。

 それだけで時間が増えるのが目に見えた。

 一階は総合受付と食堂、広報部。

 相手の立場になった時、ここに何かを隠すとは思えない。

 狭い階段を登っていく。

 各階を巡りながら、誰もが何気に〝内部監査部〟の文字を探していた。

「フロアの案内プレートとかないのかなあ」

 何階目かでナツメが口にしたが、どこにもそんなものは見当たらない。外部の人間が入り込むことが少ないからだろうか。

 途中、会議室のような簡素な部屋が並ぶフロアを経由し、やっと七階。

「ヒーナ──」

 ティマがマイクに向かって口を開いた。

『どうしたの?』

「人数は少ないけど、最近誰かが入り込んだ形跡がある。この近辺に生き残りがいるか、ここに暮らしてる人間がいるか……一応報告」

『分かった。気を付けて。無理だけはダメだよ。こっちでトレースはしてるから、動きがあったら教える』

 外からの雨の音が少しずつ大きくなる中、全員の目に飛び込んできた〝内部監査部〟の文字。

 スコラの足が早くなる。

「スコラ……」

 突然、横からの優しい声。

 ──…………え?

「焦らないで。落ち着いて」

 小声で囁くような声はレナのものだった。

「あ…………うん……」

 スコラが足を緩める。

 ドアの脇で板に掌をかざしたティマが口を開く。

「大丈夫。温度は問題なし──開けるよ。先に入ってスコラ」

 スコラが黙って頷いた直後、そのドアをティマが素早く開く────スコラに続いてティマ、ナツメ、全員が部屋の中へ。

 他の部屋と同じ。

 人の気配は無い。

 全員が曲げていた膝を伸ばし、背を伸ばして棚や机を調べ始める。

 ここまでで、すでに二時間。

 張り詰めた緊張感の中で、疲労が蓄積されていたのを全員が感じていた。

「スコラ」

 最初に口を開いたのはティマ。

「シーラの机とかは…………」

 スコラはすぐに応える。

「前線に就いた後に別の誰かが使ってるよ。だから気にしないで」

 その表情は穏やかだ。

「そうだね……ごめん…………」

 広いフロア。

 当然時間はかかる。

 しかし何も見付からない。

 この部屋に対する期待は高かった。

 何かがあるはず。

 何かがあって欲しかった。

「──何かあるはずだ……」

 思わず声を漏らすティマ。

「なにか────!」

 いつの間にか、机上に散乱した紙の束を撒き散らしていた。

「あいつらがワザと残したビルだ…………絶対に何か────!」

 直後、ティマの正面から、その肩に手を乗せたのはナツメだった。

「あるよ。絶対に。でもここの本丸は地下でしょ…………このビルが最後。絶対に負けない」

「ごめん……悪かった…………」

「悪くないよ……ティマならどんな表情でも歓迎する」

 そしてナツメの笑顔に、ティマの心が少しづつ溶かされていく。

「あれ?」

 それはスコラの声だった。

 スコラがいるのは整然と並べられた机とは別の大きな机。

 その上のモニターの明かりに照らされるスコラ。

 全員が呆然とその光景を眺めていた。

 電気は通っていないはず。

 しかし、そのモニターからの人工の光は、スコラの呆然の立ち尽くす姿を照らし続ける。

 そして部屋中に響く女性の声。


『 来てくれると思ってた……シーラ………… 』





〜 第三部・第5話(最終話)へつづく 〜

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